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2016年2月29日

中国に対する小生の見方

 上海で開催されたG20が終わった。思い切った踏み込みが足りなかったとの評価があるが、社会主義市場経済をとっている中国が、余剰設備の償却や為替まで含め、一定の方針づけをしたことは評価できる。世界経済の具合が悪くなったことを誰もが感じるようになって、まだ数ヶ月。これからもう少し混乱は続くであろう。

 今日は、文化大革命の頃から、特に文化と花き産業に関心を持って度々中国を訪れた小生が、中国はそれなりに今後とも発展するだろうという見通しを持っている根拠についてお話ししたい。現在、大田市場でもNFD会員の買参人が上海や北京で教室を開いており、その生徒さんたちが来ている。習近平国家主席が贅沢を慎むことの一つに、公の場での行き過ぎた花飾りがあったが、少なくとも裕福層の間では家庭での花飾りへの関心が高まっている。さて、今日の本題は、共産党一党独裁でこのまま中国は発展するのか、ソ連や東欧のように国が混乱して民主化していくのか、小生の見解を述べてみたい。

 まず読者の皆様に知っておいてもらいたいことは、共産党は8千万人党員と言われているが、1935年の延安時代から「個人档案(個人履歴書制度)」が記録されていることだ。それは、その人がどこにいようが、どこに行こうが、その上司は必ずその人を評価し、また家族まで含め、個人の人事関係を徹底的に調査している。こういう国柄であるから、当然に発展をしてきて、現在、農村解放区や都市の企業や事業所が「単位」で編成され、労働者の人事や住まい、教育や医療、年金や福利など、共産党から派遣された書記が生活全般をコントロールしている。そして、単位の構成員は共産党員以外も1840年の阿片戦争で政治が乱れ国が乱れてしまうと、結局自分たちが不幸になってしまうということを誰もが骨身にしみているので、1949年の共産党国家としての独立から2014年までが中国復興の時期、これから100年後に向けて、かつてそうであったように、国際社会の中の大国中国に向け、習近平国家主席の方針を共有している。

 日本人から言わせると、これだけの締め付けがあっても中国の人たちが中国に留まり生活をしているのは、1970年代後半、鄧小平が出した社会主義市場経済制度により急速に豊かさを実感できているという点と、今申し上げた平らで広大な面積の中国が地域によって分裂していたのでは、結局は戦争が起こり、自分たちが不幸になってしまうので、共産党の支配により一つの国であることはベターだと考えているからである。暴動はしょっちゅう起きているし、今後も起きるだろうが、順次、中国共産党は社会を改善している点も見ている。その手法は「民主集中制度」といわれるもので、共産党の指導者は多くの人たちの意見を民主的に聞く。また、その問題解決のために専門家をブレインとし意見を聞く。すなわち、あらゆる調査をし、民主的な方法で問題解決をしていく制度だ。そのことを人民は知っているから、共産党政府は良くやっていると思っている。

 最後に日本の論客たちが中国崩壊をいうときに、汚職腐敗の問題をいうが、これは構造的な問題であり、上手に政治的な舵取りをしないと、高度経済成長から低成長の時代に入ろうとしている中国において、人民の反発が爆発する危険があるだろうといわれている。この件の政治の舵取りについては今後の中国首脳部に任せるとして、腐敗は構造的なものだと、現時点では言わざるを得ないことだということを話しておく。

 中国は共産党一党独裁である。共産主義なので私有財産はなかった。しかし、鄧小平が社会主義市場経済制度を取り入れた。市場経済の中には国有(正確には共産党所有)と私有財産がある。社会主義には権力がある。何をどうするかということや、既にできた私企業に対する許認可権などの権力である。権力を独占しているのは中国共産党である。したがって、権力を私有財産に変換できるシステムが中国の社会主義市場経済制度にあるということだ。だから汚職が起きてもやむを得ないと小生は考えている。この行き過ぎを修正しようと習近平国家主席はバランスを取りながら国家運営している。

 こういうことを中国の人たちは知っていて暮らしている。これを前提に経済文化の交流をする。現にドイツが、そして花の分野ではオランダが中国と一緒に経済成長しようとしている。フローラホランドが昨年12月にオランダ王室、首相を伴って中国に行ったのは、中国経済を信用してのことであると小生は思っている。現在、小生は日中文化協会のメンバーとしての立場でお付き合いをしているが、お互いに交流していけば、お互いに理解し合えるところも多い。経済界においても同様で、少なくとも、花き生産消費、花飾りの分野においては、日本は中国の先を行っているので教えて差し上げる立場にあると思う次第である。

 中国は今、公共の場所や人生の通過儀礼だけでなく、家庭の中に花が入ってきた段階になっている。ビジネスから言えば、是非とも輸出により、人口減少で需要が少なくなる日本の穴埋めをし、さらにそれを上回る利益を優秀な生産者にもたらせたいと考える。もちろん、日本のいけばな協会やフラワースクールの発展も願う次第である。

投稿者 磯村信夫 : 16:16

2016年2月 1日

多様化の中で生活者に選んでもらう

 大相撲初場所で、琴奨菊関が日本人として10年ぶりの優勝を遂げた。菊は花き業界にとって№1の消費実績を誇る花で、スプレー菊や新しいディスバット菊も、元とは言えば日本の菊をオランダの種苗会社が品種改良したものだ。菊の品種改良から消費拡大まで、琴奨菊関が優勝したことにあやかって、もう一度、花き業界でも頑張っていきたい。また、つい先日のSMAP解散騒動の影響で、『世界に1つだけの花』のCDが売れたり、音楽番組で流されていたりした。こちらも、花き業界にとっては良い宣伝活動になった。花き業界とは幸せな産業だと思う次第である。2月に入り、節分、立春、旧暦のお正月(本年は8日)、バレンタインデーと、花の需要期が続く。そこへ向けて、今度は業界自ら消費宣伝活動を心掛けなければならない。

 2025年には団塊の世代が75歳以上になり、葬儀や仏壇の花も需要が高まり、花屋さんは忙しくなるだろう。それまでの10年、自分の葬式は「こうして欲しい」という本人の意向もあって、葬式や仏壇の花の需要も従来と比べてますます小さくなっていく。そんな中、家庭需要とパーソナルギフト、レストランやオフィスに花を飾るウィークエンドフラワーやフラワービズを根付かせる努力をしていく必要がある。また、年代層で花の消費を捉えるのもマーケティングの一つだが、それだけでは、小売店からすると自社を時代とともに合せていく努力に欠けてしまう。「自分の店は年配者の店だから」と、売上減を認めることになりかねない。「花店の老舗という定義があるとすれば、そのご家族の三世代の方にご利用いただき、満足して頂ける店」だと、サンフローリストの藤澤さんが仰っていたが、まさにその通りだと思う。ここに向けて努力していかなければならない。

 需要者である生活者は、もう満ち足りている。何か他にはないかと思っている。すなわち、既成概念の中だけではもう伸びがないのだ。供給者である法人は、この成熟社会の中で殻を破っていく必要がある。従って、マイノリティとは言わず、ダイバーシティ(多様化)として捉え、オルタナティヴ(二者択一)ではなく、アンドで、境界線を外した商品や「コト」等が求められる。LGBT、カーシェアやハウスシェア、おにぎらず等が認知されるようになったこともその一つだろう。その家三世代の人に満足してもらえる花の専門店。難しいが、専門店はこういう店づくりをしてもらいたい。私も、具体的にこうすべきだ、という点はまだちょっと分からないのでお示し出来ないが、感覚的には、いつも新しい老舗の和菓子店などが思い浮かぶ。何かそこには、琴奨菊関の努力やら、『世界に一つだけの花』で訴えられているもの、すなわち、真実のようなものがある気がしてならない。とにかく、冠婚葬祭の花、仏花需要が縮小している昨今、マイナスを補う消費を、花き業界をあげて努力していきたい。

投稿者 磯村信夫 : 15:16

2016年1月25日

世界標準レベルと自分のレベルを意識して仕事をする

 北極圏にある寒波は、ちょうど十字架のような形をしている。エルニーニョ現象の影響で、短い面の方が日本にあったので、今まで暖かかった。それが動いて今度は長い方が日本列島にやってきたので、沖縄や九州でも雪が降っている。中国の昆明も雪で、栽培ハウスには暖房設備が整っていない所もあり、旧正月前なのに、この一週間は中国では花不足となるだろう。日本は、この十字がまた動くので、これからまた暖かくなるという。この雪でハウスの被害が少なければ良いと願うが、入荷が少なくなって、相場を冬の平均値に直す良いきっかけであるともいえる。

 株価や原油安、BRICsの経済が振るわないこと等、経済面でのグローバル化だけではなく、政治や国防においても、絶えず世界の中での日本を意識しなければ生活出来なくなっている。花や青果の輸出に於いても同様だ。日本文化を切り口に、輸出国に花や青果の素晴らしさを受け入れてもらった後、もっと量を使ってもらうようにするには質と価格において競争力を持たなければならない。その為には、グローバルGAPや食物検疫、スピーディーな原産地証明書発行だけでなく、その国との信頼関係、そして何よりも生産・輸出するまでの国内流通の生産性が世界的にも優位なものであるかどうか、また、種苗などにおいては、輸出した先で商品が無断で繁殖・栽培されないかどうか等の協定や育種措置等を国際的に行っていかなければならない。

 世界には様々な価値観があり、日本人からすると一筋縄ではいかない国や会社、人々がいる。日本を『一国一文明の国』だとS・ハンチントンは言ったが、そこを意識し、日本として守るべきものは守る。一方で、絶えず世界を意識した生産、流通、花のデザイン等を行っていかなければならない。日本の新興企業の経営者は、そういった気持を植え付けるべく、社内でのコミュニケーションを英語で行う様にしているところもあるそうだ。意識の上では、我々農業・園芸流通業界でも同様に取り組んでいかないと、グローバリゼーションの中において、輸入で足下をすくわれることはあっても、輸出で利益を得ることは出来ない。未来を勝ち取ることは出来ないのだ。

 今年は国際標準を意識し、まだであればそのレベルになり、もう既にそのレベルにある個所は、その上を志向し、国際社会の中で活路が見いだせる業界になっていかなければならない。各自の検討をお願いする次第である。

投稿者 磯村信夫 : 14:32

2016年1月18日

花のある国・日本を目指して

 昨年、大病を患い療養したので、運動をして元の体力に近づこうと思い、この冬はスキーに行っている。正月までは雪が少なかったから人工雪のスキー場へ、最近はようやく降り始めてきたので、ロングコースが楽しめる本格的なスキー場へと、都合三回行った。スポーツクラブでもリハビリをしてはいるが、上半身の鍛え方が足りなかったかのだろうか、重いリュックを背負って行くと帰るころにはもうリュックを背負いたくない位、上半身が疲れている。その意味では、スキーは全身をバランス良く使うので、身体のバランスを整えるには大変良いスポーツだ。

 スキーをしていて気付くのは、東京から新幹線で一時間半くらいの手軽なスキー場には、アジアからのスキーヤーが今年もかなり多いということだ。リフトは一番少なくても二人乗りだから、リフトに乗り合わせた人と話をする。そうすると、3回に1回はマレーシアやタイ、台湾や香港、韓国からの人達に会う。また、そういった人たちは家族連れで来ている人が殆どで、人工雪のスキー場でも十二分に満足してスキーやスノーボードを楽しんでおり、日本にも日本人にも良い印象を持ってくれているのが分かって大変うれしい。

 先週行った新潟の赤倉スキー場には、長野の白馬村と同様、オーストラリアやニュージーランドからのスキーヤーが多いことで有名だ。彼らはスキーをしに来ているので、柵がしてある滑走禁止の場所にも滑りに行く。スキー場からすると困ったものだ。私も彼らに「まだ雪が少ないので、ブッシュに引っかかって危ないから入らない方がいい」と、思わず注意した位だ。泊まったホテルでは、三分の一以上がオーストラリアやニュージーランドの人達で、残りは韓国をはじめアジアの人達、そして日本人で、ここまで国際化しているのかと、思うほどであった。彼らや、その前に行ったスキー場のリフトで乗り合わせたアジアの人達にも、日本の花の事について聞いてみた。すると、宿泊するホテルのメインロビーの花の素晴らしさや、デパートの花屋さんのことは言っていたが、普通のレストランや食堂では、花が飾ってあるのをあまり見ないと言う。
彼らは、日本ではもっと身近に花があるものと思っていたらしい。そこで、私から「日本は世界でも有数な切花・鉢物の生産国で、消費も一国とすれば世界で10位以内に入る国です。ですから、皆さんの国から花を輸入しているでしょう。まだ日本にいらっしゃるのでしたら、街に必ず花屋さんがありますから覗いてみてください。色々な種類の花があるのでびっくりすると思います」と、話をした。

 我々が考えているより、アジア太平洋の人達は、日本が花の国だと思っているようだ。そう思ってもらえるように、色々な場所で花のある生活が楽しめるよう、法人需要のフラワービズ、家庭需要のウィークエンドフラワー、フラワーフライデー等、消費拡大に取り組んでいきたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 08:00

2015年12月 7日

アスリートを育てるつもりで人を育てる

 日本では、売れない時代になって四半世紀が過ぎ、おとなしくて言うことを聞く子どもたちを育てる教育からの改革が行われつつある。今、日本社会ではそのようにして育てられてきた人たちが、第一線で仕事をするようになっている。ICTを使いこなすことに利点があるものの、現時点では未だ、個人の消費生活が中心で使われており、各業界の社業において今一つ合理化が進んでいない。

 教育の問題は、国から個人に至るまでの成功に結び付く。成功とは物心両面のことである。組織と個人との関係でいえば、そこで働く人たちが尊敬され、生活者として心技体、モノとコトに「足るを知る」ことをいう。

 売れなくなっている時代だから、同じことをやっていても毎年売上は落ちる。だから、社内から経営者を登用するにしても、改革者であることが必要だ。社長の息子に能力があればそれにあたる。息子を社長にさせない代わりに娘の亭主という場合もある。あるいは、金融業界や商社からヘッドハンティングするという手もあるだろう。私が良く知っている、加工食品業界でポテト製品を作るある会社は、創業者の後を継いで優秀な人材を社長として迎え入れた。外から最適な人物を選んでトップに据えたその会社は今、大躍進している。その会社を大躍進させた人は、人材の宝庫として有名なアメリカのトイレタリー、化粧品会社の出身だ。

 花き業界においては、輸送業界の人手不足が深刻になったことから始まり、生産、卸、小売りまで人材が少なくなってきている。どこの組織でも、優秀な人が育つには一つの法則がある。アスリートのように、歳ではなく、能力がある人に高いノルマを負わせることによって、その人が人材化していくのだ。こういう教育をしながら人材を育成していくことが、生鮮食料品花き業界にも必要なのだ。そのことが、花き業界の発展の決め手になるし、どの業界でも、日本の潜在能力の顕在化につながるということだ。

 アスリートの意識。これを、日本人は忘れてはならない。文武両道は真実なのだ。はがゆい日本の花き業界はもう沢山だ。

投稿者 磯村信夫 : 16:33

2015年11月16日

新しい生活習慣を団塊ジュニアはつくる

 外の会議に出席する為に電車に乗っていると、ネクタイをしていない人たちが大変多くなったと感じる。私も、式典やこだわった会議でないとネクタイをすることは殆どない。スーツの人が少なくなっているのも、今の時代を反映している。

 仕事着のダウントレンドの波がようやく日本にも来て、クールビズからカジュアル化が進んだ。私の息子も、外資系の会社で一定の役職についているが、その恰好たるや大変カジュアルな感じがする。また、娘の亭主は、私が尊敬する水産会社のオーナーの会社に勤めているが、こちらもノーネクタイだ。だが、少し業界が保守的なのだろうか、無難なスーツ姿で通勤している。団塊世代がリタイアし、サラリーマンの制服であるスーツが売れなくなった時、団塊ジュニアは「あの恰好は嫌だ」と、替え上着と替えズボンの姿が主流になった。このように、日本の男のドレスコードを団塊ジュニアが変えてきた。だから、スーツというと、着る方もこだわったものを身に着けたいと思うし、売る方も団塊世代マーケットが無くなってきたために、高級品を売ろうとする。男性ファッション誌を見ても、スーツの値段は高くなっている。

 話は変わるが、CNNやBBC、NHKワールドと同様、中国の国営放送も日本で観ることが出来る。そこに出てくる中国人たちのスーツや替え上着の質といったら、本当に皆良いものを着ている。貧しかった時代の反発から、社会的に一定以上のレベルの人達はこんなに良いモノばかり身に着けているのだろう。今では一般の人たちも観光に来ているから、爆買いされるものも随分と変わってきているが、相変わらず質の高いブランド品は、彼ら中国人が好むものだ。一方、日本もようやくヨーロッパと同様、仕事をする時も質の高いモノを身に着けるようになってきた。ただ、中国や韓国と違うのは、日本はファッションでも先進国なので、仕事をする時と遊びの時の心構えと服装に中国よりも格差がなく、見せるためばかりに着ているのではない、ということである。これは豊かさからであって、車を例にとっても、軽で十分な時は軽を買い使用するという、成熟した考え方がそこにはある。

 G7で他の先進国との差をドレスコードで埋めたように、団塊ジュニアが内外格差を埋めている。それと同様に、男の花贈り、花の買い方の差も無くなって欲しいと思っているのが花き業界である。その為のプロモーションとして、今週末のいい夫婦の日、クリスマスやお正月、愛妻の日やバレンタイン、国際婦人デー(ミモザの日)、ホワイトデー等で展開出来たらと思う。

投稿者 磯村信夫 : 15:30

2015年10月26日

協同組合精神の大切さ

 今週末まで開催されるイタリア・ミラノの国際博覧会から帰ってきた人に話を聞くと、大変賑わっているらしい。特に日本館は人気で、日本人が行っても面白いが、地元のイタリア人も5時間以上並んで待つほどの人気だそうだ。食の生産から料理まで全てを「食文化」として紹介しており、展示では敢えて謳っていないそうだが、日本の農協が果たしてきた役割が大きいと農業社会を知るその人は言っていた。

 TPP問題や農協改革等があり、臨時国会は12月まで開催されない見通しだという。その中で、私が産業界の人と話していてどうしても理解不足だと思われるのが、今まで農協が果たしてきた貢献に対する評価である。日本農業新聞日曜版を見ると、三橋貴明氏の『亡国の農協改革』が今最も読まれている書籍の1位になっているが、今この本を日本の産業人に読んでもらうことは、大変タイムリーで意義があることだと思う。私は、最近文庫本になった古川薫氏の『志士の風雪』に出てくる、農業協同組合を作り上げていった品川弥二郎に感銘を受けた。飢えを凌ぐ、寒さを凌ぐ、夜露を凌ぐ、そして、美味しいものを食べられるようになる、お洒落が出来る、良い所に住めるようになる。こういう風に国の発展を望む国民の声があり、為政者は腐心する。私が品川弥二郎や新渡戸稲造に心を惹かれたのは、全農岩手のとある人に接していて、まさに品川弥二郎精神、新渡戸稲造精神を教えられたからである。品川弥二郎は吉田松陰が最も愛した弟子として、農学書である『農纂』を読むように言われた。松陰からは「農事を論ずれば、百姓の実際の生活にまで目を届かせなければいけん」と口癖のように言われていたとのことだ。また、弥二郎は二宮尊徳を尊敬し、報徳社を弥二郎がドイツ留学で学んだ近代的な協同組合に発展させる努力をしてきた。東京農業大学の創始者である榎本武揚や西郷従道などの上司と共に法律をつくり、協同組合を作り上げてきたのである。

 よく経済界からの批判で、何故農協は金融、保険と経済活動を一緒にするのかと言われるが、農村部における協同組合の最初は信用事業から始まった為である。これはドイツも日本も同様で、特に戦後の農地解放後、沢山の農協が出来て財務基盤は極端に弱かった。こういう事を考えると、農家の財務基盤だけでなく、農協の財務基盤も、まずは金融の機能が欠かせないとみるべきであろう。三橋貴明氏は農業を「国民農業」と「商業農業」の2種に分けている。日本は「国民農業」であり、営利を目的にするものではないとしている。現に、花農家の方とお付き合いをしていると、この人達は、この地にいて農業をすることが目的で生きている。作物は時代と共に変えても構わないと思っている。生活をして農業をしながら、地域社会を安全に保つ。その目的で生きているのだと強く感じさせられる。グローバリゼーションの中で、「商業農業」の国から様々な作物が輸入されるが、日本の農業の場合、決して甘えてはならないが、それぞれの農家が収支を合わせ、米や野菜を食べたり花を飾ったりしてくれる生活者にあまり利益をのせず買って頂き、日本国の平均的な生活をする。そのことが生産者の生きがいであると実感する。是非とも、ここを一般の方々に分かってもらいたい。

 歴史的に見て、封建制度を経た方が、民主主義がその国に定着しやすい。また、農地解放を経た方が、個としての自立と、努力が報われることによる平等の精神が定着しやすいように私は思う。日本は戦後、進駐軍の意向ではなく、日本人の意向で、マッカーサーの力を借りながらも農地解放を行った。国土の12.2%しかない農地を解放したので、ヨーロッパと比べても農地は小さい。しかも縦長の地形だから、同じ場所で一年中良いモノが作れるわけではない。そうなると、共同出荷というものがどうしても必要になる。この共同出荷体制の一つだけをとってみても、ドイツのライファイゼンが言う「一人は万人のために、万人は一人のために」の協同組合精神が分かる。私は立場上ではなく、農業社会を知る者として、農業関係者はTPPの取り組み、農業改革を、日本人が持つ共同精神の思想を以て取り組んで頂きたいと思う。また、農業者は協同組合精神を以て、決して甘えることなく、ケンカ腰ではない、輸入品とも棲み分ける生産性の高い農業を、地域の人達と一緒にやってもらいたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 16:44

2015年10月12日

花き産業でも関係の深い中国と韓国ですが、、

 中国が南京大虐殺文書を記憶遺産に申請し、ユネスコがこれを登録したことが報じられた。日本で問題視されているが、アメリカにおいてだけでなく、中国・韓国による国際機関を使った新たな日本との歴史戦が始まっているようだ。花き産業人としても、自国の利益を守る為、歴史戦において間違ったことがおきぬよう注意すると共に、もし起きたら、それなりの措置をもって臨むことが必要だ。

 冒頭から私の意見を申し述べたが、私は大学の時、成城学園の友人とソウルまでドライブに行ったことがある。その年、下関から釜山までの国際フェリーが開通、また、釜山からソウルまでの高速道路が開通した。韓国とはもう45年の付き合いで、毎年少なくとも一回以上は韓国に行っている。ドライブに行った時には、人前で日本語を使うと身の危険があるので、日本人同士でも英語で会話をした。また、中国については、大学生になる前から興味があり、文化大革命の最中であったが、日中学生友好会の会員であれば中国渡航も可能であると聞いて、それまで中国は芸術一辺倒で偏愛していたが、中国へ行くためには政治的な団体にも入る必要があると考え加入した。すでにその時、中国はソ連と敵対し世界で孤立していた。確か当時のアルバニアだけが地球上で唯一の友好国であったと記憶している。中国へはその後何度か旅行し、大都市は大体行ったことがある。

 特に二十一世紀となってから、中国も、そして、通貨危機を脱した韓国も経済的に浮上してきて、中国では昆明国際花市場の立ち上げ、韓国ではソウル花市場のシステム変更等、市場のオペレーションにつき、会社として指導的立場でお手伝いするようになった。また、両国とも新しく花の産地が出来て、日本に輸出したい意向が強くあったので、政府や州政府と日本の輸入商社の中継ぎをさせて頂いた。更にここ十年、今度は輸出の話となってきた。日本は失われた二十年でGDPが二十年前と殆ど変らない。一方、韓国や中国は毎年のGDPの伸び率が5~10%とグングン成長している。両国とも儒教国家として、国内的には問題になっているものの、貧富の差を日本のように問題視する国ではない。金持ちは勝者で、べらぼうな金を持っている。両国を見ていると、中国では江沢民政権の時から、韓国ではノ・テウ、キム・デジュン政権の時から、私が大学生の時の反日感情が非常に強かった時と同じようなアゲインストの風を感じ始めた。そして、パク・クネ政権と習近平政権になって、何かあると一方的な歴史問題を叫ばれることが大変多くなってきて旅行しづらくなってきた。それは明らかに、中国で言えば1990年代から反日愛国主義教育を徹底的に実施しているせいで、韓国ではノ・テウ政権の時、事後立法で特別法を作り、国交回復時の約束を破って(自分の都合の良い時と言ってもよいだろうが)法律をつくりかえた為であったと思う。

 釜山やソウルで大田市場の仲卸さんが、韓国の問屋・仲卸さんに花を販売しているが、スムーズに出来ている時は問題がないが、何かちょっとトラブルがあるとこじれる。感情的になり、勝ち負けしかなくなる。何故イーブンな関係になれないのか。日本では今、インバウンドで、韓国も中国もたくさんの旅行客が来ているが、向こうで販売するとなると、友好関係をどう作っていくのかの前に、もう一度、お互いを認めあうだけの国際的なルールにのっとった互恵関係を作る必要がある。その為には、繰り返しになるが、事後立法の禁止、歴史の実証主義、そして、教科書教育に自国の都合ではなくこの二つのことを反映させて教育をしていく必要がある。両国に行き商売の話になると、ご年配の人達とは普通に話が出来るが、反日教育を受けた若い人達と意見が合わないのは、違いをお互いに認めようとしない為である。

 花商売の場合、日本と中国、韓国では色の好みも異なるし物日も違う。従って、輸出入の関係では良い花の取引が出来そうなのだが、そのベースにある国民同士が互いに違いを認め合うことが出来ていないと、お互いに市場開拓どころではないというのが現在のところである。

 今まで中国から、韓国からの花の輸入は盛んに行われていたし、今後とも日本としても中国の花、韓国の花は必要だ。しかし、輸出となると両国とも障害がある。原発問題だけでなく、民族問題がここのところ出てきてしまったことが、コトを感情的にしている。

 これまで商売しながら花から教えてもらったこと、それは、花は場や繋がりに欠かせないものであるということ。長年、韓国、中国と一民間人として付き合ってきた小生としては、花の輸出入を通じてお互いに素晴らしい関係を構築したいと考えている。しかし、民族的な問題があるのは事実だ。当面この認識をふまえて仕事をし、互いに花き業者として両国間の良い関係を構築していく先頭に立っていきたいと考えている。

投稿者 磯村信夫 : 17:01

2015年8月31日

人口減少の中での花の消費

 病気で三ヶ月ほど休ませて頂きました。その間、弊社 大田花き取締役の皆さん方にコラムを担当してもらいました。読者の方々も、様々な角度から卸売市場業界や花き業界への問題点あるいは提言をうかがい知ることが出来たと思います。
 
 私は、三ヶ月ほどの時間を、特に手術が終わって退院し、自宅で過ごした時間を、それなりに有効に使えました。今まで色々な角度から物事を見ようとしてきましたが、かなり視野が狭かったと今では思っています。

 例えば、自宅療養をしている間にこんなことに気が付きました。日本の失われた二十年の間に、新幹線でフランスやドイツに圧倒的な遅れを取っているという事です。両国とも、二十万人以上の人口の都市で、新幹線網が敷かれていない都市は一つか二つにすぎません。さらに、高速道路網に関して日本はもっと著しい遅れがあります。労働生産性の低さの要因の一つに、先進国の中で最も遅れてしまった日本の高速道路網があるということは考えてもみませんでした。また、移民の問題一つとってみても、国際競争力には様々な要因があるでしょうが、ドイツはアメリカに次いで世界第二位の移民受け入れ国になっている。今、ヨーロッパ大陸では難民問題がありますが、ドイツはいち早くその枠を八十万人と設定し、かつてトルコからの移民政策に失敗したことを反省して、新しい移民政策では新たに国籍を得た人たちに、新しいドイツ国民として教育をきちんと施している。これはほんの一例ですが、今まで私が持っていた古い知識などを刷新し、あらたな見方がこの療養中に出来るようになったと感じています。

 今、日本の人口は確実に減っていますので、市町村合併や農協合併、そして、卸売市場でも合併することで、数を減らしてその組織体の収支バランスを保つようにしようとしています。花き業界においても、葬儀は増えるがその分規模が小さくなるし、結婚式に関しては若い人が少なくなるから減っていく。この中で花き産業の生産性を上げていくには、他の物材よりも花のある生活が素晴らしいと思わせることを絶えずし続けなければなりません。すなわち、増えない可処分所得の中でもっと花を買ってもらうようにするには、新商品(品種・色・飾り方)を出して、花のある生活を一週間保証する。鉢物であれば一ヶ月保証する。あるいは、メンテナンスサービスも含めて販売していく必要があるでしょう。物の販売ではなくサービス、それも期間サービスを買ってもらうのです。

 今まで、日本の人口動態を団塊世代・団塊ジュニアで捉えていた花き業界の見方から、戦中・戦後・団塊ジュニアの三つの山で捉えながら、その中でマーケティングをしていく必要が消費者減少の花き業界マーケティングには必要です。一つの解は、花や緑を売るのではなくて、「花と緑のある生活」を売る。レストランの生け込みであれば、一週間に一度のメンテナンスサービスが必ず含まれるように、「サービスを売る」ということです。もう一つは、時代を先回りした"New"を創るということ。そして、それらが出来る人材を花き業界が教育・養成するということ。ここにかかっていると思います。

 日本の競争力と言っていいか分かりませんが、他の民族に比べて日本人が秀でている点は、嘘をつかない、真正面から物事を捉えて誠実に処していく、ということです。併せて、長くそのことをつきつめて努力を積み重ねる。こういった先人たちの伝統に則って仕事をしていけば、必ず未来は開けると思っています。
では、惰性で仕事をせず、誠実に仕事をしてまいりましょう。

投稿者 磯村信夫 : 15:34

2015年5月25日

花きは人を喜ばせることが自分の使命だと思って生まれてきている

 朝、家を出てくる時に靴箱を見たら、20年以上も前にロンドンで買ったウィングチップが目に留まった。このウィングチップを買ったのは、1992年、オランダのズータメア国際園芸博覧会を見学した後、ロンドンのキュー王立植物園に行った帰りの時だった。

 その旅で記憶に残っているのは、博覧会よりもウエストランドの友人宅で私が友人達に悩みを話した時のことだ。1990年、大田花きで日本初のセリ機を導入し、苦労に苦労を重ねてやっと成功してから1年余りが経過し、私の中では一つの疑問というか、悩みが生まれていた。それは、花き業界は人を幸せにする良い仕事であるとはいえ、切花であれば根から切り離し、鉢物であればもっと根を張りたいだろうに狭い鉢に押し込めて、人間の持っている黄金律でバランスを整え、花を咲かせる。この人の業のような商売が、人を幸せにする商売なのに、何か悪いことをしているような感じで耐え切れなくなったのだ。今思うと私は身勝手で傲慢だったと思う。昔風に言えば、そのことにノイローゼぎみになっていた。
 
 友人宅での話し合いの中で、今では日本語に翻訳されている『植物の神秘生活』という本を友人が紹介してくれた。その内容は、植物は、王様やお妃様に仕える忠誠心を持った家臣のような気持ちで、安らかに食べられていく、飾られていくというものだ。その後勉強した他の本では、1960年代、アメリカの嘘発見器の専門家バクスターがドラセナに電極を差し込んだ際、植物には身を守る機能、心地よいと感じる機能等、人間でいえば気持ちのようなものが、神経系統のようなメカニズムの中に入っていることを発見した。こういった研究成果が記載されており、友人達とのディスカッションや、そういった事例が私を納得させてくれた。その翌日、キュー王立植物園へ関係する文献を見に行き、人の生活に欠かせない植物の感情とも云えるものを学ぶことで、この仕事を続けようと決心することが出来た。

 お花屋さんが、切花や鉢物の育て方をお客様に教える際、植物が生き物であることを、あたかも身体の中に心があるように接することを伝えてもらいたい。現に科学でそのように解釈出来る証拠がある。

 現在、大田花きでは鮮度保持物流の為、物流棟を建てようとしている。敷地には大田市場が始まって以来25年間、一緒に生活をしてきた木々があったが、それを伐採して建てざるを得なかった。彼ら(もしくは彼女たちか)の役目、すなわち、植物は半年で地球の空気を換え、また、緑があるだけで、人間は勿論の事、多様な生物が生を享受している。地球に、地球上の生物に生命を与えている彼らの役目を一つの意思と捉え、短命であった分、大田花きが取り扱う花を鮮度保持流通で長生きしてもらうようにする。それが、伐採してしまった花きたちに報いるせめてものことだと考えている。

 我々は、人が喜ぶからといって観賞用の花や花木を作ってきた。その中で、いつの間にか我々が商いをしている花きを、自分の都合・不都合からしか見なかったり、お金としてしか見ない人がいる。クリスマスの後、まだまだ元気なポインセチアを外に出してしまうのは本当に心が痛む。しかし、そのままだと生活にメリハリがたたないのだ。少なくとも、切花も鉢物も、飾って終わった後や、新しいものに入れ替える時、何かきちんとした弔い方をしなければならない。また、流通過程で出荷できなかったものや、小売店で売れなくて廃棄せざるを得なかった花きの取り扱いを、花供養だけではなく、実際の現場できちんと弔う。可能なら飾って鑑賞してもらいたい。会社に向かう車の中でそんなことを考えながら運転してきた。

※お知らせ
次回以降の社長のコラムですが、しばらく休載させて頂きます。

投稿者 磯村信夫 : 14:10

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