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2011年10月31日

必要とされる定温化とエチレンブロック

先週木枯らし一号が吹いたと思ったら、今週は半袖でも過ごせる陽気に逆戻り。喜ぶのはビール会社やアイスクリーム会社ばかりとうらめしい気持ちだ。

花は寒さが来ないとしまらない品目がいくつもある。ポインセチアやシクラメン、切花のカーネーションなど、柔らかすぎて生産者は苦労している。しかし、暖かいから花保ちが良くないかというと、エチレン発生の防止剤やつぼみをしっかり咲かせる後処理剤を使えば花保ちは冬物のストックやスナップもほとんど変わらず長持ちする。特に切花のトルコギキョウは、エチレン発生防止の前処理剤で処理した花に家庭で後処理剤を使用したら、ユリと同じように持つのだ。冬の花の品質を高めるにはこの温かさは大敵だが、油代はかからないし、消費者には花保ちの良いものが多いのであまり問題ない。

花保ちについてはこのような事例がある。台湾は国を挙げてコチョウランの品種改良とバイテクによる苗作りを行っている。もう一つ大品目になっているのがオンシジュームの切花である。船便の方が、温度変化が少なく、持ちが良いようだ。日数が飛行機で運ぶより5倍以上かかっても、船便の持ちが良いのはびっくりする。良いものを安く、安くても採算が合うのだから、消費者は喜ぶが国内のオンシジュームの産地は台湾の生産者とは違う品種を作らなくてはもうやっていけない。年末から春にやって来る台湾のトルコギキョウは船便がほとんどだ。こちらはオンシジュームと違い、日本国のトルコギキョウ生産者は品質と品種に優れているから、競争しながら棲み分けていく。

今後、船輸送の花が多くなってくると予測される。また九州・東北・北海道の輸送園芸地帯の花は飛行機輸送からトラック輸送、あるいは貨車とトラックを併用したモーダルシフトの輸送に変わってくると予想される。そのとき定温化は欠かせない。前処理をきちんとし、品質が充実しているものを定温で運ぶと十二分に鮮度は保たれるのだ。アメリカでは輸送中にエチレンの感知を防ぐエチレンブロックの技術があると効く。特許を取っており、それを利用すれば、果物であれば完熟したものを輸送できる。花であればまさに咲ききることを約束した切前の切花や最高の出荷ステージの鉢を長距離輸送できる。こうなると生産者売価の中で運賃の比率をどのように下げて、農家手取りを増やすことと船や長距離トラック輸送は直結した問題になってくる。長距離の定温輸送とエチレンブロック手法、これが遠隔地の実質の運賃の引き下げを実現するのであれば、それを預かる卸売市場は当然、場内の鮮度保持対策をしておかなければならない。東京都は第九次卸売市場整備方針で、市場内の鮮度保持化、物流の合理化、農産物の加工を行うことができるよう方針を出した。とある経済連の係官は鮮度保持対策が出来ているか出来ていないかで出荷市場を再編している。まさに生産地にとって光熱費と運賃は合理化すべき経費となっているのである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2011年10月24日

気になる人たち

省エネでクールビズが本格化して、秋になって日本の男性もドレスダウンが大変上手になってきた。40歳代と団塊ジュニアの世代の男性のファッション雑誌の活況が示すように、花束が似合う男の人たちが増えてきている。新宿伊勢丹の男の新館に行くと、ここまでやるかと思えるほど男子服のレベルが高い。肌着から帽子、身につけるものまで、ここまでよく世界から集めたと思えるものがある。花では若くして日本に来て、日本で名を挙げたニコライバーグマン氏が店を出しており、ソフィステケイティッドされた男性の需要が確実に期待できることを物語っている。

さて今日は産地に行って二次会でよく出る質問の話をしたいと思う。小生の知るホームレスの話である。ホームレスの勝ちゃんがたぶん奥さんだろうと思われる人に説得されて、随分前に娑婆に戻った話はしたが、ホンダのアコードワゴンから軽自動車に乗り換えた源ちゃんと4トントラックの附木さんがどうしたかと聞かれることがある。

この夏、二人とは一度も話はしなかった。暑かったのでいつも彼らが車を止めているところを私自身が通勤で通らなかったこと、そして散歩する日曜日の早朝には2人とも違うところで止まっていて、そこにいなかったからである。今は涼しくなって歩いて会社に来ているが、まだ彼らは車の中で寝ている。夜が明ける前の5時頃にはもう会社に着いているから、彼らが寝ていて挨拶することもできないで今に至っている。

何がフェアで何が寛容かわからないが、フェアとか寛容という価値観よりむしろ無私の精神というのが日本の大切な価値観ではないかと思う。彼らが駐車している場所は道路で、長距離トラックの人たちが帰り荷を待ち、時間調整をしている場所だ。駐停車禁止とは書いていないが、道路を占有しているのだから良いはずがない。でもなんらかの事情があって車で寝泊まりしているのだから、それくらい大目に見てやってもいいのではないか。2週間前、ホームレスの人がアルミニウム缶をいっぱい集めて、自転車の前後にゴミ袋に4つも積んでいたら角の交番で捕まっていた。目の前を通りかかられたら、それは捕まえざるを得ないのだろうが、ホームレスの人たちは働き者が多く、これで生活しているわけなのだから、本人のことや捕まえざるを得なかったおまわりさんのことを考えるとやるせない気持ちになった。なんらか間違いやら罪を犯し、出直したい人がいるはずだ。その人たちの再起をどうするかだが、知らないところで結局は新たに生まれ変わったその人たちを無私の尺度と寛容の尺度で見る以外にはなかろうと思う。

この話題で突飛もないことを言うが、第二次世界大戦のとき、今村均陸軍大将は部下とともに服役すべく、自分が無罪放免になったあと、インドネシアで投獄されている部下たちのところに一緒に罪を償いたいと入獄した。あらゆることを自分自身の欲望を満たすための道具とせず、いつも身の置きどころを本来人間に備わっている人間性に則って行動する。ここに日本人のというよりも、人間そのものの尊厳があるのではないかと思う。源ちゃんは軽自動車の運転席で毛布をかけて寝ているがエコノミー症候群にならないのか。附木さんはよくトラック運転手がやるようにハンドルに足を乗せて寝ているがあれで本当に休息が取れるのか。たぶん彼らにとっては他人に迷惑を一番掛けなくても済む方法が車の中で生活をすることなのだろう。これも自分を後にした無私の尺度だと私は思っている。源ちゃんも附木さんも私も今村大将のようになることはできないが、少しでも迷惑を掛けないで生活していくこと。そしてその中でも仕事を通じて少しでも社会に恩返しすることを考えている。1年前だが個別に彼らと話したとき、本当に人間味溢れる話しっぷりだと魅力を感じた。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2011年10月17日

青果市場は合併して大きく、花き卸売市場はネットワークを条件に多様化

先週は半袖の陽気で、青果で言えば鍋物が売れず、花で言えばバラやストックなどが安くなって、今日17日の市を迎えた。秋口の相場で20世紀と違う点は、昔よく言われていた相場が下がる特定日、10月10日、10月20日、11月10日はもうないということだ。少子高齢化とともに供給が少なくなっている点、安全安心による農薬のポジティブリスト化、ライフスタイルの変化で地元の荷があふれかえるということはなくなった。21世紀になってまだ10年しか経っていないが、日本の国内産地は農業を地域の産業としてとらえている産地はますます盛んになり、それ以外が衰退していくという風に農業の集積と希薄化が起こっている。その意味で需給バランスは取れていると言えるだろう。

さて構造的な市況見通し以外にもう一つ。小生の大田花きの社長としての発言と、社団法人日本花き卸売市場協会の会長としての発言が、自分で業界紙を見ていて食い違っているような印象を持つので本意を話しておきたい。それは卸売市場の数のことである。青果と花を比べながら話したい。

①食事の評価ポイント
人はモノとコトに対して評価し、お金を出す。食事はその素材と料理人の腕とが評価の対象となる。刺身でも料理した人によってこうも違うものかと感じるときがある。素材を生かした料理でも、素材と腕の評価は50:50だ。普通は料理人の腕が賞賛の的となる。そして食べた後、その料理はこの世からなくなる。

②活け花やアレンジメントされた花への評価
活け花芸術家が活け花作品を作ったとき、素材よりも技に賞賛が行く。しかし花はそれでおしまいではない。それから何日も花保ちする。時間との経過とともに、賞賛は素材そのもの、そして生産者の力量に移ってくる。だからその花を作った人、野山の花を選んで切った人、またその後の処理の仕方まで含めた荷主と素材としてのその花に高い評価が行くことになる。

③果物屋さん、八百屋さんと花屋さん
果物屋さん、八百屋さんは箱から小分けして消費者に販売する素材販売小売屋さんである。花屋さんでも鉢物は完成品が流通しているので1ケースで買っても、1鉢ずつ売る小分け売りの小売の分野もある。だが切花はブーケにしてもアレンジメントにしても、仏様の花もその店流の束ね方で作り、似ている業種といえば小料理屋さんである。味付けが特徴的だし、洋風だったり、和風だったりする。
結婚式の花やお葬式の花に特化したり、料理で言えばそのお店の業態にふさわしい花を作っているのが花の専門店なので、小料理屋さんのように小さい店でも生きていける。夫婦2人でやっていける仕事であるのだ。

④花屋さんと対になっているのが品物にこだわる小規模生産者
お客様の手に渡ったあとの品質にまでこだわり仕入をするのが専門店の花屋さんで、例え数量は少なくてもがんばって作っている生産者のものを買おうとする。日本では5割以上の切花は専門店を通して流通消費されているから、例え小規模な生産者でも良い評価をもらえる。専門店ががんばっているおかげで小規模でも生産者はやっていける。

⑤その人たちに有用なのが地元の市場だ
料理人の腕にポイントがある食の場合、地域独特の素材はその青果市場でないと難しいかもしれないが、一般的な食事の場合、日本国スタンダードな野菜や果物があれば家庭でおいしい料理を作ることができる。その意味でスーパーがあれば良く、どうしても八百屋さんや果物屋さんがなければならないということはない。しかし花はその地域に小さいががんばっているプロの花屋さんがある。量を買うわけではないので、遠くまで仕入に行くとコストが掛かる。できれば地元で仕入れたいという人がいる。出荷者も一年中作れるわけではないかもしれないが、どこにも負けない品質を作っていこうとする生産者がいる。花は料理人の腕前も大切だが、食べてなくなるものではないので、きちんと咲いたかや何日持ったかということが大変大切だ。花屋さんと生産者に出会いの場を供給するのが地元の花市場である。地域社会の中では必ず専門店の仕入に負担が掛からない距離に、品揃えが豊富な市場があることが必要なのである。

⑥適正な数はその地域のマーケットサイズが決める
一地域に競合し合っている市場が2つ以上あったとしよう。そのとき地域の小売店と地域の生産者のため、合併して20億円目標の花き市場、可能ならば30億円取扱規模の卸売市場になることによって、小売店の仕入に役立つ。産地市場としての行き方はこれとは別にある。卸売市場にとってまず大切なのは、小売店のニーズを満たしていくことである。この意味からすると、団塊の世代が活発に花を消費してくれている2015年までに、統合の話し合いをしてもらいたいと思う。新たなインフラ整備をお願いしたいのである。

⑦青果市場は合併を促進して規模の拡大をはからなければならないが、花き市場は過当競争は不要で
地域にフィットした多様な市場にならなければならない
青果物は川上と川下が合併して大きくなっているわけだから、当然それに合わせて大きくならなければならない。花の場合には、小売店ががんばっているし、花保ちの良いものを出荷する必要があるから、国産の比率はどうしても高くなっていなければ消費者を失望させてしまう。国内産地ががんばれば、規模の話ばかりでなく多様な市場が必要である。
市場間連携を今後促す必要もあろう。しかし日本の花き消費を考えたとき、日本の生産地、そして海外の産地を考えたとき、ネットワーク化された市場流通のあり様は日本の花き卸売市場のあるべき姿である。

大田市場のような中央中核市場としての役割は、ネットワークを前提に必要だと考えている。各卸売市場は道路網・鉄道網に似てネットワーク上の役割だから、地域の市場や多様な市場のあり様を具体的に方向付けていくことが日本国の卸売市場の仕事であると考えている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2011年10月10日

日本の花き業界は大丈夫

欧州の大手銀行デクシアは事実上経営破たんした。花ではオランダの大手仲卸ブルーメックスが倒産し、イスラエルの農業会社で日本の全農の役割をしているカーメルブランドのアグレスコが倒産した。またオランダ政府は各種補助金を削減する方針だそうだ。なにやら日本の1997年、山一証券が倒産し、拓銀が破綻したあのようにならないと良いなと思うが、しばらく不安な日々が欧州、アフリカの花き業界でも続きそうである。そこに行くと、日本は震災後、新たな日本を作り出そうと、景気の厳しさは変わらないが、気持ちは前向きになってきている。誠実さに価値を置く仕事の仕方、生き様が法人、個人とも求められており、それが実行されてもいる。花の小売店では他の小売業同様、廃業するところも目立つが、後継者が引き継いで、先代とは違った店の経営をしている元気な小売店も多い。その意味で日本の花き業界は決して悲観的ではない。確かに仕入先や販売先が新しい時代を作るための選別がされてきているが、これも新しい時代の息吹と考えている。

先週の土曜日、花き生産が年々増えている長崎県にあるハウステンボスで「ガーデニングワールドカップ フラワーショー」が開催された。オーストラリアから出品したジム・フォガティ氏の庭が1位であったが、出品された作品はどれもレベルが大変高いものである。庭園は人の気配がその自然の中に息づいてなければならない。造形や色使いだけでなく、心地よさがどの作品も非常に高いレベルでパフォーマンスされている。日本ではこれだけの空間を手間隙かけて作りこみ、コンテストの形まで持っていくことのできる組織体はそうはない。ハウステンボスの場を経て、現代日本の庭園文化もさらに大きく発展することであろう。このレベルのものを評価し、見てみたいとハウステンボスへ駆けつける人が日本にはたくさんいるのである。もちろん近隣諸国からも来る。花も見栄の消費から本物の消費に完全に移ったとガーデニングワールドカップ フラワーショーを見てそう確信して帰ってきた。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2011年10月 3日

2011年度(上半期)

本年も残りあと12週となった。年度でも上半期が終わり、花き卸売市場の取扱金額がおおよそ出揃いつつある。鉢物類の売上が良かったので、前年比100をキープしているところもあるが、90~95というのが実績のようだ。震災直後の自粛ムードが終わり消費が戻ってきたことに胸をなでおろしているが、実態を見ると需給バランスが取れてきただけで、新しい業界の仕事の仕方や再建による成果は出ていない。しかし芽は育ってきているので、下期着実に成果として見える形にしていきたいと考えている。

1、鉢物類の単価は下げ止まった
特に2005年から単価の下落が著しい鉢物類は、コスト削減に目が行き、手を抜いた品物が多数出回るようになってきた。今年の単価が下げ止まったのは、経営の悪い生産者が花き栽培をやめたためで、需要より供給が少なくなったためである。日本は長い間デフレが続いたので、一般的に日本の特徴である「丁寧なものづくり、誠実な商売」を行うところが決して多くなく、諸外国には失礼だが、これも日本で作られたのかと思われる品物もある。鉢物も例外ではなく、鉢物生産者は需給バランスが取れたのだから、丁寧なものづくりを行い、消費者の手に渡った後も十分に楽しめるものを作ってもらいたい。

2、商品開発するのは生産地と卸の仕事
 卸の仕事は消費者の声を聞き、その地域を担当する小売店を通じて花を供給するというところにある。産地は消費者のほしがっている時に、欲しがっているスペックと価格で供給する必要がある。卸・仲卸にとって大切なことは新規顧客開拓であり、商売を通じての消費拡大やその消費ニーズを運命共同体である産地にぶつけていくことだ。この仕事ができていないのだ。
花き卸売市場はお互い過当競争に陥っている。結局皆で産地に赴き、荷引き競争をして、セリ前取引では他の市場より早く売り込んで、もう売れないと見たら見切って投げ売ってしまう。こんな消耗戦をしているうちに、産地は傷つき、小売店は販売企画も出来ないので、結局お客さんを増やすことにつながらない。このような現状がある。この古いやり方は3.11前のやり方だ。これがこの上半期直っていない。再建すべきは地域の卸売会社で健全経営できるよう合併統合して、力を蓄え、もし足りない荷があれば産地に買付けにいく、あるいは中核的な市場から買い付ける。荷揃えは地域の小売店の業者のためであって、卸売市場の金儲けのためではない。花き業界はこの時期困った。生存、存続の危機であったので、花き業界全体を考えた全体最適で臨むのであると思っていたら、未だにまだどうにかなると自分最適で物事を判断しようとしている。もうこのやり方は通用しないのである。

3、タバコ農家を花き生産に
 タバコ生産は専売公社、そしてJTと長い間生産者に仕事の高位平準化を要求してきた。よってタバコ農家の生産レベルは高く、すぐ花を作ることができるすばらしい能力を持ち合わせている。今年はJTと契約が切れ、転作を考えている農家が日本中にある。日本は少子高齢化で胃袋がしぼむ。しかし1人あたりの生活空間は広がり、ゆとりある居住空間が用意される。花の消費は増える。すくなくても増える余地はある。よって地域の農協に、あるいは篤農家に生産指導をお願いし、ぜひとも花を作ってもらいたいと思う。出荷先によって何を作ったら良いか、どんな品種を作ったら良いか変わってくる場合もあるので、まずどの市場に出荷するのかを決め、明確なサプライチェーンをイメージして、花を作ってもらいたい。

震災後当初、花の需要は上半期で90%行けばよいとした。おおむねその通りになった。4月~9月までで1年のうちの4割の金額を商いし、10月~3月までで6割の金額を商いする。昨年までは45:55だった。景気動向は甚だ厳しいが、努力した丁寧なものづくりに対して、誠実に販売する卸売市場と小売店が景気動向の厳しさに反して、適切な生産者手取りを約束できる環境下になっているとここでお伝えしておこう。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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