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2016年10月31日

卸売市場の社員に期待する

 働き方において、生産性が一つの問題だ。一日は二十四時間しかないので、それをどのように使うかということである。まずは覚悟から入り、重要なポイントを嗅ぎ分け、そこにエネルギーを集中する。そして、その後はなるように任せておき、残された時間に新規顧客の獲得へ向かう。それが全てだ。

 仕事はアウトプットだから、私生活の時間も大切だ。"やる気×スキル"で、スキルの学習を、給料を貰っている時間だけで行うのか、私生活の中でも行うか。それだけでも随分と違ってくる。一消費者として、ウィンドウショッピングをしたり、散歩をするだけでも、心がけ次第でスキルアップにつながるし、的確な判断にも役立つ。そして、地頭をトレーニングし続け、ポイントを嗅ぎ分ける。頭で考えるのだから、重要なものの記憶は大切だ。しかし、全てを知っている必要はもちろんない。的確な知識は、正しい知識を持つ友人や、疑ってかかってみる必要のある新聞・インターネット等を参考にすればよい。「疑ってかかる」というのは、例え一面から見た真実でも、他の面から伝えていないことがある。だから、「それが全ての真実ではないこと」を知っておくということだ。

 今、手短に一般論として書いてきたが、相場をつくり出す役目の卸売市場で働く者は、この通りやればそんなに外れた相場は出ない。カテゴリー別の再販業者と、各商品群を作る出荷者。そことのマッチングでも、高いときには痛み分け、安いときには、まあまあ互助の精神で受け取ってもらえる。

 ここの所、切花の中で最も大切な、取扱いの三分の一を占める菊が不作だ。また、この時期に最も重要な、パンジー等の苗物も不作となっている。いずれも、想定外の天候不順によるものだ。しかし、代替品で上手く調整し、消費者に不満を与えないで済んでいる小売店や卸は多くいる。この調整能力、臨機応変な対応は、いずれも消費者をよく知り、扱っている野菜や果物、花を良く知るプロの社員が生み出したものだ。人を知ること、そして、取り扱っている生鮮食料品花きを良く知ること。ここを知らずして仕事をしようとしても、空回りばかりして無駄に働くことになってしまう。卸売市場の社員には、パフォーマンスを上げる為、人格を鍛え、そして、人間通、生鮮食料品花き品通になって業務に取り組んでほしい。

投稿者 磯村信夫 : 12:56

2016年10月24日

農業関連改革は本気だ

 先週の金曜日、自民党本部で農林水産業骨太方針策定PTの会議が開催された。花き生産協会が出席するにあたり、小泉進次郎委員長の要請で、花き流通事情説明のため小生も出席してきた。会議の中で、平将明衆議院議員が「商社不要論と同様に、卸売市場不要論があるが、市場は重要であると思っている。政府はどのようにお考えか、ここではっきり考えを伺いたい」と質問があったが、小生には詰問に聞こえた。これに対して、農水省の礒崎副大臣より「卸売市場は大切な機関である。但し、今後は法改正も含め、時代に合わせた改革が必要である」とのご発言があった。22日の日本農業新聞では、この平議員の記事と米卸・神明の藤尾社長の発言の記事があったが、卸売市場のやるべきこともまさに一緒で、消費者に近い分だけ、卸売市場として物流加工や製品加工を行う。そして、商品開発等を行っていくことが必要である。

 当日は、米・製粉・卸売市場の三つの業界が呼ばれていたが、いずれも大手企業の日清製粉を除き、大きくて中堅、殆どが中小零細会社の業界である。これを、生活者と生産者の為、大規模小売店と普通の価格交渉が出来るだけの規模にし、需要を増やす為に海外にも輸出出来るような人材や施設等を有する仲立ち業になる必要がある。会議は、その為に国は指導をしていくべきはないかという、踏み込んだ見解が漂う雰囲気であった。実際の発言はその場ではそこまでなかったが、日本の人口動態や、特に、農業生産の実態を見た時、今やらなければ、この国の農業は壊滅するという危機感をひしひしと感じた次第である。

 かつての農商務省は、経済学者マルサスの思想を受け継いだものであったが、現在のオランダの、経産省の中に農業があるという考え方が、現代の先進国の主流な考え方になってきている。懐かしさや、変わらぬことへの安心感。これをベースに、農業関係の生産から流通は、規制や補助金で守られてきた。これを、ファーマーズマーケットや道の駅等の、肌と肌の触れ合いといった"ぬくもり産業"は残すものの、一方には、ビジネスベースで成長しうる産業として、仕事のやり方とルール作りを行えるよう、国は舵を切った。

 読者の皆様方に生鮮食料品花き産業を担う方がいらっしゃれば、今迄のように繰り返し行うことの幸せは、次の体制や仕事のやり方が確立されるまで、しばらくお預けして頂きたい。今日から、もっと生産性を上げる、取り組み方を変える、また、無駄を排除し、必要なもの、儲かりそうなものに投資をする。ここに頭と時間を使って仕事をしてもらうようにお願いする次第である。まず、過去の安住、楽しかった繰り返しの日々を捨てるところから出発して貰わなければならない。

投稿者 磯村信夫 : 12:39

2016年10月17日

花き産業の健全なる発展には鉢物生産増が欠かせない

 伊豆大島の土石流災害から3年が経った。伊豆諸島は火山活動が活発で、三宅島でも花き生産に大きな打撃をもたらしている。あれだけ素晴らしい葉物を量的にも生産していた三宅島だったが、今では特産のサンキライを除き、葉物の生産が少なくなってしまったのが残念だ。大島は八丈島と並び称される大の花産地で、日本のブバルディアの主産地であった。今は花き生産が少なくなったが、それでも、ブバルディアや椿の枝物、葉物等の重要な産地だ。将来に向け増産を期待したい。弊社 大田花きの「産地ウンチク探検隊」でもその一風景を特集しているので、是非ご覧頂きたい。

 本日、10月17日(月)の入荷分は、天候不順による不作と端境期が重なったことで、花き、青果共に高騰している。ここ数か月、生産者は悪天候から思うように生産出来ずストレスを感じていたのだが、それと同じ気持ちを、卸売市場や小売店が共有する段階となった。小売店は大変だろうが、可能な限り代替品を揃えて、生活者に選んでもらえるようにして頂きたい。中でも、果実と鉢物は長く続いたデフレと高齢化によって生産減を余儀なくされている。しかし、花き産業の発展に鉢物類は欠かせない。生活者がすぐそばにいるので、価値観を共有できるのが強みなのだから、日本の生産者に再度奮起をしてもらい、花き業界発展の為に生産増をお願いしたい。そこで今日は、ヨーロッパ、アメリカと比べた日本の現在と、今から目指すべき方向を考えたい。

 日本の果物は"水菓子"として、嘗ては街に果物専門店があり、高い品質を保ち、生活者からもそう要望されていた。しかし、果物屋さんが街から消え、スーパーで売られることが多くなってくると、カジュアル価格になり、デフレ圧力から抜け出せなくなってきた。そして、団塊世代より上が主たる消費者だったが、「ナイフで剥くのは面倒くさい、そのまま食べられるのだったら買って食べるわ」という、手軽さを求める、若い人たちへ向けての商品開発がやっと出荷されるようになってきた。子どもたち、若いお母さんたちの葡萄好きは、"皮ごと食べられる"という、手軽な時代に合せて品種を更新していく大切さを示している。しかし、需要の主役はホームユースである。価格はリーズナブルでなければならず、コスパが高くないといけない。

 日本の鉢物は、花売り場で生産者が作ったものをそのまま売るから、果物と同じく、完成品を生産者がつくることになる。嘗ては、鉢物売場の主体は街のお花屋さん達であった。それが今では、ホームセンター、日があまり当たらない街のお花屋さん、室内であることが多いスーパーの花売り場、この順に売り場面積の広さがある。切花は水の取り換えなど、商品を良い状態に保つには手間がかかるが、鉢物も、花がらを摘む等、手間がかかる。まして、日当たりが良くないところに置いておくと、生産者の環境下とあまりに違うものだから品質が下がってしまう。花屋さんにとってロスが多いのが、苗物、ついで鉢物、三番目に切花である。

ヨーロッパを見ると、苗物でもアレンジのように寄せ植えをしたり、根のついたものを切花と一緒にアレンジしたり等、鉢物売場は専門店が中心となっている。そして、手入れの仕方を、あるいは、飾る場所をかなり丁寧に説明している。ヨーロッパで鉢物を取り扱っている人々・場所としては、フローリスト、フラワーデザイナー、インテリアデザイナー、ガーデンセンター、ホームセンター等である。特にヨーロッパでは、ガーデンセンターからホームセンターになった会社も多い。このように、しっかりした、しかも、インテリアやエクステリアにマッチした鉢物の需要がある。

 日本では、お花屋さんも多くの鉢を扱う「クリスマス・年末」、そして。「母の日」。この二つの物日には、鉢物生産は減っていない。しかし、お花屋さんがあまり力を入れないそれ以外の時期は、生産が減ってしまっている。フローリスト向け、デザイナー向けの鉢物をもう一度作り、切花と同様、日本中の市場が鉢物を取扱いたいと思うようにしたい。日本は、鉢物の売場が主にホームセンターなので、良い完成品である鉢物を作る生産者ほど、市場に出すのではなく、直接、小売店に、或いは、生活者に販売したいと考える人が増えている。それが出来ればそれでよい。しかし、生産者が直接、集金業務、情報提供まで含めて行うとなると、出来る人が限られてくる。そこで、花市場は、お花屋さんが売りたい鉢物の情報を地元の生産者に伝え、需要に合せて作ってもらう。そして、生産者が忙しいのであれば、商流や物流、情報流や代金決済の4つか、その中のたとえ一つだけでもお手伝いをし、実費を頂く。日本では、男性が花を買うとすればまず鉢物からだと言われている。新規の需要を増やす為にも、もう一度、小売店・卸売市場は、鉢物を取り扱う意欲をもち、生産者に作ってもらうようお願いしないと、日本の生活者の負託に応えられないことを知るべきである。

 農業改革の年となる平成28年度、遅まきながら弊社 大田花きでは、専門店とデザイナーに絞って、鉢物の取扱金額を拡大しようと人員を増強し、仕事のやり方を変えた。是非とも、日本花き卸売市場協会の会員各社も、取り組めるところから取り組んで頂きたいと思う次第である。

投稿者 磯村信夫 : 12:42

2016年10月10日

これからもお花屋さんのあるまちをつくる為に―本屋さんの流通に学ぶ―

 国は、農業政策について将来を見通し、卸売市場についても抜本的な改革を行おうとしている。人口が増えてきていた20世紀の「公正に生鮮食料品花きを分配する」という、現行の卸売市場法である必要が無くなったと判断し、法の規制緩和をする方向で結論付けられそうである。卸売市場に必要なことは、既に行っている多面的な機能の強化を図った上で、生産者の所得向上に繋げ、消費者や小売店にメリットを与えられる仕事を実行することだ。

 どうすれば日本中に今まで通り花屋さんが営業し続けることが出来るか。どうしたら地元の花き市場が存続し得るか。小生が考える、小生がやるべき仕事の参考になるのではと、弊社大田花きが広報等でお世話になっている(株)パラフの小林さんから、本屋さんの存続と流通についての本『本屋がなくなったら、困るじゃないか(2016年、西日本新聞社)』を貸して頂いた。この本を二週間しっかりと読み、考えがかなり煮詰まってきた。本日は、花き業界人として、今後の仕事を「このような形でやっていきたい」ということをお話ししたい。

 本が書店に届くまでには、「取次」と呼ばれる卸が介在している。主にトーハンと日販の大手二社が中心となって、卸売市場的な役割を担っている。取次店は、本の小売価格の65%から70%位で出版社から仕入れ、書店に納品するのは平均で78%位だそうだ。物流費が割安に済む大手書店へは、仕入れ価格に少し上乗せした価格から、ものによっては仕入れ価格を割ることすらあるという。そして、大手の取次店に直接取り次いでもらえない小さな出版会社だとすると、地元にある第二の取次店、ここが小売価格の5~7%をとり、第一次のトーハンか日販の取次店に出すことになる。そこから、それぞれの店舗別に割当制のような形で本を置いてもらうのだ。

 現在の本屋さんは、多数あるコンテンツの中から売りたいものは何か、限定したものを販売する"セレクトショップ化"してきている。それが、街の本屋さんの生き残る道だ。またセレクト化してくると、現在の日本のような、再販価格は決められているが委託取扱い・返品可制度ではなく、ヨーロッパのようにリスクを冒して買取りをしながら、直接出版会社と取引する。さらに、直接取引だけだと限定されて、自分の売りたい本が売れない。また、地域の生活者を満足させることが出来ないことがある。セレクトショップ化した本屋さんが多くなると、受注先の小さな出版社に集まってもらって、事務代行・物流代行的な取次店を作ってもらい、そういう取次店からも本を揃え、品揃えを充実させていく必要がある。

 ヨーロッパの本屋さん業界でも、一人一人の生活者が買ってくれるのは一冊で、トータルでも少ない数量だ。だから、まちの本屋さんからすると、直取引しても、一定の手数料を払って取次店の物流や決済機能を使う方が安く済む。このように、取次店が物流・決済の代行をして、出版社と書店の直取引をスムーズにする仕組みが、日本でも必要だ。これを花で置き換えると、地元の卸売市場は、そういう市場外取引も物流と代金決済は市場内で行うと安く済み、出荷者と小売店に役立って手数料をもらうことになる。

 また、ご主人自らが営業している本屋さんでは、月販で350~500万円、年5,000万円の売上が一つの目標だ。優秀なパートさんがやめてしまうと、売り上げが下がってしまう。それが今の本屋さんの悩みだ。これは花店も一緒である。日本がオランダやドイツと違うのは、本屋さんの資格、花と緑の小売店の資格が、国家で明確にされていない点である。試験を受けて資格を持った人たちが、本屋さんや花店を経営すれば、あるいは、働いてくれれば、店は必ず繁盛する。今後、日本はここにも力をいれていかなければならない。

 さて、出版社の方も、中小がこれだけ多いというのは、世界の中でも日本だけだ。トーハン・日販に代表される取次店だけでなく、それなりに取次店の数があったからで、再販価格制度と委託出荷で、アイディアと資金があれば出版社をつくることが出来る。アメリカ・ヨーロッパの中小の出版会社は、基本は「取次」はないから、大手の系列化に入っている所が多い。そうしないと、消費者に届かないからだ。一方、日本の中小の出版社は、そのまま独立会社のままでも良いが、活動を活発化するには、自分の地域か、あるいは、自分が得意とする分野の取次店、即ち、花で言えば、農協や専門農協をイメージして貰えればよいが、そのような機構をつくり、集金、物流、そして情報を他の大手の出版社と同様のレベルで仕事が出来るようにする必要がある。

 情報革命がおこっている最中の本屋さん業界。それよりも、生存競争は緩やかだが、同様に街から花屋さんが消えてきている日本の花き業界。同じ規制業種として、卸売市場や取次店の機能を考えると、今までの卸売や取次店の役割を超えて、商流以外でも、小売店支援、出荷者支援を行っていくということが、生活者にとって、花店のあるまちづくりに、本屋のあるシックなまちづくりに欠かせないのではないかと思う次第である。この方向性で、卸売市場の規制緩和を歓迎し、花き市場はやっていきたい。

投稿者 磯村信夫 : 17:55

2016年10月 3日

状況を知り、己の仕事を明確化する

 来月の11月、米国や中国に押されてか、EUは環境保全の新ラウンド・パリ協定を批准する方針だ。いよいよ、地球全体の環境保全を各国で手分けして取り組んでいく。地球の人口はみるみる増えていき、既に70億人を超えている。しかも、そのうちの半分以上が都市部で生活をしているわけだから、各国が責任を持って環境保全をしていかなければならない。現在のインドの都市部、それよりもややましだと言われる中国都市部の、PM2.5による実害は目に余る。どこの国でも避けなければ、何の為の人類の進化だったのか、何の為のその国の国民の人生なのか、豊かさの実感は消え失せて、危険すら感じてしまう段階なのである。天気がおかしい日本。国民の幸せを考え、日本も早く具体的な施策を打ち出すべきである。

 このような状況の中において、花とみどり、そして、ミネラルやビタミン等の野菜・果物が、人類社会で担う役割は、健全な精神と肉体においてますます重要になっている。供給も消費も天候の影響を受けやすく、しかも、腐りやすい生鮮食料品花き業界は、スピーディーに生活者に届けるため、世界の流通拠点である各国の卸売市場が中心となって、日夜休むことなく活動している。

 10月2日、南米コロンビアで52年続いた政府と反政府ゲリラ組織との、和平合意を問う国民投票が行われたが、残念ながら僅差で和平合意とはならなかった。コロンビアの第二の都市・メデジンは、麻薬生産が有名だった。そこで、麻薬を撲滅する為にコロンビアからアメリカに入る花の関税をゼロにした結果、花の大産地になったのだ。メデジンの草花やボコタ周辺のカーネーション農場では、夫が反政府ゲリラ組織と戦い、未亡人となった人が優先的に働いた。そこには保育施設もあり、コロンビア政府の支援もあった。今回の国民投票では内戦終結が成されなかったが、今後の大統領の交渉で和平が取り結ばれれば、国民一本化で共に国の発展に向けて協力することで、さらなる花き業界の発展にも期待が持てるだろう。

 今年は、ブリクジット(イギリスのEU離脱)、ウクライナ問題等により、イギリス・ロシアでコロンビアの花の価格低迷が目立っていた。こういったことも、一枚板になったコロンビア業者間の情報共有化によって、オランダのように花きの戦略的輸出が行われ、価格は安定するだろう。

 日本は、近い所に1億2千万人もの生活者を抱え、しかも、平均年収で3万ドル以上ある世界第三の経済大国である。こういう恵まれた状況であった為、生鮮食料品花き業界は、内だけを向いたマーケティングでも食べていけた。しかし、気付いてみると、花の場合、カーネーションの苗にしても、ユリ他の球根にしても、もう自給自足ではなくなっている。もう一度、この地球の中で日本の花き業界はどうしていけば良いか。種苗から小売りまでの業界人は一定の方向性を示し、それを共有していく必要がある。パリ協定や、今日のコロンビアでの国民投票は、少なからず日本の花き業界に影響を与える。日本の花き業界で各社の仕事の内容の入れ替えと、優先順位を考える機会となっている。

投稿者 磯村信夫 : 16:36

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