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2016年4月25日

総会前に役員人事制度を考える

今週末からGWが始まる為、入荷が増えてきている。今日の荷姿は、母の日の準備と結婚式用の花々が多かった。以前よりはGW中に結婚する人が増えてはいるが、それでも、GW中の結婚式を避ける風潮がまだある。だから今週末に挙げてしまおうとしているのだろう。

 セブン&アイ・ホールディングスの役員人事の記事が、ここ2週間、日本経済新聞を中心に詳しく報じられている。本日は、小生の会社役員の人事に関する考えをお話ししたい。1994年、先代の社長・磯村民夫から指名を受けて、株主総会で取締役の承認、その後の取締役会で代表取締役社長となって半年経った頃、このままでは会社が危ないと思った。社長である小生が、嘗ての三越の岡田社長や、伊勢丹の4代目小菅社長のようになってしまう可能性があったからだ。小生が大田花きの前身である大森園芸に入社した1970年代、都内では中堅よりも少し上で、取扱高は東京で4、5番目であった。それを色々な改革をしながら、大田市場に入場する前には、都内では圧倒的1位、日本でも、既に合併会社になっていた大阪の2社に次ぐ3位の実績まで伸ばした。当時は業界ごとの利益番付が公表されていたが、そこでも断トツ1位を花き業界では誇っていた。そういった実績を引き下げて、しかも大田花きの株式の三分の一を保有していたのだから、磯村家の長男である小生は、裸の王様になっていく可能性は十分にあると、社長になって空恐ろしくなったのだ。そこで、大田花きでは、アングロサクソン系のヨーロッパやアメリカのシステムを導入し、非常勤の経営者たちに、あるいは、経営経験者たちに取締役になってもらった。そこで指名委員会、報酬委員会、監査委員会を構成し、取締役が会社を経営する。そして、取締役の命を受けた執行役がその下に属し、執行役が使命を果たせない場合には、いつでも解職にすることが出来るようにした。また、執行役と取締役を兼ねているのは一人で、それが小生だ。取締役会会長で、執行役会の代表者でもある。この小生を「機関」として、会社の為に正しく意思決定をしたり、行動していないなら、辞めさせることが出来るシステムが出来上がった。

 今回、セブン&アイ・ホールディングスの子会社であるセブン-イレブンの社長選任について、指名・報酬委員会の多数決で、鈴木会長の意見が通らなかったそうだ。しかし、それが決まった時に会長を辞任されるというのは、大田花きの組織運営から考えると、解せないことである。卸売市場業界は、出荷者にしても、買い手にしても、メンバーが決まっていることが多い。従って、政治家と同じように同族の人が後を継ぐことになりがちだ。その時にしてはならないのは、その役割を「身分」として捉えてしまうことだ。指名・報酬・監査の三つの機能を、同族の手の届かない所に置き、その意思決定に仕えることを前提に、会社運営をしなければならない。日本人の素晴らしさは、血がつながっていない他人を信ずる文化である。

 今、卸売市場や仲卸で、その会社の役員が役割としてではなく、身分として振る舞う人が少なからずいる。ここにも、古い日本を引きずった花き流通業界のマイナスに陥りやすい点がある。役職者は、とりわけ取締役は、「自分の役割は機関だ」ということを徹底して欲しい。「会社は社員のもの、次いで株主のもの」。こう言えるのではないかと思う。このための組織が大田花きの組織である。一方で、変化が激しくスピードが求められる今日、執行役の中でも代表執行役は、一人で執行役会の決議を経なくても意思決定・実行が出来るようにしなければ、ビジネスチャンスを逃してしまう。ワンマン経営でなければ、実際に業績を伸ばしていくのは無理だ。その為にも、代表執行役を解職に出来る社外取締役が過半数を占める取締役会が大切だと思う次第である。この視点で、もう一度セブン&アイ・ホールディングスの人事を勉強し、また、自社の役員の人事政策に役立ててもらいたい。

投稿者 磯村信夫 : 18:10

2016年4月18日

母の日までの新たな取り組み

 今朝、会社のパソコンを立ち上げると、海外の友人から熊本の大震災に対するお見舞いメールがいくつも入っていた。ここ20年で、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災があり、同業の卸売市場や仲卸、生産者や小売店に多大な影響を及ぼした。建物の被害だけでなく、震災がきっかけとなって資金繰りが悪化したり、取引先が細って倒産したり、廃業したりしたところが少なからずある。これまでもそうならないよう助力してきたつもりだが、今回は今までの経験を更に生かして、復興を助力していきたい。被害の全容はまだ分からないが、母の日に向けて出荷と販売が例年通り出来るようにしたい。そう友人達に返信した。

 昨日は父・民夫の23回忌で、本当に近しい人達に集まってもらった。先週、死について小生の考えをお伝えしたが、死には「個人の死」と「絆の死」がある。シニアの中年組である70歳代以上の方には、参加について無理をしないようにしてもらったが、50歳代からもっと若い曾孫にあたる人達には、出来るだけ参列してもらった。これが「絆の死」、「つながりの死」であり、法事を行う意味でもある。
 
 父といえば、アサヒビールのスーパードライを思い出す。1980年代、アサヒビールの国内シェアは10%を切るか切らないかという時代で、向島の本社からお昼休み等で社員が外に出る時、アサヒビールの社員であることが恥ずかしいと、会社の社章を外して外に出る位、社格が落ちに落ちた時があった。そこから、戦後の財閥解体前の、日本を代表する良い会社であった大日本麦酒の勢いを取り戻そうと、アサヒ生ビールで勝負に出た。そして、住友銀行から来て社長に就任した樋口廣太郎が、「鮮度が大切だ」と一定期間経った生ビールを処分させたのである。このこだわり、また、消費者は嘘をつかないという、消費者を信ずるアサヒビールの姿勢に、亡き父はいたく感心し、スーパードライばかり飲んでいた。社会人になって少しモノが見えてきた小生が「目隠しして飲んだら、どこのビールも一緒じゃないか」と言ったら、父は「そんなことはない。人は味が分かるのだ」と、こっぴどく叱られた。鮮度のこと、味の違いはその当時の小生には分からなかったが、関東で住友系のアサヒビールにあれだけ肩入れしていたのは、会社としてのアサヒビールの素晴らしさを想ってのことだろう。後になってそう思うようになった。そのアサヒビールで、献杯をした。

 法要が終わり、小生と同じ歳のご住職が「月日が経つのは早いものです。80歳にとって一年は1/80。60歳にとっては1/60、30歳にとっては1/30です」とおっしゃった。確かに、歳を取って一年は早く感じると、その時は得心した。しかし家に帰ってから「いや、時間は平等の筈ではないか」と疑問に感じた。歳を取っても、一日をしっかり刻んで生きて仕事をしているのであれば、惰性ではなく、新しいことをやっていけば、会社だけでなく、何歳になっても一個人としても成長できるし、その一年は十二分に長い一年になる。亡くなってから、その人の年月は悠久に入る。長かったり、あっという間だったりするのであろう。しかし、生きている個人の一日というのは、歳に関わらず、欠かせない一日であり、また、一年である。花き業界にとって今一番しなければならないのは、熊本・大分・九州地域のお取引先の元気な復興を願い、手伝う算段だ。まずは母の日を目がけてやっていこうではないか。

投稿者 磯村信夫 : 12:51

2016年4月11日

自分の死も歴史だ

 9日の土曜日、菩提寺のご子息の結婚式に妻と出席した。世事の慣例で不可欠なところはきちんと行い、それ以外はいたってお客様本位の、実にストレスの少ない披露宴であった。少子高齢化で、お寺さんも旅館と同様、ますます奥さんの役割が繁盛の度合いを決めるなと、つくづく感じたものである。おめでたい宴の最中ではあったが、こんなにお寺さんが我々檀家のことを考えてくれているのに、坊主丸儲けではないが、お寺さんのことを悪く言ったり、時に無視したり、また、自分の死を私物化したりする人がいることに、自分が腹を立てていることに気が付いた。花の仕事をしているから、葬儀にもっと花を使ってもらいたいというのではない。これでは駄目だと思うのが、「灰を何所どこに撒いて欲しい」だとか、「何も残さなくていい、お墓は要らない」等、"自分の死の私物化"をするような現代の風潮だ。

 我々人間は、先祖から時系列で繋がっている。後世の人間は、自分が先祖より受け継いでこの世にいることを感じ、どんな先祖であったのか、きっと知りたいと思う。死は文化遺産で、お墓の横の墓標を見ていると、今、自分がこの世に在ることの重みを感じる。かつては、人生の通過儀礼の中で、結婚式だけが自分の意思で作り上げることが出来た。しかし今は、自分の死、葬儀や埋葬ですら、それが出来るようになっている。ただ単に経済的理由から自分の死を私物化してしまい、まさに大気のチリに戻ってしまうことを選ぶ人もいる。しかし、それはしてはならぬことだと小生は思う。私にとって、今生きている歴史的な意味を感じとり、叱咤激励と感謝の気持ちを素直に表すことが出来るのは、亡き父母、養父母、そして、祖父母へ手を合わせて向き合った時である。

 宗教には見えないような宗教で、日本人の血の中にある神道がベースにあるから、死を取り扱う葬儀社は、ついこないだまで一般的に決してなりたい職業ではなかった。しかし、高齢化社会と共に死亡者数が増え、しかも病院で亡くなることが多いので、「死」についての重みが日常生活では殆ど感じなくなった。すると、社会的ニーズが高まってきた葬儀社の役割が益々必要になり、多様化と共に葬儀のやり方も増え、予算に応じていくつものオプションが準備された。そのような状況の中から、お金がかからない葬儀の有り様の一つに、亡くなる人が自分の死を私物化する簡便な方式と、自分がこの世に存在した痕跡すら残さない、墓標なしの在り方が提案されるようになった。

 親子間にしても、夫婦間、兄弟間にしても、そして、友人間にしても、自分が構成されているいくつものものが、自分以外の人達から移植されたもので成り立っていることを、みんなはいつ思い浮かべ、感謝の気持ちを持つのであろうか。忙しい現代では、せめてお彼岸やお盆の時だけでもそれを亡き人たちに伝え、今生きていることを感謝したい。現に文化としての「お墓に行く」という強制力、「仏壇の前で拝む」という強制力なくして、いつそのようなことを想うのか。忙しくなった現代人であればあるほど、死を私物化してはならないと思った次第である。

投稿者 磯村信夫 : 13:23

2016年4月 4日

新年度でお伝えしたい二つのこと

 新年度に入り、昨年度とは違う状況になっていることを二つお伝えしたい。一つは、一輪菊の中でもピンポン菊やアナスターシア、あるいは、畑で咲かせた一輪菊、通称"ブルームマム"が一定のポジションをとり需要が高まってきたことだ。ダリアや大輪のカーネーションとも良く合うこれらを、既に世界標準となっている「ディスバット菊」として統計処理することとなった。特に、若い人たちの需要が期待できると思われる。

 そしてもう一つ、切花の生産が増えず、一年を通じて平均単価が高くなっている。そんな中で、仏花を中心とした花束加工業者の人に素材の組み合わせの提案をしたい。同じ花束でも、専門店が販売する花束は短めのものが多く、上から見て「何て綺麗なんだろう」と、思わず手にとりたくなるブーケが多い。一方、仏花は、関西仏花を除いて、一定の丈の長さがある花束を、消費者は「何本入っているのか」と根元をチェックして、本数で買っている。このタイプの花束は、高値が続くと採算が悪化してしまう。天候によっては、今年も高値が続くかもしれない。それでは商売にならないので、もう一度スプレータイプの花を中心に、あるいは、枝をかいて、それを1本と見立ててでも花束を作って販売してほしい。手本は専門店のお花屋さんが作る花束である。上から見た美しさで販売するには、本数よりもボリューム重視だ。昨年の11月から今年の1月まで、花の単価は安かった。そういった時には、量を多く一束に入れられる。しかし、高値になった時は、束をキツく集めず、ふんわりと結束してボリューム感を出していく。こうしながら、消費者の期待を裏切らないようにしてもらいたい。

PS;
 毎週火土は朝の4時過ぎに家を出て、40分程かけて歩いて通勤しようと思っている。このごろ夜が明けるのも早くなったためか、今月は今日で2回、「源ちゃん」が目を覚ましていて、無言だがお互い会釈の挨拶をした。

 どんなつらいことがあったんだろうか。僕が知っている限り、源ちゃんは火曜日と土曜日には僕の通勤路の環七脇の道を寝場所にしている。他の曜日は会ったことがないから、きっと違うところに寝に行っているんだろう。今の車は5年目で、ホンダライフのちっちゃなやつだ。僕と知り合いになってからもう15年以上。源チャンの車は3台目、いずれも古い中古車で、しかもだんだん小さくなって来た。

 源ちゃんはこんな小さな軽の車の中で、身体を伸ばせないのにエコノミック症候群にならずに寝ている。僕は勝手に思っている。すごくつらいことがあったから、ここでも寝れるんだ。

 今朝も源ちゃんは寝起きでまだぼーとしていたが、僕が会釈すると会釈をし返した。何でか分からないが、何か人生っていいなあとお互い思って一日が始まった。僕の勝手な想像じゃない。僕たちは、お互い代わり映えしないけど「今日もよい一日が始まるね」と挨拶したんだ。
    

投稿者 磯村信夫 : 10:56

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