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2009年1月26日

ポリシーが打つ手を決める

今年は団体の新年会は少ないが、情報交換を主にした人的ネットワークの新年会がやたらと多い。そういう中で得た花の販売に関しては一言で言うと「心配していたよりも悪くなかったのでホッとした」と12月を総括できる。花は三気商売で、天気・景気・やる気で構成されている。12月・1月と景気感は本当によくない。不景気風が吹き始めると、半年で正社員の給料が減額になり、1年で失業率が高まるのが通例だから、社員においては12月も1月もまだそんなに大きな影響は受けてはいない。しかし国によって、特にアメリカと日本は情報の共有レベルが対照的と言ってもいい程異なっている。日本は社会的な地位や年齢や性別などに関わらず、広く情報を共有化しようとするが、アメリカは上の方に情報が集中し、下の方にまで情報が流れていく仕組みが社会にない。よって日本は他の先進国と比べて、国民が一丸となって準備する姿勢が整う。こうして日本はデフレからようやく脱却できそうだったのに、また我慢の時代となっているのだ。

花は生き物で、なくなるものだから、花を飾る習慣のある人たちにとっては毎週季節の花を買うのは楽しいことである。年末から正月、お天気が続いた地域の小売店は「心配していたよりもよく売れた」と思って感謝した。あいにく12月27日・28日の土日にお天気が悪かった地域、ところによっては31日もお天気に恵まれなかった地域は前年より2?3割売り上げを落とした。この地域の小売店は「花も同様、厳しい」と感じている。今年2009年、前者は「努力すれば2008年並みの取扱金額でいけるのではないか」、後者は「年間通じると良くて9掛ではないか」と感じている。

国内生産は冬場2割近く少ない。1年を通じても、1割少なくなるかもしれないと予測されている。こういった供給量の中で、円が強いから輸入品が一定数量、不足を補うだろう。しかし海外もベトナムなど一部を除き、出荷量が増えているわけではない。そうなると、前年並みの出荷量を確保することは難しいだろう。「花の相場や流通量は地域によってまだら模様」と土曜日の内々の新年会では結論付けた。
本支店経済の地域と工場経済の地域で分かれる。本店が多い首都圏や中京圏、京阪神は不調な中でもまだ気を吐いている。地方の中でも支店経済である道州制の中心地は相場がそれなりに立つ。しかし工場経済の地方の県庁所在地では需要の強いもののみ相場が立ち、他のものは相対的に弱いので量を減らさざるを得ない。具体的にはこの1月で言えば葬儀需要はコンスタントであるから、それに使う菊類やストック、スナップは相場、消費量とも変わらないが、それ以外の需要の花材は量はいらないということになる。

本年・来年の見通しはおおよそこのようで、この中で各社はポリシーにしたがって戦略を練り、的確に手を打っていくことになる。経営環境が変わっても、確固たるポリシーを持ち、こんなときこそ的確に手を打って消費者に花のある生活を届けていきたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年1月19日

花市場にとって最も大切な荷主さん

1年で1回しか行なわない市に1年の計をかける松と千両の荷主さん。その荷主さんと市場のつながりは太い絆で結ばれている。

17日(土)と18日(日)、千両と松の荷主さんである遠藤小左衛門農園の会長にあたる照一さんの葬儀があり茨城県波崎町に出向いた。波崎は利根川を挟んで銚子の対岸に位置する温暖なところだ。照一さんの父君である小左衛門さんが千両を導入し、私の祖父謙蔵が経営をしていた大森園芸に出荷をしてくださった。照一さんは私の父民夫を信頼してくださり、一番の千両の荷主さんとして花屋さんから高い評価を受けた。現在の棟主である幸夫さんの代になり、さらに品質を極め、大田花きで最も信頼される松と千両の荷主さんの一つとなっている。市は1年で1回のことだから信義しかない。

松は種蒔きをして3年目、ないし4年目に若松やカラゲ松、門松などを出荷する。3?4年のサイクルで絶えず仕事をする。これら若松の類をスジものと言うが、かつては鹿島の松、波崎の千両と特産地が分かれていた。しかし、撰別・荷づくりをする熟練工の人材確保が1ヶ月くらいの短期間だと所得の面から難しくなってきた。今では松だけの鹿島の生産者の数は10人と減って、2ヶ月以上雇用の期間を設定できる松と千両の波崎の生産者が日本のお正月を祝う縁起物の大産地となっている。その中でも有数の生産者が遠藤照一さんであった。同業者の後輩である岡野三男さんを弟のようにかわいがり、自分の出荷先に荷を出すことを認めてきた。たまたまだったのかもしれないが、弊社大田花きと大阪のなにわ花いちば殿をメインに出荷しており、質や量の面で競争が最も激しいといわれるこの2市場で弟分の岡野農園を好敵手としながら、消費者と花屋さんの立場に立った生産・出荷を行い、時代と共に重きを置くポイントを変えながら現在に至っている。

農産物である千両や松は天候など自然の影響を受ける。だから契約取引をお願いしても遠藤さんは確実にできる量しか受けてくださらない。「そこまで硬く見なくてもいいんじゃないですか?」と言っても、「もうそれ以上は受けられない」と言って、断ってしまう。そんな風だから、せりで仕入れてくれる決して大きくないお花屋さんの1人1人の期待に応えようと、やってみなければわからないせりにどんと出荷してくる。安定収入を求める事業家としての当然の要望よりも、遠藤さんの価値観はそれよりもさらに高いところにあるようだ。尊敬する荷主さんのうちの1人である遠藤小左衛門農園の遠藤照一さんの葬儀に参列してきた。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年1月12日

文化展二つ

「生け花スピーカー」の古賀さんから招待チケットをいただいて深川にある東京都現代美術館で開催されたブラジル移民100周年記念の展示会を見てきた。ブラジルの花ビジネスではサンパウロ周辺の日系人とオランブラ周辺のオランダ系の人たちとが激しく競争をしている。花生産のスタイルも現在の日本とオランダくらいの差があり、オランダ勢が伸びていることが気に掛かるところだ。

展示会では藤原大氏とイッセイミヤケ クリエイティブルームがデザインした洋服が展示してあり、そのテキスタイルはアマゾンの森や川をイメージしたニットで作られている。そこに旧知の古賀さんが熱帯観葉植物カークリコで生け花スピーカーをもってジョイントしており、「生け花スピーカー」から発する自然の音が何とも言えぬ空間を作っている。藤原大氏と共演しているブラジル側のアーティストは有名なカンパナブラザーズで、色の魔術師と言われる現代的なアーティスト。彼らが使っていたのは何気ない空間の中で、素通しの壁にミニ観葉を配置しており、それもよく気を配った新しい部類の品種が多く入ったミニ観葉で、空間造形に色でリズムを加えたものであった。芸術家は時代を鋭敏に反映するが、どの作品を見ていても不況による不安感や絶望感は感じられなかった。ブラジルは経済と芸術、そしてお得意のストリートカルチャーをますます発展させていくことだろう。

10日の土曜日には、東京箱崎にあるロイヤルパークホテルで「いけばな大賞2008 第82回全日本いけばなコンクール」の表彰式が開催された。主催は社団法人帝国華道院であり、協賛は社団法人いけばなインターナショナルである。花き業界は農林水産省で所轄されており、しかも花き振興室が生産・卸売市場から小売りの団体まで5つの社団法人を所轄している。あとは種苗課が種苗団体を所轄しているので、植防や農薬まで含めてすべて農林水産省で話しが済む。近年、花き産業が成熟期にかかり、文化の伝承を考えたり、消費の拡大を考えたりするときに、文科省が所轄している社団法人帝国華道院や生け花の各流派との協業や社団法人日本フラワーデザイナー協会との横の連帯が必要になってきた。さらに外務省が所轄のいけばなインターナショナルのように海外に支部がある団体との連帯も不可欠となっている。

社団法人帝国華道院の理事長である関江松風氏や社団法人いけばなインターナショナルの会長である中山逸子氏に花き業界との連帯の話題を出すと、省庁間の縦割りで今まで横のつながりがなかったことを残念に思っており、今後共に出来ることがあったら、一緒にイベントなどを協賛し合い、花の文化を盛り上げてゆけば良いと話し合った。

押し花文化やアートフラワーまで含め、それぞれの花の造形文化につき、ともに協力し合えるところはし合って、個別のイベントの数を減らしてでも総合的な大きな花のイベントを作っていく必要がある。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2009年1月 5日

お正月は吉と出た

明けましておめでとうございます。


昨年の12月は大変重苦しい雰囲気の中で、お歳暮、クリスマス、年末の商戦が展開された。お歳暮、クリスマス需要は前年よりかなり落ち込んだが、年末はお天気によって明暗を分けた。関東地方はお天気に恵まれ、足りなかったところも多く出るなど、1月3日の市、5日の初市とこじっかりした商況が展開されている。あいにくのお天気だった北陸・東北・北海道などでは、小売りの業態により、またお店により売れ具合はまちまちだったようだ。

海外に目を転じると、アメリカではクリスマス前に早くもクリスマスセールを30?50%オフで行なうところもあったらしい。花は1割?3割客単価は下がったようだが、例年の数は売れたようだ。日本と同様、インターネット販売は好調で、インターネット花店ナンバーワンのプロフラワーズで昨年よりも1割増えたようだ。アメリカは会社の人員についても機能を最優先するため日本人から見ると情け容赦ない待遇をしていると感じるが、その分効率的で競争力があるとも言われている。日本から見ていると、非人情のようにも思うが、リストラされた人たちが身近にいるアメリカで、クリスマスに花を例年通り使ってくれたと何人ものアメリカの花屋さんやスーパーの売場の責任者、そしてインターネット花屋さんが言っていた。アメリカ人に言わせると、アメリカと比べ動きがゆっくりしているというヨーロッパでは、フランス、ドイツ、ベルギー、オランダとも、昨年とほとんど変わらず売れていたようだ。さすがに贅沢なものは売れが鈍かったようで、例年より若干単価を落としての販売だったようだが、変わらず売れているという状況だったそうだ。確かに住宅バブルだったアイスランドやスペインやイギリスではオランダの市場でエクスポーターの買いは鈍かったと市場の人間は言っていたが、何か破滅的にも報道されているロシアはしっかりした需要だったそうだ。総じてEU諸国では、法人需要があまり多くないわけだから、花から見た暮らし向きは何か豊かな感じがする。

休みの間、第二次世界大戦後の花き業界の年表を作っていて、このままじゃいけないと自らを奮い立たせたことをお知らせしたいと思います。昭和20年(1945年)の終戦から20年間が日本の花き産業の幼年期。昭和40年(1965年)から30年間が日本の花き産業の成長期。ホームユースやガーデニングなどもこの時だった。一般社会では昭和60年(1985年)頃から成熟社会に入ったと言われていたから、花き産業はその後10年かかってホームユース、ガーデニングと成長していったわけだ。そして平成7年(1995年)から成熟期が始まっていった。まだ花屋さんの数は増えていたし、ガーデニングブームも始まったばかりだった。しかし平成9年(1997年)に消費税が5%になり、三洋証券、山一證券が倒産したり、平成11年(1999年)からは花の価格もデフレ化していった。2009年、今は成熟期から衰退期に入ったのだろうか?環境が叫ばれるこんな時こそ花と緑が人々に人間が持つ本来の人間性を思い出させ、自分や社会を調和の取れたものにしてくれるはずだ。「成熟期でよいが、衰退期にさせてはならじ」これが花き産業人の一人である私の心意気。だってそうでしょう。誰がやるのですか。我々以外にいません。我々自ら日本国民に花と緑を届ける。そういう気持ちをもって毎日の仕事に邁進してまいります。

本年もよろしくお願いいたします。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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