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2014年10月27日

横浜に似合う花

 横浜の大桟橋で行われた、創業125年の横浜花松さん主催・フラワーデザイン発表会へ足を運んだ。大桟橋の橋のふもとにはシルクセンターがあり、明治時代から絹を輸出していた歴史的な建物がある。その前にはユリの碑があって、生糸と同じように、鉄砲百合・カノコユリの球根を欧米に輸出し外貨を稼いでいた。鹿児島の沖永良部島は、花松さんの歴史と同じく、球根の輸出を始めてもう120年以上経つ。また、ユリの輸出を手掛け、ヨーロッパ、アメリカから種苗を導入して来たのが、横浜の(株)新井清太郎商店や、横浜植木(株)等である。(株)サカタのタネとともに、この二社は現在に至るまで、日本の花き園芸に貢献している。この大桟橋でフラワーデザインの発表会をすることは、江戸時代の園芸とまさに明治から始まった西洋の園芸のハイブリットの地・横浜にふさわしいものだろう。

 横浜の地は不平等条約で、治外法権の居留地であった。そこでは、イギリスやフランス、アメリカの商館や住宅地に庭園が造られ、富岡や鶴見の農家の方たちが庭師として働いた。東京であれば、三田の育種所から大森、山王、荏原にかけて、カスミソウやシクラメン等、当時はまだ目新しい花々が導入された。それと同時に、横浜の園丁たちが自分でも花を作り、切花や鉢物にして出荷していった。そうして、横浜は洋花の一大花き産地となったのである。また、バラを横浜の地に導入し、ガーデン・切花とも着手したのは、自由民主党・フラワー産業議連の顧問、山東昭子先生の曽祖父様だ。

 花松さんのフラワーデザインの他に、新しい横浜の顔・みなとみらいのクイーンズスクエアで、JFTD神奈川支部の花の祭典が行われていた。こちらも素晴らしい力作ぞろいで通行人の足を止めさせていたし、このイベントを目的に来場している方も多かった。横浜は、ウォーターフロントとしての一面と、桜木町、伊勢佐木町から野毛にかけての港町としての一面がある。港町の顔としての都橋周辺では、夜の街に向けて花の需要が盛んであったが、今はその需要は往事の三分の一にも満たないという。花の使われ方は、港・横浜も確実に家庭需要中心になっている。

 新しく綺麗になったハマのウォーターフロントでは、切花・鉢物とも必要不可欠である。しかし、人の生活の匂いのする街や、まさに家庭の中では、花はどのように生活を支えるのか。そこを見出して花を提案し、花のサプライチェーンを再構築していく必要性を横浜で強く感じた。野毛にある私の好きな店では、いつも綺麗に赤バラを飾ってある。こういう装いがこの街に合う。是非とも、その地に合った街や生活のシーンに似合う花を確実に提案し、流通させることが必要だと感じて帰ってきた。

投稿者 磯村信夫 : 2014年10月27日 16:48

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