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2005年11月28日

生活サービス業界の中の花き

日頃小売店を定点観測したりしていますが、この秋冬期は忙しさにかまけて生活サービスや余暇のサービスを殆ど体験していなかったので、先週の金曜日にサーカスと音楽を合わせたアレグリアの公演を原宿に観に行き、昨日の日曜日には会津の箕輪でスキーを楽しんできました。
 エンターテイメントやスキーは今このようになっています。まず、エンターテイメントの分野でもスキーでもピークは1995年くらいでした。それ以降減少したのは諸説あります。携帯電話をはじめとするIT出費で、若者の様々な趣味が絞られたことも一つです。しかし、劇やライブパフォーマンスはピーク時の3割減です。そこへいくとスキー場はスノーボードの影響もあり半分以下の来場者数、どこのスキー場でもそうですが、宿泊客が減り、日帰り客が殆どとなりました。日帰り客でも1回、2回ではなく、度々訪れる固定客に支えられるという実態のようです。これはゴルフ場も同様のようです。また、趣味の世界でも興味のある人はやる、ない人はやらないなどとなっています。
私は寄席は上野の鈴本が好きで、間が空いても2ヶ月に1回は行って、午前中から夕飯前まで過ごしますが、曜日によっては常連さんが大半を占めます。行動パターンがまさにライフスタイル化し、趣味にお金を惜しまない人が多くいますが、花についてもまさに同様で好きな人は好きという時代になってきました。
『日経大予測2006』)(日本経済新聞社編)によると、団塊の世代の男性が退職後にしたい趣味の1位は国内旅行だそうです。4位にガーデニングや日曜大工、6位に家庭菜園や農業が入っています。また、雑誌『B-PAL』を支えているのはまさにアウトドア派の団塊の世代です。つまり、団塊の世代の人たちは花好きや農業好きが多く、多勢に無勢、他の世代に与える影響も大きく、農業や花きに関わる趣味を牽引しています。花を買ってくれる人はあまり増えなくても、同じ人が頻繁に利用してくれます。したがって、絶えず新しいものを出さなければなりません。昨年と同じものなら、少なくとも1割以上安くしないとダメだと思っている消費者が殆どです。2番目の特徴として、お客様のマジョリティである団塊の世代は、退職して第2の人生を迎えますから、所得は半減します。卓越した高額なものと、良い品質だが割安な価格帯の物を多数そろえておく必要があるでしょう。そうなると小売店は、ホームユースと言われるものは平均単価で今よりも下げていく価格戦略を取らざるを得なくなると思うのです。

このたびの景気回復はどの経済書を読んでも自立的な景気回復だ、今までと違って金融不安や需給ギャップはなくなったといっています。
大田花きの最寄駅は東京モノレールの流通センター駅ですが東京流通センターはよくバーゲンの会場になっています。バーゲンに来た人たちと買った物などを見ると、なるほど個人にまで富は循環しだしたなと感じます。団塊の世代が大量に退職することから、人の手当てが久し振りにタイトになってきています。失業率も4%を切るでしょう。女性が本格的に活躍しだす年となりそうです。この機会に花き産業もホームユースではなく、まずは法人需要と結婚式、葬儀などの仕事需要とターゲットにして、6年続く長い踊り場からの脱却を図りたいものです。

投稿者 磯村信夫 : 14:14

2005年10月 3日

読者の皆さんの会社でもパソコン履歴を取ることをお勧めしたい

 マネジメントのために社員のパソコンの履歴をチェックすることをお勧めする。私の友人で或る大手の会社の子会社(といっても東証一部だが)の社長をやっている同級生がいる。近所に住んでいるので同じ大森の飲食店でたまに会ったりする。彼は社内で個人が使うコンピューターを廃止したことで有名だ。そのまた関連会社では、全ての会議を立って行うし(なにやらドイツの会社のようだが)、資料も配らない。また、パソコンは社員に与えているが、必ず履歴をチェックすることで有名な会社だ。全体の相乗効果でやはり日本で最も優れている会社の一つとなっている。

 私は算数が好きだったので、数理経済学や大学のゼミでも数学を取り、卒論は二進法に関するものであった。だから、ゼミの同じクラスの生徒は私を除き全員がコンピューター関係の会社にいる。彼らと会うといろいろな面白い話が聞ける。

3年前だが、経常利益1-5%の会社は合理化できていないはずだからと、或る大手の食品卸の事務職を調べてみたところ、3分の1が仕事以外のプライベートなことにパソコンを使っていた。人によっては5割、メールでも半分が私的に使用されていた。

本来の目的以外の仕事に人は多くの時間を取られている。営業なら商談、部下がいればマネジメントを行うためにいる。まずパソコンの使われ方のチェックから行うと組織は締まる。それ以外に費やされる時間を徹底的に少なくしていくことが合理化に繋がる。

投稿者 磯村信夫 : 16:54

2005年8月 1日

家族で集うのは週末

 8月のお盆に向けて、特に北関東から東北・北海道にかけて1週間ほど出荷が遅れ気味なので、場合によっては色がついていれば固切りでも出荷してもらわなければならないかと思っています。

  さて、先月のことです。東京はお盆でした。7月13日(水)、私は仕事を終えて家内とともに池上の母のところに行きました。迎え火を焚いて、亡き父や祖父母をもてなすためです。送り火は15日(金)でしたが、夕方も用事があって結局16日(土)に行きました。何も連絡せずに行きましたが、母は心得たもので「そう思って用意しておきました」と16日(土)に送り火を焚きました。

 家族や親戚の人たちが集うというのは、やはり週末です。平日はよほどのことがない限り難しい。8月の盆休みをどのような日程でとるかによって違いますが、家族のイベントだとしたら、やはり土日が中心になっていきます。正月もこの頃そのようになってきました。一人でできるものは日にち、皆でするのは曜日。このように分けて、次の物日はどの曜日めくりか、曜日に関係なく日にちで動いている年末・年始はどのように出るかなど、卸売会社と需要予測を話し合って出荷日と量を決めていくのが必要な時代になっています。産地の出荷ご担当者は必ず実行してください。

投稿者 磯村信夫 : 18:14

2005年7月11日

新しい時代の7月盆

クール・ビズですっかり新しい時代になったような気がする。今までお父さんだけが取り残されていたのが、土日の格好を見ているとどうにかお父さんたちも奥さん達に付いて行こうとしている。履いているのはジーンズではなくGパンだが、格好を見たらなかなかのもので日本のおじさんたちはある人はヨーロッパの方向を向き、大半の人はアメリカンカジュアルの方向に行っているようだ。団塊の世代が圧倒的にそうだから、新しい時代になったと感じさせているのだが、この人たちの家には仏壇がない。そのまま田舎にいれば別所帯でも仏壇は持ったろうが、東京に出てきてからは盆と正月に帰省したときにお墓参りをするくらいで、日頃手を合わせる習慣があまりない。日本の仏壇は仏教と先祖崇拝とが結びついた面白いもので、少なくとも自分から上二世代に感謝し、後二世代の健やかな生活と幸せを願う祈りの場所だ。

 東京は7月13日の迎え火からお盆だが、神奈川の平塚は七夕を7月にするのにお盆は8月にする。また千葉のお盆は8月だから京浜工業地帯の神奈川、東京と同様に千葉でも鴨川地域が7月なのは早場米のせいだろうか。函館や札幌の一部が7月お盆である。そして、まだ梅雨も明けず仏壇を持たない人が多い中での7月盆だから8月と比べると気付かぬうちに終わってしまうという相場展開が7月盆だ。そうはいっても今年は11日(月)が最大の需要期で、昨日は休みだったから今日はそこそこ売れている。

 しかし、どうも日本の伝統が団塊の世代で途切れているような気がする。少なくとも薄まっている。そういう小生も母のところに行き迎え火と送り火はするが、墓参りはしない。私自身も頭の中で仏が家に来るのがお盆だからお墓に行かなくてもいいのだろうという理屈で行ったことがない。

今日は11日で最大の需要期、6月から低調相場が続く白菊は50-40円中心の相場で変わらず、赤菊は100円前後、黄菊100円以上と堅調だ。このように相場にメリハリが付く。色によってかなり価格が変わっていくというのも現代の特徴である。その分成熟国家なのであろうか、売れる量が決まっているので積極的に拡販しようという気構えを持つ小売商は少ない。

投稿者 磯村信夫 : 18:17

2005年6月13日

使命感に燃えて・・・

  5月27日付けの日経新聞の『交遊抄』で、グローバリゼーションを折り込んで果敢に花作りに参入した多和田さんとのお付き合いの一端を紹介した。日経新聞だから、読者層は経済界の方たちが多いと思い、「私が見る限り多和田さんを初めとする若手の花作りたちは尊敬に値する知力や気概を持った人たちばかりで、日本の将来は心配がない」とお伝えした。『交遊抄』を読んで多くの反響があり、友人からだけではなく面識のない方からも感想や励ましの言葉を頂いた。

 小欄でも取り上げたことがあるが、生産者の子弟で研修に来ている人と接すると、日本の花き産業は心配することはないと思う。特にそれはここ3,4年ほど強く思うようになった。それ以前はサラリーマンの家に育った子供たちよりも甘やかされて育ったなと感ずる研修生もいた。しかし、最近は大変立派な厳しい育てられ方をしている。それはそうだ。農場経営者の卵だから、将来社長になるとすると、それなりの人物に育ってもらわなければならないわけである。

では、何が変わったか。ヨーロッパの高校や大学にあって、日本の高校や大学に欠けているのは倫理・哲学・宗教などの科目だが、「如何に生きるべきか」という難問に取り組む姿勢をどこで学ぶかだ。学校ではなく、ご両親やご家族から学ぶのだ。お父さんと直接問答したわけではなかろうが、お父さんとお母さんの生き様から学び、それを実践しているに違いない。もちろん中には学校の先生やTVや本からという人もいるだろう。

教育論に話が逸れてしまったが、花き業界に欠けているものもそこだ。最初に考え、そして事を起こすことが大切なのだ。バブル崩壊後、量的拡大が図られた花き産業に、金銭目的のために参入してきた人たちが大勢いる。その人たちがあまり儲からなくなった。それは当たり前で、どの産業でも昨年と同じようにやっていては儲からない。儲からなくなってからブーブー言うのはおかしいというものだ。もう一度消費者の立場に立った商品政策から始めなければならない。

キーワードは連帯強化のサプライチェーンマネジメント。これにより家庭内需要だけ捉えても、消費量や金額を倍以上増やせる可能性がある。これに向けて努力しないのは私たちの怠慢でなくて何だろうか。もう一度原点回帰し、拡張余地のある消費分野に向けアタックしようと思う。

投稿者 磯村信夫 : 18:25

2005年6月 6日

この6月第1週で変わったこと

多分今年の流行語の一つになるであろう“COOL BIZ”は定着しそうだ。“COOL”の「涼しい、かっこいい」と“BISINESS”をあわせて“COOL BIZ”で日本の熱い夏を乗り切ろうと小泉内閣は提唱している。成功させたい理由の一つに、内外格差是正がある。既に西側先進国ではそうなっているからだ。20世紀最後の10年で西側先進国の大人の男達は、メトロコンシャスですべからくおしゃれになった。世界のファッションの発信地はミラノ・パリ・ロンドン・ニューヨーク・東京で、ヨーロッパでは金融街の人たち以外はネクタイをしないことが本当に多くなっている。だいたい、ネクタイを着用していても、ヨーロッパでは白いワイシャツを着るのは礼装のときだけで、普段のシャツは薄い色がついていたり、柄があったりして、シャツに拘るのがヨーロッパ風。その辺、米国人は日本人と同じで白いワイシャツが多く、ネクタイの色の方にウェイトを置いている。日本はご存知の通りシャツのレベルが先進国の中でも非常に低い。背広とシャツの釣り合いが取れていない人を良く見かける。ようやく“COOL BIZ”で日本のシャツのレベルが上がってくると思うと、大変嬉しい。

 只今、ホットな花の消費の変化は、白のシャクヤクだ。いままで白が一番安かったのに高くなった。それは白のシャクヤクはブーケで使うからだ。絶対量が出てきたら乱高下もしようが、今のところ非常に順調だ。このように社会の動きに合わせて花の好みも変わっていく。

それともう一つ。大田花きではセリの原産地表示を始めて早4年になる。その間次のようなことが起こっている。マレーシアのキャメロンハイランドの2つの農場のミックス箱は、国産の最上級品と同じ価格帯で取引されている。これが面白い。このように卸売段階では原産地表示をしているが、小売店となるとどのようにしているのか。表示をしてもらうように小売店に協力を求め、花の小売店でも原産国、国内なら県や町が分かるようにしたい。母の日のカーネーションをみると、卸売価格で国産品の150円があれば、コロンビア産の60円や20円もあり、中国産の35円や5円がある。消費者にどのように小売りでの価格差を理解してもらうのか。プロの評価が小売りの現場で消費者にわかるようにしたいのだ。

私事だが、近所のスーパーで3月にバラが安かったので買ってみたが咲かなかった。インド産だった。しかも咲きにくい品種だった。しかし、私が見て「咲く」と思って買ったものだった。だから妻は2度とその店でバラを買わない。母の日過ぎ、輸入品も減り、輸入品はより吟味されてどのバラも咲くバラばかりになった。しかも卸売価格も小売価格も安い。にもかかわらず、3月に咲かなかったバラの印象で妻はバラを買わない。このようなことを避けるには、小売店での原産地表示が欠かせないと思う。食べるものだったら冷蔵庫や胃袋に行き、常温で長時間置きっ放しということはない。しかし、花は買ったときから常温に置きっ放しだから、花こそ原産地表示を義務付けるべきではないかと小生は思う。

投稿者 磯村信夫 : 18:27

2005年5月 9日

母の日

オフィス街の花店やコンビニエンスストアを除き、各花店の売上は昨年と同等か昨年を上回ったところが多い。ギフトというと百貨店だが、百貨店の花店はいずれも気を吐いた。

 さて、母の日までの市況は5月2日の切花の入荷量が多く、母の日用以外の品物は暴落市況を呈するものもあった。カーネーションについては、地域によって相場はばらついた。コロンビア産のカーネーションを手当てして落ち着いてしまった買参人を相手に販売した卸売市場は、概ね間際の6日(金)まで低調市況であった。しかし、お母さんにあげるものだから品質を吟味するということで国産に焦点を絞った販売を心がけたところが多い卸売市場では、輸入品は10円以下のものも多数出た反面、国産は70円から100円前後と全体の市況の中からいえば堅調に推移した。

 昨年末、そして今年の彼岸期、母の日と切花では輸入品の下げが目立った。エクアドルのヒペリカムやマレーシア・韓国の品質が安定しているスプレーキクなどは気を吐いたが、それ以外の中国のカーネーションなどは物日になると溜める癖があり、インドのバラやケニアのカスミソウなども極端に価格が下がった。

 かつて日本も産地で荷を溜めることがあった。諸外国の生産地の意識はまだその段階でいかに顧客に役立とうとするかに仕事の焦点を当てていない。カーネーションというと国産はコロンビアや中国に押されて大変だと思うかもしれないが、単価は以前と違い安くなっているものの、買参人の信用だとか信頼は以前にも増して強くなっていることを知っておいて頂きたいと思う。

日本は一国だけで生きていけるわけではないので、当然輸入の花も欠かせない。輸入商社の皆さんの苦労がそこにあるのだが、物日になると安くなってしまうのは困る。原産地との再取組みが必要であろう。

鉢物は物日相場がなかったものの、昨年のようなカーネーションの暴落市況もない。結局カーネーション、エラチオールベゴニア、アジサイ、ミディ系のコチョウランや他の蘭鉢、クレマチスやカラーなどが売れ筋となっている。昨年の都心部では3,000円以上のものではアジサイが、3,000円未満のものではカーネーションが中心に動いていた。日頃から努力している店は前年をかなり上回っていたことは花の拡大の余地が大きいことを示している。

投稿者 磯村信夫 : 18:32

2005年4月25日

伝統の上にこそ花開く

昨日は良い天気だったので、朝早く旧東海道を歩いて、お台場のスポーツクラブに行った。旧東海道は大森から品川まで昔と変わらぬ道幅で、品川までの山側はお寺が多いことで知られている。商店街は京浜急行線の駅に沿って構成されているが、品川までの花の小売店の多くは、お寺が多いこともあって仏花を中心に家庭需要向けの品揃えをしている。独特の味わいがあるこの辺りの店は、伝統的な花店と言えるだろう。旧東海道の、かつて海だったところに東品川や天王洲アイル、お台場などの新しい街ができたが、そこの花屋さんは都心の有名店が出店している。昨日のように、外に出たくなる陽気だと新しくできたショッピングセンターなどはよく賑わっていたが、地元商店街型のところは閑散としていた。ショッピングセンターのように多くの人が出入りするところは母の日需要で結構忙しそうだった。お台場の後、新橋から日本橋まで、特にデパートに入っている花屋さんを見て歩いたが、昼頃からカウンターで母の日ギフトの予約をする人たちが必ずいて、場所によっては2列に列を作って並んでいた。

話は横道に反れるが、自由の女神がある台場から、大森、大井、そして江東区をぐるっと見ると、東京タワーが目立たなくなってきていることが分かる。特にレインボーブリッジが見えるようにと高層マンションを建設しているのだろう。あれだけ高層マンションが建って本当に部屋が埋まるのか、余ったらどうするのか、ディスカウントはするのかと余計なことを考えてしまうが、台場から見る都心部の眺めは豊かな国を象徴するさすが日本という光景だ。

日本橋の高島屋でこの26日まで池坊展を開催している。日本中から見学者が訪れていて、第45代専永家元が1999年に21世紀の池坊流の新しい活け方である「立花新風体」を加えてそれを大々的に展示紹介した。凄い人気で、私も見に行って大変感動したし、勉強になったが、会場に足を運ばれた皆さんもまさにそのようであった。小泉総理もお越しになったとのことで、花に携わる仕事をしている者にとって池坊の存在は本当にありがたいし、日本の花き産業は生け花や庭をもう一度勉強し直すことをしていかなければならないと深く感じた。

先週の小欄で、私の子供に日本の古典芸能を教えたことを書いたが、それは教養のこと。今回は生け花を学ぶという仕事に直結することだ。お金を頂くのだから当然学んでおかなければならない。作品に感動しながらこのように強く感じた。

投稿者 磯村信夫 : 18:33

2005年4月11日

伝統文化

昨日、息子のたっての要望で、歌舞伎と寄席を一緒に観に行った。結婚25周年のとき、京都の料亭で舞妓さんを見た娘と息子は日本の伝統に触れ、その衝撃たるや大変なものであった。そのあと、京都から倉敷へ行ったが、その街のたたずまいにはびっくりしていた。大原美術館のブラックの抽象画や後期印象派の絵などは美術好きの子供たちだったから、感激したのは当然であったが、その感激は彼ら日本の若者の教養の中にある。

息子夫婦はアメリカに行くことが決まり、今荷造りをしているが、その前に外国に行ったら日本人はそれぞれ日本を代表するようになるから、歌舞伎や文楽、落語や能などをにわか勉強でもいいからしておきたいというので連れて行ったわけだ。今、中村屋の襲名披露が歌舞伎座であり、4階の立ち見で昼の一幕目だけを私の解説付きで観た。私は見慣れているから役者のセリフも、義太夫が語る言葉もすっかりわかるが、子供たちはわからなかったらしい。そこでプログラムを買って、粗筋を読んでもらい、成駒屋(なりこまや)は誰で、成田屋は誰、勘三郎はなぜ中村屋なのかなど、周囲の人の邪魔にならないよう小声で教えた。好きになるのが目的ではないが、向学心を持っていたので鈴本に場所を変えて、ビールを飲みながら今度は落語の高座を聞いていた。こちらのほうが当世風だ。

ここに我々の仕事の国際化のポイントがある。国際化すればするほど、日本人のアイデンティティを意識しなければならない。領土問題から歴史教科書問題、その地で営業する日本企業や大使館が投石による被害を受けるなど、国際化は絶えず私たちに日本人であることを意識させる。SARSやBSEなど、グローバリゼーションは一旦トラブルが発生したとき、パラドキシカルに国境(国)を意識させる。

日本の花き産業においてもフラワーデザインも大切だが、その前に生け花や仏花が大切だ。ここを体得せずして何故日本の花き業界が世界と伍していけるだろうか。庭や盆栽も言うまでもない。

昨日息子夫婦に世間のしがらみと義理と人情、そして無私の精神、これが大衆文化の歌舞伎や古典落語の人気の基本であることを伝えたが、日本人だからこの辺りの価値観はすんなり受け入れていた。にわか勉強でどこまでできるかわからないが、誠実で心優しいことがこの国の性分だから、にわか勉強の中で身に付けたものを更に勉強してもらえばそれですむ。これは花の世界でも同じことだ。

投稿者 磯村信夫 : 18:36

2005年1月24日

情緒を大切に

  コチョウランの切花が増えて人気である。今まで鉢物用として出されていた物が品種名をきちんと付けて出荷されている。持ちが良いだけでなく、中小輪も存在感があり、なかなかのものだ。2,3年前まで毎年この時期になると安くなるガーベラやカスミソウも持ちが良すぎて一度買ったらなかなか売れないということも言っていたのが嘘のように、相場は高くないものの、結構売れている。そこへいくと鉢物のプリムラ・メラコイデスは安値が続いている。花屋さんの店頭で切花、鉢物を問わず売れるようになったものはいずれも人を引き付ける個性豊かなもので、どちらかというと「気」があるというよりも「気」が強いものだ。バラも大輪が好まれるのは、結局消費者の心持ちがなにやら勇ましくなっているのではないか。

年金問題や天文学的数字となった国債のことなど、将来を考えると不安は大きい。すっきりした気持ちになれないのは、わたしばかりではなく、殆どの日本人がそう感じているのではないか。結局不安におののいても仕方ないと気持ちが切り替わったのが2002年の秋口くらいからだったのだろう。前向きな考え方になって、癒しのために花を買っていた時代から励ましや自分に元気を付けるために花を買う人たちが多くなった。「子供から大人へ」、「甘さから厳しさへ」、「癒しから励ましへ」などなど、社会の価値観、社会的意識が変わってきた。

  昨年の夏、ヒマワリはバラの平均単価を上回った。第1回IFEXでも山形県の大輪ダリアが来場者の目を引いた。しかしである、鉢のサクラソウがこうまで安いというのは行き過ぎではなかろうか。私達はもっと情緒を大切にすべきではなかろうか。あらゆる組織で改革の名の下、外科手術が行われている。その対極に各種義援金やNPOボランティアなど素晴らしい社会貢献もある。

 私が言いたいのは、真中にある両方を含む心理状況、対症療法ではなく、問題を内在化し、“OR”ではなく“AND”で受け入れること。こういう心持ちでいることが必要なのではないか。静かにそっと咲く花の価格が安くなっていて、このことを強く思う。

投稿者 磯村信夫 : 18:52

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