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2008年8月25日

新しい付加価値をつけ努力

 1ヶ月ほど前のコラムで言った通り、経営判断が大変難しくなっている。よく状況をとらえ、正確に物事を判断しないと感情だけでは不都合なことが多くなる。こんなときこそクールヘッド、ウォームハートで取り組みたい。具体的には、今の世の中は超資本主義(スーパーキャピタリズム)で、消費者と投資家の発言権が大変強くなっている。このことは良いもの安くを要望する消費者の希望に沿うようにしなければ、モノやサービスが売れないことを意味する。また、組織内の生産性を確実に上げていかない限り、どこよりも高い投資収益や配当を提供することが出来ないし、株価を上げることが出来ないということを意味する。消費者と投資家の付託に答えようと、あらゆる産業の事業体は努力しているが、グローバリゼーションで結局完成品の輸入が増え、要素価格均衡化の法則で賃金や土地の値段が下がる。こういった超資本主義の中で、花作りはどうしたらよいのだろう。小売店はどうしたらよいのだろう。
チョムスキーが指摘する1980年代から続く超資本主義では、モノを買ってもらうためには良いもの安くを演出できなければならない。高級品なら結局割安、大衆向けならお買い得。このように商品も店も産地の印象も新しい、ステキ、思わず買ってしまいたい。こういったことが大切となる。
大田花きは取引所としてさまざまな産地からご出荷いただいているが、結局買い手が価値を訴求する姿勢は変わらない。しかし消費者の懐具合によって売れ筋のものが違ってくる。産地は生産原価が上がり、苦しい局面にあると思いますが、実社会は相対的なものでありますから、少しでも価値あるものが値ごろに感じられる印象を消費者に与えられるよう創意工夫を一緒に考えさせてください。消費者と投資家が強い。このような経済のもとに花の産業があることも再認識してください。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年8月18日

引越しを期に初心貫徹

8月18日(月)、今日は私にとって再出発の記念すべき日です。大森園芸の真裏に住んで、当時は大井市場(当時は大田市場でなく大井市場と呼んでいた)に新会社が出来て、移ることが決まっていたので、これを期に新居を作った。高さはちょうどフラコン台車の一番上に鉢を載せても頭が着かない高さにして、2階を玄関とした。2階だがほとんど3階の高さがある。市場の裏手で地続きだったから、1階は市場から続く鉢物置場にしたわけだ。そこで2人の子どもが育ち、最近10年は夫婦2人と犬の生活をしていた。

その家を2008年の終戦記念日の15日を最後に引越しをした。今業界で働けるのも、京都生花様にお世話になったからで、心構えや基礎を作ってくださったその1年を除くと、35年間ここに住んだ。ここにいると思い出すのは、大森園芸に入社した時は14億円の取扱高であったこと。大田に来る前はこんなに小さな場所で89億円も売っていて、地方市場だけれども仲卸通りを作ったこと。私が「日本中の参考になる市場に行ってみたい」と言ったら父は3つ紹介してくれて、鹿児島の松尾社長、広島花満の和田社長、仙台の橋本社長の市場にうかがいお話をきかせていただいた。鹿児島の松尾社長からは、荷主さんたちの会を作る大切さ、生産現場まで踏み込んだ運命共同体としての組織について。和田社長と橋本社長からは、仲卸の大切さとどのような役割を卸・仲卸は行なえば良いか、特に中央市場に入場したときどのようにしたら良いかを教えていただき、その通り昭和59年(1984年)、大森園芸内に仲卸通りを作った。妹の親友の家で鋼材を扱っていたお隣に、母がお願いに行って土地を売ってもらい、そこを仲卸通りと駐車場にした。今の大田花きは和田社長と橋本社長の御指導の賜物です。

この頃妻の体が思わしくなく、2階の玄関ではしんどくなってしまった。バリアフリーの新築マンションが駅のほうに出来ると言うので、そこを求め、娘夫婦に家を譲ることにした。ここの場所に来る前には大森園芸は大森駅に隣接してあった。そこに今度は近くなった。大正から昭和初期の園芸業界のことを、思わず大森駅前の雑踏の中から思い描く。実際、市場が移動した場所を知っているのは大森北の大森園芸とこの大田市場だけだが、今後どのような形で会社が変わり、場所が変わって行くか楽しみだ。会社といっても市場という「場」を必要とする仕事だから、そうは簡単に移動できるわけではないが、ITを取り込んだとしても、商流は出来てもそれは物流拠点にはなり得ない。場の商売である市場業をさらに発展をさせるためには、荷主さんと買参人さんに誠心誠意尽くして初めて成り立つ。そうでないと花や人が集まってくれない。父に指導を受けた「誠実と努力」を初心貫徹。そのような仕事を今日から次の10年間やり続ける。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年8月11日

盆需要のトルコギキョウ善戦

8月初旬、「景気後退が明らかになった」と報じられた時期と盆の需要が重なったせいで、アナウンス効果で例年とは異なった相場展開での市況となった。夜温25℃以上は生き物の体調を悪くするから、菊の周年産地の愛知県や福岡県などは開花がずれ込んだり、奇形花が出たりする。温暖化の原因で菊類は不足すると予想されてはいたが、当初の見通しを上回った不足となった。それは最高気温35度以上の猛暑日が続いたりして「花保ちが良いのはやはり菊だ」と需要が高まったり、早い梅雨明けで干ばつ気味になったりして露地物の出来が良くなかったこともあり、菊・小菊は名古屋以西を中心に不足した。初めての経験だが、菊が不足し他の花に飛び火して不足したかと言うと不足しないのである。盆用の花は菊類を中心にテッポウユリやケイトウ、カーネーションやアスター、ものによってヒメヒマワリやソリダコを使う人もいる。そのようにいろいろな花の取り合わせでセットになっているにもかかわらず、不足しているものが菊だけで菊だけ高く、他の花は平常と変わらないか、中には安いものまであるのである。明らかに仕入段階で弱気が出ている。

この盆需要で新しく仏様の花として定番化したのは、6月から安値が続いていたトルコギキョウだ。もちろん以前から仏壇の花としても使われていたが、今回完全に定着し定番化した。トルコギキョウは30歳代から40歳代の消費者が花を買い渋っていたため安値が続いていたが、このお盆の時期に来て割安感を全面に出そうと量販店向けにもトルコギキョウが使われ出した。荷が潤沢なときには、それぞれの持つ花の「商品のライフサイクル」がシェアの取り合いの勝者となるが、今年の盆でボリュームを出す花材としては、リンドウとスターチスをおさえて、トルコギキョウがシェアを拡大した。
花は歌と同じ様にその時代その時代を映し出し、色も素材も時代とともに変わってゆく。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年8月 4日

楽観主義が意志で悲観主義は気分だ

梅雨が早く明けたところや、空梅雨だったところなど、8月盆の需要期になって品薄のものなどが出てきた。

フランスの教育家アランは「楽観主義が意志で、悲観主義は気分である」と言っているが、7月盆後の相場を見ると、花も果物もそして野菜も出荷増で需給バランスが崩れて近年まれなる安値となったから、悲観的な人はますます悲観的になって、それが増幅され、まだ若いのに日本の将来まで悲観的になって、私自身は確たる確信はないが、「こういう悲観的な人に問題点がわかれば目標が出てきて、目標に向けて人は努力する動物だから必ず何とかなる」と、何人にも諭すように言っている。

夏休みシーズンのこの暑さでよく花は売れるようになった。クーラーのないところだと切花は水が腐って茎がとろけてしまう。暑いときには必ず小売店は鮮度保持剤を必ずつけるようにしてもらわなければならない。鮮度保持剤を使うと保ちが良くなるといったPRを消費者にして欲しい。また今年度は小売店で原産地表示をしてもらいたい。もうかなり多くのところで原産地表示をしている。それでもまだ三分の一にも届いていない。早く半分以上の売場で、何県何村くらいまで、あるいは生産者や生産団体の名前を表示して欲しい。

そしてこれが7月の安値につながったのだが、夏でも花保ちの良い品種を作ってもらわなければならない。例えばガーベラのフルーツケーキシリーズなど、夏のガーベラはこの品種なら安心して売れる。トルコギキョウも保ちの良いものもあるが、保たないものもある。夏の定番をトロピカルな花やグリーン以外に作り込んで、改良に次ぐ改良を重ねてゆく必要がある。洋間に似合う保ちの良いもの。育種の力を借りて新しい品種を作り、それを前面に押し出して販売していきたい。そうすれば楽観論者が立てた目標に一歩ずつ近づくことが出来る。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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