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2011年5月16日

拈華微笑(ねんげみしょう)

震災後、2ヶ月経って花の良い話がたくさん出てきた。仙台では水も出なかったから、とあるお花屋さんは道行く人に「良かったらもらってください」と花をプレゼントした。水戸では7割以上の墓石が倒れて墓参りどころではなかったけれど、とあるお花屋さんは「花が大好きだというお客さんに、『結婚式もなくなったのでこれも持って行って下さい』と花を差し上げたら、どうしてもその分のお金も置いていくとお客さんは聞かないのです。そんなこんなで少し押し問答していくと、両方とも泣き出してしまい困ったことがありました。それも1人だけではなくて、何人ものお客さんが『花屋さんが開いていて良かった』、『買わせてもらえてありがたい』と涙ながらに言うのです」と話していた。また「謝恩会がなくなってそれ用に用意していた花がロスになりました。でも学校から『小額だけどいつもの予算より多めに持ってきてください』と卒業式用の花をプラスしてくれたこともありました」との話もあった。

皆さんもTVで東北の被災地でけなげに咲いたサクラの映像や皇后陛下が最後まで大切にお持ちになったラッパズイセンの花束、母の日に白いカーネーションを仮設テントの花屋さんで買う若い女性など、言葉にはできない胸のうちを花が伝えている映像をご覧になったことでしょう。

この間、初めて知ったのだが、このような逸話があり、それは仏教界で、特に禅では今でも伝承されているそうだ。それは"拈華微笑(ねんげみしょう)"という話だ。釈尊はいつものように講話をしていたとき、そこにあった金色の花"金波羅華(こんぱらげ)"を無言で手にかざした。大衆も弟子たちも怪訝そうな顔をしていたが、ただ一人迦葉(かしょう)はにっこり微笑んで、釈尊の心からの教えを心で受け止めた。薬師であれば本願が「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」と言葉にするが、無言での教えが花にはある。坐禅することをすすめる人が多いが、花はまさに座禅する「無」と一体化する。座禅しなくとも静かで穏やかな心を湧き出してくれる。

私は大森に住んでいるが、若いお父さんが上の子の手を、若いお母さんはベビーカーを押しながら駅ビルの花屋さんで花を選んでいる姿を週末によく目にする。確実に若い人たちの家庭に花が根付いてきていることを一個人として私は大変うれしく思っている。
"拈華微笑"。ハッとする虜になるほどの今の美をもたらしてくれる花は、誰もが忙しい現代の私たちの心にとって欠かせないものであると言えるだろう。

投稿者 磯村信夫 : 2011年5月16日 00:00

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