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2016年4月18日

母の日までの新たな取り組み

 今朝、会社のパソコンを立ち上げると、海外の友人から熊本の大震災に対するお見舞いメールがいくつも入っていた。ここ20年で、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災があり、同業の卸売市場や仲卸、生産者や小売店に多大な影響を及ぼした。建物の被害だけでなく、震災がきっかけとなって資金繰りが悪化したり、取引先が細って倒産したり、廃業したりしたところが少なからずある。これまでもそうならないよう助力してきたつもりだが、今回は今までの経験を更に生かして、復興を助力していきたい。被害の全容はまだ分からないが、母の日に向けて出荷と販売が例年通り出来るようにしたい。そう友人達に返信した。

 昨日は父・民夫の23回忌で、本当に近しい人達に集まってもらった。先週、死について小生の考えをお伝えしたが、死には「個人の死」と「絆の死」がある。シニアの中年組である70歳代以上の方には、参加について無理をしないようにしてもらったが、50歳代からもっと若い曾孫にあたる人達には、出来るだけ参列してもらった。これが「絆の死」、「つながりの死」であり、法事を行う意味でもある。
 
 父といえば、アサヒビールのスーパードライを思い出す。1980年代、アサヒビールの国内シェアは10%を切るか切らないかという時代で、向島の本社からお昼休み等で社員が外に出る時、アサヒビールの社員であることが恥ずかしいと、会社の社章を外して外に出る位、社格が落ちに落ちた時があった。そこから、戦後の財閥解体前の、日本を代表する良い会社であった大日本麦酒の勢いを取り戻そうと、アサヒ生ビールで勝負に出た。そして、住友銀行から来て社長に就任した樋口廣太郎が、「鮮度が大切だ」と一定期間経った生ビールを処分させたのである。このこだわり、また、消費者は嘘をつかないという、消費者を信ずるアサヒビールの姿勢に、亡き父はいたく感心し、スーパードライばかり飲んでいた。社会人になって少しモノが見えてきた小生が「目隠しして飲んだら、どこのビールも一緒じゃないか」と言ったら、父は「そんなことはない。人は味が分かるのだ」と、こっぴどく叱られた。鮮度のこと、味の違いはその当時の小生には分からなかったが、関東で住友系のアサヒビールにあれだけ肩入れしていたのは、会社としてのアサヒビールの素晴らしさを想ってのことだろう。後になってそう思うようになった。そのアサヒビールで、献杯をした。

 法要が終わり、小生と同じ歳のご住職が「月日が経つのは早いものです。80歳にとって一年は1/80。60歳にとっては1/60、30歳にとっては1/30です」とおっしゃった。確かに、歳を取って一年は早く感じると、その時は得心した。しかし家に帰ってから「いや、時間は平等の筈ではないか」と疑問に感じた。歳を取っても、一日をしっかり刻んで生きて仕事をしているのであれば、惰性ではなく、新しいことをやっていけば、会社だけでなく、何歳になっても一個人としても成長できるし、その一年は十二分に長い一年になる。亡くなってから、その人の年月は悠久に入る。長かったり、あっという間だったりするのであろう。しかし、生きている個人の一日というのは、歳に関わらず、欠かせない一日であり、また、一年である。花き業界にとって今一番しなければならないのは、熊本・大分・九州地域のお取引先の元気な復興を願い、手伝う算段だ。まずは母の日を目がけてやっていこうではないか。

投稿者 磯村信夫 : 2016年4月18日 12:51

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