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2011年2月25日
vol.82 丸福清花園(香川県)
花桃特集、第2弾!
今回やってきましたのは、羽田からびよ~んと飛んで香川県。
香川県の人口約100万人、うち高松市の人口42万人。・・・だいぶ集中していますね。
皆様ご存知でしたでしょうか、高松とはその名の通り松生産のメッカなのです。
高松は盆栽に使われる錦松発祥の地で、現在でも全国生産の約8割がここ高松産のものです。
←松生産の圃場
香川といえば讃岐うどんとイメージを直結させてしまいますが、しかしこの花業界では別の方程式がございます。
松ではありませんよ( ^ー゜)b
香川から出荷される花桃(以下モモ)を忘れてはなりません。香川県で花桃の生産といえば、丸福清花園(まるふくせいかえん)さんです。香川県高松市国分寺町にあり、香川県の中心寄りに位置しています。
丸福清花園さんは、高松市街から20分、高松空港から25分のところにあり、徳島、高知、愛媛にもそれぞれ1時間で行けてしまう大変利便性の良い立地にあります。
こちらは、丸福清花園第2代目の現取締役会長の福家義哲(ふけ・よしお)さんです。
う~ん、“福の家”だなんて、なんとも縁起のよさそうなお名前
なんと福家さんは大学をご卒業されてから10年間、皇居警察に勤務、現在の皇太子様が幼少の頃、護衛についていらしたという業界でも特異な経歴をお持ちの方です。
そもそも戦前は地主さんで900坪の庭木から生け花用に木を切って、生け花の先生方に提供していたそうです。
これを当時“切り出し屋さん”と言い、戦前はこれが結構盛んだったそうです。
ところが昭和48年、お父上である初代の福家行雄さんが枝物で農業を始められるということで、義哲さんは10年務められた皇居警察を退職され、御実家に戻り就農されました。ちょうどこの設立のときに義哲さんの奥さまのお腹にいたのが現在の代表取締役社長の耕也(やすなり)さん。
丸福清花園3代目。
生まれたときに「この子は生まれながらに就農するから頑張ってやってもらうように“耕也”」と命名されたそうです。現在の耕也社長はまさに丸福清花園の歴史とともに成長されたのです。 そのような経緯で福家家3代に亘り枝物生産に取り組まれている丸福清花園の知られざる生産現場を探ってまいりましょう!
原点とコンセプト
ある日、小さな子が入院中のおばあちゃまに “桃の節句やし、モモの花でも買って届けて、早く良くなってもらおう” とお店に行ったら、桃の節句直前だというのにモモの花がなく、泣きながら帰ったという話を行雄さんが聞きました。
昭和50年代当時、枝物の消費の中心は生け花用だったので、現在とは違い店頭で一般向けの桃は3月3日を目前にして、既に売り切れていたのです。
ショック・・・(+_+)チーン!
当時、全て生け花用として130cmのみを出荷していた行雄社長は、小さな子にこんなに残念な思いをさせてしまい、規格外の短いモモを捨てるのは忍びないと、地元国分寺町の園児約500人にモモの無償提供をを始めました。
すると、園児たちは小さいながらも字を書くことができて、多くのお手紙をもらったそうです。
その内容はついつい笑ってしまうものから、目頭が熱くなるものまで・・・
「飾ったら、となりのポチが見に来ました」
「家に持って帰ったら、ママが涙を流して抱きしめてくれました」
などなど、たくさんのかわいくて温かいお手紙を壁に貼って、子供たちの気持ちを受け止めました。
それを指さして当時の行雄社長が
「義哲!見てみぃ」と。
義哲さんの胸にこみ上げるものがあったといいます。
このことが丸福清花園さんが「普段使いの枝物」を開発する原点となったのです。
ところが、“モモの後片付けが大変だから・・・”と一部の園児の父兄から無償提供に関するご意見がありました。よかれと思ってやったことではあったのですが、それが善意の押し売りであったと思うようになりました。
そこで、行雄さんは「子供たちは求めているのだからと寄付ではなく、欲しい人が手に入れられるようにすればいい」とMSブランドを立ち上げることにしたのです。
こうして生まれた丸福清花園さんのコンセプトは“脱生け花の枝物”。
生け花用や特別の日のための枝物ではなく、消費者の皆様に日々楽しんでいただくための枝物を提案、供給していくことです。
最初に取り組んだスーパーでの販売で評判がとても良かったため、生け花ではない日常花としての産地作りが始まりました。
今では日常花としての枝物生産の専門性をより高めようと、品目を特化して栽培を進めています。
記録 ~「OTAへの出荷が始まる」~
福家さんは昭和58年以来約30年間、経営や生産に関することを毎日欠かさず記録していらっしゃいます。
これらの本はすべてその記録!w( ▼o▼ )w オオォォ!!
何かの辞書かと思ったら、福家さんの日誌だったとは・・・。 この記録には、●月●日に何があったらから東京市場に出荷しようと思ったなど、行動に至るまでのきっかけや思考回路など全てが記録されています。
「1999年2月8日、 OTAへ出張。◎◎さんとお会いして現物をお見せしたら1ケース送ってと言われ、送ってみた。するとXXフラワーの△△さん、YYYフラワーショップの▲▲さんから “他のものと全然違う!あるだけ全て送って!”と言われ、出荷スタート。」
当時、大阪のマーケットで「子供の成長を祝う桃の節句に、枝の先を切ってあるモモを販売するなんて何事だ!」と返品になったことがあったそうです。もちろんその商品は丸福清花園さんのものではありません。しかし、そのようなことが当たり前に起こることを知っていた福家さんは、1999年2月8日上京した際、東京に流通しているモモの枝先を見て、自分の商品も東京で勝負できると確信しました。
この記録簿は丸福清花園さんの歴史を語ります。
日々の弛まぬ地道な努力の上に築き上げられた真髄の結集です。
「モモの産地は確立するまでに時間かかるでしょ」という義哲さん。
比較的生長が早い草花に比べ、生長が遅く、特殊な技術を必要とする枝物は、一朝一夕に産地を形成できるものではありません。だからこそ、こうして記録を残し、後世に引き継ぐのです。
記録することって、大切なのですね。
風邪ひき×ピチピチピーチ
前回のウンチク探検隊で、モモの花色が紫がかることをブルーイングというと申し上げましたが、丸福清花園さんでは通称「風邪ひき」と呼んでいます。その原因の一つに生産者が出荷までに長い時間抱えてしまい、促成に時間がかかってしまうパターンがあると考えます。
市場ではきれいに見えても、消費者の皆様のお手元に届くときは“発症”して風邪はマックス。
「若い花が欲しい人に対して、おばあちゃんをどうぞと言っているようなもんやで」と福家さんはいいます。
確かにおばあちゃんが欲しい人にはおばあちゃんをお勧めすればいいのですが、モモちゃんの場合は受けたストレスレベルが低くて、若いピチピチピーチがいいのですやはりモモですから。
他産地では普通1週間から2週間促成する一方、丸福清花園さんでのところでは促成期間は2月なら20時間から30時間。
1月でさえもどんなに長くても4日まで。高い技術で短時間で促成し、速やかにピチピチピーチちゃんを出荷するのです。
規格再編
このような経緯を経て、消費者の皆さんに日常楽しめる花として提案していくために、大田花きの担当者とミーティングを重ね、主にサイズと入り数の2点から規格を見直しました。
以前 → 現在
120cm L (100本) → 2L(60本)
100cm M (200本) → L(120本)
80-75cm × (ナシ) → M(100本)
70-60cm MS(400本) → S(500本)
これが丸福清花園の日用の花としての提案型販売です。
日本一小さい面積
都道府県別でいくと香川県は日本一小さい面積になります。
私たちが小学生のころは大阪府と習ったものですが(世代がばれてしまいそうですが)、1988(昭和63)年、国土地理院が面積の算定法を見直した際に岡山県との県境にある井島がどちらに所属するのか不明瞭との判断から、香川県の面積から差し引かれ日本で最も小さい県となりました。
更に大阪府には関西空港ができたことにより面積が埋め立てられ広くなり、香川と溝を開けられ、たとえ井島の面積をプラスにできたとしても、日本一小さい面積というポジションは不動のものとなりました(!)
しかし、香川県は全国でも有数な農産物の生産地。限られた農地をフルに生かして効率の良い栽培を行います。
もちろん丸福清花園さんも例外ではありません。こちらの圃場をご覧ください。
「これモモですか?」(゚o゚ )と突っ込みたくなるような高さだと思いませんか?
株と株との距離およそ150cm。
普通、桃の木は高さ3mくらいになりますが、福家さんのところではこのように低木に仕立てて密植しています。この生産方法は限られた土地の中で少しでも効率良く生産するために考えられた方法です。
このサイズで株を作り上げていくことによって、MSサイズを作りやすくなります。
これぞコンパクトでありながら、高品質のエッセンスをギュッと凝縮させた商品を作る秘技なのです。
もう一つ秘技を教えちゃいましょう!(≧∇≦)
実は、 水田と畑を利用して栽培しています。
皆さん、水田ですよ、スイデン!通常お米を作るところでモモを作っているんですよ!
水田で樹木を栽培しようとすれば、普通は根腐れしてしまいます。香川のこの乾く土地だからこそ必要に応じて溜め池から水を引いてきて、水分量をコントロールすることができるのです。
↑こちらは梅の生産圃場ですが、水田を活用している様子がよくおわかりいただけるかと思います。
【豆知識】
香川のことを「讃岐(さぬき)」といいますが、これは「通り抜ける(=さぬく)」が語源であることを義哲さんが教えてくださいました。昔からこの辺りは瀬戸内海を抜けるには必ず通らなければならない所で、瀬戸内の要所として発達してきました。
小さいながらも大きな機能を果たしてきた場所なのです。
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)ウンウン
日本の地中海
香川県は瀬戸内海式気候で地中海性気候と似ていると言われます。(なんだか香川ってアジアのナポリみたいだ~!)
似ているといっても日本ですから梅雨があります。しかし梅雨が明けると50-60日間は雨が降らず、更にここ福家さんの周辺は高松市でも内陸にあるので最も雨が少ないところの一つ。
この気候条件がまたモモの栽培には適していて、デリケートな花芽が形成される7-8月に雨が少ないということは、それだけ多くの花芽を付けることができるということなのです。
地中海性気候だけあって、地中海沿岸の特産であるオリーブがここ香川でも特産となっています。県木としてもオリーブが指定されていて、福家さんのところでも切り枝用のオリーブを栽培しています。
こちらのオリーブは超有名な某報道番組のスタジオに装飾された福家さんのオリーブ。
もうこうなったら香川の海が地中海の輝きに見えてきちゃいます。 ←見えますね( ^ー゜)b!
エシカル生産
エコ消費とかエコ活動など今まで社会のキーワードは「エコ」でしたが、ここから時代は流れて現在のキーワード“エシカル”(=ethical,倫理的な)になっています。社会貢献的活動を指す時に使います。
昨今あった伊達直人を名乗るタイガーマスク運動はまさにエシカルブームの一端と言えるでしょう。
丸福清花園さんも日頃からエシカル生産に取り組んでいらっしゃいます。但し、ブームではなく、福家さんに倫理的価値感に基づいてしっかりと定着しているものです。
ポイントは以下の通り。
① 有機リン系の農薬は一切使用しない。
その他の農薬も一切使用しません。モモにつきやすい害虫はヒメシンクイガという小さな虫です。農薬を撒けば一発バイバイですが、農薬は天敵も害虫も全ての虫を一気にやっつけてしまいます。
しかも同じ期間で害虫は5サイクル(5回繁殖期を迎える)に対し、天敵は2サイクルと、害虫の方が繁殖のサイクルが早いので、殺虫のために農薬を使い始めたら農薬ばかり使ってしまうことになるのです。
そこで、福家さんは農薬の使用を一切やめて、春先(シーズン終了後)に石灰などからできた天然の薬剤を株にコーティングします。
以上!
え?「以上」って??それだけ??
そうです。この薬剤はモモの株自体が病気になってしまったり、病虫害に遭うのを防ぐためのもので、もうホントこれだけ。
「虫は自然任せだよ」とさわやかスマイルの耕也さん。
皆さん、普通ありえませんよ、こーゆーのッ!
どうしてこれだけでやっていけるのでしょうか。
② 交信撹乱材(コンフューザー)の使用(していた)
「コンフューザー」とは商品名ですが、ヒメシンクイガのメスと同じフェロモンを出す装置で、これに交信を撹乱されたヒメシンクイガの雄が交尾ができず、産卵させないようにするものです。εε(@_@)33
こちらがそのコンフューザーです。
モモの枝先にこのように付けます。↓ 既にモモの枝は切ってしまっているので、今回は仮に桜の枝に付けていただきました。(う~ん、曇天)
しかしコンフューザーにも弱点があります。
弱点その1◆ コンフューザーはヒメシンクイガをターゲットとしているため、これを使うと、ヒメシンクイガばかりが減って、逆に天敵が増えすぎてしまいます。 天敵はジョロウグモ!
↓こちらの方です。
桃園(ピーチガーデン♪)をヒメシンクイガから守るために活躍してくださいます。
(イメージ写真)
コンフューザーに頼っていた時は、ジョロウグモが増えすぎたために、枝と枝の間には向うが見えなくなるくらいぎっしりとクモの巣が張っていたのだとか。
(イメージ写真)
良く見るとそこにヒメシンクイガの成虫がたくさん引っかかっているのだそうです。
これぞ天然の“ヒメシンクイガホイホイ”ですな。
弱点その2◆ コンフューザーが出す“フェロモンもどき”は空気よりも重いため、下の方に沈殿します。
ヒメシンクイガは枝の上の方を飛ぶので、高い枝に対しては効果を期待しにくいのです。
弱点その3◆ コンフューザー購入のコストがかかります。必然的に単価に反映せざるを得なくなります。
そこで!( ^ー゜)b 圃場での自然の生態系のバランスを整え、今やコンフューザーもほとんど使用しないところまで作り上げました。丸福清花園の圃場では、農薬を使わないので天敵(ジョロウグモ、テントウムシ、ハチ、カマキリなど)が自然に増えます。
そうすると彼らがヒメシンクイガを食べちゃってくれるのです。(*^^)vイェイ!!
「バランスを保ってやることが大事」という耕也社長。
これはまさにモモを生産しながらビオトープを作ってしまったということですね。
これぞまさに桃園のビオトープ なんて素敵な響きでしょう(≧∇≦)
「モモは桃の節句に飾るものだから、小さいお子さんがかわいい頬にモモの花をあてるかもしれないし、誤って口に入れてしまうこともあるかもしれない。 そのようなことを想定しながら、農薬は使わず、堆肥を入れたり草刈りを一生懸命する。
わたしらのモモは桃花酒用の浮かべるモモとしても使ってもらっているから、安心安全の商品なんだ。
劇薬を使わないことで、私たち自身の体を守れる。消費者の安心安全を守る。そして、この栽培方法によって環境を守ることができる。 このようなエシカル生産を心がけているんだよ」
福家さんの観賞用としてだけではなく、桃花酒に浮かべるモモにも使えるといいます。そのくらい安心安全なモモなのです。 これらの生産ノウハウをまとめると、香川県ならではの特徴を生かしたもので、なかなか他県には真似できないものなのです。
ここに福家さんの栽培技術、ふかしの技術が加わると魂が吹き込まれたふっくらと優しいモモが出来上がるのです。
咲いた咲いた ~ふかしの技術 秘密の花桃
~ 桃のお節句が五節句の一つとして制定された江戸時代、旧暦を採用していましたから当時の3月3日は現在の4月中旬ころに当たります。
しかし、現在の3月3日では戸外のモモはとても開花していません。実際に消費者の皆さんがご購入されるのはそれより1-2週間前でしょうから、それまでにかわいらしい花を咲かせようというのはやはり特別な技術が必要となってくるのです。
ここからはオフレコですよ、読者のみ・な・さ・ん♪
って言ってもうてるやないかい!ヾ(・ε・;)オイオイ
でも、ちょっとだけよ~ん^~^!
一般的には、モモを吹かす際は室温25度、湿度80-90%で調整します。しかし、福家さんの場合は、室温はもう少し高い●●度(あ、読めない!)、逆に湿度はもう少し低い●●%(あ、読めない!)前後で調整します。
冬場の外気は乾燥するので、輸送中のショックを控えるためにこうしているのです。保温庫に入れるときも急にこの条件にするのではなく、段階的に設定していきます。
←保温庫内のヒーター
保温庫に入れてからは、2月なら20-30時間以内で促成加減を見極めて出荷します。先にも申し上げましたが、促成に1-2週間かける他産地と比べるとすこぶる短い。
たびたびすみませんが、普通ありえませんよ、こーゆーのッ!
ここにもやはりこだわりがあり、長く入れていると“風邪ひき”を起こしやすくなるので、3日で出荷できるノウハウを獲得したのです。
開花ステージを揃えるのも技術の一つ。誰から教えてもらったわけでもなく、丸福清花園さんで試行錯誤、研究された上で培った独自のノウハウです。この技術を持っているかどうかが、お客様が買って楽しめる花か、それともすぐに散ってしまう花かの分かれ道です。
福家さんの桃園はまさに「秘密の花桃」。マジックをかけられたかのように、最期まできれいに咲き切る福家さんのモモをぜひ一度お試しください。福家さんの試行錯誤はまだまだ続きます。丸福清花園さんはこれからも進化します。
ニセモノ・アケボノ・アラワル!∑(゜◇゜;)
これだけこだわりを持って試行錯誤を重ねて作り上げた福家さんのモモは本物。とりわけ福家さんが栽培している「曙」というのは、福家さんの育種品種です。
従来品と矢口という品種を交配して、選抜に選抜を重ねて誕生しました。 発色が良いばかりではなく、水揚げが良く、ストレスに強いのが特長です。
その名は『枕草子』の冒頭部分から引用しました。
「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」
(イメージ写真)
まさに春の到来を告げる花にふさわしい名前ですね。これも家庭花として使っていただきたいという気持ちから付けられたものです。
↑こちらが福家さんが出荷されるときに使用する丸福清花園ブランドの箱です。
こちらをご覧ください。
丸福清花園さんはその「曙」の名前で商標登録をいたしました。花桃で「曙」という商品は、その名前そのものが丸福清花園さんによる良い花桃の印、まさに品質保証の証なのです。
曙は商標登録された商品ですから、権者(この場合は福家さん)が許可しない限り、花木などにその名前をつけて販売してはいけないのです。
ところが・・・!こちらは某生産者から出荷された商品。
「花桃 あけぼの」とばっちり書いてあります。
(; ̄Д ̄)なんじゃと?
ひらがなで表記されていたとしても、同類とみなされ違法行為となります。
耕也社長「(ニセモノは)咲きムラがあるでしょ。つぼみが固かったり花が散りそうなまでに咲ききっていたり。しかもこれは風邪まで引いている。ふかす技術が全く未熟な人の商品やわ」
ホント!ご覧ください、この差!左側が福家さんのモモ(ふかす前のものをお借りいたしました)で、右側がニセモノ。よく見ると枝の色艶も花の付き方も全然違いますし、芯(枝の先)もヒメシンクイガに食われ、黒くてボロボロしています。
福家さんのモモは1年生のピチピチピーチですから、右側ほど肌が黒くなることはありません。
また、1本の中で開花ステージに大きな差があることもお分かり頂けると思います。
(こちらはニセモノアケボノ↓)
福家さんのモモはつぼみのステージがきちんと揃っていて、芯(枝先)まで花が付いています。
このように・・・↓
(写真は両方とも福家さんのモモです)
こんなにも品質に大きな差があるのですね。 気軽に農業に取り組むのは良いことだとしながらも、福家さんが心配されるのは他産地から出荷された曙を買って、買ったとたんにすぐ散って、消費者ががっかりしてしまうこと。
「曙に対する信頼もなくなりますし、消費者の花離れが起きてしまう」と危惧します。
福家さん、とりわけ社長の耕也さんはこの件に関しリアクションは起こさないとおっしゃいますが、悪気がなくても福家さんの許可なく花桃を“曙”と名乗って出荷するのは違法となりますので、何卒ご注意ください。
「あけぼの」「アケボノ」「AKEBONO」など、どのような表現をしても同様です。
生産者の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
モットー
「瀬戸内海の太陽をの光を十分に浴びて、力強く育った新鮮な枝物をいち早く届けるのが私たちの仕事です。
つまり植物の生命力を精いっぱい引き出して、“生命の具現化”をすることです。
これが“つくり屋の本質”です。
子供がコップに水道水を入れて飾って十分というのが私どもの目指すところです。」
そういう義哲さんのお言葉には力強さが感じられます。
このようなモットーから丸福清花園さんは前処理剤を使用していません。
それなのに、丸福清花園さんのモモは全て咲き切ります。まるでマジックをかけたかのように。
枝物でありながら、前処理剤も使用せず、コップ一杯の水で咲き切る桃って、普通あり得ませんて、ホント。
讃岐うどんから学ぶもの
初代からの教えは「木を見、木に聞き、木に学ぶ」。
高品質の枝物を栽培し、需要家の皆様に提供することにより花文化の発展に貢献したいという思いから、「現場を離れることなく常に生産に注力すべし」という社是ならぬ、園是です。
ところが昼食でうどん屋さんに行ったとき・・・(そうです、香川の方はほぼ毎日うどんなのです。香川に行って初めてその気持ちを理解し、おいしいうどんに恵まれることの幸福感を共有しましたが、そのお話はまた別の機会に)・・・香川において多くのうどん屋さんはセルフサービスになっていて、極めて効率的に振舞うスタッフの行動や厨房の向こう側できびきびと動く人たちを義哲さんは、じーーーーっ(-.-)と観察しているのです。
そして発した言葉は・・・ 「讃岐うどんのこのサービスのシステムは究極のサービスなんだよ」
さすがアンテナがお高い。
「お客様を満足させるのはどうしたらいいかを追究し、自分たちの作業の無駄を省き、安くておいしいものを素早く提供する。
その中には“茹で置きをしない”などのこだわりもあるんだ」
確かに、香川のうどん屋さんはどこも“安くて、早くて、おいしい!”の三拍子が揃っています。なんとなく通り過ぎそうになったポイントでしたが、福家さんのご指摘で勉強させていただきました。
観察すべきは木のみならず、生活のすべてに及ぶのです。
父から子へ
義哲さんは皇居警察にお勤めでしたが、実は義哲さんのお父上の行雄さんも警察学校の教官でした。それはそれは厳格な方だったとのことです。
福家行雄さん
耕也さん、生まれながらに就農するとされてお名前までそのように付けられましたが、就農を決心される際に心理的な抵抗はありませんでしたか?
「全然ありませんでした。小さい頃に“自分は大きくなったらこういう風になりたいな”と思っていた通りに今なっているよ」
スゲッ!
すごいですな。自己実現です。
義哲さんは「息子が“学校卒業したら、農業継ぐけんなぁ・・・”と言ってくれたときは涙が出るほど嬉しかったよ」と振り返ります。
義哲さんの奥様は生け花とお茶の師範代、若奥様はNFD1級のお免状をお持ちで、お花屋さんご出身。
内需の功、いや、それ以上の戦力となっていて、彼女たちのお陰で利用者目線で品質管理や総合チェックができる仕組み作りができているのです。
出荷作業においては実際に女性の鋭いセンスと仕事の緻密さを必要としていて、現場では女性が活躍しています。
耕也さん「まだ私で3代目。枝物の産地は出来上がるまでに時間がかかるでしょ。3代目なんてまだまだ若い方です。
5代6代目くらいにならないとね。そのころにはお客様から絶大な信頼を得られる産地になっていたいですね。 “丸福清花園なら絶対安心!”てね」
将来脈々と受け継がれるであろう香川の枝物産地を築いく一世代としての責任を全うします。
「東京に3代住んだら“江戸っ子”といえる」と言いますが、枝物3代はまだまだだなんて、厳しい世界ですね。
丸福清花園に流れる哲学
農業を始めるときに、義哲さんは先輩に「お前、貧乏するぞ」と言われたといいます。でも義哲さんは次のように思いました。
「貧乏結構、たとえ貧乏になっても俺はやる!農業で儲けようなんて思ったらあかん。
農業は人々の生活の原点やから、それをやろうってことは自分は貧乏でも、社会にきちんとしたものを供給するということや。
例えば人の役に立って、お金をいただいたとしても自分はミニマムの生活をする。
さもないと大競争時代には戦っていけない」
そして、故行雄社長には次のようなことを耳ダコができるほど言われたことだそうです。
「質素で慎ましい生活態度で他人の倍働きなさい。それが良いものをより安く提供するということです。
それがものづくりたる農業の本質である。これを守ってこそ大競争時代に生き残っていける。世の中の基本を支えるのは農業なのだから」
他産地がどうこうよりも、自分の人生をかけて農業をやっているわけですから、この思いをお客様に伝えるまで。今は農業をやっていて良かったと思うと義哲さんは言います。
人の倍働き、慎ましい態度でミニマムの生活を送るとは、つまり清貧の思想というか、“足るを知る”ということでしょうか。これぞ福家さんのフィロソフィーです。
丸福清花園の格言
・ 瀬戸内海はアジアの地中海ィ~☆
瀬戸内式気候(温暖でドライな気候)を生かして、高品質を生み出すべし。
・ 地域の特性を生かし、日常用のコンパクトな枝ものはコンパクトな土地で効率良く栽培すべし。
香川の面積を侮ることなかれ!
・ 消費者の皆さんに日々の生活として楽しんで頂ける枝ものを志すべし。
目指すは枝物の脱生け花。
・ 農業は自分を守りつつ、延いては消費者を守り、環境を守るべし。
圃場では自然の生態系を作りエシカル生産を実現すべし!
・ フィロソフィーを持ち、貫徹すべし!
・ 現場を離れるべからず。
「木を見、木に聞き、木に学ぶ」作ることにエネルギーを注入せよ!
福家義哲さんご夫妻と福家耕也さんご夫妻
消費者の皆様へひとこと
・ 日本の地中海でできたモモを最期まで楽しんでください。
・ 咲きムラのないもの、枝肌が若くてきれいなもの、風邪ひきを起こしていないピチピチピーチを選んでください。
・ 丸福清花園さんはモモだけではなく、ほかの枝物も出荷しています。
しかし、より専門性を高めるために、その時期その時期にひとつの出荷品目に特化しています。
花桃の次は啓翁桜です。夏になればオリーブ、七夕金明笹、秋には実付きオリーブなどが出荷されます。
花桃だけではなく、是非福家さんの種々の枝物を使ってみてくださいませ。
<写真・文責:ikuko naito@hanaken>