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2010年8月30日

もう「なあなあ」ではいかぬと感じた2010年8月

一昨年は残暑、昨年は冷夏だったが、今年は今週もまだ猛暑が続く。花は三気商売で、天気・景気・やる気だから、天気がこう暑いと消費も生産もしぼむ。8月の単価を見ると、月前半は異常天候で荷薄、単価はここ5年間で最も高い市況が続いた。しかし盆後は、単価は冷夏だった昨年よりも下がり、残暑だった2008年よりも低い。路面店の売上は軒並み前年を大幅に割り、月末になってもロスの問題から秋物に切り替えることが出来ない。衣料品も長袖やセーターなどの秋物を置いても売れていないようだが、9月になってもロスの心配から大多数の路面店は品揃えを変えられない。クーラーが利いている駅中や商業ビル、量販店の中の店舗は、先週末の28日からまだ力強くはないが秋の需要が始まった。景気は日経平均で9,000円を割って、本年下半期見通しは暗そうだ。産業構造も工業を中心に工場を現地化することを考えているから、今後の経済の見方についてはかなり慎重だ。だから、就職内定率は上がらない。花についても更に人を絞る動きになってきている。花き業界もご多聞にもれずリーマンショック以来、給料を下げたり臨時雇用の率を高めたりしてきたが、ここに来て更に再販業者である小売や仲卸の利益率が悪化している。それは仕入れ価格が2008年よりも高いが、デフレ経済で販売価格を上げられないことから収益を圧迫しているからだ。小売や仲卸だけでなく、卸も更に人を絞るところが出てきており、通称「ぶら下がり社員」や臨時雇用者は解雇されたのか職を求めて業界内を右往左往し始めた。

花き業界は1999年に日本人の所得が減り始めてから単価が下がり、マーケットサイズが小さくなった。それに加え2005年から切花鉢物とも生産量も減り、単価も下がるという日本のほとんどの産業と同じ道をたどってきた。そしてここに来て更に人の問題にも手をつけ始めている。

何も花き業界だけではないが、零細企業が多い花き業界はもうこれ以上財務体質を悪く出来ないと経営者は判断している。問題なのは労働の質だ。花き業界として、サービス業として、また生き物である植物を扱う業者として、知識を身につけることや相手の立場に立って仕事をすることなど労働の質を上げていく必要がある。仕事は必ずブロードウェイの俳優のように臨むのが正しい。仮に身内に不幸があったとしても、観客にそれを悟られてはプロとはいえないだろう。それが仕事をする上での当然の心構えであるが、花き業界は今まで良かったので私生活をどのように自分を磨くために使い、自分を生かして仕事をするかをしていない人たちがいる。中には職務中に仕事に関係ないことをしているぶら下がり社員やかつてよく言われたように遅刻せず働かずの人もいる。このレベルを上げていくことが花き業界の次の発展のために欠かせない。モチベーションはその組織で醸造していくことでもあるが、個人が自律して作っていくものなのである。そういった倫理と具体的な勉強の機会を社員自ら持っている会社しか世の中が求めるサービスレベルに適合できないのではないかと考えている。

2010年8月は今までの延長線上では生きていけないことを花き業界に示唆する一月であった。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年8月23日

秋の花はじまる

ようやくススキが出てきた。今年は秋の花が遅く、20日の声を聞いて秋の模様替えをしたいと考えている小売店は多かったが、ススキもトリカブトもミズヒキもまだ出荷がなく、ようやく今日から出荷が始まった。今年は残暑が続くと言うが、秋を楽しみたい気持ちが強い。

先週の19日から川崎市茶華道協会の「第122回いけ花と茶の湯の会」が川崎のさいか屋百貨店で開催されている。華道はたくさんの流派の先生方が78作品を出展している。トロピカルで異国情緒のもの、ひまわりを使ったものなど、夏を謳歌するような作品もあったが、ほとんどは秋を描いた作品が多かった。第122回で解かる通り、川崎市の華道家や茶道の先生方の結束は強い。
川崎市の地形は食パンの形をしており、東海道に接している面が縦の奥行きよりも狭い。だから地方の方は東京と横浜市が続いているように勘違いしている人もいる。また川崎は京浜工業地帯の中心で何やらスモッグがあるイメージを抱いている人も多い。実際はそうではなく、花の文化も古く、江戸時代には大森の隣の蒲田が枝物の一大産地で促成物のふかしの技術に秀でており、モモやユキヤナギ、紅切シマツツジなどの促成花木は有名だったが、その産地が時代とともに多摩川の上流である川崎市宮前区馬絹に移転した。そして今ではすべてと言っていいほどどの花作りに後継者がいる。馬絹地区で有名なのが枝物の束ねの技術でそれを「枝折(しおり)」と言うが、生産者の吉田義一さんは現代の名工として認定されている。活け花が盛んだから巧みの技術も活かされる。夏の終わりの花の展示会は活ける技術や花の持たせ方など見るべきものがある。

そしてもう一つ花や緑の話題がある。昨日の22日、ゴミを埋め立てて造られた島を「海の森」にしようと安藤忠雄氏が実行委員長になっている「海の森」の一般公開があったので見に行った。大田市場の前を通りお台場へ行く一般道があるが、今この「海の森」の予定地前に大きな橋を架けようとしている。葛西に行く橋で、これが出来たら大田市場と葛西市場は本当に近くなる。また築地が豊洲に移ったらこの3つの市場は本当に近くなる。いずれも夜間なら15分圏内というところだ。この「海の森」の予定地に風力発電機が立っている。また20年前にゴミで埋め立てられたので、メタンガスが出ていて、このメタンガスも電力に替えている。大田市場花き部の前の運河側用地で、都内で集められた落ち葉などを使って腐葉土を作っている。風向きによって臭いときもあるので、所轄の港湾局に文句を言ったりしていたが、「海の森」の作業風景を見ていて、あまり文句ばかり言っていてはいけないなと思った。20年も経ったから馴染んだとは言え、地表にきちんとした土を張らなければならない。海の上で風が強いからすぐ活着できる木とそうではない木があり、緑化で余った木を持ってくればいいというわけではない。大田市場から車で5分のところに埋立地の勝島の大きな公園があって、テニスコートや野球場、ドッグランなどがあり、木も本当に大きくなっている。30年~50年後、「海の森」を作るには、土を作り、東京港の人工島にふさわしい森を作っていく必要がある。植栽されている木を見ると落葉樹が少ないので、どうにか落葉樹の比率を更に高めてもらいたいと思いながら、1/9の進行具合の「海の森」で360度のパノラマを楽しんだ。完成は2016年だそうである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年8月16日

夏の花の産地は極東の日本で

今日は関西が休市なので長野県など東西に出荷している産地からの入荷は多い。とりわけ遅れていた露地菊の下位等級や仏花用の中国の白菊など、需要とミスマッチな品物が多い。だが全体の入荷量は少なく、気の早い人はもう9月の結婚式シーズンやお彼岸の荷を心配している。

今年の猛暑でも買参人は異口同音に「昔と比べるといろいろな花が出荷され、しかも水あげが良く、花保ちが良くなった。ありがたいことだ」と言っている。アジアの花の産地はセオリー通り赤道直下の高冷地にあるので、日本の冬に競争力がある。しかし夏場は日本の高冷地の方が涼しいので、マレーシアの菊を除き、盆に向けての増産はない。また特に今年は日本にカーネーションを供給しているコロンビアの天候が思わしくなく、寒さや洪水など今までには考えられなかったような栽培環境となっている。中長期的に見ても、夏にはもっと日本の花き生産者の方々にがんばってもらわなければない。夏場の日本生産が何らかの理由で少なくなったとすると、このアジア近辺では韓国やロシアにお願いする以外に手はない。植物検疫の問題や技術と人手、そしてロジスティックを考えると、何としても日本で生産してもらうことが必要となっている。ぜひとも夏場の花の増産をお願いしたい。

こう発言する下地になっている考えは、2010年共に学習し、発展しあう仲間として、ドイツとイタリア、そしてアジア諸国があるのではないかというものである。すでに一部の学者は、「日本は西欧におけるイギリスの役目ではなく、ドイツやイタリアのようにならなければならない」と考える人もいる。日本は内需比率が非常に高く、アメリカと同様80%にもなる。GDPにおいては輸出も輸入も20%ほどのものだ。そこへ行くと、ドイツは輸出入とも40%を超え、よく輸出しよく輸入している。イタリアも近頃そうで、今まで移民に出るのには慣れていたが移民が来るのは初めてで、国内では人種差別や排斥運動までもが起こっている。これは日本もだが、若年層の失業率が日本は10%だが、イタリアやドイツでは20%となっているので政治問題化している。しかしEU化が拡大されているのでもわかる通り、開かれた国として互助互恵の精神で思いやりとつつしみを持って拡大政策を推し進めている。日本は今内向きになっている。戦後の農業政策と戦後教育の失敗であると私は考えているが、2010年の今からアジア太平洋地域国家共同体の一員として、ドイツのようにGDPにおける輸出入を増やし、互恵の精神を持って国を運営していくべきだと考えている。

我々は農業の分野で、しかもその一部の花の分野で、国内生産と海外の産地に日本やアジアの消費者に花を堪能してもらえるよう生産してもらうことが必要だと考えている。リーマンショックも100年に1回なら、今年の天候も100年に1回にしてほしいが、しかし近代化とは化石燃料をはじめ、長い間掛かってためてきた地球資源を使って生活するから、地球はサスティーナブルな状況とは言えなくなってきている。だから天候不順を前提に農業を営んでいただく。しかも夏場に品質を保持しながら生産してもらう。そうなるともう一度、種苗、生産技術、そして立地条件の見直しと、露地でするか、雨よけハウスか、ビニールハウスかを決めておく必要がある。円高で来春まで輸入品は価格競争力があろうが、天候に勝てるわけではない。夏場の国内産地の皆様方は、今年の夏の反省として、上記の360度チェックをしてほしいと思う。天候がおかしければおかしいほど、プロの本領が発揮される時代となっている。それは日本の花作りの時代と言えないだろうか。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年8月 9日

想定外の作柄不順の2010年8月盆市況

日本がこれだけコロコロと首相が変わるのは考え物だと思っている。現に世論調査を見ても、信念の強い首相の待望論がある。その一方で、あらゆることをお茶の間の話題として捉え、何事も身の丈サイズに直して分かりやすくしようとしている。この二つを同時に満たすには、リーダーは明確な将来像と短い言葉で端的に自分の思いを伝えることが必要だ。そうでないとまた烏合の衆に迎合するメッセージとなる。

場の空気とはそういうものだ。取引所は恐怖や快・不快、都合・不都合の神経回路を通って、色付けされた事柄が本人の事実情報として取引の参加者に届く。参加者は「さぁいくら?」のせり人の声でヤリを突き、せりに参加する。せり前取引のインターネット相対も同様だ。だから大切なのは恐怖や快・不快を感じさせる品物の量の問題で、自分が質・量・単価とも自分の都合で買えるかどうかが大切になる。多くの買参人の中にはこういう考え方の人がいて、その数は決して少なくない。その人たちはいずれも地元の消費者から絶大な信用を得ている人たちだ。「花ならあそこの花屋さんじゃないとだめよ」と一昨日も二夫婦から言われた。そのような人たちは「今年の天気じゃ生産者は本当に大変でしょう。梅雨明け後の猛暑で露地物の小菊やリンドウ、ケイトウは上手な生産者でも量は出てこないのではないかと思います。そう思いながら買わせてもらいます」と言う。このようにいつも生産者のことを考えながら花店を営んでいる人たちだ。毎日品質や量が変わり、需給バランスによって価値も価格も変わって、しかも生き物の生鮮食料品花きはプロが商いするものだ。見積もりが取れないと納品先が商いしてくれないから、それは見積もりを取れるようにするし、花束加工をするとしても人の手配や段取りがスムーズに行くように予約相対もする。しかしそれもぴったりと言うことはない。今年のような天候のときには幅を持って考えてもらいたい。この幅を持って考えてもらえるように、的確な情報伝達が産地や卸は必要である。産地は天候で仕方がないのは分かるが、仕方がないと判断するのは買い手側である。買い手は生産者のことを思ってほしい。苦労して作った花を商いさせてもらっているのだ。こう考えれば、産地状況は我が事として捉え、中長期的にも信頼し合える同志となる。
今年の8月の盆は12日が切花休市なので、11日まで予約相対が続き、迎え火の13日まで入荷がある程度潤沢となる。16日は中京関西の市場が休市なので、荷がまわってくることもあろうから、関東以北はがんばって販売をしようと思う。

団塊の世代が60歳代になって、仏花の需要が高まっているが、特に需要を強く感じるのはここ1、2年であり、この世代がリタイアする2015年以降は確実に仏花需要量が減る。現在は法人需要が少なくなった分、仏花需要がそれを補っているが、仏花需要がしっかりしているうちに切花・鉢物ともホームユースやちょっとした手土産の花を習慣付けてもらえるようプロモーションしていきたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年8月 2日

違いを認めた平等-日本の卸売市場

8月1日付の『日本農業新聞』にFAO(国連食糧農業機関)アジア太平洋地域代表の小沼廣幸氏へのインタビュー記事が載っていた。日本人としては初めてのアジア太平洋地域のFAO代表だ。記事の中で飢えについての質問があり、小沼代表は飢えには2つあり、1つはカロリーベースの絶対量不足、2つ目には富の偏在によるビタミンやミネラルなどの不足をあげていらっしゃった。

7月31日の土曜日、市場流通ビジョンを考える会があり、この10月に第9次の卸売市場整備の基本方針が発表になるが、その前にそれぞれの市場協会等を通じて通達された内容について検討を加え、会としての方針を議論した。特に議論の対象となったのは「中核市場」についてだ。なお中核市場は水産・青果についてであり、食肉と花きについては適用されないが、しかし青果で適用されるものについては産地は当然花きも「右へ倣え」になるのだから、我が事として花き関係者は議論した。

東京には5つの中央卸売市場花き部があり、青果(水産)と一緒に中央卸売市場を構成している。その青果が拠点市場にならなかったら、産地指定などの面で不利になる。また最初から拠点市場ではないとされる市場も多い。これは格差ではないのか。これをどのように考えていったらよいのだろうか。

そこで思い出すのは2人の思想家である。まず釈尊の教えだ。お金持ちも貧乏人もいても良し。ただしお金持ちは寺や仏像など応分に寄進する役目を科して。貧しい者はできることをすれば良く、笑顔を布施としなさいとしている。差異あるいは格差を容認するが、徳目を持って世のため人のために修身して生きていきなさいと言っている。もう一人は今ベストセラーになっているマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の中にも出てくるジョン・ロールズである。20世紀、平等について徹底的に考え抜いた哲学者である。ポイントは二つあって、一つは市民には基本的自由が平等に与えられている。基本的権利、自由を侵してはならない。これは我々もすぐそうだと理解できる。もう一つが有名な「格差の原理」である。平等主義の権化と言えるロールズは、所得を平等に分配しようと考えるとある程度の格差、例えばバスの運転手より医師のほうが高給であるということを認める。社会で不遇な人々を助けるために自分の才能を使う限りにおいて、自分の才能から利益を得ることを良しとした。個人に備わった天賦の才は個人の才だけではなく、むしろ環境から得た比率が大きい。

平等のロールズは日本流に言えば、無私の精神で結果として得た収入を認めることは不正義ではないとした。では第9次で拠点市場として指定された市場と指定されなかった市場の問題をどのように考えたらよいのか。これは格差なのか役割なのか。市場流通ビジョンを考える会は多様化と個性化で今よりも役立つ生鮮食料品の流通を目指しており、作りすぎた卸売市場の数の調整も一定段階まで必要だと考えている。しかし日本の卸売市場を日本全体の生鮮品の流通システムとして見たとき、数の調整だけを促すのは良くないと考えている。三菱系の食品卸4社が合併し、2兆円規模になって国内事業の整理整頓と同時に海外へ出て行こうとしているのはわかる。オランダの花市場は2009年1月に合併して国内では一社体制になり、さらに2010年ドイツの花市場と一緒になることが決まった。また本年アールスメール市場のそばのインターネットのフローラアフリカも吸収し、巨大な卸売市場になってきた。このように中間流通として競争力を旨とした考え方、もう一方に平等を旨とした市場流通の考え方がある。日本の卸売市場人は国民生活を支えているという意識が強い。卸売市場はロールズの「格差の原理」を認めながら、平等主義に根ざした運営を自らしようとしている。それぞれ個性的で多様な「ロールズの格差原理」に基づく日本の卸売市場列島構想である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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