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2006年7月31日

環境エネルギー政策が最大の関心事

先日ロシアで行なわれたサミットで省エネの数値目標が発表された。まさに新興国が経済発展をとげていく中でも、先進国は省エネ技術をもって新興国とともに経済発展と環境保全の同時発展を考えていかなければならない。このような既に常識的に二律背反と思われていることを取り組もうとすると、「それは無理だ」という声が聞こえそうだ。サービスの質を高めながらコストを落とすだとか、質を上げながらガソリンをたく量を少なくするだとか、いずれも「あちら立てればこちら立たず」だとすぐに人は判断してしまう。部分最適を考えると二律背反にいってしまうが、全体最適を考えるとそうはならないのも不思議だ。全体最適は消費者起点だとか、相手の立場に立ってだとかそういった言葉で表されるが、まさに今年の冬の花き生産は消費者が欲しい時期に農場全体を上手に作動させて、どのように効率的な生産にもっていくか、ここにポイントがある。今から秋冬季のエネルギー対策及び環境対策を練っておく必要がある。MPSはその目的を達成する強力な手段であるとの評価が高いと聞いている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月24日

不易なるものへの憧れ

 僕はできるだけ不易、変わらざるものを休日のときに見たり学んだりしたいと思っている。仕事が花の取引所運営だから、流行にはことさら敏感で、花の易の能力を徹底的に磨いてきたつもりだ。だからその易の元にある普遍的とも思える不易のものを学んでゆくことが人間として、また日本人として必要だと思っている。
 昨日の日曜日は、日本中国文化交流協会が後援している『青磁の美』を出光美術館に見に行った。私たち夫婦とも青磁はとくに好きな焼き物で、僕はアジアに旅行すると必ず、青磁を求めて骨董屋や陶器店をうろつきまわる。今回の企画は出光美術館40周年の記念でまさに玉(新疆ウイグル自治区にしかない石で、中国の最高権力者が歴代愛した)に似た陶器である。青磁展では、僕が大好きな青磁鳳凰耳花生の重文三点が一同に飾られ、堪能の極みであった。いずれも形は砧型の花生で、南宋時代のものである。上から見下ろすのではなく、しゃがんで目線を同じくすると、美しさの中に慈愛のような輝きと、澄んだ心の透明感が浮かび上がってくる。このときはじめて客体と同化し、渇きが癒される。本物とはこのようなものであろうか。

 有形無形の芸術品に接すると、ある種の陶酔感を感じるが、自分の中にこのような評価眼が備わっていたのかとびっくりすることがある。確かに私の場合、自己流であろうが、人には既にあらゆるものが備わっているように思う。あとはそれを磨くかどうかである。私は実業人なので、花の取引所の仕事を通じて世の中のお役に立ちたいと考えている。花き業界をどのように時を得ながら長く繁盛させるか、参加した人たちが皆食っていけるようにしていきたいと考えている。そのためにはどのような習慣付けを我々業界人は取り入れたらいいのか、消費者に取り入れてもらえばいいのか、行動を積み上げていこうと考えている。まず魂より始めよ、である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月17日

簡潔な暮らしを提案する

 7月のお盆の立会は出遅れていた高冷地からの花が日に日に増えていく中での展開で、ちょうど昨年と全く逆、下げ基調での相場で展開された。卸売価格は安値に泣いたが、小売店はまぁまぁで今後メリハリの利いた夏本番の市況となっていくことだろう。

 お盆前に母の住む池上へ行くと、なんと香りの良いことに畳を張り替えてあった。7年ぶりだそうだが、新しい畳に寝転がるのは本当に気持ちが良い。不思議なもので、畳に寝転がって天井を見上げていると、それだけで広々としたところにいる気分で、普段、椅子と机と壁紙でできた箱の中で生活しているのとは違って、心が広々とする。そのようなことを感じながら居間へ行き、母と妹に「庭も植木屋さんに入ってもらってきれいになったね。」と言うと、そこからお金の話になった。これはあくまでも相対的なものだが、畳の張替えに比べ、植木屋さんの方がちょっと高いという。たしかにそれはそうだが、そんなことを言ったら、床屋や美容室の方がもっと高いだろう。生きているものの姿を整えるということは、技も必要だし、頻繁にしなくてはいけないから高く付く。でも楽しみといえば楽しみだ。「ヘアスタイルならぬ、庭のスタイルもちょっと変えてみては?」と話した。

 明治も20年を過ぎると、新しい国の形が整ってきた。板垣退助が久しぶりに嵐山に赴くと、彼が見た嵐山の風景と違う。そばの料亭の下足番だと思ったが男に聞くと、江戸時代、幕府はこの嵐山の借景に手を入れていたという。板垣退助は徳川幕府の心を知るのである。美術品だけでなく立ち振る舞いや、今でも靴をそろえて上がること。また、日本の社長が海外に新しく拠点を設けるときにその国の民族の生活ぶりを見て、これなら大丈夫だとお金以外の価値を推し量り、建設するどうか判断の材料にする。今日、日本に悪平等は少なくなってきたが、その分ものさしが金一辺倒になってしまうのは困る。金や効率で物事を推し量ることがあって当然だ。しかし、それ以外のもので物事を考える、それ以外のものでも大切な尺度がある。それはご都合主義にとらわれない、山川草木の真善美である。
こうした心持ちに私たちがなったとき、ホテルの観葉植物の造花は、バブルのとき以来久しぶりに生きている植物となる。その前の段階に今、花き業界はいる。生き物の本物の良さを営業するときが来たのだ。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月10日

筋が通って、キップがいい

 今日は7月盆の最大需要期だ。江戸時代、8割の面積に神社、仏閣、大名屋敷などがあったので、江戸時代一番多かった職人が植木屋だった。町人は2割の場所にひしめていて、長屋住まいをしていた。江戸時代はそのようだったが、明治になって東京を整備するため、たくさんのお寺や神社が東京都下に移住させられた。そんなわけで、千代田区や中央区などには大きかったり有名だったりするお寺や仏閣しか残っていないが、23区の端っこにはお寺が多くある。東京でも、戦前から続く有名な花店は、仏様の花を大切にしてきた花店が多い。

 今、文藝春秋で「私が愛する日本」を特集している。バブルの清算もあらかた済み、新しい日本を作ろうと前向きになった今、国際社会の中で日本はどうあるべきか、日本人はどのような心持ちでそれぞれの問題を対処しなければならないのか、国民一人一人がいやがおうでも考えざるを得ない時代となっている。
僕が市場の取引で感じるのは、産地では福岡のY、買参人では国分寺のGさんや御殿場のHさんのように、筋を通す人、キップのいい人が少なくなっているのが残念ということであろうか。しかし少なくなっただけで、いなくなったわけではない。だから、その人たちにスポットライトを当てて、流通の中での価値観や美意識はこういうものだということを語り継げばよい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月 3日

ソムリエ

 仲卸の店頭で買うフラワーデザインスクールの先生と話していたら、「蒸し暑くなって花が保たなくて困る」との声をもらった。
先生に「この頃大田の仲卸さんがバケツにつけて、立てて花を販売しているものも多いから、保たないとすれば、バケツの中にバクテリアが多くいて水が汚れているからではないでしょうか」と話すと、先生から「生徒さんが家にもって帰ってから保たないと言うのです。」「だとすると考えられる答えは二つあります。一つは、生徒さんが飾るのは常温のところだから、飾られる場所へ行くまで暑かったり涼しかったりといわゆるヒートショックで花が弱ってしまった。もちろんバクテリアの影響もあるかもしれませんが、まずはヒートショック。そして二つ目は、ここが肝心なのですが、プロの我々は、誰が作った・どこの産地か、ここにこだわります。それがさっと水揚げされていると見かけがよければ良いと思ってしまって、この銘柄産地を選ばなくても大丈夫ではないかと思って仕入れてしまうのです。仲卸さんの中にも、極端に銘柄にこだわる会社とこだわらない会社があります。こだわる会社のそのお客さんは、いわゆる有名な専門店で、日本中どの地方でもこだわりを持ったお花屋さんが消費を引っ張って行ってくれます。先生、産地や生産者名にこだわって仕入をしてくれていますか。」「そういえばここ2,3年でこだわりが少なくなっています。仲卸さんで水揚げされているものが多いから、見ればわかると自分の目を過信していたのです。きれいに咲くか咲かないか、花保ちが良いか悪いかは銘柄産地と品種を選んではじめて、中身の品質を推定できるというもの。私はちょっと自分の目を過信していたかもしれません。」

 2010年以降の小売店のブランド化を想像してみよう。専門店はその店の名前、そのものがブランドである。だから銘柄産地の花や職人の花を扱うが、前面に推しだすのは自分の店舗名だ。これをブランド化したところが勝つ。一方、ストアロイヤリティーが少ない量販店、カタログ販売、インターネットサイトでは、自社の格を上げたり、信用してもらったりするために銘柄産地の花を扱いたいと思うが、銘柄産地は量を多くは作っていないので、基本的に二番手、三番手の銘柄産地とお付き合いをする。もちろん四番手、五番手、それ以下のところも産地名や個人名を出し、安全や安心を前面に出し買ってもらおうとする。いずれも産地名や職人名を出して販売することになるが、専門店はソムリエでなければならない。仲卸、また卸はソムリエが社内にいないと仕事にならない。このソムリエこそ、生鮮食料品花きの私たちの業界では欠かせない存在なのだ。もちろんそれだけで商売が成り立つわけではないが、今その要素が花き業界で欠けている。どこの地域、いつ誰が作った。ここが大切で、花は作りものだから、もちろん枝物にしても、山切りできる人がしなければいけない。人がすべてなのである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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