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2012年9月24日

2012年彼岸

 23日(日)の関東地方のまとまった雨は残念だった。東京周辺は若い人たちが多く、選挙で云えば浮動票が獲得出来るエリアでお彼岸というと入りも明けもない。お中日近辺の休日がお彼岸でお天気が良ければお墓参りに行くし悪ければ行かない。22日(土)まで売れ行きは良かったが昨日はさっぱり売れず、今日の取引は苦労している。

 団塊ジュニアが花の消費の傾向を決めたり、需給バランスの強弱を決めたりするようになって数年が経つ。地方では道州制にしたその中心の都市に団塊ジュニアが集積し同じような傾向を示している。北海道なら札幌、東北なら仙台という風にである。特に首都圏の場合、世界で最も人口が密集しており3700万人(※)もの人たちがいて、その花の傾向を団塊ジュニアが決めているのだから天気だとか、気分だとかそういったものが需要に反映して花の相場を決めてゆく。

 秋の彼岸は上半期の末で決算前。会社の中で重要な役割を果たしているアラフォーの人たちはこの時期、泊りがけで行楽に出かけるわけにはいかない。今年は領土問題があり、欧州経済も減退してきて経営計画の見直しも迫られている。そんな中での秋の彼岸・春の彼岸も年度末なのでそれぞれ忙しい。したがって、かなりの数の人が東京にいる。浮き浮き気分ではなく、じっくりこの半年と将来を見つめて生活するのが秋の彼岸期・春の彼岸期である。こういう状況の人が少なからずいるからお墓参りはお中日の天気によって1割以上需要が異なるのである。彼岸需要はこういう傾向であることを産地も小売店も考えつつ経営計画を立ててもらいたい。

 さて、この9月の彼岸でクローズアップされた2つのことを連絡し、それぞれ改善を求めたい。一つはコロンビアのカーネーションの品質が安定せずクレームが出た。輸入商社の皆さんは、再度取引先の納品のチェックとロジスティックのチェックをお願いしたい。母の日から何度かコロンビア産の品質に痛い目にあった買い手から、国産のカーネーションの要望が強くなってきている。国内生産者はこれをチャンスと捉え、選別により注意を払い可能な限り生産拡大をお願いしたい。ナデシコジャパンではないが、国内生産者にフォローの風が吹いている。もう一つは今年の彼岸期は暑かったが、東京では保冷施設をもたない花店が主流になっているので常温で花持ちの良い花を育種したり、産地で咲かせて出荷させることによってかえって消費者小売店での花持ちを良くしたりするなど、常温での花持ちの良くなる工夫をお願いしたい。静岡県花き試験場では、ガーベラの花持ち試験を行った。暑い時期ガーベラは品種により花持ちが全く違う。暑さの中でも品質が落ちず花持ちの良い品種があったり、茎を切らずに株からすっと抜くことによって花持ちを良くしたりすることが出来る。常温でも持ちの良いものを求める傾向が大変強くなっている。以上2点が今年の秋の彼岸期で起きた新しい風である。

※都市圏の人口
1位 東京 3700万人 
2位(インドネシア)ジャカルタ 2700万人
3位 (インド)デリー 2200万人  

東京がオリンピックの開催の候補地として名乗りを上げているが、それは一定の地域にあらゆるものが高密度で集積していて、秩序ある生活が営まれている為である。「復興」を一つの目玉としているが世界人口の半分以上が都市部に集中する21世紀にあって、東京は世界の都市インフラと生活の一つの手本となっていくことだろう。(磯村の見解)

投稿者 磯村信夫 : 12:09

2012年9月17日

仏事の物日は堅調

 16日の日曜日は、モースが電車に乗っていて発見した大森貝塚を発掘した日だ。それから135年経つが、僕も散歩で時々貝塚へ行く。大森は根岸と並んで、明治の大老たちが住まいした場所で、今でも新幹線の品川駅を出ると右手に森があるが、伊藤博文の屋敷跡とか大仏とかの緑が目に飛び込んでくる。今年の彼岸の入りは19日で、大森貝塚から旧東海道に降りて行くと、品川駅から横浜まで京浜急行の両側はお寺が本当に多い。お彼岸はすごい賑わいだ。お屋敷町があってお寺が多いとなると当然に花の需要が多かったわけで、大田花きもハイセンスな花や伝統の生け花の枝物、そして物日の仏様の花は得意中の得意だ。大田花きは、それらと同様得意としているものに進駐軍であるアメリカ軍の影響を受けた花の使い方がある。それは、都心部に最も近い中央市場であることもあるが、大森園芸の頃から山王ホテルやドイツ学園、本牧や横須賀の基地、また基地の人たちを相手にしているお花屋さんが、大森園芸を仕入れの場所として利用していたので、クリスマス、バレンタイン、感謝祭は本当に良く売れた。
 今、新たな売れ筋になったのは、これはディズニーランドが車で30分以内の場所にあるからであるが、ハロウィンは団塊ジュニアの世代を中心に新しい物日になってきている。いろいろな物日が増えて、17日の敬老の日の花のプレゼントもそれなりの需要量だが、以前ほどの勢いはないように思う。それは団塊の世代の早いところで65歳以上の高齢者が増え、日本が本格的に高齢化社会に突入しているからであろう。後期高齢者の長生きはおめでたいが、65歳以上でくくられる下の方の高齢者はおめでたくとも何ともないということであろう。年金は本当に次世代の負担が大きすぎないのか。ロシア・日本が少子高齢化の先駆けであるので、高齢者がどのように経済的にも自立して社会の中でやっていくのか世界に先駆け世界の手本になるシステムを作って行って欲しい。
 花の仕事をしていると、高齢化社会というのは決して悪くないと思っているのだが、上手に富と文化を次世代に伝えて行きたい。その為には、お年寄りが自分達の権利ばかり主張せず、経済的にも富を上手に次世代に渡せるしくみ作りが必要である。敬老の日の花、岩手のりんどうの鉢物を見ながらそう思う次第である。

投稿者 磯村信夫 : 11:40

2012年9月10日

経営環境の厳しい中で

 先週会議と会議の間の時間がたっぷりあったので新宿伊勢丹に行ったが、今年はまだまだ暑く企画中の秋物が動いていなかった。その前の週、妹が日本橋の高島屋のお買い得会へ行った際も秋物は動いていなかったそうだ。
花き市場では、今日までにこの暑い天候の影響をもろに受けるが、明日から敬老の日・3連休の結婚式・お彼岸のお参りの花の需要期突入となる。今年は暑さと干ばつで高冷地の出来が良くないから本数ベースで5%減、規格が下のものが多いから箱ベースでは10%以上少ないと思われる。暑くて早めの手当てがしづらいが、定温庫があるところは早めに手配をして欲しい。
 さて、この夏消費税が上がることが決定したが、それを受けて取引先の財務体質をチェックする動きがでてきた。過去に消費税を導入し、また3%から5%に上がった時、大型の買い物の駆け込み需要とその後の消費不振で財務基盤が弱い事業所は資金が回らず多数倒産した経験からだ。世界で最も人口が密集している千葉・埼玉・東京・神奈川の首都圏では、東京の中央卸売市場花き部がいずれも県境にあり首都圏に花を供給している。その中央市場の売上で2006年を100とした時、3.11があった2011年は、平均値で86.3であった。約15%近くも売上が下がると、当然に損益分岐点を割り込んだり、リストラが後手に回ると健全な財務体質が維持出来なくなる。東京の中央卸売市場の花き部の卸でさえもこのような状況だから、仲卸も小売店ももちろん生産者もお互いに与信をチェックしていく必要がある。
 第9次卸売市場整備計画の方針が策定された2009年、卸売市場法においていくつかの法改正をお願いしていたが、政権交代劇があり結局は見送りとなってしまった。財務に関わる問題として今後とも法改正を呼びかけたいのは、卸売会社は委託物品の販売代金に手をつけてはならない。これは荷主さんからの預かり物である。これをキチッと確保し自己資金で、買い付けなり、他の事に資金を使う。即ち株式でいうところの自己売買にはお客さんからの預かり資金に手を付けてはならないという証券会社などが規定されている法律を適用する必要があると思っている。
今まで何回か花き市場の倒産があって委託出荷した代金がとれないということがあった。これを防止する為、万が一その花き市場が倒産したとしても返済優先順位が高いところに委託品の代金がなければならない。そう考えている。2015年の10月に消費税が10%になる。2014年には8%に上がり、2014-2016年の3年間で商売として厳しいものがあると想定しておくべきだろう。ましてヨーロッパ発の世界不況は回復していない。既にこの夏はじまった財務チェックで各社財務の健全性を一義に考え心して経営に当たっていきたい。

投稿者 磯村信夫 : 13:17

2012年9月 3日

9月2日は敗戦の日

 孫崎享氏の「戦後史の正体」を読んでいる。ちょうど昨日9月2日は東京湾に入港したミズーリ号の艦上で、日本がポツダム宣言を受け入れ全面降伏の調印を重光外務大臣がした日であった。人気スポットのお台場から少し沖に行ったところで調印式が行われ、日本が負け戦争が終わった。

 1944年から、食糧増産で花を作っては非国民ということだったので、一部の許された地域を除き花の生産はなくなった。私の祖父は花専門の種苗会社をしていたから開店休業であったが、1932年に作った大森園芸という花市場で糊口をしのいでいた。私は大森に住んでおり、近くの入新井第一小学校が選挙の投票所になっているが、もう20年以上も前に何故だかわからないがそこの小学校に大森海岸の料亭街を慰安婦の場所として日本国政府は一般婦女子の安全を守る為、慰安婦を募集し連合軍(アメリカ軍)の兵隊さんが列をなして大森駅の所まで並んでいる写真があった。その時は今云ったようなことはわからず、気になっていて何の列だかわかったのは今から15年前、大森の戦後史の中でこのコメントに出会った。このことは、9月5日のことだそうで、ミズーリ号で調印をし戦争が終わった後であるにもかかわらず、或いは調印をしたのは、何でも云うことを聞くということで調印したのか、終戦の3日後に日本政府はその道の商売をしている人もいるし、それ以外の人にも声を掛け応募し、約1200人余りの女性を今の平和島の競艇の前にあった料亭、澤田屋、小町園、悟空林などあったが、そこに女性を収容し、慰安婦として働かせたのである。憤りを覚えるが、日本が独立する51年まで、何んと国家予算の2~3割がGHQの駐留費としてあてられていた事実を思うと、言葉は悪いが日本人は進駐軍の言うことなら何でも聞く奴隷に成り下がっていたかのようであった。この国家予算の駐留費の中に花代も入っていたと云う。この花代は、駐留軍の奥さん方の生け花の習い事の費用や花のプレゼント代、自宅の花などでジャズ音楽などと同様、日本の戦後の花き生産と花文化の習慣付けのきっかけになっていったことを思うと、花き業界人として複雑な思いである。

 学生の頃、石橋湛山のお孫さんがいて、私の親友が石橋さんと親しかったので、話を聞く機会があった。お互いにノンポリだったから学生運動には関わらなかったが、安保闘争のこともあり、アメリカとの関係を良く話し合った。私は多分にアメリカから自主路線を取ろうとする石橋さんから影響を受け、おばがドイツ系アメリカ人と結婚しカリフォルニアに住んでいるのに行きたいとも思わず、花の仕事を始めて特にスーパーマーケットのクローガーが花の売上が多くなってからアメリカに行き始めた。学生時代から専らヨーロッパが好きで、それは勝者としての強健なるアメリカから自立したいという意識がそうさせたのである。日本も3.11と領土問題から国民の意識も変わりつつあり、狭い範囲だが、花のことのみ云えば、アメリカから自立しヨーロッパ、そして和モダンという風に先行して日本の独自性を出している。2012年9月2日を期に日本人は極端なナショナリズムに陥ることなく一国一文明の国として精神の上でも国家運営システムの上でも自立していくことを望んでやまない。

投稿者 磯村信夫 : 15:48

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