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2006年9月25日

何日前の荷?物流トレーサビリティー

 先週の木曜日、日本でははじめての国会コンサートに行った。こちらはシンビの河野メリクロン様と同様、応援をしている假屋崎省吾さんが花活けをするというのでこのコンサートにうかがった。メインはモーツァルト生誕250周年ということでフィリップ・アントルモン氏自らの演奏によるピアノ協奏曲と四十番のジュピターであった。クラシックではほとんど趣味の合わない家内もモーツァルトは好きで、僕としてはホッとした。それにしても假屋崎さんは世界の頂点を極める人々の前でも浮いたところはなく、彼の花活けのレベルの高さを改めて認識させてもらった。

 土曜日、日曜日とお墓参りや花屋さん廻りをした。東京では日本の風習を上手に伝えられていない人たちが多くいる。お盆というと東京人なのに8月がお盆だと思っている人もいるし、彼岸というとお中日だけをお彼岸と思っている人が多い。年配者は入りもそして彼岸の明けもそれなりに気に留めて行動をしているが、一般人は秋分の日が彼岸だと思っているのだ。今年は秋分の日が土曜日だったから、一般の人にとっては土・日が墓参り、彼岸である。台風もそれて、どこの墓地もお店もよく賑わっていた。
 今年の特徴はすっかりピンクのリンドウが定着したことである。紫のリンドウよりも先にピンクが売れてしまっているところが多かった。そしてもう一つケイトウも確かに仏花としてよく使われるようになってきたが、カーネーションは仏花に欠かせないアイテムであるということだ。一輪も良いが、SPでも良い。とにかくカーネーションだ。国産・輸入品とそれぞれあるが、カーネーションを使うと仏花の雰囲気は明るくなる。内観を中心に組み立てられてきた仏花だがもっと軽やかな先祖とのコミュニケーションを時代は求めているようだった。

 この彼岸中の取引で気をつけなければならないと思ったのが「シェルライフ」、その花が持っている寿命のことである。
 今年の2月、オランダ最大の仲卸業者OZの部長と話していて、彼はカスミソウを海上コンテナで入れるテストをしていると言う。コスタリカから試験をしているそうで、きっとレザーシダと一緒に送ってきているのだろう。アフリカからも船輸送のテストをしようとしている。テクノロジーの進歩をどうやって業界の繁栄につなげるか考えていたのだが、この秋はむしろリスクについて考えた。コロンビアのカーネーションは一週間前に切ったものが小売店の手に渡る。なかには10日前に収穫したものもある。真夏でもコロンビアのカーネーションは国産に比べ、保ちで引けを取るわけではない。特に水揚げしてソフトバケツで出荷されているものは7?10日も経っているものとは思えない。インドのバラで、作業工程からして、横箱の荷姿で市場で取引されるもので、早くて4日目、だいたい5日目くらいのものが多い。日本でリパックし、水揚げして甦生させた状態で出荷すると一般的にはあと2日必要だ。インドのバラでも、こうなると6?7日前に切ったものである。コロンビアやエクアドルでだいたい1週間、ケニアだと一番前に切ったものは9日?10日前となる。これはコロンビアのカーネーションと一緒だ。冷たくして運んで、日本で水揚げをする。カーネーションは咲き方を楽しむ花ではないので、適地で生産し、夏でも1週間以上保てば、消費者価値は高い。しかしバラは「咲かないバラ」であれば良いが、咲き方を楽しむ消費者にとっては、ちょっと問題が残る。1週間前に切ったものも水揚げすれば、一昨日切った国産品と鮮度であまり遜色がないとすると、小売店はどのようにお客様に対し、責任を取ったらよいのか。ケニア最大の生産販売会社であるアゼリアのイギリス本部でこのことを話し合ったとき、結局販売者の責任として説明責任をいかに果たすか、そして再販業者である卸は、同様に流通過程と何日間かかっているか等を説明し、それを小売店は承知の上で消費者に対する責任を負う。このことをCSR(Corporate Social Responsibility)を行なうことが欠かせないとした。 グローバリゼーションと共に、バイヤーが的確に知らなければならない重要な情報は、いつ切って、いつ荷造りをして、どこ経由で何日かけて輸送し、どこでリパックし、いつセリにかけて、いつ取引が終了したか。これを的確に知ることが必要である。ややもすると減農薬、無農薬等、そちらばかりを気に取られていると肝心な加齢情報についておろそかになる。何日目の花か。ここを押さえること、これが欠かせないとこの秋の需要期で強く思った。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年9月18日

胡蝶蘭の育種ターゲット

 土曜日の午後、胡蝶蘭の育種家と、特にギフト胡蝶蘭の鉢を販売している大手の卸、そして小売店の方々と弊社で懇談会をした。
 中心話題の一つに胡蝶蘭の鉢は今後も行けるか、飽きられて代替品に取って代わられないかを話し合った。胡蝶蘭の鉢の生産者は現在2通りある。観葉の木物がそうであるとおり、開花株を輸入して温室を回転良くまわすタイプと、従来通りじっくり良いものを作っていくタイプとの2つの型がある。回転を高めていくタイプの人のものは、大輪種では残念ながら高級品というわけにはいかない。しかし10年前からすると、その品質たるものは大変高いレベルで、かつての特級品が現在の開花株を輸入して効率よく温室を回転させる品質レベルとなっている。事業として素晴らしい。そのことを踏まえた上で、小売店はあえて頂点を目指す品質を育種家たちに要望していた。台湾の品種よりも勝る品種を日本で作ってほしいというのである。
 そして胡蝶蘭の鉢が今後も続く理由として、顧客が変わるということがある。ヘビーユーザーが3年で変わっていくそうで、結局贈る側が胡蝶蘭に飽きたということもあるかもしれないが、それよりも会社の業績などが3年くらいすると変わってくるのだという。法人の場合とにかく3年?5年くらいでお客様は変わるという。だったら良いものを作っていれば大丈夫だ。
 個人の消費者を対象にした場合はどうだろう。ギフトではすでに白50、白赤(白の赤リップ)・ピンク・黄色など含めて50の比率だそうだ。(実際は法人需要も多いので白70の比率になる。)
さて、個人をターゲットにした場合の論議のとき、ここ10年で進んだ4層の社員構成に話が及んだ。パート・アルバイト社員、派遣社員、契約社員、そして正社員の4層である。一定の職位や学歴でここ10年所得が少なくなっている人たちを通称「プアーホワイト」というのだそうだ。アメリカで1960年代の前半、黒人に選挙権が与えられ、所得が下がった白人が多数出た。この人たちはどこに不満をぶつけるか、弱いものへ怒りを爆発させていった。右翼化と家庭内暴力である。それと同じ状況がここ10年、日本では展開されてきている。2005年夏の衆議院選挙で小泉自民党はこの不満をうまく票につなげたと言われている。郵政と官僚は特権である。だから自由化するのだ。民主党の支持基盤である労働組合は社員4層のうち、最上級の正社員を対象にした組合で、それ自体職位や所得を落としていった人からすると特権に感じる。この1960年代のプアーホワイトと同様の意識が日本には蔓延している。当然花き業界でも顕在化するほど存在していることを知っておく必要がある。中傷や妬みは意味のあることとはいえないが、日本には5000人に1店舗の割合で花売り場が存在している。ドイツの3倍、イタリアの7倍、イギリス・フランスの10倍の店舗密度の中で競争しあっている小売店。石油が上がっても価格に転嫁することができず、じっと辛抱するか、やめるしか選択肢がない生産者。仲卸との競争に敗れ、売上を減少させる卸会社。それぞれ不満が鬱積しつつある。
さて本題に戻って、胡蝶蘭鉢の個人消費のターゲットは、4層トップの正社員の役職者、役職者の奥さんである。そうなると日本のトップの品質でないといけないことはその所得の構造からわかる。良い品種を時間を掛けてじっくり作る、花保ちを最低でも一ヶ月以上にする、これは胡蝶蘭の鉢の座を維持・発展させていくには欠かせないというのが土曜日の結論であった。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年9月11日

戦後の一時代が終わる

 昨日の午後NHK FMで、先月90歳で亡くなられたドイツの歌姫エリザベート・シュワルツコップの特集番組があった。僕はあまり歌曲を聞く方ではないが、シュワルツコップと男性のフィッシャー・ディースカウは特別でレコードもほとんど持っている。シュワルツコップの豊かな感情表現は抜き出たもので、ドイツ人というと融通が利かないくらいの生真面目さを思うが、彼女の伸びやかさや絶えず笑いが絶えない明るい場作りなど、戦後のドイツの希望の星であった。
 歌曲の中にはいくつも花が使われるがその花の使い方は意味性を持って使われる。日本も芝居に使われる花は同様だが、それは先週お話しした等流法身によるものだと見ている。僕は読んだことはないが、心理学者のユングは密教を勉強した後、さまざまな事柄の意味性を語っている。
 戦後日本は敗戦国であるので肩身の狭い思いをして海外に出て行った。父と一緒にヨーロッパへ行ったとき、ドイツ人とは気が合うと何かほっとした様子であった。ドイツと日本はNATOと安保条約をもとに、経済的に世界第2位、第3位の国となって成功を収めている。しかしその中身は陸続きのドイツと島国の日本では大変異なっており、GDP40%以上が輸出入のドイツと15%弱と国内の取引が85%をしめる島国日本と、こと輸出入に関する限り、このように異なった姿として現れている。日本はFTAで出遅れていることでわかるように、島国でしかも広大な面積で人口が世界第10位と膨大な大国である。細長い国だが面積は巨大で、その長さたるものは稚内をサンフランシスコに置くと、与那国島はメキシコシティのところまである。平らなところが少ない、台風が来る、それもそうだが世界第2位の経済大国が輸出入は15%弱、80%以上を国内であげている。このことに着目すべきである。
 昨年、ロンドン大学の日本学の連中と話しをしていて、「今の国体がいつできたかによって国の年を計ると日本が最も高齢な国だ。」と言う。高齢というのは歴史があるという意味である。聖徳太子の頃から日本の国体は変わっていない。河合隼雄文化庁長官曰く、中空思想の国体が続いているのである。中国は1949年社会主義革命によってできた新しい国である。ロシアは1991年できたてほやほやの国である。このように「国体を通じて国を見るべきだ。そしてそこに住まいする人たちの国民性や変化のスピードなどを見るべきだ。」とロンドン大学の日本学の連中は僕に言うのである。
 僕はそのとき、「戦後50年かかって良くなったのだから、また50年かかって人口減少も含め、日本の真の姿が出てくる。日本は人口も多いし、そう簡単には変わりませんよ。しかしグローバリゼーションは日本がこれから生きていくために、とりわけアジアの友と一緒になって経済活動をしなければならないから早く身に付けていく必要があると為政者や有識者は思っており、小泉首相を中心に日本では改革が進んでいるのです。」と言った。
 また同様に彼らはこうも言った。「第2次世界大戦後、戦争をしていないということは本当に日本という国は稀な国です。大戦後、戦争していない国は内戦まで含めて本当に少ない。これを日本人はもっと声を大にして叫び、平和活動の中心になるべきです。」これは海外の友人たちと話しているとよく言われることだ。
 民政化、軍事目的以外の開発された技術、花や緑、これを日本人はあまりにも当たり前のものとしてはいないかと思われる。日本はFTAを通じ、日本なりの時代の枠組みに入ろうとしている。このとき日本の花き生産と輸入花きをともども消費者に選んでもらえるようにすることが流通業界の役割である。肩入れしたり、偏見をもったりしてはならない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年9月 4日

等流法身

 昨日お台場のホテルへ行ったら、結婚式が数組あった。もう夏は終わった。
 
 昨年、モンゴルへ行き、モンゴル帝国の首都であったカラコルムで一週間ほど過ごした。そこから車で8時間のところに温泉があって、温泉に入りに行こうとドライバーのゾルゴさんとゲルを出た。モンゴル男のすごいところは、食料があるときにしっかり食べるということだ。例えばその日だと朝しっかり食べておく。場合によっては晩御飯も食べられないかもしれないから晩御飯の分もしっかり食べておけという。乾燥しているから水もそうだ。食べられるときに食べておけばよしとする野生の体が未だに残っている。こういう状態だから車にはもちろんGPSなどない。大きな道は地図にあるが、道なき道をすすむ。確か一度来たことがある。谷を二つ越えたところだと言う。川を渡る。谷を越える。まさにそういう能力が人には備わっているのだ。
 温泉に行く途中、カラコルムから2時間ほど行ったところにドライバーのゾルゴさんのお母さんと長兄が夏、家畜のための野営をしている場所へ立ち寄った。馬乳酒、石のように硬いチーズで客人をもてなす。ゾルゴさんのお母さんは熱心なチベット仏教ラマ教信者だ。ラマ教は密教であり、大日如来を宇宙の中心に据えている。このとき、来年の夏、空海をやろうと心に決めた。そしてこの夏、本やお経の解説書を揃え、読み込んだ。とても不十分な状態なので、語ること自体おこがましいが、四種法身(ほっしん)についてお知らせしたい。大日如来はあらゆるものに変身し、本来我々の中に備わっている仏心(宗教心)に働きかける。釈尊が宇宙は飢餓や老病、苦死をあたえると感じたのとは違って、むしろ大日如来は知恵や慈悲を与えてくれるものとしてこの宇宙を見ている。釈尊を越えるものとして大日如来がある。大日如来は主として四種類の部類の姿に身を変えながら、生来授かっている我々の知恵や慈悲の心をこの宇宙に生かすようにしてくれている。これが密教である。カテゴリーの一つ目は「自性法身」、大日如来そのものの姿である。二つ目が「受用法身」それは宝生や不空といった如来の姿。それから人の姿で人間に教える「変化法身」。そして我々の身のまわりにあるものに変わって教える「等流法身」、というのが密教の考え方である。「色があっても見る気がなければ無色に同じ」この見ようとする心の働きがなければ、この四種の法身を感じることができない。この心の働き、識のことを「智」と言っている。ヨガはヒンドゥー教の宇宙と自己の中にある宇宙を一致させ、「不ニ」すなわち全体の宇宙の理と自分の中にある「智」を一致させていく。これが瑜伽(ゆが)であるが、密教もこれによって感じ取るのである。
 花にとって大切なのは等流法身についてよく知ることで、動物を見て心が和むように、花を見て美しさに感嘆するだけでなく、心が澄んでくるように、宇宙である大日如来がお姿を変えて我々に法を説いてくださっているとしている。現に人はそのような心持ちで花に接していくからこそ、我々の仕事の意義があると言えよう。花き業界も成熟産業といわれる。花は当たり前のものになったから、好きな人は買ってくれるが、そうでない人はあっても見ようとしないし、買おうとしない。この「智」、見ようとする心、買って飾ろうとする心をどのように開いてもらうかが我々の課題である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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