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2008年3月 3日

もっと高所から真実を見る必要性

 花き業界の随処で近視眼的な判断が目立つようになってきたので注意したいと思う。

 文学や哲学が好きな人はルサンチマンという言葉を思い浮かべてもらえばよい。市場経済が発展してくると最終消費者の暮らしやライフスタイルの発展を願い、モノやサービスを絶えず提供することが流通各段階の仕事となる。困ったことは消費者に選ばれなかった会社が、あるいは得意先に選ばれなかった会社が倒産していくことだ。これは弊害といえば弊害だが、民間努力やら経済政策で一定数量倒産の数を少なくさせることが出来る。自分が生活できているのは消費者からお金をいただいているという認識が規制業種だとなかなかない。いつも規制業種は同業者しかライバルとしてみていない。
例えば卸売市場業界は同業者とばかり比べている。小売においても同様だ。
花き業界全体は民営化しようとしている最中、またデフレで単価が落ちている最中、次のような構図で、今ある状況をとらえる人が多い。それは、近頃一所懸命やっているのだが売上が減っている。自分は悪いことは何もしていない。毎日黙々と仕事をしている。なのになぜか伸びている会社がある。伸びていたり売上を上げていたりする人はよいことをしていないに違いない。現にお客をとられた。だから強者は悪人で自分は善人だと言う。これがルサンチマンである。横を見て嫉妬し、同業者をおとしめているのだ。

 卸や仲卸は得意先を通じて消費者に価値ある、選んでもらえる商品を集荷・流通させたか、また再販業者である小売店に価値ある利便性の高いサービスを供給できたかによって、選ばれるか選ばれないかが決まってくる。そうすると選ばれなかったものこそもう一度、自分自身をチェックし、改善や革新を図るべきであろう。にもかかわらず、業績が芳しくなくなると、先ほどの構図で「こんなに一所懸命やっているのに善人の私が何故?」と外に原因を求めようとする。大切なのは花き生産流通、すなわち花き業界の中での自分の役割だ。花き業界のお客様は消費者しかいない。種苗から小売までは皆パートナーである。「群盲、象を撫でる」ようなことをしてはならない。サプライチェーンをイメージして行動するべきである。哲学では真理(実存)を認識の目標として、価値を行動の規範とする。ここから出発している。花き業界の誰もが群盲に我々一人一人がなっていることを認識し、そこから少しでも真理に近づこうとする意欲をもって日々の業務をこなしていきたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 2008年3月 3日 00:00

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