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2015年7月 6日

卸売市場の頸木(くびき)

 日本は、法治国家として個人の生活や法人の活動が国会により民主的に制定された法律に律せられ、これを「法の支配」という。というようなことを昔習ったような気がする。最近、近隣の大国の行動への批判にこれが使われたり、また日本の安全保障の法整備に関する議論がかまびすしいことから思い出させられた。

 ところで、法律というものは社会規範として元々あったものと、社会政策的な観点から新たに創造されたものがあると思われる。例えば、民法などは前者に近いだろうし、今話題になることの多い憲法などは、その成立の経緯からしてどちらかいえば後者だろう。また、我々の関係する卸売市場法なども後者の要素が大きいかもしれない。

 卸売市場の原型は、売る人と買う人、あるいは、物々交換する人と人の出会いの場で、その歴史はおそらく人類の歴史に等しいほど昔に遡ることができるのだろう。つまり、市場は人間の生活の基本インフラだったわけである。ところが、その後貨幣経済が発達し資本主義経済が進展するにつれて、流通形態が多様になり、ついには米や生鮮食料品の流通や価格を自由にすることの弊害が生じるに至り、今の卸売市場制度が出来た。流通に公の関与、つまり法令による規制が行われるようになったということである。

 ところが、ここで一つ悩ましい問題がある。「法の支配」、つまり民主的手続きにより制定された法律というのは、そのような手間暇をかけて、しかも文章によって記述されている(これを成文法というそうです)ため硬直化しやすい。一方、その法律の適用される社会や経済は常に変動しているわけで、法律の生まれた瞬間からもう時代に合わないということが起こり得る。そもそも、憲法自体が成立の経緯はともかく、成立後(あるいは成立途中から)世界情勢が激変して数年後には、もう今の悩みが始まったともいえるわけだから。そして、我々中央卸売市場の関係する卸売市場法について言えば、卸売市場は当然ながら生鮮食料品や花きの適正価格形成、集散流通に果たしている役割は大きく、花きに関しては特に多品種を取り扱うことからその果たす役割はそう簡単に減ずることはないと言われている。ところが、花の流通に関しても、物流の発達と変化が法律に基づく卸売市場制度を揺さぶり始めている。そのひとつが「卸売市場」という言葉の定義にも相等しい「商物一致」原則の頸木(くびき)である。物流が発達して消費地に近い卸売市場の扱い量が増えるとともに、その卸売市場の買手が遠隔地にも増え、なおかつ情報による取引や予約による取引が増えてくると、物流をさらに効率的にするために商と物を分ける要請が出てくることになる。しかし、この「商物分離」を全面解禁することは、繰り返しになるが「卸売市場」を自己否定することにも繋がるということからか、そうすぐに法改正することは難しいようである。

取締役 磯村 宣延

2015年7月 6日 07:38

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