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2012年8月27日

国際化にあって小規模生産は間違いではない

 この夏、花き卸売市場化協会でフロリアードジャパンデー8月1日に参加する為、ツアーを組んでオランダに行った時の話だが、大変素晴らしい菊生産とバラ生産を見た。2つの農場は"良い物安く"を真正面から受け止め、国際競争の中で生き残っていくべく徹底的に設備投資を行い、現にアルスメール市場ではNo.1のアナスタシア(一輪菊)生産者であり、トップクラスの白バラ(アヴァランチェ)生産者である。

 オランダでは21世紀に入ってこの10年あまりで花の生産者数は半分になったが、トータルの生産面積は4%程伸びていると云う。いずれも大規模化した為だ。ケニア・エチオピアの農場は30ヘクタール単位だから、オランダでも5ヘクタールでは既に戦えない。それを10ヘクタールに近づけようとしている。農業というと何となく人心地が付いてのんびりではないが、人が本来持っているリズムで生産が出来るような気がする。日本でも現実はそんな甘いものではないのかもしれないが、オランダの花作りを見ていると必死に戦っている。真正面から国際競争の中で花作りの分野で生き残っていこうとしている。生産は科学的な合理的なものをベースにして、作る花のみファッション性や情緒性を持った"美"を作り上げてゆく。荷造りした花のみが何かほんのり暖かいものを感じるだけだ。あとは生産現場は※6Sが行き届いた静かな戦場だ。

 アメリカのワールドウォッチ研究所が世界の農場の考察を行っているが非常に大雑把だが、食糧まで含め農産物のほんの10%が大規模栽培、国際流通している農産物だそうだ。それ以外の9割は所謂地産地消で国内流通しているというよりも、むしろもっと狭い範囲の地域で生産消費されている小規模なものが世界の農業の実態だそうだ。穀類作り、生鮮食料品、花作り、畜産などのだいたいのものがそうである。1970年代、緑の革命によって地球上の食糧生産が軌道に乗り、食糧危機がなくなったように云われていたが、確かに成功したものの、それは灌漑、機械化、多収穫の品種、化学肥料農薬の4つをパッケージしたものでこれをやり得るのは一定規模の組織体だけで、彼らが行って成功した。しかし現実は特にアフリカでは女性が農業の担い手であることが多く、地球で都市に住む人口が半数以上となり90億人に向って人口が増え続けるとなると、もう一度零細な農家がより生産性を上げてゆくようにする必要がある。こう云った方向が農業問題の基本的な取組みであるとワールドウォッチ研究所はしている。日本の花作りはオランダの農家と比べてみて、規模は小さく品目や品種も絞りきれていない。それ故、高コストかもしれない。しかし、それで食べてゆけるのであればその方向性で努力して道を探るならば間違いではないと云い切ることが出来る。JA花き部会や専門組織部会、任意グループ、株式会社化等、日本の生き方は既に整っていると云って良い。

 作った農産物は、消費者に買ってもらうのだから前処理の徹底やコールドチェーン化が必要で、消費者の手元に渡った後の管理方法など業界を上げて取り組まなければいけないことも多くある。この点ではオランダに遅れをとっている。しかし生産や生産体系の在り様において小さいからいけないということはない。小さいから光るものを作らなければならないということはある。それは、今小売流通業界で云われているように、2008年のリーマンショック後と同じような消費環境にあるのではないかという危機感が日本の小売業者たちにあるからである。年収300万円未満の世帯が4分の1を上回り、国際的にも今後どう見ても景気は良くならない。その上消費税も上がるとなると消費者は無駄なことは出来ない。解決策は、昔からよく云われている通り、日本の財産は人材、人の質を武器に花き生産から流通販売(流通から花き販売)まで行わなければならないということである。特に一農家あたりは小規模な花き生産であるから、その分、自らの質を高めていかなければならない。デフレ圧力は今後ますます強まってゆくだろう。今まで新しいものだと感じていたものも、すぐに陳腐化して安くなってゆくだろう。こういう中にあって花き生産や流通で生き残ってゆくとなると、人の質の勝負と当たり前のことだがそう結論付ける。日本の花き生産、花き流通販売は"人間の質の勝負"となっているのである。


(※6S・・・ 整理 整頓 清掃 清潔 躾 作法)

投稿者 磯村信夫 : 11:50

2012年8月20日

「セリ機 2012年度セリシステム完成」

シャープは来月までにリストラ案を、まとめて復活の準備に入るという。液晶テレビがこんなに値段が安くなるとは思わなかったが、シャープの大型画面を大田花きはセリ時計に使った。

1990年、市場法ではセリ取引が中心でセリ前の取引を「引き荷」とか「先取り」と云っていた。バブル経済が崩壊し、荷物が余り気味になると、先取り価格は高値を付けていたが、1995年からセリの中値で良いということになった。そして、1999年セリ取引と同等の取引として相対取引が市場法によって認められた。委託品に対してセリと相対、それ以外の取引で契約取引である予約取引がある。セリ取引のウェイトは特に青果市場で下がり、花き市場でも中央市場を中心にセリ取引のシェアーが下がっていった。2004年卸売会社の買い付けが認められるようになり、普通の商売と同様、卸売会社は再販で利益が取れるようになり、青果市場を中心にますますセリ取引の比率が小さくなって行った。2009年の第9次卸売市場整備方針に於いて青果と魚を中心に中央中核市場の選定が行われると、花もその影響で地方の市場が荷揃えの為、中核的な市場をセリ前に利用し、自社の品揃えをするようになった。そうなると、ますますセリ以外の取引の比率が多くなる。
しかし、花は品種・等階級まで入れると15,000アイテムもの花々を一日で取引することになる。こんなに多種多様な花の価値基準はやはり大多数の人の意見集約であるセリに拠らなければならない。そのセリの値段を参考に生産者は出荷計画を立てるだけでなく、日々のセリ前取引である相対に於いても、セリ価格が欠かせない指標として用いられることとなる。
そこで花の場合、大田花きとなにわ花いちばのセリ場が切花の日本の指標を生み出す東西の市場として、日本の花き業界にとって欠かせない存在となっている。問題は放っておいたら衰退しそうなセリを活性化させなければならないという点である。そうでなければ指標にならない。

世の中の需要を背負った人達がセリに参加し、セリの相場形成されることが大切なのだ。量販店・花束加工業者・結婚式・葬儀の仕事花屋さん、この人達はセリ前取引を利用したがるが、極力セリでも買ってもらわなければならない。地方市場も同様である。セリに参加するのが東京・神奈川・首都圏の専門店だけではその時の需要に反映した相場ではない。全国の指標になる相場とは云えないのだ。なので、大田花きは、在宅セリを開発したし、今期在宅セリシステムとセリ場のシステムを同じものに揃えることにより使い勝手を良くし、セリの中で最もコストが高かったセリ表示盤を値段の下がってきた市販の液晶パネルを使って時計を表示することにして多大な設備投資を回避した。この様式であれば大型市場でなくても中規模な市場でも十分にペイラインに乗る。22年前、大田花きがコンピュータでセリをするようになり日本中至るところでセリ機を使ったコンピュータセリが誕生した。しかし、セリから相対が多くなり、セリ機を導入した市場は設備のリニューアルに頭を悩ませている。もう既に数社見学にいらっしゃっており、担当者から説明をしたが、是非ともセリのリニューアルと設備投資に悩んでいらっしゃる市場があったらどうぞお気軽に声をお掛け下さい。今までよりも安く、買参人にとっても良いシステムが誕生しました。そして共にセリの活性化に向けて、もう一度奮起しようではありませんか。時代と共に歩んでいくセリシステムが今日すべて完成しました。これで商売しようという気は更々ありません。沢山の来場と同業者からのお問い合わせをお待ちしております。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2012年8月13日

社会の勝利は一人一人の自尊・自立から

 盆休みの時間の使い方として、田舎に帰って墓参りという人たちが多いそうである。それに合わせて菊の相場が上がってきた。日本の素晴らしさは、信頼関係に基づいた人間関係である。オリンピックを見ても全員~や、チームプレイで泣き笑いした。「きずな」や「縁」の心は家族からチーム、会社、大きな社会まで広がっている。

 8月10日(金)の朝日新聞に社会疫学の第一人者、米ハーバード大学のイチロウ・カワチ教授の記事があった。「日本人はなぜ長寿なのか」日本は他国と比べ、塩分や酒も量も多い。働き過ぎだし、喫煙率も高い。それなのになぜ長寿なのか。お互い様、或いはお陰様の人に対する信頼関係やお互いに支えあっている気持ちが寿命に影響しているのではないか。全人的にその人を否定する、或いは人格を否定するということはない。確かに格差は広がっているが、それはグローバリゼーションであらゆる業種において競争が激しくなった為。日本での格差は他国に比べてあまりないが、仮にあったとしても、ストレスを和らげるお陰様やお互い様の社会文化があるのではないか。私はそう読んだ。

 世界保健機関(WHO)の2009年の調査だが、世界で自殺者が多い国は10万人当り、1位リトアニアの34.1人、2位韓国の31.0人、3位ロシアの30.1人、7位ハンガリーの24.6人、8位日本の24.4人だそうである。東京ではしょっちゅう人身事故で電車が止まるのでもっと多いと思っていたが、やはり「きずな」が日本全体では良き会社を作っていっているのだ。アメリカも韓国も大学進学率が大変高いが、格差社会を反映しているということであろう。とやかく言う資格はないが、両国は人を認め人格と能力とを分けて考える集団文化を作り上げていく必要があるのではないかと思う。さて、日本だが、今期のオリンピックでもチームのメンバーとして本人の実力以上の力を発揮し、チームが入賞したり、メダルを獲った種目も多い。日本人は実際個人技・ないし個人格闘技については強さがあり、一人の個人としての強さは世界でも際立った国民のうちの一つであると思うが、しかし日本人に言わせるとロシア・中国・アメリカに囲まれ国土も小さく、個人としても背も小さいと言って、個人としての強さを客観的に見ようとしないのは残念である。一個人のパフォーマンスも組織全体のパフォーマンスもいずれも掛け算で成果が出るわけだから、まず個人が強くないと運動にしても業績にしても成果は期待できない。それは、まず一人一人の個人が大切である。

 さて、業績と絆の話をもう少ししたい。2012年度の上場会社の第1四半期の結果が出揃ったが、本年1~3月期の前年比の伸びは失速し、前年をやや上回った程度のことだった。そしてそのレベルは、リーマンショック前のレベルより2割売上げが取扱いが少ない。花き業界はこの第1四半期、前年を上回ったところがある一方前年を落としたところも多くあり、全国の卸売会社の実績から推測するに、4~6月全体では震災のあった昨年と同額の取扱いであったが、6月の菊の超安値で菊を多く扱う卸売会社は前年比落ち込みは大きく、小売の業態で言えば、専門店大手と量販店が気を吐く一方、町の花店の落ち込みが大きくなっており、その格差は広がっている。

 先程、社会疫学の中で格差の話をしたが、仕事をしていく上で格差を跳ね除けるべく、事業体が小さければ「山椒でピリリと辛い」が必要で、小さい分だけ何かに秀でていなければならない、特徴がなければならない。少なくともそのお店の主人や従業員は事業規模の大きいところに負けないだけの優秀さを持っていなければならない。そうでないと、格差が広がるのは世の常だ。生鮮食料品花きの中で格差が最もついてしまったのが魚業界である。沿岸漁業者は魚資源が少なくなったり、消費者の魚離れで単価が下がったりした為に、2009年一世帯辺りの所得は251万円であった。これでは生活出来ないので、当然勤めたり副業をしたりする。花は元来、半農半漁の場所が産地であった。伊豆や千葉がその代表だ。もう一度、津波被害のあった三陸から伊豆まで、沿岸漁業者は花作りと兼業することによって生計を立ててもらいたいし、地域の農協は花作りの指導に手を貸すだろう。小面積だって花き部会で取り組めば、メダルだって取れる。JAや県が栽培指導してくれる理由は日本の少子高齢化でも花の消費は減り難いし、私自身は花を飾る場所が増えるから消費も増えると信じているからだ。このようにして、地域の一次産業を盛り立ててゆく。そして人との繋がりを大切にしていく。補助金や公共事業、新幹線に頼らなくても一人一人が地域で立派にやっていく。こうしたことが、生きがいを持った日本を作り出すことではないか。農業も漁業も、またフローリストも生涯現役でやっていける。こうすることによって生きがいを持った一次産業というものや花の小料理屋としての花き専門店が栄えていくのではないかと思う。補助金を当てにせず当たり前のことを当たり前にやって自分達の手で儲けて格差社会を無くして行く。これを花き業界でも実現ししてゆく。

投稿者 磯村信夫 : 15:32

2012年8月 6日

支出ではなく投資です

 先週は8月1日のフロリアードジャパンデーに合わせて、花き市場協会でツアーを組んで行って来た。オランダは、デンマークと同様、自尊自立の寛容の国で日本と価値観が合う国である。デンマークやオランダはかつては広い領土や植民地を運営していたが、その運営の仕方は日本と同様、同化でなく、自尊自立を以ってその民族が良い暮らしが出来るような施策を取ってきた。領土が狭くなって自国のみとなった現在でも早期教育に力を注ぎ、国民としての自尊自立の精神を植え付けている。

 フロリアードに行くまでに市場や産地を見てきた。オランダ市場の収入は日本とは違い、販売手数料だけでなく、固定手数料の収入もあることを説明した。例えば販売手数料の収入が3%とした時は、相場によって収入額は変動するが、バケツ貸し賃、台車貸し賃、また輸入品の場合、水揚げ代金も定価であり、相場の高い安いにかかわらず収入が安定化している。相場が安いバカンスシーズンの時など日本の手数料と同じように換算したら農家が市場に払う手数料率が15%になっていたり、値段の安いソリダコなどでは7月下旬では40%という換算になってしまう。卸売市場からしたら、大変合理的な料金設定だが、生産者にとっては大変だと思う。

 8月1日のジャパンデーにオランダの花き業界の主要メンバーとジャパンデーに参加した日本の花き業界、植木業界の方々との意見交換会があった。通訳を付けてもらってなので、時間の関係からディスカッションをするまで至らなかったが貴重な意見を聞けた。まず一つ目はグリーンシティーに対しての意見。落ち葉の清掃が必要だったり剪定が必要だったり、とかくこれを経費とのみ決め付けてしまわずに投資として見てもらいたい。落葉樹のあるところには、ファッション性がありそこの商業地価は上る。木々や花壇は環境を良くし住宅地としての地価も上がる。なので投資と考えてもらいたい。グリーンシティーは経費でなく投資。人の生活を経済活動を含め豊かなものにしてくれるのである。二つ目は花の輸出入のこと。日本とオランダは新しい花のトレンドを生み出している。高い品質を誇るのは2国が共通していることだが、世界に眼を向け輸出をしていく農業のオランダは価格競争力をつけることを重要な要素と見ている。選択と集中でどういうものを大規模に作って1本辺りのコストを落とすか、設備投資を惜しまない。一方日本は日本国民だけに花を売ろうとしてきたから細かいところまで神経が行き届いて、こういった細かいところの差異で優劣が付くので良く手の入った完璧な物を生産している。そうなると、当然コストが高くなり、生産量は多くはない。この価格という三つ目が輸出競争力があるかどうかが問われる重要なポイントである。今後日本もまず2割くらいは輸出をしていく必要があると思われる。そうなると、価格が高くても違いがわかる一目瞭然の品目や品種、形状の物を集中して一定規模で作っていく必要があるのである。どのようにコストを抑えて新しく上質な花を作っていくか、日本に欠けているのはコスト低減についての執念だ。車産業を見習って、車はコストの中で人件費は15%しかないのに徹底的に作る人の能力開発をしている。日本の花作りはコストの50%以上が人件費に含まれているというのに、ここにコスト低減生産性アップの取組みがなされていない。日本の一番大きな問題はコスト意識。共にコスト計算をきちっとして生産流通に取り組もうではないか。

投稿者 磯村信夫 : 15:11

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