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2005年8月 8日

浮上してきた世界経済

 先週、夏休みを頂いてモンゴルに行ってきました。昨年訪れたポーランドなど新たにEUに加盟した中欧諸国に引き続いての海外視察です。

 私の世代は全学連の世代で、私自身はノンポリでしたが「なぜ社会主義が」という命題がいつもどこかにトゲのようにひっかかっていましたので、89年のベルリンの壁崩壊までソ連や東欧、中国やベトナムなど以前は好んで社会主義国家を旅していました。 

皆さんはコメコンというのをご存知でしょうか。アメリカが第2次世界大戦後、ヨーロッパ復興のためにマーシャルプランを掲げ実行したのに対し、ソ連を中心とし東欧諸国がコメコン(東欧経済相互援助会議)を経済協力機構として結成しました。具体的にはポーランドで部品を作り、ブルガリアで他の部品を作り、チェコで戦車を組み立てる。それをソ連に輸出するというもので、一次産業は自己完結型ですが、コメコンによって二次産業はすべからく分業化したわけです。ですから「プラハの春」の気運はブルガリアやポーランドなどにも以前からありましたが、計画経済で分業化し、それで経済が回っていたわけですから、為政者や官僚たちは社会主義体制を取りやめることがなかなか難しかったわけです。

 89年、ベルリンの壁が崩壊し、90年に政治体制は自由主義、経済体制は資本主義をとった多くの国々も、この分業体制が壊れたわけですから、凄まじい困難が待ち受けていました。現にポーランドやブルガリア、チェコ、スロバキアのように基礎学力が高く、技術を持った国でも93年くらいまでにはひどい財政赤字となってしまいました。しかし、その後浮上してきたのは皆さんもご存知のとおりです。その状況を見ていますから、91年ソ連崩壊後もロシアはCISという独立国家共同体を作っています。それは50年コメコン体制で来たものを、急にそれぞれの国内で完成品まで作るのは不可能と考えた東側諸国が多かったことを示しています。

 中国はこのソ連の体制と40年程前に袂を分かち、コメコンから外れて当時はアルバニアだけが友好国家でありました。それが幸いして一国で最終完成品まで作るノウハウを各産業分野で身に付けていきました。特に92年、小平の「南巡」後にはあらゆる方面で国産化が起こりました。まるで日本のようです。何から何まで中国製のものがあるのです。

 さて、先週行っていたモンゴルですが、お土産を買おうとしても私が実際に食べてみてこれだったらいいと思ったのはアメだけでした。チョコレートもありましたが、今日本は暑いからだめ。ウォッカやビールもありますが、会社用にはならない。となるとアメだけでした。では、そこではどのような生活をしているかというと、デジタルですから、TVはNHKもCNNもBBC2も見ることができます。日本車もあります。一般の人たちは中国製、韓国製、ベトナム製、ロシア製のものを消費しています。まだマクドナルドは進出していません。しかし、10年来の大混乱を経て一定の秩序を取り戻した新生モンゴルは1960年代の後半から70年代初頭の日本同様、明るさが見えます。若い人たちの間では国を良くしていこうという気概が多く見られます。きっと良い国になっていくでしょう。

それにしても韓国製や中国製商品の競争力は目を見張るものがあります。モンゴルの生活を豊かにしていました。この頃2回に1回はこのような進化途上にある国にお邪魔し、世界の動きの一端に触れさせてもらっています。

そうそう、モンゴルの首都ウランバートルには素晴らしい外観の花屋さんが2件あります。いずれもラッピングペーパーや造花、或いは人形などが多く置いてあり、切花や鉢物は全体の3分の1程度。飛行機で北京に買いに行き、送ってもらっているそうです。

投稿者 磯村信夫 : 2005年8月 8日 18:13

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