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2011年12月26日

2011年 プライスリーダーが一輪菊からバラに代わる

秋菊の電照とシェイドを行うことにより、一年中安定して白菊を供給できるようになってから40年が経つ。白菊の周年栽培が確立されてから、20世紀の間は件数が増えてきた葬儀に白菊が使われるようになり、菊の産地といえば長野と東北、そして沖縄を除いてどこでも周年白菊を生産するようになった。21世紀に入り、中国、韓国、マレーシアの白菊、台湾の黄菊は最初の10年で低価格の仕事花や仏花花束には欠かせないアイテムとなった。

だが、2010年の年末から一輪菊は需給バランスが崩れ始めた。今までの安定相場につられて物日になるといつも輸入品が増えて、平常の相場と変わらない商況展開となった。それが2011年一年続いた。

今日の12月26日セリを見ていると、最大の需要期においても人気度は一輪菊の分野では、ピンポン菊、アナスタシア、ついで神馬や精興の誠などの一輪菊である。葬儀や仏事で使われる一輪菊の需給バランスが崩れたということであろう。需要はしっかりあるのだが伸びはない。葬儀も仏花も季節の花が使われ始めていて、一輪菊は暫時減少しているということだ。

3.11以降、菊に代わって切花の相場を引き締めたり緩めたりしているのはバラの市況だ。バラがこの12月は堅調に推移している。ちょうど菊であればピンポン菊が年配の人よりむしろ若い人やお子さんに人気があるように、バラは万人受けするがとりわけ若い人たちに人気がある。こだわりもある。菊を買う、あるいは菊の花束を買う人たちは団塊の世代以上で、日本に平均的に住んでいる。しかし団塊ジュニアは道州制の中心地に住んでいることが多く、地域全体から見るとその中心部に重点的に住んでいる。週刊誌、月刊誌が売れる地域、ショッピングセンターだけでなくデパートも成り立っているところに団塊ジュニアの働く場所があり、多くいる都市である。ここは高齢者も多いが、若い人たちも多く、クリスマスも花が売れ、正月も花が売れる。クリスマスが売れるということは団塊ジュニアに支えられている花のマーケットを持つところである。

震災後、いち早く普通の相場に戻したのはバラであった。7月の梅雨明け後、真夏の相場を引っ張ったのもバラであった。そしてこのクリスマス、またこの暮れも同様である。もう20世紀で気を吐いた品目は成熟から衰退期に入り、新たな品種を導入し、絶えず変化を自ら遂げて消費者を飽きさせない品目が市況を引っ張っていっている。どこの花市場でも取り扱いが一番多い菊が相場を引っ張らない。一部の市場しかバラが相場を引っ張るというようなことはない。他は何となくズルズルと行ってしまう市況展開。この事実をどのようにマーケットメイクにつなげるのか、菊が物日に高くならなくなって2年目だが、2012年も混乱が続くものと思われる。何故か?産地は荷を散らすからだ。成熟した商品は散らしたらダメだ。投売りになって陳腐化してしまう。それでは産地は食っていけない。相場が跳ねない故に、どのように安定して使ってもらうか、それを一輪菊の産地と小菊の産地は考える。サプライチェーンで『実需者』と言われる特定顧客である買参人と話し合い、安定して使ってもらえるようにすることだ。日本ばら切花協会と花き輸出入協会はバラの的確な作柄状況を卸売会社に伝えるという新たな役割を担ってもらう必要があるだろう。中核的な市場へは必ず必要だ。

一輪菊、小菊とバラの産地は市況全体に及ぼす影響力の点において役割が変わったことを認識し、商品のライフサイクルに合った取組みをしていく必要がある。それが安定市況と所得の確保に結びつく。震災後の花き業界の主役は従来の菊や小菊ではなくバラになったことを認識する必要がある。

投稿者 磯村信夫 : 2011年12月26日 00:00

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