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2006年7月24日

不易なるものへの憧れ

 僕はできるだけ不易、変わらざるものを休日のときに見たり学んだりしたいと思っている。仕事が花の取引所運営だから、流行にはことさら敏感で、花の易の能力を徹底的に磨いてきたつもりだ。だからその易の元にある普遍的とも思える不易のものを学んでゆくことが人間として、また日本人として必要だと思っている。
 昨日の日曜日は、日本中国文化交流協会が後援している『青磁の美』を出光美術館に見に行った。私たち夫婦とも青磁はとくに好きな焼き物で、僕はアジアに旅行すると必ず、青磁を求めて骨董屋や陶器店をうろつきまわる。今回の企画は出光美術館40周年の記念でまさに玉(新疆ウイグル自治区にしかない石で、中国の最高権力者が歴代愛した)に似た陶器である。青磁展では、僕が大好きな青磁鳳凰耳花生の重文三点が一同に飾られ、堪能の極みであった。いずれも形は砧型の花生で、南宋時代のものである。上から見下ろすのではなく、しゃがんで目線を同じくすると、美しさの中に慈愛のような輝きと、澄んだ心の透明感が浮かび上がってくる。このときはじめて客体と同化し、渇きが癒される。本物とはこのようなものであろうか。

 有形無形の芸術品に接すると、ある種の陶酔感を感じるが、自分の中にこのような評価眼が備わっていたのかとびっくりすることがある。確かに私の場合、自己流であろうが、人には既にあらゆるものが備わっているように思う。あとはそれを磨くかどうかである。私は実業人なので、花の取引所の仕事を通じて世の中のお役に立ちたいと考えている。花き業界をどのように時を得ながら長く繁盛させるか、参加した人たちが皆食っていけるようにしていきたいと考えている。そのためにはどのような習慣付けを我々業界人は取り入れたらいいのか、消費者に取り入れてもらえばいいのか、行動を積み上げていこうと考えている。まず魂より始めよ、である。

投稿者 磯村信夫 : 2006年7月24日 00:00

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