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2005年10月24日

地元での存在感

昨日の朝、東京からこの秋初めて雪をかぶった富士山を見ることができた。季節が一ヶ月ほど遅れているような気もするが、遅れに遅れた運動会を開催した幼稚園などは、良い天気でよかったことだろう。
今年のエネルギー事情から、中国からの神馬の出荷量が大幅に減っていると聞く。昨年は台風で花の値段が高騰したから、この10月11月は昨年の半値である。昨年の高騰により地域によっては作付けも多く、半値以下の所もあると聞く。そのような中でも油高だから国内はもとより、世界中の生産者がこの冬どうしようか頭を抱えている。アジアだけを見ると、日本を除く東南アジアで稼ぎ出すGDPの総和は、日本単独のGDPの半分以下というのが現在の力である。原油は国際商品でどこの国でも同じ価格であるから、現在発展中の東南アジアのこれらの国々にとっては日本よりも痛手であることは言うまでもない。だから上海まで含めた中国の東側でキクの生産を止めたいというところが多く、生産が本当に少なくなっているのだろう。

JFMA(日本フラワーマーケティング協会)のセミナーで、東京近郊の私鉄の3つの駅で専門店のお花屋さん5軒が組んで新しいショップ展開を試みることをお話したことがある。真中の駅を中心に、両隣1駅ずつ、計3駅周辺の花店で同じ屋号、凡そ同じイメージを持つ店作りをして、新しい住民や若い人たちを新たなお客さんとして取り込もうという試みである。このボランタリーチェーンのトップになってもらったお店のOさんが積極的に動いてくれ、3店から同意書をもらったものの、隣の駅に2店舗持つ会社がどうしても同意してくれなかった。昭和40年代に始めたこの会社は、今の社長とご子息を含め3代で運営に当たっている。資産家でもある。最も影響力のあるその店が乗ってくれなかったので、結局このボランタリーはできず終いであった。まだそれほど困っていないからとリーダーのOさんは言うが、大切なのは意識改革だろうと思う。21世紀になって、まず意識を21世紀のものにしておかなければならない。それは入りやすい店、センスや鮮度、安全・安心などの保証、すなわちブランド化などが花店にも必要になっている。どこにでもありそうな花店というのは記憶に残らない花店であり、記憶に残る花店にしなければならない。
私が尊敬する小売店の一つである戸塚の或る花屋さんは、戸塚という所で圧倒的な店舗展開をして、地元とともに生きようとしている。店舗展開をするとなると、人通りの多いターミナル駅を思い浮かべるが、それも一つ。もう一つはこのように地元に密着して当てにされる花屋さんになることである。

投稿者 磯村信夫 : 2005年10月24日 22:21

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