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2011年1月31日

花の生産者と卸売市場は花屋さんで花を買う

先週、人間社会は交換が行われるようになって分業が発達し、我々は生産者と消費者の2つの立場で生きるようになった話しをした。交換価値が高いものを作っている生産者は、その分余暇が取れ、中には「小人閑居して不善を為す」人もいるが、人本来持っている素晴らしさで、社会を良くし、地球環境を整え、長寿にもなってきた。

日本は恵まれた立地条件にあり、平地は確かに総面積あたり小さかったが、そこに人々が集積し、人が切磋琢磨し、消費者として規律ある生活をしたので、現在も続く日本で最も古い事業体に、一番は神社仏閣の建設会社である金剛組、2番目に華道の池坊があり、今も脈々と続いている。我々花き業界として誇らしいことである。

卸売市場では肉、魚、野菜・果物、切花類・鉢物類を扱う部類ごとの卸売市場が都合4つある。この4つの部類ごとの卸売市場を利用する生産者と市場の社員の中に、消費者の立場に立って考えることがへたくそな人たちがいる。それは花の生産者と花の市場だ。場合によっては仲卸もそうかもしれない。肉や魚、野菜や果物などを作っている生産者や値段を生み出している市場の人は、品物の良し悪しと値段を生産者の立場でも消費者の立場でもよく知っている。必ず八百屋さんや魚屋さん、お肉屋さんやスーパーに自分で足を運び、小売価格で買う。男の人でも人によっては自分で料理をし、生産者と消費者としての両方の自分の目で見て、それぞれの立場をよく知ることになる。生産者の立場に立ったとき、この消費者の立場としての経験が欠かせない。

買ってくださるその人たちの声にきちんと耳を傾け、ファンを作ろうと努力する。消費者のファン、したがって小売店のファンなど取引業者のファンを作ることをまず思う。しかし花はどうだろうか。生産者や市場の社員は小売店で花を買うことがどれくらいあるのだろうか。これをしなければ消費者の気持ち、小売店の気持ちはわからない。このように人間の根源的な欲求に花を飾るということがあっても、花そのものは文化的であり嗜好的であって、なくても済まそうと思うとそれで済む。だから生産者と卸売市場は消費者から離れてしまいがちだということをいつも肝に銘じておく必要がある。確かに花はまだ消費の二極化についていけていない。価値あるものと、値段が安いがまぁまぁのもの、この2つに分けられない。マーケティングの用語で「異質同質性」やら「小異同化性」などの言葉がある。そのものが成長期にあるとき、ちょっとの違いは話題を作る。しかしあるとき成熟がはじまると、ちょっとの違いなんて面倒くさいと同じものに見てしまうのだ。

はっきりと消費者に違いがわかるものを花き業界は今でも生み出しているか。確かに似通ったものもあるが、これはイエスだろう。トルコギキョウやダリア、ラナンキュラスなど他の業界にはない、時代を捉えたものが数多く出されている。しかし鉢物では少ないのが残念だ。もう一方の極の値段がこなれて、思わず買っちゃった。しかし意外に花が゙持ってよかったということがまだない。ここのコストリーダーシップの花の供給に向けてどう努力するか。栽培のイノベーションや大型化で取り組む以外にないのだろう。

オランダはこれで勝ってきた。2012年まで生産量は前年割れをし、卸売価格は小売価格に比べて割高な状況が続くと予測される。そのとき生産者や卸売市場は自分が良いから良いのではなく、仲卸や花束加工業者、小売など消費者に近いところ、まさに花き業界の「真実の瞬間(お客様と接する瞬間)」を持っている人が苦しんでいることを知っておかなければならない。そして商品に合った生産と取引方法を取らない限り、消費のパイを減じてしまうことになると知っておくべきだ。生産者と市場の人は必ず花を小売店で買おう。まずそこからだ。

投稿者 磯村信夫 : 2011年1月31日 00:00

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