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2015年5月25日

花きは人を喜ばせることが自分の使命だと思って生まれてきている

 朝、家を出てくる時に靴箱を見たら、20年以上も前にロンドンで買ったウィングチップが目に留まった。このウィングチップを買ったのは、1992年、オランダのズータメア国際園芸博覧会を見学した後、ロンドンのキュー王立植物園に行った帰りの時だった。

 その旅で記憶に残っているのは、博覧会よりもウエストランドの友人宅で私が友人達に悩みを話した時のことだ。1990年、大田花きで日本初のセリ機を導入し、苦労に苦労を重ねてやっと成功してから1年余りが経過し、私の中では一つの疑問というか、悩みが生まれていた。それは、花き業界は人を幸せにする良い仕事であるとはいえ、切花であれば根から切り離し、鉢物であればもっと根を張りたいだろうに狭い鉢に押し込めて、人間の持っている黄金律でバランスを整え、花を咲かせる。この人の業のような商売が、人を幸せにする商売なのに、何か悪いことをしているような感じで耐え切れなくなったのだ。今思うと私は身勝手で傲慢だったと思う。昔風に言えば、そのことにノイローゼぎみになっていた。
 
 友人宅での話し合いの中で、今では日本語に翻訳されている『植物の神秘生活』という本を友人が紹介してくれた。その内容は、植物は、王様やお妃様に仕える忠誠心を持った家臣のような気持ちで、安らかに食べられていく、飾られていくというものだ。その後勉強した他の本では、1960年代、アメリカの嘘発見器の専門家バクスターがドラセナに電極を差し込んだ際、植物には身を守る機能、心地よいと感じる機能等、人間でいえば気持ちのようなものが、神経系統のようなメカニズムの中に入っていることを発見した。こういった研究成果が記載されており、友人達とのディスカッションや、そういった事例が私を納得させてくれた。その翌日、キュー王立植物園へ関係する文献を見に行き、人の生活に欠かせない植物の感情とも云えるものを学ぶことで、この仕事を続けようと決心することが出来た。

 お花屋さんが、切花や鉢物の育て方をお客様に教える際、植物が生き物であることを、あたかも身体の中に心があるように接することを伝えてもらいたい。現に科学でそのように解釈出来る証拠がある。

 現在、大田花きでは鮮度保持物流の為、物流棟を建てようとしている。敷地には大田市場が始まって以来25年間、一緒に生活をしてきた木々があったが、それを伐採して建てざるを得なかった。彼ら(もしくは彼女たちか)の役目、すなわち、植物は半年で地球の空気を換え、また、緑があるだけで、人間は勿論の事、多様な生物が生を享受している。地球に、地球上の生物に生命を与えている彼らの役目を一つの意思と捉え、短命であった分、大田花きが取り扱う花を鮮度保持流通で長生きしてもらうようにする。それが、伐採してしまった花きたちに報いるせめてものことだと考えている。

 我々は、人が喜ぶからといって観賞用の花や花木を作ってきた。その中で、いつの間にか我々が商いをしている花きを、自分の都合・不都合からしか見なかったり、お金としてしか見ない人がいる。クリスマスの後、まだまだ元気なポインセチアを外に出してしまうのは本当に心が痛む。しかし、そのままだと生活にメリハリがたたないのだ。少なくとも、切花も鉢物も、飾って終わった後や、新しいものに入れ替える時、何かきちんとした弔い方をしなければならない。また、流通過程で出荷できなかったものや、小売店で売れなくて廃棄せざるを得なかった花きの取り扱いを、花供養だけではなく、実際の現場できちんと弔う。可能なら飾って鑑賞してもらいたい。会社に向かう車の中でそんなことを考えながら運転してきた。

※お知らせ
次回以降の社長のコラムですが、しばらく休載させて頂きます。

投稿者 磯村信夫 : 2015年5月25日 14:10

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