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2015年6月13日

非日常的な経験から得た教訓

 私は元祖帰国子女である。今から57年前12歳の時、当時外交官であった父のベルギー赴任に伴いブラッセルに家族全員で帯同した。フランス語圏の国であった為、弟(10歳)と二人で英国の学校の寄宿舎で2年間生活することになった。まさにハリーポッターの学校の世界である。一学期目、同じ学校で弟と日本語で話をしてしまうということで、二学期目からは別々の学校に転校させられた。当時を振り返り、父はライオンが自分の子供を崖から谷底に突き落とす心境だったという。年一回夏休みにブラッセルに帰る時以外日本語も忘れてしまう様な環境に置かれていた。ブラッセル到着前までは弟と兄弟喧嘩が絶えなかったが、夏休みの終わりに二人でドーバー海峡をフェリーで渡って学校に戻る際,埠頭からいつまでも見送る両親を見つけて大粒の涙を溜めながら必死に泣くことを堪える弟の姿を見て以来、2度と喧嘩をすることは無くなった。

 当時はまだ戦争の傷跡も生々しい時代で、校長先生が朝礼で日本人をいじめないようにと事前に訓示した。日曜日、町の教会に学校から集団で行くと街中が立ち止まって私の事を見ていた。第二次世界大戦の歴史の授業には出席しなくてよいともいわれた。そんな差別の世界で事態が一変する出来事があった。消灯後外出が禁止されている夜中に友達と賭け事をして、私は校内のはずれにある運動場の納屋に隠されたタバコを取りに行くことになった。結果途中で守衛に見つかってしまい翌日罰を受けることとなった。罰はパンツを下した状態で尻に直接鞭打ち5回の刑であった。校長室から帰って来た私を生徒たちが仲間として迎え入れてくれ、以来表立った差別は無くなった。中学校3年生で帰国した私は高校受験に間に合わず、帰国子女特別優遇制度もなかったので中学3年生を一年留年した。

 この非日常的な経験から得た教訓や競争心、悔しさはバネとなり、その後商社に就職して海外駐在員、M&A,等経験する仕事の中でも活かされた。新しい仕事にチャレンジする時相手の視点で問題点を測り考えるようになった、情報は必ずいくつかの視点から分析するようになった。

 ちなみに大粒の涙を溜めていた10歳の弟は、みずほコーポレート銀行副頭取を経て現在メリルリンチ日本証券会社の会長を務めている。元祖帰国子女の私の誇りでもある。

取締役 中山 俊博
(元 米国住友商事会社 副社長)

2015年6月13日 08:09

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