大田花き 大田花きコーポレートサイトへ
 

« 再生産価格 | トップ | 白のシャクヤク »

2008年5月26日

創業精神「時代に合わせる」

大田花きの前身である大森園芸市場は76年前に今の大森駅北口のところで開場した。日本ではじめての鉢物市場で、委託手数料は15%だった。大森園芸の本社は不休園という花専門の種苗商で、当時の花専門種苗商は戸越農園と不休園の2つであった。海外から種苗を輸入したり、育種を行なったりして、花の種苗を商っていた。作ったものをお金に換える、あるいは作った花を適切に配分する、その「場」である市場を祖父の磯村謙蔵は作ったわけだ。卸売市場は出荷、売買、支払いにルールがあり、いちいち取引先と交渉しなくても、取引の「場」市場に出荷すれば済む、買いに行けば済む、こういう便利な場所だった。それ以前は花を欲しがる消費者もそんなにいないし、小売店も少ない。作っている人も少ないから、作っている人が売りに行けばいいし、お花屋さんが荷主のところへ買いにいけばいい。しかし昭和7年頃から花き業界らしき規模になり、市場が必要になったのだろう。

今の大田花きを見ても、卸売市場の仕事の本質は何も変わっていない。規模が大きくなったので、分業化・専門化しているから、花の生活研究所、商品開発室、種苗代理店のディーオーシーなどの力を借り、花は見るものゆえ差別化、定番商品は生産性を上げてコストリーダーシップ、超一流のホテルやレストラン向けにはオリジナルなプレミアム商品を提供する。やっていることは創業時と何ら変わることがない。同様に変わっていないのは、情報流、物流、商流、金流の4つの流れだ。これをルールに則ってマネッジしていくシステムは時代とともに変化しているが本質は変わらない。そうなると昨年までの75年間何をしてきたのかとなるが、もちろん時代に合わせてきた。18年前、日本で最初にセリをコンピュータシステムで行った。セリ下げで行った。卸売市場法が変わり、相対が正式な取引と認められたので、セリ前取引をインターネットで行った。売るのが難しくなって来たので、データマイニングを使い取引先にサプライチェーンを意識した知的サービスを行った。インターネットが社会インフラになったので、セリを在宅でも参加できる「在宅セリ」システムを開発し、好評を得ている。一言で言えばそうして生きてきたのだが、「今後どうするのか?」と聞かれたら、「時代に合わせていく」としか答えられない。今度洞爺湖サミットで環境問題と食料まで含む原料の値上がりにどう対処するかが話し合われるが、少し広く見て銀河系の中で我々は何を引き継いでゆくのか、どのような日本や日本人になるべきなのか、その中で大田花きができることは何なのか。社会の利益、ここに21世紀の日本や日本人は比重を置きながら仕事をする。

それにしても今年の5月は東京地方では観測史上最も雨の多い5月になるかもしれないが、創業時から変わらないのは「売るに天候、作るに天候」「花は三気商売、天気・景気・やる気」である。人の本質が変わらないのだから、商売だってそう簡単に変わってなるものか。文明が発達して、空間は人にとって狭くなったと言っているが、シンパシーがその分更に大切になっているということだ。ミャンマーの大災害や四川の大地震でどこまで我がことのように心を痛めることの出来る人材を作るか。そういう人たちを多数育て上げるということは、我々花にたずさわる一人一人の仕事ではないかと思う。

投稿者 磯村信夫 : 2008年5月26日 00:00

Copyright(C) Ota Floriculture Auction Co.,Ltd.