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2016年7月25日

ポスト・グローバリズム

 夜間、作業をしている社員によると、大田市場花き部にも、どこからか車が何台もやって来て、日本でも配信が始まった「ポケモンGO」でポケモンを探している人達がいたという。これはグローバリゼーションの一つだが、明らかに、ポスト・グローバリズムである「民族国家主義」の時代が始まっている。その対応をどうすれば良いのか、外交も経済も困惑している。新しい時代の秩序を作っていく段階に入っているのだ。

 花き卸売市場では、出荷量が少なくなり、また、延べ買参人数(花屋さんの一月でのトータル買い出し回数)も、葬儀の縮小や不要不急の消費を手控える個人消費不振で減っている為、第一四半期の4月~6月の売上も減ってしまったと見るのが一般的なところである。この個人消費の不振は、当然、世界経済の影響を受けたものだ。昨日、中国の四川省・成都で開催された20か国財務大臣・中央銀行総裁会会議では、"全体で協力しよう"という文言だけでなく、"個別にも政策を進めていこう"と、全体と個が並列されたメッセージを打ち出していた。また、ラオスのASEAN会議では、ASEANとして南シナ海問題で中国政府の主権と開発を否定したオランダのハーグ仲裁裁判所の判決を支持し、「中国NO!」という声明を出すことが出来なかった。これらは、イギリスのEU離脱で時代が「民族国家主義」に戻り、そこから新たな秩序を作っていこうとする文脈が顕在化したとみるべきであろうと判断される。

 2008年のリーマンショックの際、経済の拡大はグローバリゼーションによって進んだが、破局した経済の立て直しは、結局、全て各国の能力に委ねられた。このことから、グローバリゼーションは必ずしもその国の国民を幸せにするのではない、ということが明確になった。それは、EUのギリシャに対する裁定をみても分かる通りである。さらに、グローバル化を進めることが、必ずしも政治的に安定することではないことは、今月行われた参院選において、TPP問題に関心が高い東北で、秋田県を除き自民党が敗れたことでも分かるだろう。

 一民族一国家であればその国が安定することを、「エスニック・ナショナリズム」という。ロシアとウクライナの問題や、その前のユーゴスラビア連邦の崩壊をみれば、そのことが頷けるだろう。これを前提に、経済をグローバル化させることが必要だ。今起きているドル安・元安、ポンド安・ユーロ安、結局円高の通貨安競争ではない。その国の安定を第一にした経済のグローバル化だ。それが、その国の政治の安定化に繋がる。世界は民族国家と国際経済の問題を明確に分け、新しい秩序を作っていく段階に入った。これが不透明なので、投資や消費が手控えられている。

 今、花き業界では、どう輸出を増やしていくかを検討している。世界から言えば、三周遅れどころか五周遅れかもしれない。しかし、将来に向けてやっておかねばならないことである。インバウンドの需要をしっかり満たす観光産業と農林水産業、地元の生鮮食料品花き業界、そして、これらの輸出は、新しい時代に入った日本の証として、我々が注力しなければならない事業である。

投稿者 磯村信夫 : 14:54

2016年7月18日

『言ってはいけない』一極集中の魚市場と青果市場

 この夏は、地方分権が機能していた江戸時代のことを勉強している。なぜなら、花は文化の産物であり、江戸時代の旧藩によって現在の花の使われ方も違うからだ。従って、その地域に根ざした専門店や花市場が必要だと小生は思っている。江戸時代、幕府の本拠地・江戸の周りには小藩や天領地が多く、反対に、江戸から遠く離れた場所に大きな藩が多かった。幕府は参勤交代などをさせて藩の蓄えを消耗させたが、一方で、独自の通貨を作ることを許可する等、幕府から権限移譲された藩により、それぞれの地域が活性化してきたわけだ。たとえ商い額が多くなくとも、地域の花市場が活躍する手立てとしては、数年前は政党・日本維新の会が唱える「道州制」のような、少子高齢化の中でも地域の中で地産・地消を中心に花き生産と流通が行われれば良いと考えていた。しかし、「道州制」は実現しそうにない。

 総務省が発表した2015年の人口動態でも明らかなように、生産年齢人口は全体の約60%になり、今後も減っていく。そんな中、2015年は日本人の個人消費のマイナス分を、インバウンド消費が補う形となった。来日する観光客は地方都市にも広がり、観光が重要な産業だとクローズアップされるようになった。観光はいつも地元の文化や農産物を大変高く評価するから、観光立国になるということは、その地域の文化が伝承されることであり、花きでは、その地域の生産者と専門店との仲介役の花市場がますます重要となるということだ。県に一つ、或いは、文化圏が違えば県に二つの花市場が必要だが、今のところは地産・地消に価値がある観光産業が拠り所である。しかし、現実は地元の花き消費+観光業の反映だけで持ちこたえることが出来るとは思わない。今、新刊でベストセラーとなっている『言ってはいけない 残酷すぎる真実(橘玲氏著・新潮新書)』ではないが、時代の流れはこのようになっている。(一社)日本花き卸売市場協会としては、これに逆らい流れを変えたいのだ。

 日本は成熟社会として、少量多品種の生産・消費となっている。それを評価する人達は、一定の知識水準が必要だ。事実として、知力は所得に相関するから、知識の高い人たちが多くいる所が、少量多品種の商品を生み出し、消費する地域となる。大学がその地域にいくつ位あるか。また、知識産業がその地域にどの位あるか。これらによって、その地域が活性化するのだ。また、2015年の人口動態で明確になったことだが、若い女性が都市部に流出している。日本はG7の中で女性の社会進出が少ない国だ。人手不足の中で若い女性たちが社会進出しようとすると、東北であれば仙台へ、九州であれば福岡へ、東京圏や大阪圏へと移住することとなる。

 グローバリゼーションの中で、青果卸売市場の活性化をみていると、例えば、トマトを出荷するにしても、多種多様なトマトが存在する。昔のように「桃太郎」一辺倒ではないのだ。これを適切に評価できる市場、また、多種多様な品種を量的にも扱える青果市場は何所か。運転手不足の中、コストを落とす為にも出荷先を絞りたい。食は文化なので、魚市場まで含めると、現在の日本では、東京・大阪のその中でも、大田・築地・大阪の本所に集中する流れが止まらない。この格差事実を「言ってはいけない」ことだとは言わずに直視し、その上で、手が打てるものなら打とうと考えることだ。

 例えば、秋田は人口が減っている。また、農家は米作中心だが、米の消費も少なくなっている。しかし、世界に目をやれば、知力で新しいモノやコトを作り出すことが出来る。花き業界の成功例で言えば、知力と技術、感性を高めて勝負した物が「ダリア」であり、これに続けと夏に花持ちの良い花を取り入れて進もうとしている。また、秋田は日本で一番、人口当たりの美容院が多い県で、お洒落な生活をエンジョイしようとする県民性がある。さらに、秋田の子どもたちの頭が良いのは有名だ。秋田県には日本で一番優秀な大学と評判の大学もある。人口が少なくなることを嘆いてばかりはいられない。知的レベルを上げて、そして、若い女性が十分活躍できる職場を用意し、その地域の文化を継承しながら生きていく。秋田の日本酒業界を見よ。秋田の花き業界を見よ。人口減の日本で、頭が良い努力家でスマートな秋田を、地域活性化の手本にしたい。

投稿者 磯村信夫 : 15:52

2016年7月11日

鮮度保持投資はペイする

 台風1号の余波もあってか、集中豪雨となったり、梅雨の晴れ間で真夏日となったり、とにかく、ムシムシして堪らない。大田花きでは、バケツの水を綺麗にしておくのに切花鮮度保持剤を使用したり、バケツの内側をごしごし洗う等、基本を忘れずに作業を行っている。この手間は当然のことながら大変だ。水バケツを使っている世界の花き業界では、大変大きな投資をしてバケツの洗浄を行い、また、使用の際には、水+クリザール等の専門溶液を入れている。

 流通している水バケツやソフトバケツに触ってみると、日本では低温流通が行き届いていない為、水温は生ぬるい。また、朝早くセリ前取引されたバラ等の切前を見ていると、定温庫にいれておけばまだしも、そうでないものは、お店で販売するのにはちょうど良い切前まで咲いていて、これからこれをセリにかけるとなると「ちょっと咲き過ぎだなぁ」と思う物が多くある。どうすれば良いか。まず、低温輸送がどうしても必要だ。低温でないなら、むしろ乾式が良い。その方が、花が咲いてこないからだ。こう仲卸さんたちに指導している。

 大田花きでは、低温物流を行うための花ステーションを二年間かけて建設している。本年は二年目で、もうあと半年でスロープが出来て完成だ。今は荷物のリフターが稼働しているが、昇降機というのは安全を優先する為、せっかちな市場人からすると遅く思えてならない。これから完成するスロープでの搬出入により、鮮度の良い花を市場物流させることが出来る。また、スペースが広がるため、荷物をいっぱい入れることが出来る。需要が増大する物日でも、スムーズに出し入れすることが出来る。これらの効率の良い物流、鮮度保持で一番喜んでくださるのは、消費者や専門店、そして、仲卸さんや品揃えの為に弊社を利用している地方卸売市場、大手買参人、また、セリやセリ前取引を利用する買参人の人達だ。

 ヨーロッパやアメリカでは、働く人が早朝や深夜労働をしないでも鮮度を損なわないようにと、定温施設に投資をした。その結果、鮮度保持上の価値が上がったのだ。今まで、日本の花き業界は定温庫を上手に利用してこなかった。しかし、今後、人手不足が本格化する中、産地は職員や運送店の効率を考え、大きなロットでも省力機器を使い早く降ろすことが出来、しかも低温なので鮮度上問題がない。そういう定温荷扱い場を持つ市場とサプライチェーンを組んでいくことだろう。

 農業者が早起きして、身体が充実している時に収穫し、産地の集出荷場に持って行く。集出荷場では、早朝手当や残業手当、休日手当等、不要な賃金支出をしないで、人が働きやすい時間に働いてもらう。そして、生鮮食料品花きの運送店の場合には、どうしても午後から22時までに市場に届けなければならないが、これも定温施設によって、日中走っても品質は劣化しない。荷を受けた地域中核市場は、その日の業務を終えて、遅くとも終電までには自宅に帰れるようにする。市場の交替勤務の一部社員は、引取りトラックや他の支援サービスの為に夜間に勤務するが、これとても、運送店や卸売市場の運営効率化を図る為である。今、最も不足感が強い運転手問題では、労働時間の規約の範囲内で行わなければならないので、さっと検品し、さっと積み込み、地元の市場に届ける。花き業界全体でこのようになっていかなければならない。そして、低温でこれらを行うことによって、人件費とロス率を中心に、サプライチェーン上の損益分岐点を各所でさげ、しかも、消費者にお金を頂くわけだから、花の鮮度を落とさないようにする。その為に、産地の集出荷所や輸送のトラック、卸売市場・小売店は、鮮度保持の投資をするのである。ここを間違えてはならない。

 鮮度保持は、バケツの内側を綺麗にするだけでも手間暇がかかる。この当たり前のことにどう投資をするか。不必要な出費、特に、一番高い人件費をリーズナブルなものにして、優秀な人に働き続けてもらうか。人材ロスの低減と、商売上の花のロス低減。ここが投資のポイントになるのである。


※現代では、花が産地から店頭まで運ばれるまでの「温度×時間」で、花にどれだけ負担をかけるかを計ることが出来る。

投稿者 磯村信夫 : 15:40

2016年7月 4日

二つの潮流

 3日(日)、川崎のチネチッタで映画『フラワーショウ!』を観に行った。ロンドンで開催されるガーデニング世界大会「チェルシー・フラワーショー」で、アイルランドの若き女性が金賞を受賞した実話である。ガーデニングで有名な英国本土の、世界最大とされる大会での受賞である。アイルランドの園芸家からすると、一神教の社会では異端とされていたケルトの自然観、また、様々な自然の神々が認められたということで、21世紀は新しい時代だと希望を持って語られた筋書きだった。同様に、日本もいたるところに神々がおり、畏敬の念をもって拝まれている。その意味で、アーティストの石原和幸氏が「チェルシー・フラワーショー」のアーティザンガーデン部門で五年連続金賞を受賞していることも、彼がデザインした庭が、今と未来を美しく形作っている為だろうと想像する。

 昨日は参院選の真っ最中ということで、川崎では昼の暑い中でも選挙活動が盛んだった。『フラワー・ショウ!』もグローバリゼーションの中の1つの価値観であるように、今回の選挙で、世界の潮流である18歳からの投票権がいよいよ日本でも行使されることとなる。若者が集まる川崎駅の東口でも西口でも、各候補が支持を訴えていた。こういった世界共通の価値観は、ダッカのテロ事件に対する、市民の哀悼の意の示し方にも表れている。イスラムの国・パキスタンでも、蝋燭を灯し花束を捧げていた。花束は菊・カーネーション・バラ・ユリ・ガーベラ・グラジオラス等が中心で、これも世界共通の花であった。

 一方、世界のグローバリゼーションによる近似性や、多様性を認めるという思想の潮流とは逆に、過去を共有するものたちによる民族主義的、階層的な動きがある。国際政治でいえば、ロシアとトルコの民族紛争的敵対関係が、我々日本人にとっては分かりやすい例えだろう。それと同様に、日本の農業関係でも、時の政府と農業団体が対抗姿勢を強めることがある。これも、歴史的な経緯からだと小生は思っている。政府はアンチ系統農協の農業法人を国の諮問委員会等に入れることがあるが、規模の大きい農業法人が、地域の農協を通じて農産物を販売するところも多くなってきている。これこそ、日本らしいと小生は思っている。例えば、日曜日の人気番組「笑点」のスポンサーになっている系統農協では、とぴあ浜松農協の白玉ねぎを一つの象徴として取り上げている。また、小生がよく知る民俗学者の柳田国男(元農商務官)が見た系統農協の在り方も、大小の規模の農業者とも協業する在り方も、結局、これが日本の農業ではないかと思う次第である。

 何故そう思っているかというと、日本の今の農村地帯をつくってきたのは、戦国時代を経て、国として落ち着いた江戸時代からだ。各藩の武士政権は年貢を納めてくれればよいので、武士と農民の双方が折り合いをつける形で形成されたのが、村請制度・庄屋制度である。監督官は郡奉行やその地域の代官。その下に大庄屋。大庄屋は10の庄屋を束ねており、その庄屋はさらに50人程の農家を束ねる。束ねると言ったが、庄屋は50人の農家の面倒を見るということだ。武士ではなく、あくまでも有能な農家を自分たちの中から庄屋として選び、10の庄屋から大庄屋を選んで出来た制度である。こういう風だから、天候で飢饉になった時、民政ではない大名はさらなる増税をしようとする。そうすると、当然一揆が起きることとなる。民政は庄屋を中心に行っていたわけだ。このように、「農業」という仕事をする庄屋農民組織のゲゼルシャフトと、地域構成員の幸せを願う「農村」というゲマインシャフトとの境が、あやふやになっていた歴史がある。今では、農協の支店はその地域のことを考える庄屋の役割。農協の本所は、広い地域の民政を行う大庄屋の役割。そして、県の全農や共済等、全中まで含めた系統機関は、今は軍事国家ではないから、県全体の民政を行う役割を行っている。そこをふまえて初めて、岩手県や静岡県等の、現代に合った農業者と系統農協の在り方が出てきている。

 大規模になった農業会社は農協を利用しない。それはそれで良いだろう。しかし、農協を利用しないから儲かるというのは間違いだ。そういう会社も地元の農協か、あるいは、全農県本部を通した方が儲かる場合が多い。江戸時代から続く歴史を知ること。そして、明治の農商務省の時代、戦前・戦後の農林省の時代、さらに、今の畜産と園芸が主力となった日本農業の時代の在り方を学ぶことによって、人気番組「笑点」に出てくる、とぴあ浜松のプロとして農家を支える農協がイメージ出来る。農家と伴に生活し、農家を支える主体性をもった農協としての姿だ。系統農協は自分の都合を通す圧力団体ではないことを、読者の皆様に歴史から学んで理解してもらいたい。これは、日本民族の有り様なのである。

投稿者 磯村信夫 : 16:07

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