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2005年8月29日

第15回大田花きバラ会の印象

先週の27日土曜日、第15回大田花きバラ会が開催された。140名あまりの方々が全国からご出席くださった。今回のポイントは21世紀の日本のバラ生産についてであった。午前の部では、小生の講演の他にオランダのアールスメーア中央生花市場のユルンさんからオランダの実態と、国内バラ生産者は今後どのようにケニアやエチオピアのバラと棲み分けようとしているかの対策についての講演があった。午後の部では現在当社が取り組んでいるマーケティングの一つの切り口として、「香り」の点から付加価値を創造しようと協業してくださっている元資生堂、パフューマリーケミスト、NPOバラ文化研究所のの蓬田氏から提案をしていただいた。

 私は冒頭の挨拶で次のようなことを伝えた。

 日本はバブルが崩壊して10余年、ようやく経済的に立ち直りを見せつつあり、大企業は国際的な経済活動を行っている。しかし、中小零細企業は国際化と規制緩和でややもすると自分を見失いがちである。自分を見失わないためにも、職業とは目的を持って存在しているわけだから、バラ作りの目的は日本の消費者にバラで幸せになってもらうこと。市場の目的は生産者から預かったバラを小売店を通して確実に消費者に届けること。小売店は地域の消費者のために品揃えや技術を磨き、花の分野でお役立ちすること。このように考え種苗から生産流通までサプライチェーンで全体の中の自分の役割に磨きをかけていく必要があることをお伝えした。

 前回のバラ会でもお話した通り、日本の消費は既に21世紀型になって歩み始めており、我々は本来の社会的使命に添って仕事を進めていけば、それぞれの分野で適合し存続できると思われる。土曜日のバラ会は成功したと思ったのは、引き締まった顔をしている生産者の方々が多かったからだ。

投稿者 磯村信夫 : 18:08

2005年8月22日

花が勝る

今年は戦後60年で、例年どおりの夏のイベント以外にも盛りだくさんであったから、十二分に楽しみ、この国のありようを考えることも多かった貴重な夏であった。8月21日の日曜日は子供たちを除き、気分は秋で東京はほぼ今までどおりの日常が戻ってきた。

 そこで昨日恒例の定点観測に出向いた。

 人は飽きっぽいものだから、飽きていないものはどんなものか、新鮮に感じるものは何かをあらゆる業種で模索しているし、秋を前にして昨日は給料日前の日曜日だから売上は期待薄なものの、衣料品始め雑貨屋さんなどはウィンドーショッピングの人たちに向けて、“今年の秋はこうですよ”という提案を積極的に行っていた。

よく見ると、一般的なお店ではこの10年間ですっかり造花が使われるようになってしまい残念だと思うが、その造花も季節に合わせて替えている。しかしブランドのお店は、デパートのイン・ショップでも生花が飾られており、質感を大切にし本物を見極める目をもつ日本人には、販促ツールとして生の花が必要だということが分かる。

あまり大きくないアレンジメントだが、銀座並木通りのは見ごたえがある。ライバルに育ちつつある丸の内中央通りだが、さらにお客様に来てもらうべくマーケティングをする必要があるのは花を見ていてもわかる。

 夏から秋口にかけて店内は乾燥する。そこで上手に季節を演出するのは苔玉の花々である。お月見のコーナーを作っているところでは、漆器や日本の絹で作ったウサギの人形に加えて、刈萱などで苔玉を作っている。こういう演出が心にくい。

衣料品でも、会社により流行の取り入れ方が、早かったり半歩前だったりする。男の衣料品は何といっても伊勢丹が新しい潮流をつくるが、ネクタイではいずれも細身になっており、45歳未満向けには無地に近いものが、そして新しいもの好きの人にはもうペイズリー柄を多く出し始めている。ファッションでは色で秋の演出をしようとしても、いかんせん外は暑く、お客様は半袖で買い物をしているから、結局色使いもそうは秋めいたものにできない。となると秋の演出は花で行い、売り場にアクセントをつけていくということになるだろう。これは外食生活や家庭生活の場でも同様だ。

季節の先取りとしての花の面目躍如が、敬老の日間際まで続く。

投稿者 磯村信夫 : 18:10

2005年8月15日

新しい時代に入った日本の花き産業

前線が停滞し、天気が優れなかったので8月盆の売れ行きが心配であったが、日本海側を除き、少なくとも前年並みは確保できた小売店が多かったようだ。遅れ気味だった開花も適当なお湿りのお陰でどうにか間に合い、一輪菊が70-80円中心の相場で多く流れたから、花き業界の皆が良かった8月盆需要期であった。

 7月から実感しているのは、都市と地方の格差が確実に改善されているということだ。経済的指標で土地の価格は下がり続けている。しかし、90年代のような混乱はなく、グローバリゼーションとITデジタル化による21世紀型の生活態度を身に付けたようだ。確かに社会にはひずみがある。しかし、それと同様に前を向いて歩んでいる人たちも多い。これはなかなか数字になって表れてこないが、少なくとも8月盆の相場の出方を見て、花は立ち直ってきたと言えよう。アメリカ、ヨーロッパ同様、農産物の中で花は嗜好品だから、品質プラスセンスの高いものが大変評価される。衣料品同様、素材ばかりでなく合わせの技術を持つ小売店の時代に入った。花き業界の新しい秩序への残る産みの苦しみは、

1 農業改革による生産者の入れ替わり

2 市場法改正による卸・仲卸の入れ替わり

3 量販店の寡占化による小売業者の入れ替わり

が主なものである。いずれも本来の役割を時代に合わせてきちんとすればよい。当たり前のことを行うことによって、生き残れることが可能と分かったわけで、温故知新を行うということであろう。

 以上の確証を掴んだのは先週11日(木)に東京証券取引所で証券アナリストの皆さん方へ当社の第1四半期説明会を行ったときの感触からである。かつては生販同盟で中抜きが叫ばれていたが、進化する卸を使った方が流通上割安という事実から、新しい機能を身につけた卸売会社に買いが集まり、生配販同盟を言う人たちが多くなってきた。昨年の説明会で中間流通に対する風向きは変わり、応援してくれていると確証を持ったが、今年は日本のアナリストに加え、外資系企業からの質問が多かったのは中間流通に対する理解が深まったことの表れと嬉しく思った。

 今年8月盆でも仲卸は在庫を抱え、自分の取引先のストックヤードになったり、水揚げの付加価値サービスを付けたり、新しい機能を身につけていた。日本の仲卸や卸売会社は一歩も二歩も踏み込んで、お取引先である産地や小売店に役立てるよう機能を磨いていくに違いない。

投稿者 磯村信夫 : 18:12

2005年8月 8日

浮上してきた世界経済

 先週、夏休みを頂いてモンゴルに行ってきました。昨年訪れたポーランドなど新たにEUに加盟した中欧諸国に引き続いての海外視察です。

 私の世代は全学連の世代で、私自身はノンポリでしたが「なぜ社会主義が」という命題がいつもどこかにトゲのようにひっかかっていましたので、89年のベルリンの壁崩壊までソ連や東欧、中国やベトナムなど以前は好んで社会主義国家を旅していました。 

皆さんはコメコンというのをご存知でしょうか。アメリカが第2次世界大戦後、ヨーロッパ復興のためにマーシャルプランを掲げ実行したのに対し、ソ連を中心とし東欧諸国がコメコン(東欧経済相互援助会議)を経済協力機構として結成しました。具体的にはポーランドで部品を作り、ブルガリアで他の部品を作り、チェコで戦車を組み立てる。それをソ連に輸出するというもので、一次産業は自己完結型ですが、コメコンによって二次産業はすべからく分業化したわけです。ですから「プラハの春」の気運はブルガリアやポーランドなどにも以前からありましたが、計画経済で分業化し、それで経済が回っていたわけですから、為政者や官僚たちは社会主義体制を取りやめることがなかなか難しかったわけです。

 89年、ベルリンの壁が崩壊し、90年に政治体制は自由主義、経済体制は資本主義をとった多くの国々も、この分業体制が壊れたわけですから、凄まじい困難が待ち受けていました。現にポーランドやブルガリア、チェコ、スロバキアのように基礎学力が高く、技術を持った国でも93年くらいまでにはひどい財政赤字となってしまいました。しかし、その後浮上してきたのは皆さんもご存知のとおりです。その状況を見ていますから、91年ソ連崩壊後もロシアはCISという独立国家共同体を作っています。それは50年コメコン体制で来たものを、急にそれぞれの国内で完成品まで作るのは不可能と考えた東側諸国が多かったことを示しています。

 中国はこのソ連の体制と40年程前に袂を分かち、コメコンから外れて当時はアルバニアだけが友好国家でありました。それが幸いして一国で最終完成品まで作るノウハウを各産業分野で身に付けていきました。特に92年、小平の「南巡」後にはあらゆる方面で国産化が起こりました。まるで日本のようです。何から何まで中国製のものがあるのです。

 さて、先週行っていたモンゴルですが、お土産を買おうとしても私が実際に食べてみてこれだったらいいと思ったのはアメだけでした。チョコレートもありましたが、今日本は暑いからだめ。ウォッカやビールもありますが、会社用にはならない。となるとアメだけでした。では、そこではどのような生活をしているかというと、デジタルですから、TVはNHKもCNNもBBC2も見ることができます。日本車もあります。一般の人たちは中国製、韓国製、ベトナム製、ロシア製のものを消費しています。まだマクドナルドは進出していません。しかし、10年来の大混乱を経て一定の秩序を取り戻した新生モンゴルは1960年代の後半から70年代初頭の日本同様、明るさが見えます。若い人たちの間では国を良くしていこうという気概が多く見られます。きっと良い国になっていくでしょう。

それにしても韓国製や中国製商品の競争力は目を見張るものがあります。モンゴルの生活を豊かにしていました。この頃2回に1回はこのような進化途上にある国にお邪魔し、世界の動きの一端に触れさせてもらっています。

そうそう、モンゴルの首都ウランバートルには素晴らしい外観の花屋さんが2件あります。いずれもラッピングペーパーや造花、或いは人形などが多く置いてあり、切花や鉢物は全体の3分の1程度。飛行機で北京に買いに行き、送ってもらっているそうです。

投稿者 磯村信夫 : 18:13

2005年8月 1日

家族で集うのは週末

 8月のお盆に向けて、特に北関東から東北・北海道にかけて1週間ほど出荷が遅れ気味なので、場合によっては色がついていれば固切りでも出荷してもらわなければならないかと思っています。

  さて、先月のことです。東京はお盆でした。7月13日(水)、私は仕事を終えて家内とともに池上の母のところに行きました。迎え火を焚いて、亡き父や祖父母をもてなすためです。送り火は15日(金)でしたが、夕方も用事があって結局16日(土)に行きました。何も連絡せずに行きましたが、母は心得たもので「そう思って用意しておきました」と16日(土)に送り火を焚きました。

 家族や親戚の人たちが集うというのは、やはり週末です。平日はよほどのことがない限り難しい。8月の盆休みをどのような日程でとるかによって違いますが、家族のイベントだとしたら、やはり土日が中心になっていきます。正月もこの頃そのようになってきました。一人でできるものは日にち、皆でするのは曜日。このように分けて、次の物日はどの曜日めくりか、曜日に関係なく日にちで動いている年末・年始はどのように出るかなど、卸売会社と需要予測を話し合って出荷日と量を決めていくのが必要な時代になっています。産地の出荷ご担当者は必ず実行してください。

投稿者 磯村信夫 : 18:14

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