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2013年9月16日

時代遅れでは仕方がない

 時代の風というのはとても大切だ。今、切花の共選・共販(共同出荷の形態の一つ)の産地に番号ではなく、名前の表示にしてほしいとお願いしている。現代の消費者は組織に不信感を持っている。情報が氾濫しているので、事業体の評価だけでは人は信用しない。ネット上で書かれている内容も信用しない。自分の身近な人が薦めてくれたり、情報収集して大丈夫そうだと感じるものを買おうとする。
 
 共選・共販の花の場合、普通の小売店ならセリで購入するのは1ケース程だ。その花のポップが"スタッフ誰々のお薦めの花。○○農協の生産者○番さんが作った花"では信頼性に欠ける。"○番さん"ではなく、"生産者の○○さん(名前)"の花ならば、親近感が湧いて、「ちょっと買おうかな」という気持ちになるかもしれない。大切なのは匿名性ではなく、お客さんの頭の中の疑わしさを排除することだ。そして、親近感を持ってもらうことだ。そういう気持ちを表すというのが、今という時代の特徴なのだ。

 そしてこの間、都議会自民党で東京都花き振興協議会の陳情をした。その際その部屋では、なんと職務中にタバコを吸って良いようだ。今時室内でタバコを吸っている。分煙もなしに。何か時代にそぐわない感じがした。また、その帰りに電車に乗ると薄手のカーディガンを肩に巻きつけている人たちが多いことに気付く。腰巻から、時代はディレクター巻きの時代になったのだ。
 
 時代は繰り返すのか。それが改善か改悪なのかわからないが、時代は消費者にとって都合の良い方向に進化している。
我々市場も農業組織も自民党も既得権や昔は良かった調で古臭くなりがちだ。今と言う時代は、情報の氾濫とともに、逆に個が信頼できる範囲がますます小さくなってきている。
時代遅れでは仕方がない。気の合う人とチームを組んで、時代を創っていく位の気持ちで商売していこう。花は売れるのだ。

投稿者 磯村信夫 : 12:56

2013年7月22日

信頼

 パリのオートクチュールの記事によると、新たに中国人のお客さんが増えて復活の兆しが見えてきているという。
 ファッション評論家の大内順子さんは、大田花きの新品種の目利きアドバイザーを担ってくれているが、大内さんによると1着が日本円にして1000万~1500万円する服を、春・秋物で5着ずつ揃える人が世界に200人~250人いるという。 オートクチュールのお客さんは大金持ちで、その価値が分かる人でないと1人で鏡の前でドレスアップしても仕方がない。オートクチュールの服を着て行った方が良い社交界が世界にはあるのだろう。

 さて、それを聞いてグローバリゼーションの中でフリードマンが言う「フラット化する世界」ではなく、フロリダが言う「デコボコな世界」こそが、現在のグローバリゼーションの社会の在り様ではないだろうか、と観ている。
 中国政府の執行部の月給は、日本円にして約20万円位だと言われているが、どのようにすれば300億円も資産を持つようになるのか。まさに国・地域・人など「デコボコ化する世界」になっている。
 ブランド品を身に付けている人たちは、"類は友を呼ぶ"で、ネットワークを形成し、乗る車・身に付ける衣料・使うITなど国を越えて"自分は何者であるか"ブランドを通じて信頼のクレジットを表明する。

 世界中で孤独感や疎外感が深まっているのは、「デコボコ化する世界」で見られる現象である。その要因の一つは、国や大企業、そして社会や組織、家族に対する不信感の高まりだ。本来、信頼とは人格などの人の素晴らしさであったが、忙しくなり反射的に情報交換をする現在、信頼は交渉やら取引を通じて、初めて獲得するものとなった。信頼とは、一緒に目的を共にする行動志向の感情で、未来に対する期待に基礎を置いている。
 私たちが自分以外の人、夫婦間でも組織やブランド商品でも信頼するのは、将来その人が約束を守ってくれると思うからで、信頼は未来を予測することを可能にすると思うからだ。
 
 "任せておきなさい""期待通り""期待をはるかに超えて尽くしてくれる。"人はそういったところに信頼感を持つのだ。幸せも不幸せも、お金持ちも貧乏も相対的なもので、日本で働く者の30%が非正規雇用で、この10年間最も増えた所得の世帯は、300万円以下で25%も増えた。このような状況の中で安倍自民党は参院選で圧勝した。
 
 グローバリゼーションはフリードマンが言うように国ごとの格差は少なくなっていく。
 しかし、国を乗り越え、地域を限定していくと、まさに都市・国家のように「デコボコした世界」が展開されている。日本が開発したロボットを使う自動車組み立てラインが世界で使われるようになり、アメリカの大都市の中でも大卒者の比率が最も少ない都市の一つ、デトロイト市は先週、破産申請をした。こういう中で、自民公明の信頼、民主に対する不信頼が際立って表れた参院選だった。日本国民は現政府と一緒になって日本を更生しようとしているが、まだ日本は現実の世界を直視出来ていないように思う。

 私は、人はセルフチェックも含め、ダブルチェックをしないと悪いこともし兼ねないものだという「性弱説」の立場で判断をしているが、その大元には日本人が持っている「性善説」が本能のように下地にある。
 ブランドを通じて自分の生き方を表現するのではなく、惻隠の情こそ一番格好良い生き方であることを思い、国を運営していく、一人一人が生きていく。国防は専守防衛、商売は海外に出て行くとしても、地方に出て行くにしても"地元主義"、これが日本のどの業界でも通じる日本流の生き方ではないかと思う。
 デコボコ化した社会・世界をどのようにフラットにしていくか日本流のやり方は、旅館業の星野社長がおっしゃるように働く者の一人一人のマルチタスク化、多機能化であり、日本のODAが示すように重点投資は教育であろうと思う。

 まずは、捩れがなくなり政権が安定して良かった。後は多少未来を作る為に足元に利害調整の中で困難があっても、世界の先進国でよく言われる第二次世界大戦後のベビーブーマーが自分たちだけやりたいことをやって豊かな生活をし、子供たちの世代、孫の世代に取り返しのつかない借金を残したと言われないようにする。何も財政再建を一気にせよと言っているのではない。世界の今とこれからに自分の社会を合わせる。私の場合であれば、安定的に発展できるよう日本の花き業界を作っていくことだ。

 信頼とは、共に未来を作って行こうとする力。結果を残すべく、国政の仕切り直しが終わったので、未来のあるべき姿を作り行動することである。信頼の大元は財政と哲学であることは言うまでもない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2013年7月15日

雨降り

 猛暑の中での東京のお盆の需要期であった。暑いのでバラは安くなったが、菊類は数量が不足して盆に入った13日のセリまで高かった。こんなことは21世紀に入って初めてだ。

 食品スーパーの競争が激しくなって、今まで花を扱っていなかった食品スーパーも本年度から物日には扱うようになったところが多い。そんなこともあり、卸の段階では盆用の花は良く売れた。
 しかし、小売店はよく売れたところと売れなかったところがはっきりとしており、立地条件よりむしろ日頃から一生懸命花店として商いしているかどうか、その姿勢が商売繁盛か衰退していくかの分かれ道のように思う。
 駅中や駅周辺の好立地でなくとも一生懸命やっているかどうかの姿勢で応援してくれるお客様が増えたかどうかわかる良い時代になっていると思う。

 さて、来週は日帰りだが、神奈川の丹沢三景の大山阿夫利神社参拝登山をする。阿夫利神社は五穀豊穣の雨降り神社であり、関東地方は干ばつ気味であるので穏やかな天候で商売繁盛をお願いして来るつもりである。
 同じ先導師のところに東京青果卸の講もある。江戸時代の神田のやっちゃばの頃から続いている青果の仲卸の講で、こちらはここ70年の講だから弟分として何かあると協同歩調をとっている。
 この大田花き大山講のメンバーのお一人に花幹 水口会長がいらっしゃる。創業者である水口会長は、社員を社長にし、現在会長を務めている。ご子息は立教大の助教で『渡航僧 成尋、雨を祈る』という本を出版された。いただいたので、通読した。
 
 成尋は平安後期(1072年)62歳で宿願の宋にわたった天台宗の僧で(1081年)、69歳で中国で没した。成尋が有名なのは、時の皇帝に3日間の祈りで雨を降らせますと約束し、台密で法華経を唱え、見事に3日目に雨を降らせ、皇帝から称号をいただいたという大人物だ。
 どこまで成尋和尚が降雨を祈ったかことが天に通じたかはわからないが、人は思ったことしか実現しない。やったことしか実現しない。それは真実であるから、雨降りが偶然であったにしても、成尋の威徳だったことは間違いない。

 「感動する」とは"気とリズム"がまさに動いていることを感じた時である。それは、芸術には欠かせない。古いものでも魂は生きている。今でも生きているように見えるし思える。これは、絵や彫刻や文だけではなく、神社や仏閣など大きな建造物に対しても我々は感じることが出来るし、富士山という山、大山という山にも感じることが出来る。
 「気韻生動」という言葉を思いながら、水口氏の成尋の本を読み終えた。人間が我欲の為にでしゃばったことをし過ぎて、神である自然からしっぺ返しをされて今暑さで唸っているが、もう一度宇宙と一体化しリズムを整え自然としての自分を知り、そして科学を使い、良き花の仕事をしたいと真夏の今日考えている。

投稿者 磯村信夫 : 16:34

2013年7月 8日

2010年度県民所得が発表されたが・・

 東京は例年よりも早く梅雨入りし、早く梅雨が明けた。昨日今日の暑さは凄まじく、今日から盆の仕入れが本格化するはずであったが、とある小売商曰く、「もう夏バテです。暑さで人の具合が悪く、店にある在庫の花も具合が悪いので、明後日の10日で花を揃えます」という仲卸・小売店が多い。
 首都圏は高齢化している。それはそうだ。子供の数が多かった団塊の世代では長男は田舎で後を継いでいるが、それ以外の兄弟は集団就職で首都圏に来たり、嫁ぎに来たり高齢化率は高い。ただ他府県と違うところは、団塊ジュニア始め、若い人たちも多くいるということだ。7月のお盆は昨日の七夕とお施餓鬼は日曜日だった。今年は曜日巡りで週末土曜日の13日からハッピーマンデーの15日の海の日までがお盆で3連休なので、7月盆も久しぶりに実家に家族全員集う家も多いだろうと思う。だから花は売れる。

 さて、話は変わるが、花市場業界では宮崎中央花き、青果市場業界では大分大同青果の伸びや利益率に注目が集まっている。
 2010年度の県民所得(※)では、花市場業界で最も伸び率の高いうちの1つ、宮崎中央花きは47都道府県の中、県民所得45位の宮崎県で頑張っている。県民平均所得は、221万1000円だ。青果市場で、堅実経営、利益率が高い卸売会社として注目されている大分大同青果が位置する大分県は33位で、平均所得は247万5000円だ。東京は大会社も多く首都圏の中心だから、県民所得は430万6000円と2位の滋賀県の326万9000円より100万円も多い。
 
 東京には大会社も多く、会社の経費需要も当然あるので、例えば胡蝶蘭の消費量から単価水準が大輪・ミディーとも他都市と当然違ってくる。なので、例えば大田花きの売上げが大きいのは、地の利の為で、決して努力の賜物ではない。小生はもっと頭を使って努力しなければ恥ずかしいと考えている。
 
 今注目されている2社は何が違うのであろうか。それは、端的に言って経営だ。市場の機能を徹底的に磨き、産地指導やリテールサポートを徹底している。設備投資を絶えず行うので、その原資である利益に対しても貪欲で、品揃えの為とはいえ、買い付け品の利幅をきちんと取る。
 こう見ていくと、確かに県民所得や民力は花き・青果市場の取扱額を決めて行く。しかし、それだけではない。日本各地ではこの2社の質の高い経営が求められており、地域の活性化の一端は一流の市場人が地域にいるかどうかに掛かっている。

 現代の日本では、ゆとり世代が成長し"本物を求める求道精神"に欠ける人材が多数輩出されて来ている。一方では、"切って捨てる""自己責任"の考えが蔓延した時期もあった。
 しかし、ようやく日本そのものがどのような国の在り方が最も日本らしいのかを真剣に考え、それに向かって進んで行くようになって来た。
 花で言えば宮崎中央花き、青果で言えば大分大同青果、このように日本の卸売市場としてあるべき方向を実現化してくれている。大いに見習うべきである。


※参考サイト
都道府県別統計とランキングで見る県民性より
"県民所得ランキング"

投稿者 磯村信夫 : 15:52

2012年10月29日

くれない族

 好きな番組の一つに、NHKラジオ朝4時6分からの"明日へのことば"と日曜日のこれもNHKラジオFMの12時15分からのトーク番組がある。これを聴きながらウォーキングやジョギングをしたりしている。大変ためになるし面白いので機会があったら皆さんも是非一度聴いて下さい。

 私は本や他の番組でも学んだので、ノートルダム清心学園理事長の渡辺先生のお話の中に出てくる"くれない族"のことは、ベストセラーの著者でもあるのでお聴きになったことのある人も多いかもしれない。"くれない族"とは「認めてくれない」「~してくれない」という風に思ってしまう人のことで、私たち誰にでもそんな気持ちがある。

 急に「うつ」の話になるが、私自身の経験ではうつ病を克服し、以前よりもさらに良い仕事をしている人はいずれも"くれない族"を脱した人であることが分った。能力がある筈なのに、もったいない。何年もまだ"うつ状態"のままの人は、相変わらずどこか自分を被害者の立場に置きながら相手を責めているのではないか、そのこと自体が物事をあるままに受け取れない我欲のなせる業であるということを気付かないのではないかと思う。

 腹を立てることは自分が一番偉いと思っている傲慢な結果であるし、周りから嘱望されているのにうつが治らず狭い範囲でしか働けない人には、その人の具合を看ながらだが、「そうじゃない。くれない族にならないようお互いに気を付けよう」と云いたい。現実を受け入れ、その場で精一杯生きていくことの難しさは一定の年月を生きてきた者として理解できるが、自然の花とそれとは違って人間の都合で作られた栽培の花、いずれも文句も云わずに素晴らしい花を咲かせようと生きている。その花を見ていれば、花の教えである他を批判しない、あるがままを受け入れ、その中で精一杯生きていくことが学べるのではないかと思う。花作りの名人は棟方志功のようにその花の持っている能力を十二分に開花させるお手伝いとするのだ。

 花き業界で遇されていないと思っている人は花を見て、自分が"くれない族"になっていないかチェックしてみよう。社会からも花からも教わることは山とある。

投稿者 磯村信夫 : 17:14

2012年9月 3日

9月2日は敗戦の日

 孫崎享氏の「戦後史の正体」を読んでいる。ちょうど昨日9月2日は東京湾に入港したミズーリ号の艦上で、日本がポツダム宣言を受け入れ全面降伏の調印を重光外務大臣がした日であった。人気スポットのお台場から少し沖に行ったところで調印式が行われ、日本が負け戦争が終わった。

 1944年から、食糧増産で花を作っては非国民ということだったので、一部の許された地域を除き花の生産はなくなった。私の祖父は花専門の種苗会社をしていたから開店休業であったが、1932年に作った大森園芸という花市場で糊口をしのいでいた。私は大森に住んでおり、近くの入新井第一小学校が選挙の投票所になっているが、もう20年以上も前に何故だかわからないがそこの小学校に大森海岸の料亭街を慰安婦の場所として日本国政府は一般婦女子の安全を守る為、慰安婦を募集し連合軍(アメリカ軍)の兵隊さんが列をなして大森駅の所まで並んでいる写真があった。その時は今云ったようなことはわからず、気になっていて何の列だかわかったのは今から15年前、大森の戦後史の中でこのコメントに出会った。このことは、9月5日のことだそうで、ミズーリ号で調印をし戦争が終わった後であるにもかかわらず、或いは調印をしたのは、何でも云うことを聞くということで調印したのか、終戦の3日後に日本政府はその道の商売をしている人もいるし、それ以外の人にも声を掛け応募し、約1200人余りの女性を今の平和島の競艇の前にあった料亭、澤田屋、小町園、悟空林などあったが、そこに女性を収容し、慰安婦として働かせたのである。憤りを覚えるが、日本が独立する51年まで、何んと国家予算の2~3割がGHQの駐留費としてあてられていた事実を思うと、言葉は悪いが日本人は進駐軍の言うことなら何でも聞く奴隷に成り下がっていたかのようであった。この国家予算の駐留費の中に花代も入っていたと云う。この花代は、駐留軍の奥さん方の生け花の習い事の費用や花のプレゼント代、自宅の花などでジャズ音楽などと同様、日本の戦後の花き生産と花文化の習慣付けのきっかけになっていったことを思うと、花き業界人として複雑な思いである。

 学生の頃、石橋湛山のお孫さんがいて、私の親友が石橋さんと親しかったので、話を聞く機会があった。お互いにノンポリだったから学生運動には関わらなかったが、安保闘争のこともあり、アメリカとの関係を良く話し合った。私は多分にアメリカから自主路線を取ろうとする石橋さんから影響を受け、おばがドイツ系アメリカ人と結婚しカリフォルニアに住んでいるのに行きたいとも思わず、花の仕事を始めて特にスーパーマーケットのクローガーが花の売上が多くなってからアメリカに行き始めた。学生時代から専らヨーロッパが好きで、それは勝者としての強健なるアメリカから自立したいという意識がそうさせたのである。日本も3.11と領土問題から国民の意識も変わりつつあり、狭い範囲だが、花のことのみ云えば、アメリカから自立しヨーロッパ、そして和モダンという風に先行して日本の独自性を出している。2012年9月2日を期に日本人は極端なナショナリズムに陥ることなく一国一文明の国として精神の上でも国家運営システムの上でも自立していくことを望んでやまない。

投稿者 磯村信夫 : 15:48

2011年11月21日

先週習った2つのこと

昨日の11月20日(日)、目黒の雅叙園でマナコフラワーアカデミー50周年と池坊東京武相会30周年の合同作品展示会と式典があった。目黒雅叙園の広い2階に展示された作品の数々に、1輪1輪の美しさを活かして奏でた造形を堪能した。式典に真子やすこ先生、るみこ先生を慕う教え子はもちろんのこと、花のすばらしさに感動した多数の人が駆けつけてすごい熱気であった。

さて今日は、先週の46週に習ったことで、心を捉えて離さない2つのことを皆様方にお話ししたいと思う。いずれも日経MJに載っていた記事だそうで、1つは博報堂生活総研の記事。もう1つはハーバード大学マイケルポーター氏のCSVの記事である。
先週、福島に行く機会があったが、車中から吾妻連峰、安達太良、そして磐梯山を臨むにつけ、日本でも有数の景観を誇る自然豊な福島をなぜ原発事故でこんなにしてしまったのか、激しい苛立ちを覚えた。博報堂生活総研は毎年定点調査をしている。震災後、生活者が目指すのは「自分で自分を運営する」という生き方で、社会における自分の役割を自分で作り、役割を果たそうとしている。このように自己責任の意識が高まり、社会の課題解決を自ら行っていこうという意識が高まっているそうだ。
ビジネスからしたら消費の現場で、生活者と社会的な課題とつなぎ支援をすることが企業のビジネスの機会であるとも伝えている。社会の人たちとつながりたいと思っている人が約60%いて、「自立なくして連携なし」としている人が約55%もいることは新しい日本を作っていく時代に入ったと言える。

またもう一つのマイケルポーター教授のCSVは、Creating Shared Valueという概念で、今年の夏に農業協同組合方式のオランダの花市場FloraHollandがマイケルポーター氏の授業に取り上げられ、その後FloraHollandはオランダのベアトリクス女王からロイヤルの称号を得た。その考え方である。今まで企業は競争相手を同業他社、仕入先、販売先、新規参入者、代替品としてきたが、CSVは長期的な成功を目指すため、企業と地域が協力し合って、品質の維持や健全な中産階級の維持、育成などを考えて、長期的に社会的便益を供与し、見返りとして応分な利益を得られるようにしなければならない。あくまでも社会的な便益を尽くすことにより、応分な対価を得るという協業の精神に則った仕事の仕方こそ本当の仕事だというのだ。世界はリーマンショック後、日本では東日本大震災後、本来人が持っている善意に目を向け、足元を照らし、自分の国から良くなっていこうとしているが、それは日本にとって決して内向きだけになるのではなく、花であれば日本の消費者にとってすでに欠かせない産地となった台湾、韓国、中国、マレーシア、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア、ケニア、そしてオランダなどとそれぞれの社会がよくなる方向での取引をしていく必要があるということである。
すなわち、取引ではなく共通の目的を持った取り組みをしていく、これが仕事を通じた我々花き業界の課題なのである。仕事の社会的意義をもう一度見つめなおし、それに向かって全力でぶつかっていこうではないか。

投稿者 磯村信夫 : 16:52

2011年6月 6日

震災で結婚しだした?

いよいよ蒸し蒸ししてきた。暑くなると大田市場花き部の節電目標昨年比15%マイナスが気になるところ。節電でセリ場上の中央通路の電気も消し、定温庫の空調も荷物を入れる1時間前から入れ始めるようにし、20度未満を保てるのなら消すという作業をしている。開設者の東京都からは、「花き部は順調に節電15%マイナスをしているので、夏場も今の行動を続けてくれれば大丈夫です」と言われている。この調子で少し暑いががんばってやっていくということになる。

このたびの大震災で、葬儀は遺族だけの都合で直葬するといった葬儀が少なくなっているそうだ。つながりを大切にするようになって、普通の葬儀をする。供花もローコストにするために芳名板でやりますというところもあるが、芳名版で済ませていた葬儀社も元に戻って篭花を出すところが一般的になってきた。省略した葬儀が行くところまで行って、揺り戻しの形で良識あるものになりつつあると思う。
結婚式も同様で、震災の影響からかとにかく結婚する人が多いそうだ。昨日はお台場で定点観測したが、中国人や韓国人の旅行者は少ないが、日本の人たちはほとんど元に戻ったと言って差し支えない。そして先ほど言ったように、増えたのが結婚式だ。お台場の日航ホテルは東京では1位2位を争う人気の場所だし、アクアシティにあるレストランウェディングの場所も大人気だ。昨日も結構繁盛しており、結婚して婚姻届を出すだけの人もいれば、きちんと式を挙げる人もいる。とにかく震災の影響か急に結婚しだしたのである。ゴールデンウィーク前までのアバランチェ(白バラ)の安値は終わり、ようやく需給バランスが取れるようになったと昨日お台場を散策していて実感した。

話題として聞いてください。結婚式を仏教式で挙げる人はあまり多くない。しかし花の仕事をしている我々にとって、仏教の結婚式はなかなかすばらしいものだ。新郎が5本の花を仏様に供え、新婦が2本の花を仏様に供えて、夫婦であることを誓い、仏様から祝福してもらい功徳を得るというものだ。
それはこのような故事からだ。釈尊の前世の時代に燃燈仏様がいらっしゃって、この世に功徳を与えていらっしゃった。王様は自分で燃燈仏様に花を捧げ、功徳を独り占めしようとして、国の花をすべて持って来るよう指令を出した。とある青年が自分もぜひとも花を捧げて功徳を得たいとしたが花がない。ちょうど王様のところに7本の花を持っていこうとしている少女に出会う。青年は王様の命令だから出来ないと断る少女に全財産を渡し、5本の花を分けてもらう。それを燃燈仏に捧げる。青年からその話しを聞いた少女も2本の花を捧げて功徳を得た。そして輪廻で後世にあらわれたのがシッダールタ王子と隣国のヤショダラ姫だ。そしてシッダールタは釈尊になる。それが行華(あんげ)の逸話だ。
とにかく震災後、冠婚葬祭は変わってきている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2011年2月21日

頑張るインドアグリーン協会

暖かくなって2週間あまり経ち、暖冬の様相を呈してきている。今までは不作気味で単価高であったが、ようやくここに来て荷がまとまり、切花は順調になってきた。このひなまつりまでは昨年の猛暑の影響と晩秋の長雨で花桃・菜の花とも出来が悪いが、3月分からはようやく日本の花らしい世界最高の質のものが量的に出回ってくる。消費者の期待に応えられるよう小売店に頑張ってもらって流通させるだけだ。鉢物は1ヶ月遅れで3月下旬のものから良くなるだろう。

さて、昨日社団法人日本インドアグリーン協会の前理事長の指田栄二氏の叙勲のお祝いがあった。300人以上の大祝賀会で熱気に包まれていた。指田さんの人柄を反映して、飾らないざっくばらんだが節度のある素晴らしい祝賀会であった。
インドアグリーンは室内で根付き植物の装飾など造園の屋内化を行う一方、貸し植木の業務を行い、オフィスでの生産性向上や待ち合わせ場所を憩いの場にしている。21世紀になって日本の企業は3K(交際費、交通費、広告宣伝費)を中心にコスト削減に努めてきた。その運動の中、オフィスの緑に対する支出がカットされた。サスティーナブルな地球環境と言いながらも、CO2マーケットなど商売を優先させてきたきらいがある。日経平均株価が15,000円を目指そうとしている昨今、日本の産業界は21世紀をようやくとらえて、積極的に打って出てきた。インドアグリーンの仕事もそうで、再建からルネッサンスへと打って出て行く時となっている。
90年大阪鶴見の花の博覧会で、人にとって花や緑が欠かせないものだと国民の誰しもが思うようになったが、21世紀の最初の10年は花や緑が見慣れたものになってしまい、手入れや水やりが面倒だと、経済的な理由から造花に変わったりした。それはある意味では衰退とも言って良い10年であった。
それが指田さん叙勲のお祝いをきっかけに、会場ではもう一度「やってやろうじゃないか」という機運が盛り上がってきた。会社の寿命30年だとすると、花き業界はどうにか30年過ぎも会社として存続させてもらえる自助努力を行っていこうとする意欲が参加者の私に伝わってきたのは大変心強いことであった。インドアグリーンの人たちを通じて、以前にも増してオフィスやマンションにたくさんの植物を置いてもらえると思った。


P.S.
同じ参加者のうちのお一人山下ようこ様が3月12日(土)17時30分~20時15分 中野サンプラザで「オフィス室内緑化調査研究ミーティング」を開催されます。お時間があったらぜひともご参加ください。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年8月 2日

違いを認めた平等-日本の卸売市場

8月1日付の『日本農業新聞』にFAO(国連食糧農業機関)アジア太平洋地域代表の小沼廣幸氏へのインタビュー記事が載っていた。日本人としては初めてのアジア太平洋地域のFAO代表だ。記事の中で飢えについての質問があり、小沼代表は飢えには2つあり、1つはカロリーベースの絶対量不足、2つ目には富の偏在によるビタミンやミネラルなどの不足をあげていらっしゃった。

7月31日の土曜日、市場流通ビジョンを考える会があり、この10月に第9次の卸売市場整備の基本方針が発表になるが、その前にそれぞれの市場協会等を通じて通達された内容について検討を加え、会としての方針を議論した。特に議論の対象となったのは「中核市場」についてだ。なお中核市場は水産・青果についてであり、食肉と花きについては適用されないが、しかし青果で適用されるものについては産地は当然花きも「右へ倣え」になるのだから、我が事として花き関係者は議論した。

東京には5つの中央卸売市場花き部があり、青果(水産)と一緒に中央卸売市場を構成している。その青果が拠点市場にならなかったら、産地指定などの面で不利になる。また最初から拠点市場ではないとされる市場も多い。これは格差ではないのか。これをどのように考えていったらよいのだろうか。

そこで思い出すのは2人の思想家である。まず釈尊の教えだ。お金持ちも貧乏人もいても良し。ただしお金持ちは寺や仏像など応分に寄進する役目を科して。貧しい者はできることをすれば良く、笑顔を布施としなさいとしている。差異あるいは格差を容認するが、徳目を持って世のため人のために修身して生きていきなさいと言っている。もう一人は今ベストセラーになっているマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の中にも出てくるジョン・ロールズである。20世紀、平等について徹底的に考え抜いた哲学者である。ポイントは二つあって、一つは市民には基本的自由が平等に与えられている。基本的権利、自由を侵してはならない。これは我々もすぐそうだと理解できる。もう一つが有名な「格差の原理」である。平等主義の権化と言えるロールズは、所得を平等に分配しようと考えるとある程度の格差、例えばバスの運転手より医師のほうが高給であるということを認める。社会で不遇な人々を助けるために自分の才能を使う限りにおいて、自分の才能から利益を得ることを良しとした。個人に備わった天賦の才は個人の才だけではなく、むしろ環境から得た比率が大きい。

平等のロールズは日本流に言えば、無私の精神で結果として得た収入を認めることは不正義ではないとした。では第9次で拠点市場として指定された市場と指定されなかった市場の問題をどのように考えたらよいのか。これは格差なのか役割なのか。市場流通ビジョンを考える会は多様化と個性化で今よりも役立つ生鮮食料品の流通を目指しており、作りすぎた卸売市場の数の調整も一定段階まで必要だと考えている。しかし日本の卸売市場を日本全体の生鮮品の流通システムとして見たとき、数の調整だけを促すのは良くないと考えている。三菱系の食品卸4社が合併し、2兆円規模になって国内事業の整理整頓と同時に海外へ出て行こうとしているのはわかる。オランダの花市場は2009年1月に合併して国内では一社体制になり、さらに2010年ドイツの花市場と一緒になることが決まった。また本年アールスメール市場のそばのインターネットのフローラアフリカも吸収し、巨大な卸売市場になってきた。このように中間流通として競争力を旨とした考え方、もう一方に平等を旨とした市場流通の考え方がある。日本の卸売市場人は国民生活を支えているという意識が強い。卸売市場はロールズの「格差の原理」を認めながら、平等主義に根ざした運営を自らしようとしている。それぞれ個性的で多様な「ロールズの格差原理」に基づく日本の卸売市場列島構想である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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