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2008年8月18日

引越しを期に初心貫徹

8月18日(月)、今日は私にとって再出発の記念すべき日です。大森園芸の真裏に住んで、当時は大井市場(当時は大田市場でなく大井市場と呼んでいた)に新会社が出来て、移ることが決まっていたので、これを期に新居を作った。高さはちょうどフラコン台車の一番上に鉢を載せても頭が着かない高さにして、2階を玄関とした。2階だがほとんど3階の高さがある。市場の裏手で地続きだったから、1階は市場から続く鉢物置場にしたわけだ。そこで2人の子どもが育ち、最近10年は夫婦2人と犬の生活をしていた。

その家を2008年の終戦記念日の15日を最後に引越しをした。今業界で働けるのも、京都生花様にお世話になったからで、心構えや基礎を作ってくださったその1年を除くと、35年間ここに住んだ。ここにいると思い出すのは、大森園芸に入社した時は14億円の取扱高であったこと。大田に来る前はこんなに小さな場所で89億円も売っていて、地方市場だけれども仲卸通りを作ったこと。私が「日本中の参考になる市場に行ってみたい」と言ったら父は3つ紹介してくれて、鹿児島の松尾社長、広島花満の和田社長、仙台の橋本社長の市場にうかがいお話をきかせていただいた。鹿児島の松尾社長からは、荷主さんたちの会を作る大切さ、生産現場まで踏み込んだ運命共同体としての組織について。和田社長と橋本社長からは、仲卸の大切さとどのような役割を卸・仲卸は行なえば良いか、特に中央市場に入場したときどのようにしたら良いかを教えていただき、その通り昭和59年(1984年)、大森園芸内に仲卸通りを作った。妹の親友の家で鋼材を扱っていたお隣に、母がお願いに行って土地を売ってもらい、そこを仲卸通りと駐車場にした。今の大田花きは和田社長と橋本社長の御指導の賜物です。

この頃妻の体が思わしくなく、2階の玄関ではしんどくなってしまった。バリアフリーの新築マンションが駅のほうに出来ると言うので、そこを求め、娘夫婦に家を譲ることにした。ここの場所に来る前には大森園芸は大森駅に隣接してあった。そこに今度は近くなった。大正から昭和初期の園芸業界のことを、思わず大森駅前の雑踏の中から思い描く。実際、市場が移動した場所を知っているのは大森北の大森園芸とこの大田市場だけだが、今後どのような形で会社が変わり、場所が変わって行くか楽しみだ。会社といっても市場という「場」を必要とする仕事だから、そうは簡単に移動できるわけではないが、ITを取り込んだとしても、商流は出来てもそれは物流拠点にはなり得ない。場の商売である市場業をさらに発展をさせるためには、荷主さんと買参人さんに誠心誠意尽くして初めて成り立つ。そうでないと花や人が集まってくれない。父に指導を受けた「誠実と努力」を初心貫徹。そのような仕事を今日から次の10年間やり続ける。

投稿者 磯村信夫 : 2008年8月18日 00:00

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