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2015年6月29日

会計士の社会からの信頼について

 今から25年近く前になるが、会計士ニ次試験に合格して間もない頃、先輩の会計士と一緒に会社(被監査会社)へ仕事に行くと会社側は毎回質問をどっさりため込んで待っており、先輩の会計士はずっと会社の質問に答えていたのを覚えている。質問の内容は会計的なものに限らず、人事や総務その他会社内の人間関係についてなど多岐に及んでいた。それだけ会社側の質問に答えていたので、会社の人たちは会計士に対して心の底から感謝していただけていたように感じられた。私も早く先輩方のように会社のためになる会計士になりたいと思ったものであり、あんなに会社の方から感謝していただける会計士の職業ってなんてすばらしいものかと心底感じたものであった。

 しかし、時代が進むにつれて会計士の仕事環境も変わっていった。海外ではエンロン事件がおこり会社と会計士との癒着が問題視され、その後日本でもカネボウの粉飾決算発覚の際には会計士が粉飾決算に加担したとして問題視され、その後担当していた中央青山監査法人(破綻時はみすず監査法人)は解体されてしまった。当時私の周辺の会計士間では「カネボウの会計士は会社から連結決算制度についての質問に答えただけにもかかわらず、連結外しに加担したとして咎められたらしいよ。単に制度を説明しただけなのに咎められたらたまんないね。」などと噂された。この頃以降、ある大手監査法人では「会社で質問を受けてもその場では答えるなと指示が出ているらしい」という噂も耳にした。確かに、大手監査法人の監査を受けている方々から、会計士は質問しても何も教えてくれないと言う不満を何度も耳にするようになった。会計士の本来の仕事は「独立した立場」で会社の作成する財務諸表に意見を述べることである。会計士が会社から「独立した立場」であると社会から認めてもらうために、会社から明確に距離を置くことが求められるようになっていった。

 以前の会計士の仕事は、会社の方と一緒に会社をより良くしていっているという思いが持ててやりがいが感じられたものであったが、現在の会計士の仕事は会社から一定の距離を置いて黙々と会計士自身の保身のための資料をひたすら作るという、面白みもやりがいも感じられないものになったと感じている。なぜこのように会計士の仕事が変わってしまったのだろうか?よくよく考えてみれば、この25年の間に会計士は粉飾決算を見過ごすなど社会から批判されるべきことを繰り返してきた。このことが、会計士の社会からの信頼を失わせ、会計士は会社と明確に一定の距離を置いて仕事をせざるを得なくなったのではないか。しかし、この状態は会社にとっても会計士にとっても望ましい状態ではない。

 会計士と会社の距離は、現在よりもう少し近いほうが望ましいと思う。会計士は会計の専門的な知識や、多くの会社をみている経験があるのだから、その知識や経験を会社のためにできるだけ活用してもらうことは会社にとって有益であり、そのことは会計士自身にとってのやりがいにもつながるであろう。それではどうすればそのような関係になれるのだろうか。結局、月並みではあるが、会計士が社会から失った信頼を取り戻せるよう一歩一歩努力していくしかない。社会から信頼を回復することが出来れば、会計士と会社の距離がもう少し近づいていても、社会からは「独立した立場」を保っていると認めてもらえるようになるであろう。社会から信頼を回復することは実に困難なことであるが、それしか会計士の職業をまたすばらしいものにするための道はないと考えている。

取締役 内田 善昭
(内田善昭公認会計士事務所 所長)

08:24

2015年6月22日

初心にかえって取り組む新荷捌施設投資

 現在大田花きでは、大規模な新荷捌施設建設プロジェクトが進められている。この取組みをみていると、二十数年前、大田市場に入場した時のことが思い出される。当時市場外流通の台頭に対し、卸売市場流通強化策として老朽化した施設の建替え、市場の統合・大型化が盛んに進められていた。青果、水産につづき花きについても大型市場流通への取組みが始まった。当時、花き流通は地方卸売市場が中心となっていたが、青果、水産に比べまだ市場流通が強かった。しかし、いずれ同じような課題に直面すると想定された。当時卸売市場を取り巻く流通環境は大きく変わっていたが、その変化に十分に対応できているとは言えなかった。従って、これまでの延長線上での施設建替え、大型化だけではない取組みが求められていた。

 大田市場での当時の取組みは、正に流通環境変化に対応した新しい卸売市場づくりへの挑戦であったと思う。現磯村社長(当時は専務で若きリーダー)を中心としたワーキンググループで、これからの卸売市場にはどのような機能が求められ、それをどのように実現すればよいかということを白紙の状態から議論した。私も当時エンジニアリング会社の立場でこの取組みのお手伝いをさせていただいた。卸売市場整備の場合、どうしても施設建設が中心となってしまう。他の卸売市場整備プロジェクトを見ても、施設(ハード)建設プロジェクトに変わってしまい、生産地から小売店、消費者まで流通システム全体の中での卸売市場の役割・機能が見直されていない。流通環境変化に合わせ、取引方法、品質管理方法、集荷から分荷、配送までの荷の取扱い方法など、運用システム(ソフト)面での見直しも必要であり、ソフトとハードを一体にした見直しが求められていた。また、取組みによっては、業界全体で対応しなければならいケースも出てくる。機械セリシステムの導入はそのようなケースであったと思う。

 機械セリシステム導入にあたっては、産地、卸売市場などを回りアドバイス、コメントをいただいた。新しい取り組みへの意欲は評価していただいたが、上手くいかないだろうとのコメントが殆どであった。確かに、当時の流通環境そのままでは、機械セリシステムを導入してもうまく機能しなかったかもしれない。事前出荷情報も十分に入手出来なかったし、荷姿も段ボール箱以外のものがかなりあった。また、段ボール箱だけで何百種類もあり、入数も統一されていなかった。出荷ロットも小さかった。これらが変わらなければ、どんなに性能の良い機械セリシステムを導入しても効率的に機能しなかったろうし、取引方式として受け入れられなかったであろう。これら流通環境の整備は、生産者から小売店までの業界全体での理解、協力がなければ実現しなかったものと思う。機械セリシステムには、取引の公平・公正、取引時間の短縮、情報共有化、事務処理の効率化など大きなメリットがあった。又、取引情報は物流合理化にも活用でき、後の自動仕分装置導入につながっている。開場時はシステムトラブルもあり、新しい取引方式が受け入れられるには時間がかかることが想定されていたが、一ヶ月位過ぎたころには、産地と買参人双方から圧倒的な支持を受けていた。

 当時の関係者の努力の賜だったと思う。卸売市場流通の競争力強化を図るためには、卸売会社の取組みだけはなく、生産者から小売店までの流通システム全体での対応も必要である。常に環境変化への対応は求められている。今回の新荷捌施設が、業界関係者の理解・協力を得て業界全体で有効活用されることを期待している。

取締役 奥野 義博
(元 JFEアドバンストライト株式会社 代表取締役社長)

06:54

2015年6月13日

非日常的な経験から得た教訓

 私は元祖帰国子女である。今から57年前12歳の時、当時外交官であった父のベルギー赴任に伴いブラッセルに家族全員で帯同した。フランス語圏の国であった為、弟(10歳)と二人で英国の学校の寄宿舎で2年間生活することになった。まさにハリーポッターの学校の世界である。一学期目、同じ学校で弟と日本語で話をしてしまうということで、二学期目からは別々の学校に転校させられた。当時を振り返り、父はライオンが自分の子供を崖から谷底に突き落とす心境だったという。年一回夏休みにブラッセルに帰る時以外日本語も忘れてしまう様な環境に置かれていた。ブラッセル到着前までは弟と兄弟喧嘩が絶えなかったが、夏休みの終わりに二人でドーバー海峡をフェリーで渡って学校に戻る際,埠頭からいつまでも見送る両親を見つけて大粒の涙を溜めながら必死に泣くことを堪える弟の姿を見て以来、2度と喧嘩をすることは無くなった。

 当時はまだ戦争の傷跡も生々しい時代で、校長先生が朝礼で日本人をいじめないようにと事前に訓示した。日曜日、町の教会に学校から集団で行くと街中が立ち止まって私の事を見ていた。第二次世界大戦の歴史の授業には出席しなくてよいともいわれた。そんな差別の世界で事態が一変する出来事があった。消灯後外出が禁止されている夜中に友達と賭け事をして、私は校内のはずれにある運動場の納屋に隠されたタバコを取りに行くことになった。結果途中で守衛に見つかってしまい翌日罰を受けることとなった。罰はパンツを下した状態で尻に直接鞭打ち5回の刑であった。校長室から帰って来た私を生徒たちが仲間として迎え入れてくれ、以来表立った差別は無くなった。中学校3年生で帰国した私は高校受験に間に合わず、帰国子女特別優遇制度もなかったので中学3年生を一年留年した。

 この非日常的な経験から得た教訓や競争心、悔しさはバネとなり、その後商社に就職して海外駐在員、M&A,等経験する仕事の中でも活かされた。新しい仕事にチャレンジする時相手の視点で問題点を測り考えるようになった、情報は必ずいくつかの視点から分析するようになった。

 ちなみに大粒の涙を溜めていた10歳の弟は、みずほコーポレート銀行副頭取を経て現在メリルリンチ日本証券会社の会長を務めている。元祖帰国子女の私の誇りでもある。

取締役 中山 俊博
(元 米国住友商事会社 副社長)

08:09

2015年6月 8日

老い楽の品種作り ~絶滅種を再現する~

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(出所:L'Illustration Horticole Vol.2, 1855)

 いつの間にか70歳を超えてしまいましたが、種苗会社を引退して8年、昔取った杵柄のペチュニアの品種改良を続けています。1834年、南米に自生する2種の野生種が交配され、そこから現在のペチュニア園芸品種のほとんどが出発しています。

 さて、この植物画(ボタニカルアート)は、すでに1855年に販売されていた緑縁(グリーンエッジ)6品種です。このブームは終焉し、100年以上も絶滅したものと思われていたのですが、最近日本の個人育種家の努力で奇跡的に再現されました。おそらくこのイラストのような品種があったことを知悉している方はおられないでしょうが、この緑縁種の各色を完成させてみようと思いついて数年が経過、今年こそはと1000株も畑に植えて大事に育てています。

 当面の一つの目標は、この植物画の時代にはまだ発現していなかった、赤色の緑縁種の育成です。そして、数日前に咲きだした数株が、なんとこの夢の花色を見せたのです。まだ緋赤色とはいえないのですが、おそらく世界で初めての新花色と言えるでしょう。エキサイティングの毎日で、高血圧や日射病の懸念もなんのその、真っ黒になって何度も畑を行ったり来たり。恐らく明年には、ビジネスパートナーによってこの新種の苗の増殖、販売ができることでしょう。夏目漱石ばりに表現すれば、「名前はまだない」のですが...

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(今咲きだした赤色のグリーンエッジ)

 私は頭の体操や健康のために、個人育種家と名乗るのにはおこがましいくらいの「老い楽の品種作り」にいそしんでいますが、日本には種々の花の個人育種家が大勢いらっしゃって、毎年素晴らしい品種が作出され、花産業の下支えをしているのです。おそらく個人育種家が活躍していることでは世界一、日本が誇れる園芸界の至宝です。

取締役 須田 畯一郎
(元 株式会社サカタのタネ 代表取締役専務)

11:00

2015年6月 2日

青果市場も日本の生産者とともにあります

 同じ市場(いちば)にいる人間として、今回は青果物業界について少し触れてみたいと思います。

 花きも市場経由率が高いのですが、実は青果も高く、特に国内産青果物の約9割が市場を流通しています。世間ではよく「市場経由率が下がっている」といった話が出されますが、それはスーパー等量販店が産地から直送取引をするので、市場経由率が下がったという話になってしまいます。また、確かに農水省から発表されている市場経由率という点からみると、果物は50%を切っているし、野菜も70%台です。しかし、この数字は国内で流通した加工用の輸入青果物も分母に含んで計算した数字なのです。国産の青果物だけで捉えると、市場経由率は9割近くになります。何か矛盾しているように感じると思いますが、その原因は先ほど述べたように、市場経由率の計算の仕方にあります。全ての消費量、例えば果物のジュース、ゼリー、いちご味のお菓子に入っている果汁。こういった材料を全てひっくるめると、「卸売市場を経由しているのは50%」となってしまうのです。野菜の例でいっても、冷凍餃子が沢山輸入されていますが、餃子の中に入っているキャベツも入れて、市場経由率を算出すると70%台になるのです。これが多いか少ないかは議論が多々あるかとは思いますが。実際のところは、日本の生産者が作っている青果物のかなりの量が市場を経由しています。花きと同様、我々、青果市場も、決して生産者と市場の距離が離れているわけではなく、日本の生産者ととても密接な関係にあります。
 
 市場経由率と並んで話題に上がるのが、日本の食料自給率です。実はこの自給率も、数字の捉え方で誤解されやすいのです。例えば、輸入牛を食べても、国産牛を食べても自給率は変わらないのです。なぜなら、日本の肉牛を育てるには、1キロあたり、ほぼ輸入に頼っているトウモロコシ11キロが必要だからです。国産牛1キロを食べるという事は、輸入の作物11キロを食べているのと変わらないということです。また、昭和30年代、日本の自給率は約70%でした。でもそれは、米や魚の消費が多く、あまり肉やチーズ、バターを消費していなかったからです。洋食化が進んだ現代とは大きく異なっています。食生活が欧米化してしまうと、自給率が必然的に下がってしまいます。つまり欧米化した現代の食生活を直さない限り、自給率は昭和30年代の頃には戻らないのです。ここを考えずに、自給率を上げましょう、農業を活性化させましょうというのは、ややピントがずれた議論になってしまいます。国を含めて、我々の食生活が変わらなければ、自給率は上がらないのです。この本質的な部分を理解しておくべきであると思います。少なくとも我々青果市場としては、自給率を落とさない為に、多品目、多様種の鮮度の良い青果物を産地から消費者に向けてスピーディーに提供しなければならないという思いで日々取り組んでおります。

取締役 川田 一光
(東京青果 株式会社 代表取締役社長)

12:32

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