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2006年9月11日

戦後の一時代が終わる

 昨日の午後NHK FMで、先月90歳で亡くなられたドイツの歌姫エリザベート・シュワルツコップの特集番組があった。僕はあまり歌曲を聞く方ではないが、シュワルツコップと男性のフィッシャー・ディースカウは特別でレコードもほとんど持っている。シュワルツコップの豊かな感情表現は抜き出たもので、ドイツ人というと融通が利かないくらいの生真面目さを思うが、彼女の伸びやかさや絶えず笑いが絶えない明るい場作りなど、戦後のドイツの希望の星であった。
 歌曲の中にはいくつも花が使われるがその花の使い方は意味性を持って使われる。日本も芝居に使われる花は同様だが、それは先週お話しした等流法身によるものだと見ている。僕は読んだことはないが、心理学者のユングは密教を勉強した後、さまざまな事柄の意味性を語っている。
 戦後日本は敗戦国であるので肩身の狭い思いをして海外に出て行った。父と一緒にヨーロッパへ行ったとき、ドイツ人とは気が合うと何かほっとした様子であった。ドイツと日本はNATOと安保条約をもとに、経済的に世界第2位、第3位の国となって成功を収めている。しかしその中身は陸続きのドイツと島国の日本では大変異なっており、GDP40%以上が輸出入のドイツと15%弱と国内の取引が85%をしめる島国日本と、こと輸出入に関する限り、このように異なった姿として現れている。日本はFTAで出遅れていることでわかるように、島国でしかも広大な面積で人口が世界第10位と膨大な大国である。細長い国だが面積は巨大で、その長さたるものは稚内をサンフランシスコに置くと、与那国島はメキシコシティのところまである。平らなところが少ない、台風が来る、それもそうだが世界第2位の経済大国が輸出入は15%弱、80%以上を国内であげている。このことに着目すべきである。
 昨年、ロンドン大学の日本学の連中と話しをしていて、「今の国体がいつできたかによって国の年を計ると日本が最も高齢な国だ。」と言う。高齢というのは歴史があるという意味である。聖徳太子の頃から日本の国体は変わっていない。河合隼雄文化庁長官曰く、中空思想の国体が続いているのである。中国は1949年社会主義革命によってできた新しい国である。ロシアは1991年できたてほやほやの国である。このように「国体を通じて国を見るべきだ。そしてそこに住まいする人たちの国民性や変化のスピードなどを見るべきだ。」とロンドン大学の日本学の連中は僕に言うのである。
 僕はそのとき、「戦後50年かかって良くなったのだから、また50年かかって人口減少も含め、日本の真の姿が出てくる。日本は人口も多いし、そう簡単には変わりませんよ。しかしグローバリゼーションは日本がこれから生きていくために、とりわけアジアの友と一緒になって経済活動をしなければならないから早く身に付けていく必要があると為政者や有識者は思っており、小泉首相を中心に日本では改革が進んでいるのです。」と言った。
 また同様に彼らはこうも言った。「第2次世界大戦後、戦争をしていないということは本当に日本という国は稀な国です。大戦後、戦争していない国は内戦まで含めて本当に少ない。これを日本人はもっと声を大にして叫び、平和活動の中心になるべきです。」これは海外の友人たちと話しているとよく言われることだ。
 民政化、軍事目的以外の開発された技術、花や緑、これを日本人はあまりにも当たり前のものとしてはいないかと思われる。日本はFTAを通じ、日本なりの時代の枠組みに入ろうとしている。このとき日本の花き生産と輸入花きをともども消費者に選んでもらえるようにすることが流通業界の役割である。肩入れしたり、偏見をもったりしてはならない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年9月 4日

等流法身

 昨日お台場のホテルへ行ったら、結婚式が数組あった。もう夏は終わった。
 
 昨年、モンゴルへ行き、モンゴル帝国の首都であったカラコルムで一週間ほど過ごした。そこから車で8時間のところに温泉があって、温泉に入りに行こうとドライバーのゾルゴさんとゲルを出た。モンゴル男のすごいところは、食料があるときにしっかり食べるということだ。例えばその日だと朝しっかり食べておく。場合によっては晩御飯も食べられないかもしれないから晩御飯の分もしっかり食べておけという。乾燥しているから水もそうだ。食べられるときに食べておけばよしとする野生の体が未だに残っている。こういう状態だから車にはもちろんGPSなどない。大きな道は地図にあるが、道なき道をすすむ。確か一度来たことがある。谷を二つ越えたところだと言う。川を渡る。谷を越える。まさにそういう能力が人には備わっているのだ。
 温泉に行く途中、カラコルムから2時間ほど行ったところにドライバーのゾルゴさんのお母さんと長兄が夏、家畜のための野営をしている場所へ立ち寄った。馬乳酒、石のように硬いチーズで客人をもてなす。ゾルゴさんのお母さんは熱心なチベット仏教ラマ教信者だ。ラマ教は密教であり、大日如来を宇宙の中心に据えている。このとき、来年の夏、空海をやろうと心に決めた。そしてこの夏、本やお経の解説書を揃え、読み込んだ。とても不十分な状態なので、語ること自体おこがましいが、四種法身(ほっしん)についてお知らせしたい。大日如来はあらゆるものに変身し、本来我々の中に備わっている仏心(宗教心)に働きかける。釈尊が宇宙は飢餓や老病、苦死をあたえると感じたのとは違って、むしろ大日如来は知恵や慈悲を与えてくれるものとしてこの宇宙を見ている。釈尊を越えるものとして大日如来がある。大日如来は主として四種類の部類の姿に身を変えながら、生来授かっている我々の知恵や慈悲の心をこの宇宙に生かすようにしてくれている。これが密教である。カテゴリーの一つ目は「自性法身」、大日如来そのものの姿である。二つ目が「受用法身」それは宝生や不空といった如来の姿。それから人の姿で人間に教える「変化法身」。そして我々の身のまわりにあるものに変わって教える「等流法身」、というのが密教の考え方である。「色があっても見る気がなければ無色に同じ」この見ようとする心の働きがなければ、この四種の法身を感じることができない。この心の働き、識のことを「智」と言っている。ヨガはヒンドゥー教の宇宙と自己の中にある宇宙を一致させ、「不ニ」すなわち全体の宇宙の理と自分の中にある「智」を一致させていく。これが瑜伽(ゆが)であるが、密教もこれによって感じ取るのである。
 花にとって大切なのは等流法身についてよく知ることで、動物を見て心が和むように、花を見て美しさに感嘆するだけでなく、心が澄んでくるように、宇宙である大日如来がお姿を変えて我々に法を説いてくださっているとしている。現に人はそのような心持ちで花に接していくからこそ、我々の仕事の意義があると言えよう。花き業界も成熟産業といわれる。花は当たり前のものになったから、好きな人は買ってくれるが、そうでない人はあっても見ようとしないし、買おうとしない。この「智」、見ようとする心、買って飾ろうとする心をどのように開いてもらうかが我々の課題である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年8月 7日

ソウルブランディング

 「政治は日曜日作られる」と言われているが、このところの日曜のテレビは、政治番組だけでなく経済番組も潮目が変わってきたことを痛感させられる。それはというと、日本は長寿国であるのに、機能食品を売り物にする宣伝の比率が減ってきた。健康でありたいということは誰もが願うところだが、LOHAS(Lifestyles Of Health And Sustainabilityの略、健康と地球の持続可能性を志向するライフスタイル)的な訴えに健康食品は変わってきた。さらに言うと、禁煙や野菜の5 a day、10種類以上の異なった食べ物、各種運動の1ユニットなどLOHAS的習慣化へ向けた健康維持の宣伝や番組が目を引く。そして比率的に多くなっているのが、環境を考えた精神の豊かさや、カタルシスを促す悲劇や人の証であるユーモアに富んだドラマや映画、あるいは宗教の番組、さらには政治話題やその具体的な取り組み事例の紹介番組などが増えてきていることが分かる。
 精神的な心の問題までくると食品添加物を使っていない食べ物や減農薬有機の野菜や花などに生活者の関心が行く。現代は、一方にはニートや自殺者の平均年齢が下がってきていること、または男性も女性もファッション雑誌が良く売れていること、一方にはサスティナブルをキーワードに身体だけでなく精神や心を鍛えることを提唱し、仕事においても自分を成長させるという面を強調することが多くなっている。確かにスピリチュアルな方向に世の中の価値は動いてきているが、一般大衆の我々のところではただいま現在、ヨガが示すとおり、精神の安定の前に肉体の健全化、健康に大衆は関心がある段階だ。これをどのように精神にまで繋げていくか、この段階に新しい日本と日本人の生き方がある。花き産業のあり方がある。
 花き業界を見ているともう一度和に戻ろうとする力が強く働いているように思う。企業経営で言えることは結局、近年言われ出した“ソウルブランディング”、その企業の精神の価値と言われるものであろう。それはただいまのところトヨタやホンダに代表される企業の生き様である。4号前に日本の花き業界でこれに関することに触れたが、組織運営に関して欠かせない価値であるソウルブランディングは新たな富の源泉が地球環境・社会性、ともによくなろうとする諸活動などにおかれはじめてきているということであり、取引先や生活者の共感がビジネスの繁栄となったのである。今までと時代が変わって、新たな時間に入ったのではなかろうか。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月31日

環境エネルギー政策が最大の関心事

先日ロシアで行なわれたサミットで省エネの数値目標が発表された。まさに新興国が経済発展をとげていく中でも、先進国は省エネ技術をもって新興国とともに経済発展と環境保全の同時発展を考えていかなければならない。このような既に常識的に二律背反と思われていることを取り組もうとすると、「それは無理だ」という声が聞こえそうだ。サービスの質を高めながらコストを落とすだとか、質を上げながらガソリンをたく量を少なくするだとか、いずれも「あちら立てればこちら立たず」だとすぐに人は判断してしまう。部分最適を考えると二律背反にいってしまうが、全体最適を考えるとそうはならないのも不思議だ。全体最適は消費者起点だとか、相手の立場に立ってだとかそういった言葉で表されるが、まさに今年の冬の花き生産は消費者が欲しい時期に農場全体を上手に作動させて、どのように効率的な生産にもっていくか、ここにポイントがある。今から秋冬季のエネルギー対策及び環境対策を練っておく必要がある。MPSはその目的を達成する強力な手段であるとの評価が高いと聞いている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月24日

不易なるものへの憧れ

 僕はできるだけ不易、変わらざるものを休日のときに見たり学んだりしたいと思っている。仕事が花の取引所運営だから、流行にはことさら敏感で、花の易の能力を徹底的に磨いてきたつもりだ。だからその易の元にある普遍的とも思える不易のものを学んでゆくことが人間として、また日本人として必要だと思っている。
 昨日の日曜日は、日本中国文化交流協会が後援している『青磁の美』を出光美術館に見に行った。私たち夫婦とも青磁はとくに好きな焼き物で、僕はアジアに旅行すると必ず、青磁を求めて骨董屋や陶器店をうろつきまわる。今回の企画は出光美術館40周年の記念でまさに玉(新疆ウイグル自治区にしかない石で、中国の最高権力者が歴代愛した)に似た陶器である。青磁展では、僕が大好きな青磁鳳凰耳花生の重文三点が一同に飾られ、堪能の極みであった。いずれも形は砧型の花生で、南宋時代のものである。上から見下ろすのではなく、しゃがんで目線を同じくすると、美しさの中に慈愛のような輝きと、澄んだ心の透明感が浮かび上がってくる。このときはじめて客体と同化し、渇きが癒される。本物とはこのようなものであろうか。

 有形無形の芸術品に接すると、ある種の陶酔感を感じるが、自分の中にこのような評価眼が備わっていたのかとびっくりすることがある。確かに私の場合、自己流であろうが、人には既にあらゆるものが備わっているように思う。あとはそれを磨くかどうかである。私は実業人なので、花の取引所の仕事を通じて世の中のお役に立ちたいと考えている。花き業界をどのように時を得ながら長く繁盛させるか、参加した人たちが皆食っていけるようにしていきたいと考えている。そのためにはどのような習慣付けを我々業界人は取り入れたらいいのか、消費者に取り入れてもらえばいいのか、行動を積み上げていこうと考えている。まず魂より始めよ、である。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年7月17日

簡潔な暮らしを提案する

 7月のお盆の立会は出遅れていた高冷地からの花が日に日に増えていく中での展開で、ちょうど昨年と全く逆、下げ基調での相場で展開された。卸売価格は安値に泣いたが、小売店はまぁまぁで今後メリハリの利いた夏本番の市況となっていくことだろう。

 お盆前に母の住む池上へ行くと、なんと香りの良いことに畳を張り替えてあった。7年ぶりだそうだが、新しい畳に寝転がるのは本当に気持ちが良い。不思議なもので、畳に寝転がって天井を見上げていると、それだけで広々としたところにいる気分で、普段、椅子と机と壁紙でできた箱の中で生活しているのとは違って、心が広々とする。そのようなことを感じながら居間へ行き、母と妹に「庭も植木屋さんに入ってもらってきれいになったね。」と言うと、そこからお金の話になった。これはあくまでも相対的なものだが、畳の張替えに比べ、植木屋さんの方がちょっと高いという。たしかにそれはそうだが、そんなことを言ったら、床屋や美容室の方がもっと高いだろう。生きているものの姿を整えるということは、技も必要だし、頻繁にしなくてはいけないから高く付く。でも楽しみといえば楽しみだ。「ヘアスタイルならぬ、庭のスタイルもちょっと変えてみては?」と話した。

 明治も20年を過ぎると、新しい国の形が整ってきた。板垣退助が久しぶりに嵐山に赴くと、彼が見た嵐山の風景と違う。そばの料亭の下足番だと思ったが男に聞くと、江戸時代、幕府はこの嵐山の借景に手を入れていたという。板垣退助は徳川幕府の心を知るのである。美術品だけでなく立ち振る舞いや、今でも靴をそろえて上がること。また、日本の社長が海外に新しく拠点を設けるときにその国の民族の生活ぶりを見て、これなら大丈夫だとお金以外の価値を推し量り、建設するどうか判断の材料にする。今日、日本に悪平等は少なくなってきたが、その分ものさしが金一辺倒になってしまうのは困る。金や効率で物事を推し量ることがあって当然だ。しかし、それ以外のもので物事を考える、それ以外のものでも大切な尺度がある。それはご都合主義にとらわれない、山川草木の真善美である。
こうした心持ちに私たちがなったとき、ホテルの観葉植物の造花は、バブルのとき以来久しぶりに生きている植物となる。その前の段階に今、花き業界はいる。生き物の本物の良さを営業するときが来たのだ。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年6月 5日

花の個人出荷者も組合を大切にする

 先月末、花き業界の重鎮で、元サカタのタネ専務取締役、また弊社の取締役でもあった岩佐吉純氏がお亡くなりになった。享年75と本当に惜しまれるが、岩佐さんの意志を受け継ぎ、花き業界発展のために尽くしていきたい。

 ヨーロッパのアルコールといえば、ワインでありビールであり、ウィスキーであり、ジンである。日本でもそうだが、酔っ払いは本当に少なくなり、かつての西側の先進国といわれた国のアルコールの消費量はいずれも減っている。お茶やコーヒーも同じで、前年比3?5%減というところのようだ。ビール業界では、一定の規模になったところはまだそんなに目減りはしていないが、中小のメーカーはこのままではやっていけないのではないかと、市や州ごとに生き残りの道について検討を重ねている。ドイツやベルギー、イギリスのビールメーカーだけでなく、ボルドーやブルゴーニュのワイナリーもそうで、シャトーといわれる生産・販売を垂直統合した会社はまだ良いが、国内密着型の中小はチリやオーストラリア、アメリカ、南アなど新興勢力に押されて存続が難しいと言われている。もちろんウィスキーにしてもジンにしても同様で、いかに国内産業を守っていくか、中小零細業者はどのようにして生き残っていくかは、業界を超えて世界の先進国といわれる国々の共通の課題だ。
 ではフランスやイタリア、ドイツのワインメーカーや、ベルギーやドイツ、イギリスのビールメーカーはどうしようとしているか。中小は業者だけ集まって出荷組合というブランドを作ろうとしているのだ。農協のような組織もあれば、特定目的会社のようなところがあり、株式会社のようなところもあるが、特定目的協会(協同組合)のような新しいタイプの組織を作るところが多い。地元のメーカーをこよなく愛すのは、どこの国どこの地域でも行なわれているが、世代が代わったり、価格が重要な購買動機だったりするような昨今、中小零細は自国の消費者に覚えてもらうため、地域の人に当てにしてもらうため、一定規模にせざるを得ないとして個人主義のフランスやベルギーでもまとまってきた。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年5月15日

効率だけが効率ではない

 母の日前の13日(土)、鉢物市で入荷が多いに違いないと、朝3時頃平和の森公園を通って大田市場への道を急いでいた。平和の森公園に隣接する環状7号線の高架下に4人のホームレスがいつも並んで寝ている。その一番公園側にいる人と彼が起きているときいつも挨拶をするから、僕は勝手に彼をテッちゃんと呼んでいる。普段ならこの時間テッちゃんは寝ているが、この日はどういうわけか30歳代、とは言っても35歳過ぎの小太りの女性と話していた。女性はテッちゃんの布団の端に行儀良く手と足をそろえ背筋を伸ばし話し合っていて、その雰囲気からするとその女性は彼に帰ってきてほしい。そしてもう一度彼と暮らしたがっているようであった。その場を離れ5分ほど歩くとニチレイの冷蔵倉庫があり、旧式のホンダアコードワゴンが止まっておりその中に、これも僕が勝手に付けた名前だが、ゲンちゃんが寝ている。なぜ車の中で寝ているのか分からないが、夏も冬も運転席を倒して寝ている。
 昨日の日曜日、テッちゃんのことが気になっていたので、4時頃起きてその場所を見に行った。なにやら暗くてわからないがいないかもしれないと思い、とりあえず会社に来てやり残しの仕事を片付けた。6時30分頃、帰り道で気になってまた環7下の高架下を覗いたら、彼は鍋で朝食を作っているところだった。目でちょっと挨拶をし、そのまま帰宅したが、えも言われぬ情感が今も続いている。きっと彼らには他人には言えない過去があったのだろう。
 自殺件数も同様、あるいはニートの問題もだが、人それぞれに生きていくことがむずかしい社会になっていることは事実だ。高速道路の追い越し車線を軽トラックもスポーツカーも大きなトレーラーも高級なサルーンも一緒になって競って走ろうとしている。またそのように仕向けている。そのことがなんと多くの犠牲をそれぞれに強いていることか。分をわきまえそこねたという人もいよう。しかし、そのように我々が仕向けてはいないか。判官びいきだったり、僕の大好きな義太夫の熊谷陣屋であったり、そういったものを仕事の中でも生かし、職場をゲゼルシャフトと同様、効率だけが効率ではない人間の組織として再構築する必要がある。よく仕事と私生活と分けていこうとするが、人はそんなに器用なものではないし、24時間すべてが自分の生の証でないといけないはずだ。そのとき母の日のように欠かせない命を感謝する具体的な日がある。この情緒的な心情こそ、我々の宝であるはずだ。時代と共に価値観も変わろうが、母の日は理想的な社会性を家族の関係を通じて私たちに教えてくれる。

P.S.
 5月10日(水)朝日新聞夕刊トップの海賊版カーネーションの大見出しではじまった種苗法違反の疑いの可能性がある輸入カーネーションのトピックスは、日本農業新聞土曜朝刊の中川農林大臣のコメント(国産品を買うのが習慣といった内容)で終わり、たくさんの新聞・テレビで報じられた。中国からのカーネーションは100本ずつ指定されたシールを張ることが種苗会社と輸入会社の間で約束されており、輸入会社はそれを現地に言って守らせる必要がある。輸入品が増えている昨今、このように時局のトピックスとして取り上げられたので、私たち花き業界は、小売の人たちは大変だろうけど原産国表示をして、消費者に納得して店頭で選んでもらうことが花も必要だと思われる。ぜひとも小売でも店頭での原産地表示をお願いしたい。

投稿者 磯村信夫 : 18:50

2006年4月24日

新しい時代の顧客ターゲットを明確にした花店誕生

先週の木曜日、オランダ国際球根協会がJAFTAと協賛して毎年行なっているMs.Lily2006の記者会見がホテルニューオータニで行なわれた。今年は木村佳乃さんで、ユリの絵柄の着物をお召しになって出席され、オランダ大使夫人よりMs.Lily2006授与の栄誉を受けた。

 同じ先週の木曜日、東京の錦糸町で工場跡地の再開発として注目を集めたOLINASがオープンした。二つ建物があり上でつながっているが、駅から行き奥の建物の一階にコムサショッピングフロアがあり、入って右手のところに株式会社ブルーミストさんが花店を出展している。また地下は東急ストアが1フロア出店しており、ちょうどエスカレーターの乗り降り場所に東急フローラさんが専門店として出店している。
 このOLINASは、激戦区錦糸町の中で、オシャレで値頃な商品を集めたショッピングエリアだ。ターゲットは明らかにロウワーミドルに当てている。他の錦糸町の商業施設がどちらかというとかつて日本で存在していた中産階級狙いであるのに対し、中流階級がなくなり所得がM字型になった今日、全体の40%をしめる年収300万?600万の給与所得者で、最もボリュームのあるこの層を明確に意識した品揃えをしている。東急ストアの方は競合店との関係だろうが、もう少し上も取り込めるこのロウアーミドルプラス年収1000万以上のアッパークラスも対象にしてあり、まさにM字型両方狙いといった感じであった。1998年暮れのボーナスから、日本中の所得は下がりはじめ、明確にロウアーミドルを狙った会社が繁盛している。専門店チェーンではユニクロや無印良品がその代表格だし、我が花き業界ではアイリスオーヤマがインテリア部門に進出し、大変上手なマーケティングを行なっている。
 
M字型所得が明確になった現在、こうあるべきだという今をとらえた花店の有り様の一つが錦糸町OLINASにある。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年2月20日

自然の心地よさ

今年のドイツのエッセンのIPMの方向付けは「ホッとする環境=自然」と「アップサイドダウン(さかさま)」であった。ドイツ人は週末に森を散策することが大好きで、自然と共生しようとしている。小生はこの欧州の旅にドイツのシェリング哲学の第一人者である西川富雄氏の環境哲学の本を持っていった。旅行最後の日、ムハンマドを風刺したとかでデンマーク大使館が焼かれ、このトリノオリンピックでも、イタリアの閣僚の一人が風刺のTシャツを着て挑発したとかで、警備が厳しくなっている。
アミニズムから多神教へ、そして一神教へと、こう宗教は進化してきた訳だが、弁証法でいう螺旋状の進歩がグローバリゼーションとともに、一神教からもう一度多神教になって、それで終わりではなく、寛容が大切になってきているように思う。ニーチェの“神は死んだ”から自然の創造物の一つである人間が尊大になり、他の生物を滅ぼしたり、自然環境の破壊をするなどを戒めようとして、現代はそこに神の存在を認識したり、宗教的な価値を哲学でも見出そうとしている。
 フィリピンの大規模な地滑りをみても、結局森林破壊が山の神を怒らせてしまったようだし、まさにゲーテが言っていた“自然の前で人はひとたまりもなく埋め尽くされてしまった”光景となっている。一方に、人のエゴの大きすぎる破壊やご都合主義があり、一方にそのバランスをとろうとする自然なるものへの畏敬と、それを自然の恒常性(ホメオスタシス)が保てるよう、我々人間が慎み深く生きていこうとする規約を作り、守り、行動することが求められている。
花き産業も当然人為的に生み出されたものといえども、有機野菜の料理を手を入れた自然調な盛り付けをして食卓に並べるように、花も減農薬や省エネ栽培、土に戻りやすい鉢ものや関連資材を使って、魅力的な自然を作り出したり、一つ一つの花の生命力を魅力的に映し出す技法で消費者に訴えかけていく必要がある。自然環境についての世界的な関心は、日本の花き業界でもそれぞれの分野で真剣に取り組んでゆく必要がある最優先課題である。

投稿者 磯村信夫 : 17:31

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