大田花き 大田花きコーポレートサイトへ
 

2010年7月 5日

日本の農業のありよう

本屋で岡潔と小林秀雄の対談「人間の建設」が文庫本で出ていたので、買って読み返した。算数と体育は大の得意だったので、岡潔氏は高校時代から私の憧れる人であった。その人が大学受験にも文章が引用されるという小林秀雄氏と対談しているというので、私は高校1年のときそれをむさぼるように読んだ。若いときの読書というのは人を造るというが、本当に1ヶ月前に読んだかのようにそれぞれの箇所が思い出され、復習している気分になった。40年以上も前のことだが、当時は刹那的な快楽はいけないだとか、忘己利他だとか、人の生き方について自分を中心にした卑しい生き方を忌み嫌う価値観があった。今でも十二分に人の尊厳を旨として伝統的な美的価値観はあり、それをどのように各自が自分のものにしていくのか。真善美の価値観を体現して日々生活をしていきたいと思った。

先週、「人間の建設」を読み返したのは3回目だと思うが、2回目の大学生の頃はオランダにいて、オランダにいるときお世話になる画家のダマーベ家の長男のケイシーと夜な夜な近くのブラウンカフェで彼の友達たちと議論したりしていたことを思い出した。直近の戦争の感情を引きずるのが国と国との間の国民感情で、オランダからすると第二次世界大戦のときにインドネシアで日本と戦って、日本軍はオランダ軍に勝利したから、オランダからすると国家元首が日本に行くとなると、退役軍人たちがデモをして行かせないようにする。日本は400年前の鎖国のときもオランダと中国、朝鮮とは交易していたので、オランダとは友好の気持ちを抱いているが、オランダは日本を色眼鏡でどうしても見てしまう。そのブラウンカフェでの会話は、「日本は近年経済力をつけてきており、池田勇人首相をフランス人はトランジスタラジオのセールスマンと言ったそうだが、まさに国は保護貿易をしながら経済活動に邁進している。少しフェアーではないのではないか。」「日本より大きい面積の国はヨーロッパでは3ヶ国だけで、人口は日本はどんな国よりも多い。オランダやイギリス、ドイツから見ても日本は大国だ。」

ヨーロッパに行く度に日本の経済力は強くなって、ウォークマンが出てきたときには妬みは消えてようやくイッパシと認められるようになり、私も一日本人として嫌な思いをすることがほとんどなくなった。日本はアメリカから「もっと内需を拡大せよ」と言われていた時期があったが、日本は外需が20%、内需が80%というこのグローバリゼーション単一世界経済においても内需比率が非常に高い国である。当然農業もそうで、大企業が輸出や社会インフラの建設で儲けると、富がぐるっと回って消費者が豊かになり、いつしか本物の肉や魚、青果や花を要求するようになった。また新しい品種などを要求するようになった。世界規模で見たときに花の生産と消費は額で言えば農業生産国で2位とか3位だし、日本の農業の国内生産額8兆円は先進国ではアメリカに次いで第二位。世界では中国、アメリカ、インド、ブラジル、日本、フランスの順番で、日本は世界第五位だ。野菜や花や果樹などでも世界で5位以内の品目が大変多い。昔オランダ人と話していて、農業国はいずれも同緯度帯の横に大きい面接を持つ国が農業国すなわち穀倉地帯であり、小面積や日本のように縦長の国は今まで農業国と言っていなかった。しかしオランダや日本を見て分かる通り、日本の場合縦に長いという気候変動を利用していつの季節にも最良のものを出荷し、消費者を喜ばせると言う先進国の農業のあり方がある。日本の農業を卑下することなかれ。日本の国力と豊かさとともに、確実に好まれる農産物を生産し、農業所得で見たら世界で5、6位に入る所得をあげている。農業の多面的な機能もそれは大切だろう。しかし日本農業そのものが国民の心身の健康を十二分に支えているのである。我々は威張ることはないが、いたずらに卑下することなく、自信を持って生産と流通に取り組もうではないか。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年3月 8日

ホームレスとのひととき

昨日は朝の4時30分頃から雨が降り出した。
ホームレスになって1ヶ月くらいだと思うが45歳近辺の女性が気になって、いつもいる大森駅近くの水神公園のところに見に行った。

3?4日前、犬を散歩に連れて行ったとき、噴水のふちに座っていて、背筋をすっと伸ばしブランド物のバッグと所帯道具の入った袋を3つ持っていた。後ろを向いていたので顔を見ることは出来なかったが、茶色に染めた髪の地際が白くなっていて、ぴんと張った背中は急転落した人生を今だ茫然自失しているかのようだった。まだ暗いのでどこかの軒先にいるだろうと思ってそのあたりを探した。

僕は朝3時45分に起きて、4時6分頃から始まるNHK第一ラジオの「こころの時代」を聞きながら散歩するのが趣味だ。この時間は新たにホームレスになった人たちが起きる時間で、近所のハローワークの軒先や品川水族館のバスの待合室など、明るくなる前にダンボールをたたんで、次の場所に移動する時間だ。50歳前後の新たにホームレスになった人たちが目に付き始めたのは2008年からだ。僕が以前よく話しをしていたかっちゃんは再就職してもうホームレスではないが、ニチレイの冷凍庫の横に車を泊め、そこで今でも寝泊りしているゲンちゃんは挨拶程度の仲間だが、もう彼の車は3台目で、だんだん小さくなって今はスズキの軽で寝ている。一昨日の土曜日の朝も挨拶をして僕は会社に来た。その2台後ろに4tトラックで寝泊りしている附木さんはもう6年もこの場所に寝に帰ってくる。きっと居心地がいい場所なのだろう。

良いとか悪いとかよりも、とにかくなんらかの理由でこのような生活をしている人たちを認め、それとなく行きずりのものだが、地域の住人として接することが出来ればと思っているが、彼らからしたらそんなことは迷惑だろう。少なくとも昨日のように雨の日には、骨のしっかりした傘があるか見て、なければそっと置いておく。いつか仲良くなればかっちゃんのように立ち入らない範囲内で世間話をして、次の人生のスタートを切ってもらえるように心に灯を燈したいと思っている。

大森の近辺には町工場の雰囲気やにおいが染み付いており、僕は町工場地帯で生まれたから金属を切ったり伸ばしたりしているあのにおい、従業員も2、3人だから生活のにおいも混じった下町のにおいが好きで徘徊する。多様な人たちが生きている社会の品川区、大田区、旧東海道の面影がそのまま残る場所は私の自慢の街である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年5月 5日

業界の元気はわたしたち一人一人の元気から

どうやって元気でいるかということはとても大切なことで、「口腹を養うは養の下なり、体躯を養うは養の中なり、心志を養うは養の最なり」という通り、この三つを心掛けていくのが肝要だと言いますが、実際は身体検査をしてみると要注意のところが誰でもあります。今日は私事ですが、小生がどうやって元気でいるかということをお話してみたいと思います。

まず食事ですが、人間は昔から獲物を取りに行ったり、農作業をしたりして身体を動かし、そして食事にありつけるという生活のリズムを長い間してきたと考えています。獲物を取りに行く交感神経を使い、収穫が終わってやれやれと食べて、副交感神経が働き、自律神経のバランスが取れてくるのです。ですから小生は朝食は一年中バナナと柑橘、昼は本当に軽く、夜にしっかり食べます。そして可能なら2時間経って、忙しくても1時間は食休みを入れて寝ます。これは小生が午後から夜、栄養吸収する時間帯。寝ている間細胞の取り換えなどホメオスタシス(恒常性)を利かせます。そして次の三分の一の朝から午前中が排せつやパワーの出力の時間帯だと考えているからです。ですから朝は果糖を中心に入れてできるだけ体の負担を少なくし、昼は眠くなるから少なめにと考えて実行しています。体躯については1日おきに歩いて会社に行っているのと、週2回ジムに行ったり、スキーや山に行ったり、とにかく運動を楽しんでいます。それから最も大切な心志で一番の養生は、月・水・金には未明に会社に来て、入荷したばかりの荷を見て歩くことです。ご出荷いただいたことに感謝の気持ちが湧いてくるし、荷主さんの期待に応えなくてはとやる気が出てきます。新品種を見つけたり、また○○さんは息子が帰ってきたから面積を増やしたなどのメッセージを読み取ったりすることが出来ます。トラックの運転手さんたちとも挨拶をしたりします。社員の人たちもそうですが、鮮度が命の花き産業は昼夜を問わずがんばっている元気な人たちに支えられています。その人たちからも元気をもらっています。こうして今年も第19週を迎えました。

元気のレベルを上げるには3つの丹田が大切だと思います。下丹田のへその下、自分の中心で自立を司る場所。中丹田は拝むときに思わずその場所で手を合わせるところ。胸襟や度量と言われている場所で、自分を取り巻く人やモノ、外とコミュニケーションをするところです。上丹田はひらめきや知恵などを司り、ヒンドゥー教の人も仏教のお釈迦様も額のそこに黒い印をほどこします。この3つが素直に働いていると人は輝きを増します。この3つがポイントであり、元気な人で、元気な組織は3つの丹田を大切にしています。あるいは無意識のうちに活性化させています。人は複利で良いことも悪いことも伝わります。エモーション(感情)はモーション(行動)に現れるから、だから理性でモーションから入ってエモーションをときに整えることが必要になります。そうすると周りがみんな元気になっていきます。いつもニコニコ副交感神経、やるぞやるぞと扁桃核です。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年10月29日

日本の強さは名も知れぬ民の強さ

昨日の富士山は真っ白で大変素晴らしかった。この時期、これほど雪をたたえた富士の姿を見るのは初めてだ。

さて、先週は青山フラワーマーケットさんの東京駅、銀の鈴そばの店舗開店やら、恒例となった假屋崎さんの雅叙園百段階段の展示会、土曜日には丸ビル・新丸ビルで日比谷花壇さんが「東京フラワーアウォード2007」他を開催した。そして僕は(財)日本いけばな芸術協会創立40周年記念大会を日本橋高島屋に見に行った。日本中の生け花の流派をまとめていく構造はこのようになっている。名誉総裁として常陸宮妃殿下、副総裁に豊田章一郎氏、会社でいえば取締役は名誉会長の犬丸直氏、会長遠山敦子氏、副会長池坊由紀氏、副会長勅使川原茜氏、そして執行役は理事長肥原碩甫氏、副理事長に千羽理芳氏、野田唐峯氏となっている。この日本いけばな芸術協会は昭和41年にいけばな芸術の普及、日本の伝統文化の発展を目的として設立され、全国の諸流派365流派、会員数は4500人によって構成されている。流派はお家元をシンボルとし、世襲であるところが宗教と異なる。しかし各流派の実力者達はまさに陰徳を積むことを旨としており、匿名性が大変高い。皇居は日本の芸術や技術の粋を集めて作られているが、ここも大変匿名性が高い。下世話な我々は『カリスマ』や『ブランド』などとほざいているが、この匿名性こそ日本だけではなく、広くアジアの特徴といわれている。それは曼陀羅の構図に見て取れるし、「空」に実在感を感じることが出来るのもこの匿名性と大いに関係がある。そこには自己主張を抑え、性善説で事を行なうことによっての経済合理性に結びついている。なぜ経済合理性かというと、チェックをしなければ手間が省けるからだ。信用されて嫌な気持ちの人はいない。一方、性悪説にたって事業を行なうと、結局警察国家となってチェックのための機構、そのための書類作りなど膨大なコストがかかる。

かつて日本は世界のGDPの15%をしめていた。しかし2007年の今、10%を保持するのがやっとだ。相対的経済力はこれほど落ちてしまった。だから米国におけるサーベンス・オックスレー法の日本版J?SOX法を法に則って、株式公開会社は企業統治を行なう。セリは公開の席上ゆえチェック機能が働くが、相対でもそれと同様のチェック機能を利かせなければ企業統治が出来ているとは言えない。大田花きが営業本部を産地(仕入)と買い手(販売)の二つに分けて活動しているのは、一人で売り買いを行なうと間違いを犯すことがあるからである。現金出納でもJ-SOX法に則り、あらゆる取引の現場で、公開会社である大田花きはチェックを利かせながら業務を行なっていく。これは明らかに「人は弱いもの。Wチェックは人間たらしめるための必要な行いであること」を超えて、警察国家的になってきている。コストがかさむ。理想はもう一度性善説に則り、匿名であっても間違いを犯さない社会を作り上げることだが、それは無理。昔には戻れない。しかし、日本の持味を出したコンプライアンスの利いた仕事を作る必要がある。そのためには日本の歴史と伝統を学び、身に付けておくことが欠かせない。ワンジェネレーション30年後にそのような社会を作るべく、花き産業の立場から実働していきたい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年8月20日

もう一つの特攻隊

お盆が終わり、今年の終戦の日も過ぎた。盆の前後に藤原正彦氏の「日本人の矜持―九人との対話」を読んでいて、そのうちの一人である五木寛之氏との対話の中で五木氏が「その女性は言わば特攻隊員ですから。自分から飛行機に乗って死んでいった若い人たちの話にも感動しますが、嫌がるのを無理やり周囲から押し出され、泣き泣き出て行った人々も特攻隊員。・・・」と話している箇所に出会った。僕の記憶の中の女性たちはそうだ「特攻隊員」であったのだ。僕はようやくどう彼女たちを鎮魂すればよいか、どう感謝すればよいか、その方向性を見出すことができた。これで東の方へ向かい大森駅から素直に手を合わせることができる。

僕の知っていることはこのようなことだ。大田花きの前身の卸会社のうちの一つ、大森園芸は1932年(昭和7年)5月2日、大森駅の海岸口のところに日本で初めての植物市場として営業を始めた。今、駅ビルや東急インが建っている線路際である。終戦後、駅前開発のため代替地を環状七号線のそば入新井3丁目、現在大森北5丁目にもらったわけだが、ずっと長い間大森駅と一緒に歩んできたのが大森園芸だった。会社に入ってそのルーツを調べていったとき、一枚の写真に出会った。それは今平和島の競艇場があるところが人口島のまさに平和島で、大東亜戦争の捕虜を収容するプリズンだった写真だ。戦後、進駐軍にA級戦犯として捕らえられた日本人も収容された平和島の写真だ。その写真は第一京浜から撮られている。もうあと二枚の写真があって、その写真は第一京浜に沿って海際に建っている澤田屋、小町園、悟空林など大きな料亭のところからずっと列をなして並んでいる米軍たちの長い列だ。最後の三枚目の写真は、その列の最後尾がなんと大森駅のところだったことを伝えていた。この列は何かというと、進駐軍に一般の婦女子が襲われないようにと、もう一つの女性特攻隊を募り、義勇軍として戦争で夫をなくした未亡人などを公募し、大森海岸のこの料亭街で性欲のはけ口とさせたのだ。もう随分前のことだが、何でこんなところに長蛇の列の写真があるのか分からなかったが、選挙で入新井第一小学校に入ったら同じ光景と思われる写真があった。言葉では言い尽くせないが、このようなことを経て我々は今がある。7年前、母が住む池上の家を建て替えたとき、僕や妹の古着やおもちゃが出てきた。母が言った。「こんなに平和が続くなんて思わなかったわ。」台湾からの引揚者である母は今でも現実の中に美しさを見出すことを信条として生きている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年7月30日

個人消費をどのように活発化させるか

今、日本では貯蓄を取り崩して生活している家庭が少なくない。現に4世帯に1世帯は貯蓄が何もない。だから当初予測していたのは、企業にお金がまわり、個人にも一定のお金がまわったこの7月のボーナス期、個人消費が活発化するというもの。しかし実際は減った貯蓄を元に戻そうと今は定期預金ではなくいろいろなお金の預け方で各家庭は今後に備えようとした。今後に備えるというのはなんと言っても将来不安だ。グローバリゼーションへの不安感、そしてもちろん年金の問題もあろう。

ヨーロッパにしてもアメリカにしても、60年代から70年代、そして80年代と日本が世界で第2位のGDPを稼ぎ出すようになった過程でいずれも今日本人が感じている新興勢力の競争力の強さに対して自分たちがどのように生きて行けば良いのか、その解決施策を実行してきた。一つは自由貿易体制をさらに推し進め、豊かでない人にも良くて安い海外のモノやサービスを提供することによって苦痛のないようにすること。そしてもう一つが教育に力を入れることである。アメリカ合衆国にしても、EUにしても、ステイツ(地域国家)のまとまった国や地域だから、いずれも陸続きで貿易に関しては経験上、自由化も実行されやすい。アメリカでは確かに性分とも言えるモンロー主義があり、貿易摩擦は絶えなかったわけだが、しかし結局自由貿易主義を実行し、世界をけん引していった。日本にこの政策が当てはまるかというと当然そうせざるを得ないわけだが、日本の国民を説得するのはなかなか骨が折れそうだ。これはちょうどイギリスのサッチャー政権以前、イギリス人を説得するのに大変骨が折れ、結局イギリスは第一次世界大戦から1980年までGDPは縮小均衡を極め、イギリス病といわれるまで競争力の弱い国になってしまったのと同じである。かつての大英帝国も島国ゆえに国民はなかなか説得されにくかった。

消費活動は今、日本の経済において最も重要なポジションをしめている。将来不安の一つである年金問題は、自助努力によって解決できるので行なわれるが、グローバリゼーションと自由貿易体制の堅持は都合不都合を乗り越えて行っていくべきものなので、現時点では政局のより戻しも相まって、日本人が覚悟を決めてこちらの方向に進むと決心するのは、実際にASEAN統合とアジア自由貿易体制が整い、実行され始めてからになる可能性がある。安定した個人消費は具体的に年金問題を解決し、グローバリゼーションあるいは海外の会社のもたらす富が国内循環したときに行なわれるだろう。実際に起こってみて体験し、それらの将来不安が取り除かれてはじめて、衣食住以外の花きなど嗜好品の個人消費が活発になると思われる。それまで花の個人消費の厳しさが続くと見るがよいのではないだろうか。消費全般について日本国民は厳しい見方をしていると思われる。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年5月14日

市場神輿(イチバミコシ)

昨日は母の日と神田祭が重なった。神田祭で一番大きな神輿は市場神輿だ。神田多町に市場があって威勢のいい若い衆が大勢いたので、他の町の神輿よりひとまわり大きい。神田から秋葉原へ、秋葉原から大田へと市場は移ってきたわけで、大田市場協会の2階事務所のところにはちゃんと神田明神様の小さなお社があって、それが大田市場を支えている。東一の川田社長から「ぜひともいらしてください」、あるいは「担ぎたい人がいたら」とお誘いをいただいているが、こちら花き部は母の日で大忙し。毎年ちょうど母の日近辺だから、残念ながら神田祭は欠席しつづけている。しかし大田市場で働くものの心意気はこの神田祭と同じだ。

初夏の花といえば、菖蒲が一番の花であろうと思う。今年は暖冬で株がよく充実したから一番花が終わってそれを取ると二番花が出てきて、二番花が終わってそれを取ると脇から花芽が上がって咲く。10本のうち3?4本は三番花まで楽しめる。この透明感を持った花はまさにこの五月晴れの透明感だ。母の日で母と話していたとき、「この年になって菖蒲の良さがわかってきた」という母の言葉から、もう一度玄関に飾ってあった菖蒲を見ると、すっと立つそのすがすがしい姿は気品となってあらわれているように思う。今年は枝物を見直しているが、雑誌の傾向もそうであるように日本古来のものをもう一度日本人の目で見直すことが必要だとつくづく思う。

最後に余談だが、テーマレストランの話。日本ほどテーマレストランが多い国はないといわれている。テーマレストランとは単品料理屋だ。うなぎ屋やそば屋、カレー屋やラーメン屋、とんかつ屋、焼肉屋などなど一つ的を絞って徹底的にそれを追求する。まさに一つの道を極めるがごとくである。よくもまあこういうようにテーマを決めたレストランが残り、活躍しているものだ。生産性の観点からいくと、卸売業はアメリカの半分、小売業は40%、レストランも40%近くという。それは個人経営の店が日本には多いからだと言われている。しかし、だからこそ質の高いサービスがある。これは消費者にとってよいことではないか。生産性を論ずるときに兼ね合いというものがある。質について生産性は語っていないから、どのへんがバランスかということであるが、後継者が育たず店を閉めてしまうところがあるとすれば、それはそれで致し方ない。その分競争が減って消費もちょっと減るが、しかし残った店の生産性は上がってくる。こうして日本は残り物に福ではないが生産性が上がってくる道を少子高齢化の中で歩んでいくことになる。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年5月 7日

生鮮を売るには特別なノウハウが必要だ

駅から自宅に帰る途中に、生鮮コンビニ99円ショップとスリーエフの生鮮コンビニがある。この二つは雰囲気が違う。八百屋さんが生鮮コンビニをやっている、これが99円ショップで、売りが強いだけでなく、「俺にはこれしかない」という気構えが店長にはある。一方、スリーエフの生鮮コンビニは大学を出たばかりの社員と思しき男性2名、女性2名の計4名で店を回しているようだ。こちらは何もわからないから一所懸命やっているものの、サラリーマンがやっており、肝心な生鮮品はあまり売れていない。売れているのは加工食品ばかりで、ナショナルブランドのペットボトルを100円で売っているからとドラックストアで買ってわざわざ運ぶよりも、ここで買えばあまり重くはない。そういう買い方を近所の人はしているようだ。僕はローソンの生鮮コンビニは見たことがないから、なぜ99円ショップと業務提携するのかは想像にしか過ぎないのだが、「99円ショップは生鮮食料品とは言っても本当に生鮮の野菜を中心にしたショップで、この“腐るもの”を売り切ってしまうのは、やはりオーナーのような気分の人にしかできないだろうな。ここに惚れ込んだのだろう」と勝手に想像している。

渥美俊一氏は日本の小売流通の権威であるが、集大成の格好でまとめられた『流通革命の真実』という本の中で、水産売場は100%赤字、惣菜売場は80%赤字、青果売場は70%赤字とおっしゃっている。ここの個所を読んだときに、生鮮食料品の売り方というのは本当に難しいと思った。例えば魚にすると、冷凍ものでなく生で、しかも近海ものとなると、いつも同じものばかりというわけにはいかないし、品揃えも日本型スーパーストアやスーパーマーケットでは一定なければならないし、そのうち鮮度は落ちてくるだろうし、見切りは必要だし、これはなかなか大変だ。惣菜売場も同じで、ただ作っておけばいいというものではない。青果売場もあれだけ品揃えをしているから儲けが出ているのか、この本を読んでから4月末、5月と各所研修のつもりで見てまわったが、午後8時過ぎてもまだ品物が豊富にある。きっと夕方に売れてしまって品出ししたのではないだろうか。オランダに行くとアムステルダムのダム広場のすぐそばに宿をとるが、そこにあるアルバートヘインは午後6時過ぎから売切れになったものが目立ちはじめる。夕食後、お酒でも買おうと立ち寄ると、もう売れ残った物や、加工食品しかない。

もう10年も前になるが、日本型スーパーストアやスーパーマーケットの社長さんが僕のところへ度々お越しになっていた時期があった。2000年になってからもういらっしゃらないのだが、自社で花売場を運営することをやめて、特定企業に任せたり、売場貸しをしたりして、とりあえず自社で花を売ることは断念なさった。もちろんこの2つの業態でも自社でなさっているところもある。自社の花売場を完成させたのは、なんといってもホームセンターのジョイフル本田殿である。ここの花売場は素晴らしい。他のホームセンターは羨望の目でジョイフルさんの花売場(切花・鉢物売場)を見ている。花の鮮度は魚と一緒だ。切花なんか刺身を売るようなものだ。こうなると独特のノウハウが必要であることがわかる。

90年代初め、バブルが崩壊し、個人消費向けの専門店が増えていった。95年から日本型スーパーストアが、次いでスーパーマーケットが、最後にホームセンターが切花・鉢物の売場を拡張した。拡張すると同時に、専門店が支店をたたみ、出費を少なくさせようと本店重視の家族経営になって、切花・鉢物の売場面積を縮小した。そして、ホームセンターは面積割売上高が期待したほどでもないので、花売場を縮小してきた。また、日本型スーパーストアやスーパーマーケットが花売場を外部委託化し、売上が未達の店では物日以外は花を置かないことにした。こうやって花売場の面積は縮小し、卸売市場協会ベースの花の取扱金額はわずかだが少なくなった。繰り返すが、花は近海そのものの魚と同じなので売り方に特別のノウハウが必要だ。そして売り切る人材が必要だ。それは専門店にしか期待できないところである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年4月 9日

合わせるのではなく条件に合ったものを選ぶ

昨日はいくつもの行事が重なり忙しい日であった。統一地方選挙の前半戦、お釈迦様の誕生日の「花まつり」、そして春分の日後、最初の満月後の最初の日曜日の「復活祭」である。

もう10年も前のことになるが、大田市場を見学に来られた藤本農林水産大臣(当時)は小生と話していて、「磯村さんはクリスチャンですね」と言われた。実際は親父の跡を継いで、大井の養玉院の檀家総代の端くれであるが、自分を構成しているかなりのものは中学から高校時代に家庭教師をしてくださった高橋先生の影響を強く受けた。高橋先生がクリスチャンで、ギリシャ哲学を学んでいらっしゃったので、私自身はヨーロッパに強くあこがれていた。私自身の考え方はルーズ・ベネディクトの「罪と恥」にある「人目を気にする」あるいは承認で言えば「内部の人たちに承認を受けることが第一優先される」といったものは身に付けることをせず、そのまま成人した。自分が全体を考え、よしとする方向、こうすることがフェアーだとする手法を選び、ことを起こす習慣が身に付いた。もしかしたらこのキリスト教的考え方に加え、成城学園の自由闊達な教育方針が、今言った思考方法や手段の選択をさせたのかもしれない。このような考えや行動は日本でもかなり認められるようになり、今はかなり自由に発想したり、仕事をしたりすることができるようになった。競争が激しくなった現在、最初に条件やルールを決めておき、その条件に合ったもののみ取り上げて仕事をしていくといった仕事のやり方は、大変有効に作用している。

小売を例にとってお話しよう。花店はレストラン等と同じで、技と立地条件がものを言う商売だ。理想的には売上高に対し、材料費と人件費で60%、家賃が10%、その他販管費で20%。税引き前の経常利益で10%を出すことが目標だ。目標をここに設定し、この理想に近付けるよう邁進していくことが必要である。しかし、家賃が仮に駅ナカ立地やショッピングセンターなどでは15%以上となる。有利な条件でも15%だから、そうなると現在しわ寄せが来ているのが人件費だ。材料費を下げると競争に負けてしまう。これを下げることはできない。人は中・長期的な競争優位を約束するが、今まで花屋さんになりたい女子は一定数いた。だから何も正社員にしなくとも、アルバイトで済んだ訳だ。しかしここが今問題になってきている。早く優秀な人材を獲得しないと、結局将来店が成り立ちえない。ここを一定水準上げていく。そうなると家賃で5%、人件費で5%高くなって、利益が出なくなってしまうのだ。利益が出ない商売はやってはならない。利益はお客様をどのくらい適確に喜ばせたかの証で、万が一のときの予備費であるだけでなく、時代とともに、その会社が変わっていくための大切な投資財源だ。利益を出し、そして仕事を評価してもらう。そして税金を払う。私企業はそうやって社会を豊かにしていく。農業もそうだが、小売店でも先ほど示した売上高における各費用と利益目標を掲げ、努力を積み重ねている花店が増えてきた。バブル崩壊後、新しく花き業界が生まれ変わっていく。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年1月29日

親しい人たち、家族の絆

先週の木曜日、研修所のある御殿場へ赴いたが、今年の富士山は七合目まで雪があった。箱根ターンパイクなど雪のあるところもあり、冬用タイヤの装着が必要だと警告が出ている。そこへ行くと雪国は雪が少なく環境問題で盛り上がった先日のダボス会議ではないが、天候異変を自らの問題としてとらえる必要がある。

さて、国家予算が全体で83兆円と決まり、そのうち社会保障や公共事業、防衛、教育などで47兆円の予算が見込まれている。社会保障について言えば、日本は長い間、地域で子どもやお年よりの面倒を見てきた。この時代が過ぎ、職場が社員と社員の家族の面倒を見てきた。それが1990年代のバブル経済崩壊後、会社はグローバリゼーションの中で勝ち残るべく、本来の目的を持った組織としてゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行した。成果主義の賃金人事体制がその最たるものである。あるいは年金の401Kも同様である。地域社会から離れたので本家分家などの意識は急速になくなり、家の付き合いから近い親戚や親しい友人中心の付き合いになってきた。職縁が薄くなり、上司や仕事関係者が仲人になることはなくなって仲人自体が存在しなくなった。このような日本で誰が義務教育や老後の面倒を見るのだ。それは国家なのか。すなわち日本はヨーロッパ型に行くのか。国家だとすれば、消費税を目的税化して上げる必要がある。

さて、花のことについて言うと、昨晩小生のお仲人のお通夜があった。親友の両親に仲人をしてもらったが、ご主人は当の前に亡くなり、奥様が先週の金曜日に亡くなった。5人兄妹で男が3人。それぞれ経済界で活躍しており、昨日のお通夜には黒塗りの車で多数駆けつけていた。中目黒のそのお寺には会館が2つあり、ご参列いただける方の数が多そうで寒いといけないから急遽会館を二つ押さえたとのことだった。大きい方の会館にはストック、スナップ、バラ、胡蝶蘭をメインとした祭壇、もう片方の少し小さめの会館には白一輪菊でスロープを作りカトレアが飾られて、祭壇用の造型として美しいものであった。好みはそれぞれあろうが、大きな通夜、しかも経済界でも名前を出せば知らない人はいないくらいの会社の人たちが駆けつけたその通夜に、本来であれば保守的であろうはずなのに、我々の言葉で言う洋花が飾られていた。一輪菊を使わない葬儀がほとんどになるとは思わないが、しかし昨日2つの会館を使い、片方にはメインで洋花と胡蝶蘭、もう片方には菊とカトレアでこれが2番目ということは時世を反映していると感じた。

追伸:このように大きな葬儀は喪主の社会的な立場から行なわれたようでした。しかしそこに至るまでの家族会議の話を聞いていると、親しい仲間だとか内内でだとか、家族だけでだとか、そのように○○家の葬儀ではなく、○○さんの告別式と一回りも二回りも小さなスケールになっていく傾向が感じられたのでありました。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

1 2 3 4 5 6 7

Copyright(C) Ota Floriculture Auction Co.,Ltd.