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2015年7月27日

違う視線で物事を見ると違う真実が見えてくる

 私が海外の駐在や出張から帰国する度に一番気になるのは、日本中の繁華街、住宅街、道路に張り巡らされている電線、電柱である。海外の友人達も一応に「経済的には先進国なのに」と、その汚さに驚かされる。

 日本は地震が多いので地中化出来ないと思っていたが、それならばなぜ皇居や銀座、丸の内界隈は電柱がないのか。水道やガス、下水道も同じ理由で地中化は出来ないはずだ。答えは簡単、電柱の維持コストが一番安く、世論の強い反対も無かった為で、戦後長らく電力会社や政治が景観を後まわしにしてきた怠慢である。一般的に、日本人には電柱はそこに見えているのに見えていない。

 2001年9月11日、ニューヨークのツインタワーにオサマビンラディン率いるアルカイダ組織が、ハイジャックした飛行機をビルに突っ込ませる自爆テロを起こした。世界中の多くの人々がその映像に釘付けとなったが、日本の神風特攻隊や真珠湾奇襲攻撃となぞらえて、この光景が捉えられていたことを御存じだろうか。毎年12月8日になると、アメリカでは真珠湾奇襲攻撃の追憶式典を行い、メデイアは一斉に忘れるなとかきたてる。さらに、今年は戦後70周年ということで、日本と中国、韓国との間では歴史認識を巡って激しいやり取りがある。どちらが正しいかという問題には触れないが、少なくとも、日本政府が上から目線で日本の正当性を唱えるのだけはやめて欲しい。

 弊社は大規模な新荷捌施設建設プロジェクトを推進中であるが、今後30年に渡り、あるべき卸売市場流通における弊社の立ち位置を、あらゆる角度から検証して改革に取り込んで欲しい。仕事がマンネリになって、そこに電柱があるのに見えていないということはないか。生産者や小売流通を上からの目線で見るのではなく、彼らの立場に立って、何が一番大切なのかを考える。繁栄の答えは、真実はそこにある。

取締役 中山 俊博
(元 米国住友商事会社 副社長)

08:03

2015年7月20日

最新アメリカ園芸事情

 毎年6月末頃、米国農務省より園芸生産統計が発表になるが、1980年より多少欠けている年があるものの、流れが途切れない程度の統計をコピーして保存している。正式の統計資料の名称は:USDA Horticulture Crops 2014 Summaryで、この名前をネット検索すると過去数年のデータを無料で入手できるので便利だ。7月1日に得た最新情報から、いくつかのトピックを簡単にお伝えしたい。

 世界の園芸三極はアメリカ、欧州、日本であるが、欧州は国が多くあるため統計がまとまっていない。また、日本は農水省が統計を取っているものの、例えばパンジーが一人勝ちしていることもあり、他の草花の出荷統計等は10年ほど前からまとめていない。そこで、アメリカの単一巨大園芸市場を支える生産状況を時系列で分析してみると、そのまますぐに参考になるとは言えないが、面白い動きが把握できる。まず、この園芸統計は2005年より主要な生産地15州に絞り、年間売上げが1万ドル(100万円)以上の生産者(大規模のところは生産会社)を対象に調査している。ドルで話すと面倒なので、以降100円/US$換算で記すこととする。

 はじめに、基礎知識として日本とアメリカの基本的な園芸生産品の違いを述べることとする。

 日 本 (2013年農水省統計)    
1. 切り花   2099 億円      
2. 鉢物     980 億円      
3. 花苗類    323 億円      
4. 球根類    24 億円      
  
 アメリカ(USDA2014年統計)
1.花壇用草花   1260 億円
2.鉢物(花)    788 億円
3.観葉鉢物     599 億円
4.鉢物(宿根草)  562 億円
5.切り花      354 億円 

 日本では切り花がダントツであるが、アメリカでは切り花需要.消費は非常に大きいものの、生産地は中南米(コロンビア、エクアドル等)に移転しており、産地から冷蔵され飛行機でアメリカ全土に運ばれる。遠路運搬の難しい草花苗類がアメリカに残って巨大産業に育ってきたのだ。

 ここで、アメリカ草花苗産業に使われる花の種類を見ると、今回の統計で初めてペチュニアが、常勝品目のゼラニウムを押え首位に立った。それは、このペチュニアという花が、近年新しい花の色や複色系が登場し殆どない色は見つからないほどになってきたこと、草姿もコンパクトから匍匐するものまであり、花壇、吊鉢、プランター等どこにでも使え、春先より秋まで咲き続ける特性を持ち、さらに種子のみならず挿し木苗でも増殖できるという多様性を兼ねそろえた植物だからだ。従って、今後もこの花の花壇女王の座はしばらく揺るぐことはないと考える。

 もうひとつのトピックは、2007年に2位に上りつめ、以降2011年まで3位を堅持していたインパチエンス(アフリカホウセンカ)が急落して現在5位にまで下がったことである。その原因は、2011年ミネソタ州で発見されたベト病(Plasmopara obducens)という病菌が瞬く間にアメリカ各地に拡散し、この花を植える花壇が汚染されてしまったからだ。水で伝染する恐ろしい病気でこの花だけを冒す菌であり、欧州でも問題となっていて日本にも入国してしまいかねない。美しい花どうしの戦いに加えて、病魔が割り込むといった現状をきちんと把握しておくこと必要がある。 

取締役 須田 畯一郎
(元 株式会社サカタのタネ 代表取締役専務)

10:11

2015年7月13日

マーケットインの改革を、農業(農家)は一日にしてならず

 今回は、二点のトピックスを柱にお話をしたいと思います。

 一点目は、農業に参入する企業への警鐘です。大規模農業をやりましょう、企業も農業に参入しましょうといった風潮があり、新聞等では上手くいっているように報じられていますが、実際の所はあまり上手くいっていない実情があります。例えば、十年以上前、某大手衣服メーカーが野菜の生産・販売をスタートさせましたが、結局3年で撤退しました。約26億円の赤字だったといいます。他の企業でも、農業参入後、赤字を垂れ流して続けていたりします。何故そのようなことになるのでしょうか。これは、農業に対する認識が非常に甘い点が指摘されるでしょう。花もそうですが、農業にはノウハウが非常に重要で、かつ、大々的に施設栽培するとコストがかかってしまいます。「初期投資をして、初年度は売上げもいかないし赤字かもしれないが、右肩上がりに生産量、収益が伸びて云って、大体5年目くらいに損益分岐点を超えて、10年目位になると初期投資が回収できる」。こういった計画書を殆どの企業が作成してスタートするわけです。ところが、天候不順等の様々な外的影響を、ノウハウを駆使しながら生産をしているのが今の日本の農家です。そこが欠けているのです。もう一つは、右肩上がりにはずっといかないということです。農業はどうしても山あり谷ありの生産になってしまいます。何故、今の日本の農家が成り立っているかというと、単位の小さい一つ一つの農家が、自分のリスクで行っているからです。例えば今年、キャベツを作ります。キャベツが暴落した場合、農家の人は「しょうがない。来年頑張るしかない」。こういう風にやりますよね。単位は小さいですが、農家は全てのリスクを背負っています。これを企業がやろうとすると、右肩上がりの計画をしておいて、どんと落ちると、手の打ちようがない。計画書通りには上手くいかないのです。

 ノウハウの問題と、リスクをどう取るかということ。これが出来ている日本の農家は凄いのです。ただ大きくすれば、企業が入れば上手くいくというのは幻想であり、大変難しい所であります。

 もう一つのトピックは、JA改革です。準組合員(農家でない方がお金を出して、準組合員になり、様々なサービスを受ける)の比重が大きくなって、特に都市部で高くなってきました。この方々の加入で金融資産が増え、それを営農に振り分けています。営農だけではなかなか利益が出ない中、準組合員の加入は利益の大きな一つです。これが、準会員を認めないという改革になるかもしれません。そうなると、JAが今行っている営農指導、営農に関するサービスが低下してしまう危険性があります。これについては非常に危惧すべき点です。また、「農協が独自な売り方、販売ルートをすればいいじゃないか、販売先を開拓して自由な販売をすればいいじゃないか」という見解も出てきますが、これについては、私からすると、全く流通を知らない人の意見であります。例えば、先週嬬恋に行ってきましたが、嬬恋では一日に15万ケース位のキャベツの出荷量があります。これを細かくは売れません。しかも、ニーズというものが当然あります。マーケットインの発想でなければなりません。今のマーケットでは、小売より量販店のシェアが増えている為、大量流通が必要とされています。大量流通を望んでいるのだから、大量に出すというのは一つの武器ですよね。もちろん、レストラン等に個人で売ったっていいのです。しかし、はたしてどれくらいの需要が見込めるでしょうか。一つのレストランではキャベツなんて1箱あれば十分でしょう。そういった所を、千件、二千件の契約を持てるかどうか。ここが、マーケットインの発想になっていない所です。プロダクトアウトの発想で考えているのが今の農協改革です。

 ニーズがあるものをつくる。仕掛けをする。こういうことをしていかなければいけません。どうも、今の農協改革の指針は、その辺を把握していないと思います。ニーズに沿った改革をしていかなければ農協の改革は難しいでしょう。

取締役 川田 一光
(東京青果 株式会社 代表取締役社長)

11:23

2015年7月 6日

卸売市場の頸木(くびき)

 日本は、法治国家として個人の生活や法人の活動が国会により民主的に制定された法律に律せられ、これを「法の支配」という。というようなことを昔習ったような気がする。最近、近隣の大国の行動への批判にこれが使われたり、また日本の安全保障の法整備に関する議論がかまびすしいことから思い出させられた。

 ところで、法律というものは社会規範として元々あったものと、社会政策的な観点から新たに創造されたものがあると思われる。例えば、民法などは前者に近いだろうし、今話題になることの多い憲法などは、その成立の経緯からしてどちらかいえば後者だろう。また、我々の関係する卸売市場法なども後者の要素が大きいかもしれない。

 卸売市場の原型は、売る人と買う人、あるいは、物々交換する人と人の出会いの場で、その歴史はおそらく人類の歴史に等しいほど昔に遡ることができるのだろう。つまり、市場は人間の生活の基本インフラだったわけである。ところが、その後貨幣経済が発達し資本主義経済が進展するにつれて、流通形態が多様になり、ついには米や生鮮食料品の流通や価格を自由にすることの弊害が生じるに至り、今の卸売市場制度が出来た。流通に公の関与、つまり法令による規制が行われるようになったということである。

 ところが、ここで一つ悩ましい問題がある。「法の支配」、つまり民主的手続きにより制定された法律というのは、そのような手間暇をかけて、しかも文章によって記述されている(これを成文法というそうです)ため硬直化しやすい。一方、その法律の適用される社会や経済は常に変動しているわけで、法律の生まれた瞬間からもう時代に合わないということが起こり得る。そもそも、憲法自体が成立の経緯はともかく、成立後(あるいは成立途中から)世界情勢が激変して数年後には、もう今の悩みが始まったともいえるわけだから。そして、我々中央卸売市場の関係する卸売市場法について言えば、卸売市場は当然ながら生鮮食料品や花きの適正価格形成、集散流通に果たしている役割は大きく、花きに関しては特に多品種を取り扱うことからその果たす役割はそう簡単に減ずることはないと言われている。ところが、花の流通に関しても、物流の発達と変化が法律に基づく卸売市場制度を揺さぶり始めている。そのひとつが「卸売市場」という言葉の定義にも相等しい「商物一致」原則の頸木(くびき)である。物流が発達して消費地に近い卸売市場の扱い量が増えるとともに、その卸売市場の買手が遠隔地にも増え、なおかつ情報による取引や予約による取引が増えてくると、物流をさらに効率的にするために商と物を分ける要請が出てくることになる。しかし、この「商物分離」を全面解禁することは、繰り返しになるが「卸売市場」を自己否定することにも繋がるということからか、そうすぐに法改正することは難しいようである。

取締役 磯村 宣延

07:38

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