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2008年4月21日

花と緑のシーズンとソウル

丸の内でも大阪鶴見でも花のフェスティバルが開かれていて大好評だそうだが、私は家内と新緑の京都を週末楽しんだ。岡崎で第39回になる京都市花き振興協会などが主催の「花と緑の市民フェア」が行なわれていた。種苗、生産、卸売市場、小売、フラワーデザインとすべての団体が参加していて、それぞれの展示や諸活動を見るにつけ、思わずその美しさと運営の立派さに目をみはった。来場者はまさにお子様からお年寄りまで、老若男女を問わず、一般のお客様がこんなに楽しみにしており、市民が花と緑を生活の一部として取り入れていることに目をみはった。この層の厚さはなんだろう。文化の継承か。
先週は韓国にいたが、ソウルの南の江南は新しいソウルの町で、路も建物も広く大きく作られており、押しも押されもせぬ韓国経済のシンボルともいえる街である。ソウルは郊外まで入れてソウル首都圏と言っても良いが、その人口は韓国の半分以上の2,500万人おり、花の卸街は市公設の花市場以外に釜山行きなど長距離バスが出ているターミナル駅のところと、金浦の飛行場の側とで三つある。フラワーデザイン学校は2005年がピークで、その後生徒数が少なくなるとともに数は減った。日本もそうだが、韓国のいけないところはすぐお花屋さんやスクールも独立してやってしまう。だからなかなかお花屋さんもスクールも一定規模に達しない。もっとも何でも成長産業というものはそうかもしれない。それが成熟し、衰退がはじまってくると、まとまっていくのだろう。

韓国の花の産業で特徴的な点は二つある。一つは輸入切花が数パーセントくらいと本当に少ない点だ。その一番の理由は10年前1997年の通貨危機のときに輸入代金の支払いに支障をきたし、今でも韓国は世界の花の産地から信用を得るのが大変だ。二つ目は切花を飾る習慣は、20歳代?30歳代にしかない点だ。仏教国というよりキリスト教国であることや、北朝鮮との戦争などで日本より10年遅れてベビーブーマーたちがいるが、その人たちは祖国復興のために大忙しで花どころではなかった。イ・ミョンバク大統領の訪日を機に、FTAの締結目標年次などが話し合われることと思うが、韓国の財界人と話していると、「韓国から何をもって行くのかが問題なのです」と異口同音に言う。花を見ても、すばらしいバラやスプレー菊はあるが、鉢物にしてもプラザ合意のときに為替変動により日本から産地が移ったサボテン類の鉢物など、特定のものを除いて、何を日本に持ってくるかが問われている。

今、切花・鉢物の関税は24%で、これが輸入品の障害になっている。ソウルの卸売市場では韓国産でない外国の花は扱わない。農民に対する感情の問題から現在は扱えないとしている。将来は韓国で作っていないものなら輸入品で扱う動きはあるものの、農家感情からそれも無理ではないかと思う。輸入品はソウル市内の業者が扱い直接小売に卸し、中央市場では仲卸が扱うのみである。ソウルの若者は就職難だとは言え、日本人の初任給と何ら変わることはない。経済的に台北と並んで日本人と同じ生活をしているし、日本より格差社会であるので、新しい花のある生活の提案はかなりアッパークラスのソウル市民に魅力的である。一般論として企業は消費者の潜在需要を先回りして提案できないと生きていけないということがグローバル経済で当たり前だが、生活関連資材である花はホームファッションが本格的になってきたソウルの若者向けに価値ある商品と映るのではないかと思った。

京都の人たちの見せるためではない、ごく自然な花のある生活とソウルの花ビジネスは明らかに隔世の感ある。仏教国だと例え1人当たりのGDPが1万ドル近辺でも、こうは差がないのにと韓国との花でのお付き合いの仕方をあれこれ考えてみる。

投稿者 磯村信夫 : 2008年4月21日 00:00

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