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2005年7月25日

スプレーギクの茎を固く

大田花きではセリの開始時、スプレーギクを2ヵ所、一輪ギクを4ヵ所、特殊なキクを1ヵ所、それから枝物を1ヵ所で競る。先週くらいから目に付き始めたのが、スプレーギクの茎が柔らかい産地があるということだ。スプレーギクは周年咲く型の産地が殆どだが、夏の時期だけ出荷する産地がある。そのようなところの品物は茎が固くて良い。

 大分のメルヘンローズの小畑社長はグローバルに物を見る方で、いつも教えられることが多い。小畑社長が「磯村さん、この間マレーシア(キャメロンハイランド)に行きましたら、キクを見てケニアでバラを見たのと同様のショックを受けました。これは明らかにかなわないというショックです。」全てのキャメロンハイランドの生産者がそうというわけではないが、良い物を作っている農園がある。国産よりも絶えず単価が高い農園があるのだ。こういう品目の花は他にあるだろうか。新しい花が出てから少し経つと、日本の農家の人たちは研究熱心で、オランダの農家よりも良い物を作り上げ、元々国産は鮮度の点で有利なのだから、同じ品質なら国産の方が高くなるところを、マレーシア産の2つの農場のものが絶えず高値だ。その一番大きな理由の一つが、茎と花首がしっかりしているということである。品種の問題もあるが、今はとにかくしっかりしているものが必要となった時代である。日本のスプレーギクの産地はバラと違って、苗を改植しながら周年栽培しているわけだから、夏に向く品種を作り上げ、栽培していくことが必要だ。そうすれば日本のスプレーギクは上手くいく。

投稿者 磯村信夫 : 18:15

2005年7月18日

日本流の委員会制度・執行役制度会社

 土曜日の晩にようやく今年もコハダの新子にありつけた。「江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよ」と言うと初鰹を思い浮かべる人もいると思うが、寿司ではなんと言っても江戸前で今年初めて取れたコハダの新子を早く食べて自慢するところが江戸っ子というところだ。

 大森は寿司屋の多い場所として全国でも有名だ。きっと浅草海苔(大森の漁師が海苔を浅草紙のように漉いて、紙状にして商品化したことから浅草海苔というが)は最初から大森で作られていた。それに築地以外に都内で魚市場があったのは大森だけだから、寿司屋が多いのはもっともだ。地元の連中が出入りする店は決まっているが、そこではコハダの新子にうるさい。この界隈は小関智弘さんというライターが戦後60年を記して、大森界隈の戦中戦後を一冊の本にした。それについてここでは語らないが、まだその頃は大森区・蒲田区に分かれていた頃で、戦後一緒になって大田区になったので大田区の「大」は「太」ではなく「大」なのだ。この地域は日本が大東亜戦争に突入してから、急速に軍需工場が増えていった。町工場のうちの4分の1、下請けがあったから実質3分の1が軍需工場となった。大森といえば、大森貝塚が有名だった時代、日本で最初の鉄道が新橋から横浜まで敷かれていたが、今で言うグリーン車の券が一番売れたのは大森駅であった。明治の大老たちは根岸や大森に住んでいて、馬込の文士村で分かるとおり、高級住宅街であった。それが町工場も有名な地域に発展していったのは戦争のお陰であった。

 今でも小生の友人の中には親父たちの工場(こうば)を継ぎ、世界の小さな巨人として活躍する人も少なくない。バブル崩壊後、10年で工場の数は3分の1になってしまったが、相変わらず気風のいい生き方をしている。

 

 さて、その友人たちと話をしていると、経営の根本が見えてくる。家族でやっていても、或いはもう少し大きく20人位の規模でやっていても、公私のけじめは厳しい。「厳しい」というと語弊があるかもしれない。会社に尽くして私欲が少ない。会社と個人はイーブンな関係というよりも、むしろ会社の存続に力点を置いたものの考え方に徹している。後を継ぐ息子夫婦にもそのように教育している。これはここ10年でとても変化したことだ。

 以前は慣れ合いだったが、その慣れ合いの中では私利私欲が優先されていた。それがすっかり会社の存続、すなわちお取引先の繁栄を考え、お取引先のために何ができるのかを考え実行する癖がついている。

その連中と飲み食いしながら話していて、大田花きの委員会制度と執行役制度の導入についての話をした。小さな工場ながらアメリカの会社をお得意先としているアメリカ通のU氏曰く、今年のアメリカ大リーグのオールスターのファン投票に、イチローと松井は選ばれなかった。これが米国の凄いところで、あらゆる分野でオーディションに近い考え方をしている。確実に進歩していくことが実社会の中で必要だという。オーディションの選考委員と同じ制度が社外重役を中心にした委員会制度だ。それぞれの委員会・執行役の人選(取締役・執行役の人選)とチェックをするシステムが委員会制度で、選ばれた人も一年任期である。この制度を上手に運営するには、日本流に少し手直しする必要がある。具体的には日本はアメリカより少々情に余韻がある。甘いわけではないが、過去を引っ張る傾向がある。だから指名委員会も報酬委員会も少し日本流に焼き直す必要がある。一方監査委員会は、法令遵守は無論のこと、信用、更に評判作りの面から執行役や取締役をチェックをすべきである。

戦後の復興は天や神などに仕えることを教育された日本人が成せたことだが、今となっては宗教や道徳を教えられなかった日本人も多い。今の若者の中のニートやフリーターが社会問題となっている。このような日本の世の中で「仕える」ことを明確にした執行役制度は意義があるのではないか。責任を明確にすることができると、U氏は言った。

投稿者 磯村信夫 : 18:16

2005年7月11日

新しい時代の7月盆

クール・ビズですっかり新しい時代になったような気がする。今までお父さんだけが取り残されていたのが、土日の格好を見ているとどうにかお父さんたちも奥さん達に付いて行こうとしている。履いているのはジーンズではなくGパンだが、格好を見たらなかなかのもので日本のおじさんたちはある人はヨーロッパの方向を向き、大半の人はアメリカンカジュアルの方向に行っているようだ。団塊の世代が圧倒的にそうだから、新しい時代になったと感じさせているのだが、この人たちの家には仏壇がない。そのまま田舎にいれば別所帯でも仏壇は持ったろうが、東京に出てきてからは盆と正月に帰省したときにお墓参りをするくらいで、日頃手を合わせる習慣があまりない。日本の仏壇は仏教と先祖崇拝とが結びついた面白いもので、少なくとも自分から上二世代に感謝し、後二世代の健やかな生活と幸せを願う祈りの場所だ。

 東京は7月13日の迎え火からお盆だが、神奈川の平塚は七夕を7月にするのにお盆は8月にする。また千葉のお盆は8月だから京浜工業地帯の神奈川、東京と同様に千葉でも鴨川地域が7月なのは早場米のせいだろうか。函館や札幌の一部が7月お盆である。そして、まだ梅雨も明けず仏壇を持たない人が多い中での7月盆だから8月と比べると気付かぬうちに終わってしまうという相場展開が7月盆だ。そうはいっても今年は11日(月)が最大の需要期で、昨日は休みだったから今日はそこそこ売れている。

 しかし、どうも日本の伝統が団塊の世代で途切れているような気がする。少なくとも薄まっている。そういう小生も母のところに行き迎え火と送り火はするが、墓参りはしない。私自身も頭の中で仏が家に来るのがお盆だからお墓に行かなくてもいいのだろうという理屈で行ったことがない。

今日は11日で最大の需要期、6月から低調相場が続く白菊は50-40円中心の相場で変わらず、赤菊は100円前後、黄菊100円以上と堅調だ。このように相場にメリハリが付く。色によってかなり価格が変わっていくというのも現代の特徴である。その分成熟国家なのであろうか、売れる量が決まっているので積極的に拡販しようという気構えを持つ小売商は少ない。

投稿者 磯村信夫 : 18:17

2005年7月 4日

2段階上がった競争レベル ?昨年と同じでは歯が立たず?

月間仕入れの平均が100万円前後というのが街のお花屋さんの一般像だ。他に物日や活け込み、定期的な納め、JFTDの通信販売を行い、2,500万から3,500万円ほどの年商である。この小売店さん達は、ロスが増えて利幅が少なくなってきたと感じたのが99年くらいからである。その間、業務改善を積極的にしていったが、ちょうどコンビニエンスストアは本部が資金的援助をし、おにぎりやお弁当が縮小均衡になるのを防いだ時期でもあった。20円引き、30円引き、これとこれを合わせて買えば幾ら値引きなどと提案し、店のオーナーがロスが出るので発注は少なくしようとする。そこにお惣菜屋さんやお弁当屋さんなどが出てきて、コンビニがおにぎりやお弁当の部分で負けるかもしれないとなったとき、ロスが出るのを避けたいオーナーは、当然余った分だけ少なく発注する。このように縮小均衡になっていくのだが、それをコンビニ本部は金銭的に補填し、縮小均衡を免れた時期があった。今年の冬から春もそうであった。そこで質を上げ、競争力のあるものにした。コンビニはこのような縮小均衡に陥らない手立てを打つのはシステム的に可能な業態だが、花の場合には仲卸や卸がそれをするというわけにはいかない。結局小売店に任せるしかない。何せ経営が違うのだから。もちろん縮小均衡は正しいことではなく、商品回転率を上げていくことこそ売上や利益を取っていくことに繋がる。また、競合店が増えれば増えるほど、お客様に支持されるだけの花の質や作業サービスの質が良く値頃であれば、競争が激しい分店は繁盛する。競争が激しくなって売上を落すのはどこで買っても大差のない質の花か、並のサービスしかしていないからだ。我が社の実績を見ても偉そうなことはいえないが、それが事実である。良い店、良い会社というのは競争が激しいほど際立つ。

 現在、街の小売店は更に縮小均衡化した。パートの人件費も削り、とにかく人手が足りない。だからセリ場を見ていても11時を過ぎて仕入れをしている人はセリ開始時の多くて半分、大抵は3分の1以下になる。このようなことで大田花きは花の相場の指標を生み出す社会的機能を果たせるのか。もちろん現実の問題として、当社の相場が指標とならざるを得ないが、いくつもの改善が必要である。

EUのように卸売市場の数を絞り込むことによって生み出される相場を真実に近いものにしていこうとする努力を続けていく。これも一策であるが、こういう合理性は国を“States”と呼ぶ国民にはあっても、“Nation”と呼ぶ国民にはなかなか持ち得ない。さすれば、実際のセリと自宅からセリに参加できるシステムを構築すること(これは東京都の買参権を取得した方のみに限られる)、そしてセリ前取り引きを一定割合行うことの2つが時代の要請だと感じている。一方、「卸売市場は物流センター化せよ」、「卸は問屋になれ」との声もある。この問屋になった卸とどのように競争し勝利していくか。その競争状態によっても海外の産地と競争し棲み分けを探る国内産地の大切な時期である昨今、状況判断を間違えてはならないと身を引き締めている。

投稿者 磯村信夫 : 18:19

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