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2011年1月24日

花き業界はサービスレベルで一歩後塵を拝しているのではないか

筋肉痛で足が痛い。ようやく上越のスキー場にも大量の雪が降って、スキーをした昨日は新雪だったものだから今までと違う筋肉を使ったようだ。早く例年並の気圧配置に戻って、西南暖地から花の出荷が順調になることを祈っている。

歩いて会社に来るとき、車で寝泊りしている人でお互いに挨拶しあう人が2人いる。1人は源ちゃんでこの頁でも一度書いたと思うが、以前はホンダアコードのステーションワゴンに乗っていたが、今はスズキに乗り換えてもう3年以上経つ。もう一人は4トントラックの附木さんだ。彼らの生活を聞いていると、家を持たないものだから、トイレに行くにしても顔を洗ったり歯を磨いたりするにしても日常生活にかなりの時間を費やしているのがわかる。彼らは定職を持ち、家は車と決めて、ここ平和島のとある場所に金曜日の晩から土曜日は止めている。他の曜日はいないことが多いから他に一つか二つ安心できる場所を持っているに違いない。ホームレスの生活を見ていても、食べるためにほとんどの時間を取られている。それは着るものから住まいするもの、食べるものまで、狩りに行ったり水汲みに行ったりとまさに都会の原始生活で、便利なお金を稼ごうとアルミ缶を採取に行ってもライバルはいるし、縄張りもあるから、ライバルがいない獲物が取れるときに行くとなると本当に忙しそうにしている。忙しいというのはおかしいかもしれないがとにかく大変そうだ。寝る場所が固定化する前は、危険を感じない場所を見つけるためだけでももっと大変だったとホームレスの人たちは口を揃えて言う。

「交換」というマーケットが発達し、仕事は分業化し、専業化してきた。だから生産性が上がって、自分の作ったモノやコトが結構高く売れるようになって余暇が出来たので、花の文化も消費量もこんなに多くなった。交換市場経済が確立されて、私たちは生産者と消費者の2つの立場に立って日々を過ごすことになった。花き産業の場合、1999年に日本人の所得が下がり始めてから花の単価が下がった。2008年、リーマンショック後の大不況で法人需要がすっ飛びパイそのものが小さくなった。しかし個人需要はしっかりしている。繰り返すが、だがパイは小さくなった。

さてここで苦言を呈したいのは、リーマンショック後3年目となってあらゆる産業の品質やサービスレベルが上がっているのに、花のモノとコトは上がっていない点だ。このことは、我々花やサービスを作る生産者として怠慢ではないか。甘っちょろくて不誠実ではないかということだ。赤字企業もいくつもある。利益がほとんど出ていない企業も多くある。そこでは人件費まで含めたコストカットをまず行い、反転のための投資などを行ったか。多くの企業がしていなければならないのに、私が知る限りその数は半数にも満たない。

クリントン政権のときの労働長官であったロバート・B・ライヒは「世の中の仕事には2つしかない」と言った。モノそのもので人を喜ばせる仕事か、コト(サービス)で人を喜ばせる仕事かである。コトで人を喜ばせる卸、仲卸、小売は、今日本が求められている国際競争力のある知的産業型サービス(情緒的品質も含める)を生み出さなければならないのは先進国として当然のことだと判断して良い。日本の経済が復活しないのは、サービス産業がただ単に対応型になっていて、知識産業として発展をしていないからである。勉強し、精進せよ。日本の消費者はそうは甘くない。その消費者本人が生産者の立場になったときに、自分を甘やかすことは許されないのである。

花き業界なら身だしなみや服装をもっと気をつける、生ものを扱っているのだから行動や歩き方ももっとそのようにする。知識も専門家として消費者の期待を裏切ってはならない。コミュニケーション能力、接客能力を社会人として磨かなければならないのだ。勉強度合いから言って、特に長年花き業界にいる人たちに、「続けるなら社会的責任を果たしてもらいたい」と申し上げたい。

投稿者 磯村信夫 : 2011年1月24日 00:00

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