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2010年2月 1日

見えない利益に我慢できない消費者

不透明な見えない儲け方をされていることに対して、消費者は本当に我慢が出来なくなっているようだ。かつては同業者間のみの競争だったから、差別化が消費者に選んでもらうポイントで、付加価値で差別化できなくなると結局安売り競争になって消費の立場でも分かりやすかった。しかし今は同じ消費者をターゲットに異業種間で競争しており、任天堂のwiiと駅そばのスポーツクラブが競争している。駅ではこの雑誌は有料だがこの雑誌は無料、家では映画をテレビで見るにも有料無料など、消費者にとっては本当に儲けの構造が単一ではなくなって、企業の「見えない利益」について自分が得をしたと感じないとき、かなり嫌悪感が出てきている。

いくらかどうか分からないものに、葬儀の値段がある。25,000という数字は日本にとってとても大切で、公立小学校や郵便局の数が25,000で、つまり徒歩や自転車で生活する地域住人の共通インフラの数が日本では25,000なのである。ところが25,000の約3倍、76,000のお寺が日本にはある。31万人の僧侶がいて、お寺を維持するには平均300の檀家が必要である。少子高齢化と共に寺の経営は大変になっていくだろう。今は高齢化で葬儀需要が多い。そこで日本の葬儀費用はアメリカの5倍だとか、韓国の7?8倍ではないかだとか、いろいろ葬儀費用や戒名の値段がメニュー化されていない点もあるのでそれが不透明と映り、戒名をつけない葬儀がここ数年で2割になるなど、節約することがいいことだという論調が出てきて、一定数の支持を受けつつある。花の仕事をしている私が言うと、何か自分の都合で言っているように聞こえるので嫌だが、日本は冠婚葬祭をとても大切にする文化がある。血縁、地縁、仕事の縁など縁を大切にして、そして折に触れて祭事を行う。最近のデータは分からないが、1990年代のデータでは日本の会社の交通費は平均してドイツの会社の5倍、あの広いアメリカの倍であったと思う。我々は直に会って接する。そういう触れ合う文化があって、組織力を生かして助け合って生きていくのだ。結婚式は本人やご家族は健在なので、参列する私たちは相応の効果を期待して包んで行って、それが実際に返ってくることもあろうが、葬式は本当にお世話になったからで、香典や花代や参列するコストなど、見返りなどを計算してその葬儀に参列などしない。文化の由縁でこの祭事の日本文化を社会は否定することもなかろうと思う。お祭りや新年会や忘年会、結婚式、人生の通過儀式や季節の祭事など確かに行う方からするといろいろな選択肢が出てこようが、文化的行事を否定をすることはない。また施行するほうも売価の透明性を高めていくこと、すなわちメニュープライシングをしていくことは大切だと思う。しかし西洋のチップの文化を日本は否定することもなかろう。もう少し世間の事象を大人の判断で見て、人生の儀式を行ってもらいたい。

投稿者 磯村信夫 : 2010年2月 1日 00:00

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