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2008年11月24日

クリスマス飾りは48週に

昨日、勤労感謝の日が終わった。前日の11月22日はいい夫婦の日でカスミソウの日と設定している。きっと世の男性で奥さんに花を贈った方も多いと思う。

アメリカでは11月27日、サンクスギビングデーがあり、この日が終わるといよいよクリスマスシーズンに入る。日本は小売の販売促進のためにクリスマスが使われて、10月末ハロウィンが終わると早速クリスマスの飾り付けをする雑貨屋さんも多くあった。しかし消費者の考えは違って来ていて、こんなに急激に経済環境が変化する世の中にあって、生き方をスローライフに定めないと流されてしまうと思ってらっしゃる人も増えている。ゆっくり歩きながら時とともに過ごす。そうした動きに呼応する傾向が近頃目立つ。ようやく今週、店飾りをクリスマス用に替える店がそれだ。こう見ていくと、一流の条件とは変えるべきことと変える必要のないこととを明確に分けて、変えるにしてもタイミングを大切にしている点にある。変えるとしたら徹底して変える。その徹底振りは本物だ。季節の楽しみをお届けする花き業界の仕事の仕方は、変化するその地の風景に合ったその時期の色使いからはじまる。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年9月 1日

新しいバラ生産の段階

日本のGDPは第一四半期、年率換算でマイナス2.4%となった。シンクタンクの分析では、余剰の設備も人員もあまりないとして、第一四半期を底に、大企業は業績を反転させるとしている。しかし、生活関連物資の値上がりで個人消費がしぼみ、中小零細企業を中心に底ばい状態が続くとしている。今回の特徴は中小零細企業、とりわけ内需関連が上がらないということだ。シンクタンクは言う。「しかし以前のようにどんどん悪くなるという状況下にはありません。」

石油はじめ、生産資材の急激な高騰で対応が追いついていけず、不安な気持ちを持つ人が多い花の生産業界ではあるが、8月30日(土)に第18回大田花き薔薇会議が盛大に執り行われた。花作りで冷房をしていたのは胡蝶蘭栽培だけであったが、夏場の品質を上げようと西南暖地のバラ生産者が最初に導入した。2年前から石油が値上がりし、深夜電力を使って油代の節約にも使った。こうして農業分野でヒートポンプをいかに使い、湿度のコントロールまで行なって一年中品質の安定した多種多様な薔薇を需要に合わせて作って行くかという段階に日本のバラ生産は突入した。需要にあわせる、あるいは半歩先取りする、そういったタフで攻撃的なバラ生産に入ったわけだ。現段階はヒートポンプを組み入れた栽培方法は先駆的生産者が試行を繰り返し、会合を持ちながら意見交換をし、自分の新しい技術とする。こういった進化の過程にあるが、バラの切花は日本の花き産業の大看板であるから、この機に進化し、多数の成功者が出ることを願っている。もちろん日本の花き市場は助力を惜しまない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年8月18日

引越しを期に初心貫徹

8月18日(月)、今日は私にとって再出発の記念すべき日です。大森園芸の真裏に住んで、当時は大井市場(当時は大田市場でなく大井市場と呼んでいた)に新会社が出来て、移ることが決まっていたので、これを期に新居を作った。高さはちょうどフラコン台車の一番上に鉢を載せても頭が着かない高さにして、2階を玄関とした。2階だがほとんど3階の高さがある。市場の裏手で地続きだったから、1階は市場から続く鉢物置場にしたわけだ。そこで2人の子どもが育ち、最近10年は夫婦2人と犬の生活をしていた。

その家を2008年の終戦記念日の15日を最後に引越しをした。今業界で働けるのも、京都生花様にお世話になったからで、心構えや基礎を作ってくださったその1年を除くと、35年間ここに住んだ。ここにいると思い出すのは、大森園芸に入社した時は14億円の取扱高であったこと。大田に来る前はこんなに小さな場所で89億円も売っていて、地方市場だけれども仲卸通りを作ったこと。私が「日本中の参考になる市場に行ってみたい」と言ったら父は3つ紹介してくれて、鹿児島の松尾社長、広島花満の和田社長、仙台の橋本社長の市場にうかがいお話をきかせていただいた。鹿児島の松尾社長からは、荷主さんたちの会を作る大切さ、生産現場まで踏み込んだ運命共同体としての組織について。和田社長と橋本社長からは、仲卸の大切さとどのような役割を卸・仲卸は行なえば良いか、特に中央市場に入場したときどのようにしたら良いかを教えていただき、その通り昭和59年(1984年)、大森園芸内に仲卸通りを作った。妹の親友の家で鋼材を扱っていたお隣に、母がお願いに行って土地を売ってもらい、そこを仲卸通りと駐車場にした。今の大田花きは和田社長と橋本社長の御指導の賜物です。

この頃妻の体が思わしくなく、2階の玄関ではしんどくなってしまった。バリアフリーの新築マンションが駅のほうに出来ると言うので、そこを求め、娘夫婦に家を譲ることにした。ここの場所に来る前には大森園芸は大森駅に隣接してあった。そこに今度は近くなった。大正から昭和初期の園芸業界のことを、思わず大森駅前の雑踏の中から思い描く。実際、市場が移動した場所を知っているのは大森北の大森園芸とこの大田市場だけだが、今後どのような形で会社が変わり、場所が変わって行くか楽しみだ。会社といっても市場という「場」を必要とする仕事だから、そうは簡単に移動できるわけではないが、ITを取り込んだとしても、商流は出来てもそれは物流拠点にはなり得ない。場の商売である市場業をさらに発展をさせるためには、荷主さんと買参人さんに誠心誠意尽くして初めて成り立つ。そうでないと花や人が集まってくれない。父に指導を受けた「誠実と努力」を初心貫徹。そのような仕事を今日から次の10年間やり続ける。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2008年2月 4日

成熟社会の花き業界にいることを認識しよう

建築家である慶応大学の隈先生がとある本で「東京の街で面白いのは秋葉原と町田だ」とおっしゃっていた。JRのおどろおどろしさを私鉄の明るさで覆い尽くす。そんな街、吉祥寺や池袋、新宿、渋谷、そして町田が人を中心とした街として大変魅力あるものに育ってきている。JR-JRではない、JR-私鉄の街で歓楽街と老舗がある街、ここが集客力があり、花屋さんもパワーがあるのだ。そう見ていくと都内で最も元気なお花屋さんの一つ、小田急フローリストさんは基幹店が新宿と町田にあり、重要な小田急線の駅や私鉄のターミナル駅にしっかり根付いている。小売店は立地産業だが、地域の文化の背景を生かした店づくりが欠かせない。良い例が戸塚の鈴花園さんだが、横浜と大船に挟まれた横須賀線の通り宿場町戸塚でこれほど地域に密着して、また地元の人が「地元の花屋さんが一番だ」と思っている店はない。

現在の日本は自笑的にかつては『ジャパンバッシング』、次に『ジャパンパッシング』、今自虐的に『ジャパンナッシング』と言っている。なんと自信を失わせる虚無的な言い回しだろうか。日本は高度成長が終わり、そこから落ち着いて成熟期に移行せずにバブったためさらに高度成長が続き、今度は急転直下、他の先進諸国のように時間をゆっくり掛けることなく心がついていかないくらいの猛スピードで成熟社会に突入した。バブル経済が成長期と成熟期のちょうど狭間にあったため、我々は成熟期に突入したとしっかり認識することができなくて、今でもまた景気が良くなると、かつての成長期にいるときのような生活の質の向上を期待する。脱工業化社会で、しかもグローバリゼーション、花の活け方もブーケやアレンジメントの商品化も、消費者よりも先回りして「あなたのほしいものはこれでしょ」と提案しないと選んでもらえない。取引においても今年はこれでやりましょうとより顧客価値を高めてやっていかないと信頼関係の維持が出来ない。これはすなわち成熟社会で皆がもう成長できないことを意味している。ごく一部の人たちに会社の成長は限られていくのだ。

心の準備が出来る前に成熟産業になった花き業界。少子高齢化で葬儀と仏花は見込み通りだが他がいけない。どんな需要を開拓しようとしているのか、ヒントは繁盛店にある。決して無理することなく、常連さんと一緒に実績を積み重ねている。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年6月18日

事前情報

ASEAN諸国の経済統合とアジア太平洋地域の自由貿易圏について、いつも頭からこのことが離れない。日本は感性豊かな花を出荷し、非価格競争の土俵で戦うことが第一にやるべきことだが、それと同じくらい大切なことが加工用・業務用の花、花束需要や葬儀の花に向けた低コストな花、小売価格の高くて3分の1、基本は4分の1の素材価格でも利益の出る花つくりをすることが必要だ。非価格競争のところが最も大切な主戦場になるが、輸入されにくいものといえば鉢物と苗物となり、そうなると商売上のことだが、大田花きは早く積極的に鉢物を取り扱っていくことが現在お取引いただいている荷主さんに役立っていくことに繋がってくる。ガーデニングブームも終わり、デフレが進行した21世紀初頭、大田花きでは徹底した内部改革を行なった。デフレを受け入れ、その中でも確実な努力が出来る者を営業の核としたのだ。必然、マーケティングマインドに富んだ人間が営業、ロジス、情報システムなどで活躍することになる。そして2005年、大田花きの鉢物の営業体制を刷新し、歴史ある鉢物園芸市場である大森園芸を母体とする大田花きの鉢物スタイルができつつある。2007年に入り好調に営業が回りだし、園芸店やホームセンターが鉢や苗物の売上を落としているものの、専門店や一部食品スーパーなどの鉢の需要はそこを打って好転してきており、そこへ向けて30歳、40歳の消費者へ向けた鉢物を提案し、評価いただけるようになった。やっている方が古ければ、当然作られた鉢や苗は時代に取り残されていく。遊び心もまだあり、しかも仕事のスキルはすっかり磨かれた30歳?40歳前半ここを中心に展開をしていくべきだ。花の場合ボリュームゾーンはもう少し上の年代だが、この世代の人たちに認めてもらえない限り、花き業界の発展、日本の花き生産の発展はありえない。

そこで流通においてもやるべきことがいくつかあります。鉢物生産者や苗物生産者は卸売市場へ事前情報をインターネットやファックスで送り出荷してくることを徹底していく。今から17,8年前、大田市場花き部が開場するとき、僕は大森園芸でとにかく「事前情報がないと取り引きできませんよ」あるいは「できたとしてもどうしても荷物と一緒の情報ではセリ順が遅くなったり、当然セリ前取引ができなかったりなど、あなた自身が不利になりますから必ず事前情報を送って下さい。」と普及活動をしていた。今ではほぼ100%切花では事前情報を出荷先の卸に送ることになっているが、鉢の生産者はそれが徹底されていないので「何も特別なことをする必要はありません。委託品を送るときに当然予定をしてもらわなければならないから事前情報を早く送ること、情報が違ったらそれを刷新して早く訂正することなど、普通の取引上の連絡をするようにして下さい。」と基本的なところからも園芸業界をサポートしていく必要があるようです。

投稿者 磯村信夫 : 15:34

2007年1月15日

多様化

先週、筑波山で猪鍋を食べた。猪年だから食べたくなって所望したが、ご利益があるかバチが当たるかわからない。

さてその会場は一つの勉強会であったが、なんと大田花きで販売しているバラの品種は一年間で1,200以上もあるそうだ。そんなにたくさんあってよく覚えられると思う。特にここ10年、品種数が多くなり、担当部署の社員以外、ほとんど名前と現物が一致しない。このことは知識社会と作業サービス社会の一つの特徴だ。病院を例に取るとわかりやすい。例えば内科。ここでも循環器系云々、専門がそれぞれ全部違う。外科も然りだ。大田花きは切花・鉢物・苗物の総合卸だから、総合病院のようにそれぞれがプロとして知識や作業サービスを補充しあい、総合的な良さを実現しようとしている。花き産業が知識社会や作業サービスに対応した産業だと言われるのはこのためだ。一言で言ってしまえば多様化。多様化は中間流通の卸・仲卸に活躍の場を与える。さて、話を戻して知識社会とサービス社会の特徴だが、院長先生が心臓病の権威より偉いとは限らないように花き産業の会社の社長も同じだ。花店でも社長とデザイナーの関係はこれと同じだ。すなわち相対的な地位の問題はそこにすでにないように、社長は組織上の役割として方針決定することにその役割がある。よくオーケストラの指揮者に例えられるのはそのためだ。

しかし先ほど言った心臓病の権威や手術に優れた人、また大田花きの例で言うと、菊のプロや、バラのプロ、IT操作のプロなどは、社長が下した方針通りに動くべきであるが、それぞれは社長のパートナーとして会社を盛り立てていくことが必要なのだ。

大田花きは「30歳代の人たちの好みに合う花を供給するのが今年の品揃えの目標」だが、その方針に合わせて、菊やバラをそのプロは選び、集荷をする。あるいは生産者に作付けのお願いをするなど、そういったパフォーマンスが求められているのだ。

それにしてもバラの1,200にも渡る品種は多すぎる。同じような個性をもったものなら、そこの中から一つか二つだけにする作業をしなければならない。消費者は色や型や保ちや香りで買うだろうから、同系色のグラデーションができるようにしながらも、早急に品種を絞り込む作業をする必要がある。消費者にも買い手にもあまり喜ばれずに出荷され流通されている品種が多くあり、その分生産者も利益機会をロスしているからである。積極的な多様化は良いが、消極的な多様化はだらしなさをあらわし、機会ロスとなってあらわれている。日本中の卸売会社の品目担当者は、この冬の時間のあるときに、自らの顧客に合った品種構成を作るべくデスクワークをしてほしい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2007年1月 5日

花の品揃えの幅

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

初市にあたり年頭の挨拶として、本日セリ場で三世代の顧客に利用してもらうことこそ繁盛の秘訣。そのために大田花きとして特に30歳代の働く女性、そして子育て真っ最中の女性が思わず買いたくなる花を品揃えする旨、決意を述べさせていただきました。

内需関連で業績を伸ばしているところは、お年寄りに気に入られているところ、団塊の世代がよく利用するところ、そして更に団塊ジュニアがここならと信頼して買ってくれるようなところが業態を問わず繁盛しています。小売店で言うとデパートの高島屋が伊勢丹、大丸に次いで注目され始めたのは、この三世代に渡る「大人狙い」のためではないでしょうか。ダリアや香りをテーマに供給をしてきた弊社でありますが、新春の手始めとしてまず枝物を厚くするところから始め、更にそれを切花・鉢物含めた中から選んで仲卸、小売の皆様へ提供していきたいと考えております。

本年も変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い致します。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2006年11月22日

クリスマスツリー

大田花きのお客さんはアメリカ・オレゴン州やワシントン州のクリスマスツリーもないと承知しない。国産は強い風に吹かれて成長がとてもゆっくりな富士山のもので、オレゴンのクリスマスツリーと富士山のクリスマスツリー、それが弊社のクリスマスツリーだ。

オレゴンのクリスマスツリーは2004年、2005年と2年間も植物検疫で輸入できず、納品先が決まっている大手の仲卸さんや小売店さんに、突然のキャンセルで大変ご迷惑をお掛けした。もし今年植検で引っかかるようなら、もう縁がないものとしようと輸入商の方と入念に打ち合わせをし、本年は無事に通関ができた。銀座並木通りのシャネルやエルメスなどこのオレゴンのクリスマスツリーじゃなければいらないと言われている得意先にも、ようやく面目が立つ。

大田花きのクリスマスツリーの取り扱いは日本の中でも特異な存在だと思う。それは大森園芸の頃からの歴史と伝統に基づく。大森山王にドイツ学園があった。良いクリスマスツリーはドイツ学園に出入りしているすぐ近所のお花屋さんが何百本も一手に受注していた。米軍とアメリカ大使館に出入りしていたお花屋さんは別にいる。この人もまた大量に扱った。羽田がまだ国際空港だった頃、アジアや中東からの要望で毎年100本くらい輸出をしている羽田のお花屋さんがいた。横浜から横須賀にかけての米軍と繁華街に横浜方面を得意としていた仲卸さんたちが毎年トラック2台分くらいセリで買い付けた。その頃は国産だけで富士山と長野県の八ヶ岳のものだったが、富士山のものは独立国だったから寒く、風が強く、成長が遅い。それが絵に描いたようなクリスマスツリーを作り上げる。そこを中心に販売していた。大田になってアメリカの農商務省USDAがアメリカの農産物輸出振興策の一環としてレザーファン、レザーシダだけでなく、クリスマス仕様のものも出荷することとなり、大田花きは毎年現地に赴き、販売するものを品定めした。

こういう経過から、日本の花き市場の中でも、特異なクリスマスツリーを扱う卸がまた生まれた。クリスマスツリーは販売促進用に今でもよく使われている。しかしこれはいわゆる業務需要だ。このビジネスユースでなく、ホームユースにとなると、昔のほうが明らかに多かったように思う。クリスマスツリーを飾らなくても、ライトアップならぬイルミネーションを楽しむ方向にクリスマスが変わってきたのはなんとも残念なことだが、しかしこれも世の常。いつか必ず多様化の中でクリスマスツリーが一定の割合を占めていくものと思われる。クリスマスツリーの足元にプレゼントを置いておく、そしてプレゼントを交換しあう。クリスマスを楽しんだ後、今度はお正月。おせち料理とお年玉へと続く。この一家団欒こそ、花が家庭需要で使われる条件である。ツリーとポインセチア、まだ飾っていない読者の皆様は、ぜひとも早速花屋さんへ行ってください。

投稿者 磯村信夫 : 15:50

2006年10月 9日

ダリア

東京は半袖で日中は過ごせるほどだが、今年初めての西高東低の気圧配置となり、初冠雪の富士山がはっきりと見える。

今日ダリアの切花の入荷が1,000ケースを超えた。台風のような低気圧だったので、関東から東北のダリアの産地は、ダリアが折れ曲がってしまう前に収穫してしまおうという気持ちも働いたであろうが、ちょうど集荷最盛期に入ったと、こう単純に見るべきだろう。ダリアは季節の大品目に育ちつつある。

弊社がダリアに力を入れ始めて早7年が経つ。力を入れるようになったきっかけは、株式会社サカタのタネの専務であり、弊社の社外取締役であった故岩佐吉純さんが大のダリア好きで、サカタのタネを退職された後、「ダリアの会」の会長に就任されていたこと。そして岩佐さんがどうしてももう一度日本の園芸界にダリアを定番として入れたいと情熱を持っていらっしゃったことである。私自身は日本経済が上向きになってくるタイミングで、80年代バブル景気のときのオリエンタルハイブリッドユリやチューリップのブームとまでは行かないが、何かインパクトのある大きな花を特に団塊ジュニアに向けてアピールすればヒット間違いないと思っていた。現在、弊社商品開発室長の宍戸はダリアの持つ多様性に目をつけ、大輪種の生産を山形と、育種家のいる秋田にお願いし、「ダリアの会」を通じ日本全国で営利栽培をお願いした。少量であるが日本各所の花市場で「花笠」や「はいばらのさと」等、伝統的な品種だけでなく新しい品種も出荷されるようになってきた。盛り上がるには全国主要都市で流通しないとダメだ。

今日1,000ケースを超えたダリアだが、以前弊社の商品開発室に在籍し、現在実家である千葉の勝浦で花き生産をしている鈴木誠氏は岩佐さんと同じ危機感を抱いていた。茎が空洞であるダリアはやはり花保ちが良くない。珍しいからといってそうは売れるものではない。切花で10日間保つダリアを作らなくてはならない。それには茎が空洞ではない保ちが良い品種を親に、花保ちの良い品種を作り、流通させようとしている。岩佐さんの影響を受けた「ダリアの会」の会員はじめダリア好きの人は、今保ちの良いダリアを出荷し始めた。この動きはとても大切でダリアの消費熱が衰えぬうちに花保ちの良い品種を出していきたいのだが、なんといっても育種には時間がかかる。育種は間に合うか。この「時」の競争に今大田花きは賭けている。岩佐さんの夢を現実のものにする役割が私にはある。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2005年10月17日

消費は徐々にしっかりした足取り

 東京は生憎の天気が続いているが、昨日の午前中の強い雨の割には大田市場祭りはまあまあの賑わいであった。花き部は大田市場祭りで2つの催しをした。1つは恒例の花の展示即売会、もう1つはお花屋さんの組合が主体となって場内卸が協力して行ったハンギングバスケットなどのデモと展示の他、JFTDの長野大会で最優秀賞に選ばれた工藤準氏のデモであった。この第2部は大田市場内のアーバンホテルで行われた。アーバンホテルには愛知県や千葉県の産地からも出展があり、会場通路をほどよく埋め、来てくれた方々を喜ばせた。私は午後に小学校のクラス会があり、第2部を見ることができなかったが、一部で思ったのはお客様の心理としてまずは仕事、すなわち魚や野菜のお買い物が先、次のお楽しみの花となっていることを実感した。合理性からいえば、重い野菜や果物は帰る前に買う、傷み易いお刺身なども帰る前に買うのが良さそうに思うのだが、人の心理は面白いもので、まず先に仕事をして楽しみはあとに取っておくというわけだ。だから、私たちも上手に切花や鉢物を販売することができた。雨なので心配したが、少なくとも昨年以上には売れた。

 この10月、当然のことながら、台風で被害のあった昨年よりはキク類を中心に単価は半値である。半値といっても例年並だ。お天気があまり良くないので市況に緊張感が足りないが、洋花や鉢物は遅れているのと、必ずしも質が良いわけではないのでこの先が心配だ。


 小売りには2通りの意見を聞く。一つは都市部の繁盛店からで、涼しくなって花が持つようになったので、夏場、あまり花を買わなかった人も買ってくれるようになって、雨でも売上はまあまあですという都市型繁盛店。もう一つは、緑豊かな地方で庭もある家が多い所で、紅葉の時期だし花保ちもよくなって、これから11月の半ばまで1年の内で商品回転率の悪い時期になりますという地方都市の繁盛店である。

 都市型繁盛店とは少し拡大解釈すると、駅中や駅周辺立地やショッピングモールに入っている花店、量販店にテナントで入っている花店など、涼しくなってお客様が衝動買いするようになり、客数が増えていくタイプのものだ。

消費について市況を見ていて確実に景気が良い方向に向かっているという解釈が一つ。また中小零細企業はリストラを本格化して、喘いでいるサラリーマンも多く、デフレに歯止めがかかっていないと相反する感触がひとつある。どちらを強調するかだが、いつの時代にも幾つもの出来事が一緒に起きている。本流ではないが、確実に良い花が評価されているこの潮流に目をやり、積極的に提案していきたい。

投稿者 磯村信夫 : 19:53

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