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2005年7月18日

日本流の委員会制度・執行役制度会社

 土曜日の晩にようやく今年もコハダの新子にありつけた。「江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよ」と言うと初鰹を思い浮かべる人もいると思うが、寿司ではなんと言っても江戸前で今年初めて取れたコハダの新子を早く食べて自慢するところが江戸っ子というところだ。

 大森は寿司屋の多い場所として全国でも有名だ。きっと浅草海苔(大森の漁師が海苔を浅草紙のように漉いて、紙状にして商品化したことから浅草海苔というが)は最初から大森で作られていた。それに築地以外に都内で魚市場があったのは大森だけだから、寿司屋が多いのはもっともだ。地元の連中が出入りする店は決まっているが、そこではコハダの新子にうるさい。この界隈は小関智弘さんというライターが戦後60年を記して、大森界隈の戦中戦後を一冊の本にした。それについてここでは語らないが、まだその頃は大森区・蒲田区に分かれていた頃で、戦後一緒になって大田区になったので大田区の「大」は「太」ではなく「大」なのだ。この地域は日本が大東亜戦争に突入してから、急速に軍需工場が増えていった。町工場のうちの4分の1、下請けがあったから実質3分の1が軍需工場となった。大森といえば、大森貝塚が有名だった時代、日本で最初の鉄道が新橋から横浜まで敷かれていたが、今で言うグリーン車の券が一番売れたのは大森駅であった。明治の大老たちは根岸や大森に住んでいて、馬込の文士村で分かるとおり、高級住宅街であった。それが町工場も有名な地域に発展していったのは戦争のお陰であった。

 今でも小生の友人の中には親父たちの工場(こうば)を継ぎ、世界の小さな巨人として活躍する人も少なくない。バブル崩壊後、10年で工場の数は3分の1になってしまったが、相変わらず気風のいい生き方をしている。

 

 さて、その友人たちと話をしていると、経営の根本が見えてくる。家族でやっていても、或いはもう少し大きく20人位の規模でやっていても、公私のけじめは厳しい。「厳しい」というと語弊があるかもしれない。会社に尽くして私欲が少ない。会社と個人はイーブンな関係というよりも、むしろ会社の存続に力点を置いたものの考え方に徹している。後を継ぐ息子夫婦にもそのように教育している。これはここ10年でとても変化したことだ。

 以前は慣れ合いだったが、その慣れ合いの中では私利私欲が優先されていた。それがすっかり会社の存続、すなわちお取引先の繁栄を考え、お取引先のために何ができるのかを考え実行する癖がついている。

その連中と飲み食いしながら話していて、大田花きの委員会制度と執行役制度の導入についての話をした。小さな工場ながらアメリカの会社をお得意先としているアメリカ通のU氏曰く、今年のアメリカ大リーグのオールスターのファン投票に、イチローと松井は選ばれなかった。これが米国の凄いところで、あらゆる分野でオーディションに近い考え方をしている。確実に進歩していくことが実社会の中で必要だという。オーディションの選考委員と同じ制度が社外重役を中心にした委員会制度だ。それぞれの委員会・執行役の人選(取締役・執行役の人選)とチェックをするシステムが委員会制度で、選ばれた人も一年任期である。この制度を上手に運営するには、日本流に少し手直しする必要がある。具体的には日本はアメリカより少々情に余韻がある。甘いわけではないが、過去を引っ張る傾向がある。だから指名委員会も報酬委員会も少し日本流に焼き直す必要がある。一方監査委員会は、法令遵守は無論のこと、信用、更に評判作りの面から執行役や取締役をチェックをすべきである。

戦後の復興は天や神などに仕えることを教育された日本人が成せたことだが、今となっては宗教や道徳を教えられなかった日本人も多い。今の若者の中のニートやフリーターが社会問題となっている。このような日本の世の中で「仕える」ことを明確にした執行役制度は意義があるのではないか。責任を明確にすることができると、U氏は言った。

投稿者 磯村信夫 : 2005年7月18日 18:16

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