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2012年9月17日

仏事の物日は堅調

 16日の日曜日は、モースが電車に乗っていて発見した大森貝塚を発掘した日だ。それから135年経つが、僕も散歩で時々貝塚へ行く。大森は根岸と並んで、明治の大老たちが住まいした場所で、今でも新幹線の品川駅を出ると右手に森があるが、伊藤博文の屋敷跡とか大仏とかの緑が目に飛び込んでくる。今年の彼岸の入りは19日で、大森貝塚から旧東海道に降りて行くと、品川駅から横浜まで京浜急行の両側はお寺が本当に多い。お彼岸はすごい賑わいだ。お屋敷町があってお寺が多いとなると当然に花の需要が多かったわけで、大田花きもハイセンスな花や伝統の生け花の枝物、そして物日の仏様の花は得意中の得意だ。大田花きは、それらと同様得意としているものに進駐軍であるアメリカ軍の影響を受けた花の使い方がある。それは、都心部に最も近い中央市場であることもあるが、大森園芸の頃から山王ホテルやドイツ学園、本牧や横須賀の基地、また基地の人たちを相手にしているお花屋さんが、大森園芸を仕入れの場所として利用していたので、クリスマス、バレンタイン、感謝祭は本当に良く売れた。
 今、新たな売れ筋になったのは、これはディズニーランドが車で30分以内の場所にあるからであるが、ハロウィンは団塊ジュニアの世代を中心に新しい物日になってきている。いろいろな物日が増えて、17日の敬老の日の花のプレゼントもそれなりの需要量だが、以前ほどの勢いはないように思う。それは団塊の世代の早いところで65歳以上の高齢者が増え、日本が本格的に高齢化社会に突入しているからであろう。後期高齢者の長生きはおめでたいが、65歳以上でくくられる下の方の高齢者はおめでたくとも何ともないということであろう。年金は本当に次世代の負担が大きすぎないのか。ロシア・日本が少子高齢化の先駆けであるので、高齢者がどのように経済的にも自立して社会の中でやっていくのか世界に先駆け世界の手本になるシステムを作って行って欲しい。
 花の仕事をしていると、高齢化社会というのは決して悪くないと思っているのだが、上手に富と文化を次世代に伝えて行きたい。その為には、お年寄りが自分達の権利ばかり主張せず、経済的にも富を上手に次世代に渡せるしくみ作りが必要である。敬老の日の花、岩手のりんどうの鉢物を見ながらそう思う次第である。

投稿者 磯村信夫 : 11:40

2012年8月27日

国際化にあって小規模生産は間違いではない

 この夏、花き卸売市場化協会でフロリアードジャパンデー8月1日に参加する為、ツアーを組んでオランダに行った時の話だが、大変素晴らしい菊生産とバラ生産を見た。2つの農場は"良い物安く"を真正面から受け止め、国際競争の中で生き残っていくべく徹底的に設備投資を行い、現にアルスメール市場ではNo.1のアナスタシア(一輪菊)生産者であり、トップクラスの白バラ(アヴァランチェ)生産者である。

 オランダでは21世紀に入ってこの10年あまりで花の生産者数は半分になったが、トータルの生産面積は4%程伸びていると云う。いずれも大規模化した為だ。ケニア・エチオピアの農場は30ヘクタール単位だから、オランダでも5ヘクタールでは既に戦えない。それを10ヘクタールに近づけようとしている。農業というと何となく人心地が付いてのんびりではないが、人が本来持っているリズムで生産が出来るような気がする。日本でも現実はそんな甘いものではないのかもしれないが、オランダの花作りを見ていると必死に戦っている。真正面から国際競争の中で花作りの分野で生き残っていこうとしている。生産は科学的な合理的なものをベースにして、作る花のみファッション性や情緒性を持った"美"を作り上げてゆく。荷造りした花のみが何かほんのり暖かいものを感じるだけだ。あとは生産現場は※6Sが行き届いた静かな戦場だ。

 アメリカのワールドウォッチ研究所が世界の農場の考察を行っているが非常に大雑把だが、食糧まで含め農産物のほんの10%が大規模栽培、国際流通している農産物だそうだ。それ以外の9割は所謂地産地消で国内流通しているというよりも、むしろもっと狭い範囲の地域で生産消費されている小規模なものが世界の農業の実態だそうだ。穀類作り、生鮮食料品、花作り、畜産などのだいたいのものがそうである。1970年代、緑の革命によって地球上の食糧生産が軌道に乗り、食糧危機がなくなったように云われていたが、確かに成功したものの、それは灌漑、機械化、多収穫の品種、化学肥料農薬の4つをパッケージしたものでこれをやり得るのは一定規模の組織体だけで、彼らが行って成功した。しかし現実は特にアフリカでは女性が農業の担い手であることが多く、地球で都市に住む人口が半数以上となり90億人に向って人口が増え続けるとなると、もう一度零細な農家がより生産性を上げてゆくようにする必要がある。こう云った方向が農業問題の基本的な取組みであるとワールドウォッチ研究所はしている。日本の花作りはオランダの農家と比べてみて、規模は小さく品目や品種も絞りきれていない。それ故、高コストかもしれない。しかし、それで食べてゆけるのであればその方向性で努力して道を探るならば間違いではないと云い切ることが出来る。JA花き部会や専門組織部会、任意グループ、株式会社化等、日本の生き方は既に整っていると云って良い。

 作った農産物は、消費者に買ってもらうのだから前処理の徹底やコールドチェーン化が必要で、消費者の手元に渡った後の管理方法など業界を上げて取り組まなければいけないことも多くある。この点ではオランダに遅れをとっている。しかし生産や生産体系の在り様において小さいからいけないということはない。小さいから光るものを作らなければならないということはある。それは、今小売流通業界で云われているように、2008年のリーマンショック後と同じような消費環境にあるのではないかという危機感が日本の小売業者たちにあるからである。年収300万円未満の世帯が4分の1を上回り、国際的にも今後どう見ても景気は良くならない。その上消費税も上がるとなると消費者は無駄なことは出来ない。解決策は、昔からよく云われている通り、日本の財産は人材、人の質を武器に花き生産から流通販売(流通から花き販売)まで行わなければならないということである。特に一農家あたりは小規模な花き生産であるから、その分、自らの質を高めていかなければならない。デフレ圧力は今後ますます強まってゆくだろう。今まで新しいものだと感じていたものも、すぐに陳腐化して安くなってゆくだろう。こういう中にあって花き生産や流通で生き残ってゆくとなると、人の質の勝負と当たり前のことだがそう結論付ける。日本の花き生産、花き流通販売は"人間の質の勝負"となっているのである。


(※6S・・・ 整理 整頓 清掃 清潔 躾 作法)

投稿者 磯村信夫 : 11:50

2012年8月13日

社会の勝利は一人一人の自尊・自立から

 盆休みの時間の使い方として、田舎に帰って墓参りという人たちが多いそうである。それに合わせて菊の相場が上がってきた。日本の素晴らしさは、信頼関係に基づいた人間関係である。オリンピックを見ても全員~や、チームプレイで泣き笑いした。「きずな」や「縁」の心は家族からチーム、会社、大きな社会まで広がっている。

 8月10日(金)の朝日新聞に社会疫学の第一人者、米ハーバード大学のイチロウ・カワチ教授の記事があった。「日本人はなぜ長寿なのか」日本は他国と比べ、塩分や酒も量も多い。働き過ぎだし、喫煙率も高い。それなのになぜ長寿なのか。お互い様、或いはお陰様の人に対する信頼関係やお互いに支えあっている気持ちが寿命に影響しているのではないか。全人的にその人を否定する、或いは人格を否定するということはない。確かに格差は広がっているが、それはグローバリゼーションであらゆる業種において競争が激しくなった為。日本での格差は他国に比べてあまりないが、仮にあったとしても、ストレスを和らげるお陰様やお互い様の社会文化があるのではないか。私はそう読んだ。

 世界保健機関(WHO)の2009年の調査だが、世界で自殺者が多い国は10万人当り、1位リトアニアの34.1人、2位韓国の31.0人、3位ロシアの30.1人、7位ハンガリーの24.6人、8位日本の24.4人だそうである。東京ではしょっちゅう人身事故で電車が止まるのでもっと多いと思っていたが、やはり「きずな」が日本全体では良き会社を作っていっているのだ。アメリカも韓国も大学進学率が大変高いが、格差社会を反映しているということであろう。とやかく言う資格はないが、両国は人を認め人格と能力とを分けて考える集団文化を作り上げていく必要があるのではないかと思う。さて、日本だが、今期のオリンピックでもチームのメンバーとして本人の実力以上の力を発揮し、チームが入賞したり、メダルを獲った種目も多い。日本人は実際個人技・ないし個人格闘技については強さがあり、一人の個人としての強さは世界でも際立った国民のうちの一つであると思うが、しかし日本人に言わせるとロシア・中国・アメリカに囲まれ国土も小さく、個人としても背も小さいと言って、個人としての強さを客観的に見ようとしないのは残念である。一個人のパフォーマンスも組織全体のパフォーマンスもいずれも掛け算で成果が出るわけだから、まず個人が強くないと運動にしても業績にしても成果は期待できない。それは、まず一人一人の個人が大切である。

 さて、業績と絆の話をもう少ししたい。2012年度の上場会社の第1四半期の結果が出揃ったが、本年1~3月期の前年比の伸びは失速し、前年をやや上回った程度のことだった。そしてそのレベルは、リーマンショック前のレベルより2割売上げが取扱いが少ない。花き業界はこの第1四半期、前年を上回ったところがある一方前年を落としたところも多くあり、全国の卸売会社の実績から推測するに、4~6月全体では震災のあった昨年と同額の取扱いであったが、6月の菊の超安値で菊を多く扱う卸売会社は前年比落ち込みは大きく、小売の業態で言えば、専門店大手と量販店が気を吐く一方、町の花店の落ち込みが大きくなっており、その格差は広がっている。

 先程、社会疫学の中で格差の話をしたが、仕事をしていく上で格差を跳ね除けるべく、事業体が小さければ「山椒でピリリと辛い」が必要で、小さい分だけ何かに秀でていなければならない、特徴がなければならない。少なくともそのお店の主人や従業員は事業規模の大きいところに負けないだけの優秀さを持っていなければならない。そうでないと、格差が広がるのは世の常だ。生鮮食料品花きの中で格差が最もついてしまったのが魚業界である。沿岸漁業者は魚資源が少なくなったり、消費者の魚離れで単価が下がったりした為に、2009年一世帯辺りの所得は251万円であった。これでは生活出来ないので、当然勤めたり副業をしたりする。花は元来、半農半漁の場所が産地であった。伊豆や千葉がその代表だ。もう一度、津波被害のあった三陸から伊豆まで、沿岸漁業者は花作りと兼業することによって生計を立ててもらいたいし、地域の農協は花作りの指導に手を貸すだろう。小面積だって花き部会で取り組めば、メダルだって取れる。JAや県が栽培指導してくれる理由は日本の少子高齢化でも花の消費は減り難いし、私自身は花を飾る場所が増えるから消費も増えると信じているからだ。このようにして、地域の一次産業を盛り立ててゆく。そして人との繋がりを大切にしていく。補助金や公共事業、新幹線に頼らなくても一人一人が地域で立派にやっていく。こうしたことが、生きがいを持った日本を作り出すことではないか。農業も漁業も、またフローリストも生涯現役でやっていける。こうすることによって生きがいを持った一次産業というものや花の小料理屋としての花き専門店が栄えていくのではないかと思う。補助金を当てにせず当たり前のことを当たり前にやって自分達の手で儲けて格差社会を無くして行く。これを花き業界でも実現ししてゆく。

投稿者 磯村信夫 : 15:32

2012年7月30日

時代に合わせる

 先日、民主党の野菜・果樹・花のワーキングチームで発言を求められる機会があった。鹿児島県の先生から白菊の6、7月の安値の理由を問われたので、1つ目の理由に"時代で葬儀が小さくなり、その中でも白菊が使われる比率が減ったこと"、2つ目に"燃料代が高く、無加温の時期に出荷が集中したこと"の2つを挙げて、その説明とした。

 私自身の予算要望としては、1月~4月間の韓国に負けないだけの燃料費の助成をお願いしたが、日本のものつくりは鹿児島の一輪菊生産者だけでなく、あらゆるものつくりが国際化して新興国で日本と同等レベルの物が作出することが出来る能力を有していること。そして日本の生産者の唯一の強みは、同じ日本人として日本のマーケットをよく知っており、予測が出来るので先回りして消費者が喜ぶ物を作ることが出来る可能性があるということ。その点だけだと認識せざるを得なくなっていることだと思う。

 農業まで含めた日本のものつくりは、今までの路線を変更する必要はない。だが、新しい物に果敢に挑むチャレンジ魂が少なくなっていることは大いに反省すべきだ。
 
 菊ではスプレー菊の次に一輪菊生産地に今新しい枠組み作りが求められている。その為にも、生産協会輪菊部会内部での話し合いと市場協会との話し合いが待ち望まれているところである。

投稿者 磯村信夫 : 12:25

2012年7月23日

調達物流と収支

 6月の安値で産地はもちろんのこと、卸や仲卸で2桁マイナスであったところが多くある。2桁マイナスだと、6月はただでさえ赤字月なのに、さらにマイナスが多くなってしまったということだ。

 花き産業の場合、季節によって取扱高が違うのは止む得ないところだが、通年通じて赤字というのはいただけない。赤字は100%内部要因だ。それは外部で特別なことがあろうとも、状況が変化したら早速に対応しなければならない。しかし、この対応たるもの会社が大きくなればなる程難しい。例えば失礼だが、日本航空はこのままでは会社がもたないとわかっていたはずなのに、実際に潰れてみないとリストラが出来ず利益体質にならなかった。赤字企業というのは赤字を直視し赤字を改善しようとする人がいないことが問題なのだ。花き業界の中でもこういった"茹でガエル"がいるのは残念なことだ。"茹でガエル"になってはいけないと、産地は出荷先との取引でどのような収支になっているかを見直し、卸は社内と買い手との取引の収支を見直し、仲卸は仕入先と販売先の収支を見直し、小売は仕入先を見直す。厳しい経済環境下にあって、このような動きが目立ってきた。好調だった個人消費に限りが見え、消費税の値上げがほぼ決まり、値上げ前の駆け込み需要と値上げ後の消費不振で生き残りを賭けた戦いが2016年まで想定されるからだ。目立つのは産地の出荷先の選択で、利益が取れた実績のある先へ荷を寄せている。

 東京は5つの中央卸売市場の花き部があり、多摩の地方市場も頑張っている。特に23区内は、人口が増え続けており、今後とも花の消費は期待出来る。しかし、こういうところは日本全国見渡しても例外で、荷が捌け物流コストが相対的に安い場所となると産地の選択肢はそんなに多くない。どの地域も品揃えは花の場合必要不可欠だ。そうなった時に市場間ネットワークで品揃えを良くすることが地元の消費者の為に必要となる。出来れば市場協会の支所単位での品揃えの展開で、それが無理であれば近隣の市場の支所を巻き込んで調達物流を作っていく必要がある。品揃えをしても赤字になっては続かないから、地元の市場は小売店に事前に十分理解をしてもらうことが不可欠だ。地産地消と調達物流で地元の消費者が喜ぶ荷揃えをして利益を出す。その為にもまずは社内の意識改革、魅力ある商品の品揃え、さらに生産性の高い仕事のやり方への変革、この3つの改革を行わなければ自社が駄目になるという段階になっている。もう先延ばしは出来ない。

投稿者 磯村信夫 : 10:27

2012年7月17日

日本のものつくり

 日本企業のものつくりについて、議論する機会を昨日の日曜日、銀座でもった。そして、家に帰ってTVをつけると、made in Italyにこだわった中国からのフィレンツェへの移民が、衣料品を輸出している現況を知るにつれ、複雑な思いを持った。今日は花も含めた日本のものつくりについてお話したい。

 日本のものつくりは基礎研究と、そのこだわりによって今でも世界に冠たるものであるが、その作られた物については、消費者に押し付け気味であったり、消費者からすると、過剰品質で使わないものが多くあったりする。よって、作られた製品については、消費者が欲しいと思うものではなくなっている可能性が高い。特徴的には、Apple社のiphone、ipadや、Samsung社の Galaxyに負けている。Appleは、既存の技術を組み合わせ、消費者がこうあってほしい、あったらいいなという物を創りあげる。Samsungは、地球上の各地域でどんなスペックが必要か調査し、その地域に合った商品を提供している。決してSamsungは日本製品よりもTVでも安い物を提供しているわけではないのがヨーロッパに行ってみればわかる。グローバリゼーションとデジタル生産化によって競争は、その物を使って何がしたいか、どのようなサービスをもたらしてくれるか、お金を出してくれる消費者の立場にたったものつくりの競争になっているのだ。

 2010年、世界で最も大きなトラブルは、中国の毒入りミルクを抑えて、トヨタのフロアマットが引っかかりアクセルペダルが戻り難いという事故と、トヨタの対応が一位となった。日本では、大々的に報じられなかったのは日本のものつくりの強さ、とりわけ看板方式など生産プロセスに日本の強さがあり、日本のものつくりは今でも世界最高の品質だとの日本人の自負がこの2010年のThe Timesのランキングニュースを小さくさせたのであろう。グローバリゼーションそして職人芸を取り込んだNC工作機によるデジタル生産は、どこの国で作ろうが同じ品質の物を造り上げることが出来る。工業における成功は、何を造るのかにかかっているのだ。農業の分野でも数値化、デジタル化しようと現在日本のコンピュータメーカーは、職人芸と云われるものつくりをデジタル化し、誰がやっても品質を安定化させることが出来る農業にしようとしている。現状は日本列島は縦に長い。気象条件もそれぞれ違うので、良い農作物を作るには複雑な組合せがあり一筋縄ではいかないが、その努力を始めたので必ず完成するであろう。

 さて、現時点では農業と同様、人の感性や手仕事が大半のアパレル産業において中国人達がmade in Italyにこだわり、フィレンツェに移住して作って世界に輸出している。イタリア人達は、自分達は移民する民族だと思っていたのが、20世紀の後半、ユーゴスラビアが崩壊し、移民を受け入れるようになり、今度は中国人も来るようになって、国際化に慣れていないイタリアは戸惑っている。Made in Japanの衣料品が出稼ぎに来た多くの中国人達によって作られているが、made in Japanは信用出来ると思っている日本人が買い手だ。まだ移民してきた中国人が、made in Japanを輸出しているわけではない。私自身は、イタリアのメーカーにはこだわっても、それがブルガリア産であろうが、トルコ産であろうが、他国産であることにこだわらない。そのメーカーのデザイン力と品質を保証するところに信頼を置いているだけだ。これと同じようなことに日本の花き業界も既になっているのではないか。優秀なメーカーが国内では、九州と長野県に生産基盤を持っている。愛知県から大分県へ拠点を移した生産者もいる。マレーシアは日本の生産者と国際交流を重ねながら、日本の消費者にメーカーとして広く受け入れられるようになって一定の地位を占めている。

 日本の花が特段優れているというのではないのである。日本の生産者の強みは、もし日本の消費者に販売するのであれば、好みを誰よりも知っているので、先回りしてその花を作り、提案することが出来るということである。農業まで含め、ものつくりは既に国際化し、品評会に出す良いものを作るだけでお金が取れるという時代は終わったのである。

 誰に売るのかのSamsung流、何をしたいのかをイノベーションで新しい物を作るApple流、こう考えていくことが今の時代のものつくりではないかというのが、私の考えである。フィレンツェに移民した中国人はmade in Italyのファッションが格好良いと思っている人に売るのを商売にしている。これもSamsung流と云えるであろう。

 今、話題になっている、アメリカのオリンピック選手団のユニフォーム問題は、ラルフローレンデザインのmade in Chinaだそうだ。賛否両論あろうが、アメリカのビジネスを体現しているので面白い。今後日本では、made in Japanで他国の花を排除することがないようにする。売りはあくまでも自分の名だ。その産地、生産者が価値を決める。なくなっては困るというのがブランドだから、名前を覚えてもらってトレンドを先取りする。そのことにものつくりは心がけるべきなのである。これは、花作りも同様である。華道・フラワーデザインの先生方も同様である。

投稿者 磯村信夫 : 06:02

2012年7月 9日

安値の理由は自由放任だから「総合の誤謬」

 おそらくここ20年なかったことだが、7月のお盆の相場がべたべたである。8月とは違い7月のお盆は普段の日に行われるので、私も出張があり、15日(日)にお袋の所へ行く。仏壇にお線香をあげ、今あることをご先祖様に感謝し報告をする。お花屋さん達も今年は誠におっとりしたもので相場が上がる気配がないから、売れる本数は決まっているので安くても買いたくないのだが、ついつい余分に仕入れてしまう。

 今年の6月の安値と7月のお盆の安値を体験してつくづく思うのだが、誰か産地に指揮官がいて、全体の需給バランスを考え、品目別に自分の産地の時期別の作付け計画を作り、生産者はそれに基づいて生産・出荷する。こうしていかないと、バランスの取れた魅力ある産地作りは出来なくなったことを立証している。農協・花き部会の共選・共販でも生産者が各自の意向で作っていた花をまとめて選花・選別して卸売市場に分荷するのでは、リスクが大きい。こうして、今年の6月と7月は、菊や仏花素材の安値となっている。元気な商店街が少ないのもこれと同じ理由だ。商店街として魅力ある品揃えをしなければならないのに、ただ単に軒を連ねた小売店の集まりでは、地域の消費者が必要とする業種がなかったり、悪い成績の店は退場させたりするコントローラーがいるショッピングセンターやスーパーマーケットなどに利便性や魅力度で負けてしまう。成熟時代には、消費者に役立って行こうとするヘッドクォーターの役目と、それに従って行くグループ化された生産者達が必要で、ただ単に自分達が思うままに花を作って、農協に持って行き、共販にしても生産価格で売れる時代ではなくなっているのだ。

 「弱り目に祟り目」で安くなると自分だけ得をしようとしているのか、共販から離れて個人出荷の人達が多くなる。個人で出荷するには、独立店舗と同様の気構えが必要であり、一人で戦うだけの能力が欠かせない。誰もが作っている花を荷が纏まらないなら、個人で出荷しても面白くとも何ともない話だ。東京にある荷受け所を見ていると、こんな生産者もいたのかと思えるほど分裂した生産者があちこちに荷を出しているのがわかる。このような行動が安値を長引かせている。生産過剰の場合には、産地廃棄する。そして、県や出荷団体のヘッドクォーターの指示に従って出荷する。こうしていかないと、お金が取れない時代になっている。リーマンショック後、価格が下がってから、系統農協は農家各自にいつ、何を生産・出荷するのかの判断を委ねてしまっている。ここが問題なのだ。沖縄県では太陽の花・JAに出荷する生産者は、コスト上昇などで内地の生産者と同じように苦しいが、後継者が育ち若者達が希望を持って花を作っている。全農岩手県の各農協花き部会も同様だ。それはコントローラーが農協に系統に居るからだ。

 市場(マーケット)に身を委ね生活をする者は、時代の変化の中でお金を出して買ってもらえる花を作る計画、これがない限り花でお金は取れない。繰り返すが、それは商店街とシッピングモールを見ても明らかである。ヘッドクォーターを中心にチームを組んで花作りにあたる。欲しい時期に欲しがる品種を欲しいだけ作る。スポーツと同様統制化されて、生産をすることが産地の必要条件なのである。

投稿者 磯村信夫 : 12:18

2012年7月 2日

ユリの八重化

 総会の時期も終わり、今年も残すところ後半分となった。各企業の取組みを見る限り、世界経済の縮小の中で、積極的に手を打って行こうとしている企業の姿が浮かび上がってくる。とりわけ勢いづいているのが内需関連のコンビニ、量販店、インターネット販売などで時局を捉えて夫婦共稼ぎや高齢化をイメージした戦略に出ている。

 人口動態やら時代の雰囲気は花き業界も一緒で、今週末に七夕があるが、笹でも大きいタイプの2メートル以上のもののうち、約20%は老人ホーム向けであると大田花きは推測している。介護付き老人ホームが出来てから、所謂老人ホームとケア付きマンション的なものと、この分野での深掘りが始まっているが、元気なうちにマンションに引っ越すのと同様にホームに入る人が増えてきている。七夕の笹でこれだけの需要があるのだから花や緑にも需要があるはずで、頭の老化防止といっては何だが能力トレーニングの為にもう一度生け花やアレンジメント、或いはコンテナガーデンなどの教室の需要を展開するのも面白いのではないだろうか。

 そしてもう一つ。今ユリのシーズンなのでユリの向う方向性について話をしたい。まだ、先端を行く人達が使い始めた位だが、今後の潮流になっていくと感じている。それはユリの八重である。出荷の時の切り前が難しい点はある。又、蕾が大きいので移送中に花首が傷んだり折れたりする可能性がある。だがそれにも増して咲き足がゆっくりで咲いて見事だし、今流行りの重ね着である上に花粉がないから服やテーブルを汚す心配もない。八重でなく一重も処理をすることによって花粉が出ないようにしている産地もあり、花粉対策に一層の注意を払っている。八重品種改良の時間もあるから急激に増えるというのではないが、今後5年間をとってみると、この流れは1つの潮流になるのではないかと推測している。大田市場の周りでも山ユリが咲き始めた。ハイブリットユリにとって新しいものである八重化、花粉なしの潮流を大田花きとしてサポートしてゆきたい。

投稿者 磯村信夫 : 12:42

2012年6月18日

物流が勝敗の決め手となっている

 桜の時期、ソメイヨシノの木がこんなに沢山あるのかとびっくりするが、散歩に行くとアジサイも多いことにびっくりし、桜とは違って色々な品種があるので楽しませてもらっている。桜の時期になると卸売市場の価格は少し安くなる。それと同様、アジサイの時期になると花の相場が安くなる。今まで花き業界は、梅雨なので外に出ないし、出たとしても傘を持っているので切花を買えない。また、土がぐちゃぐちゃしているので、ガーデニングもしない。こう安値の理由を挙げていたが、日本人にとってアジサイは桜に次ぐもの、庭の花として堪能したり、切花にして室内で楽しんだりするのも相場が少し下がる理由なのである。

 ガソリン価格がだいぶ落ち着いてきたが、花き業界にとって利益を出すにはどう燃料費をトータルとして圧縮するかに懸かっている。生産者は暖房費と資材の高騰、また市場まで届ける運賃の値上がりで利幅が薄くなったと嘆く。卸、仲卸も集荷、配送費もコストがかさみ、取扱数量が増えないので利益を出すのに四苦八苦している。こういった状況の中、本年度に入り、ネット業者が最終消費者まで届ける物流を構築するとの記事を目にすることが多い。NTTドコモは、らでぃっしゅぼーやを買収し、ローソンと協業して消費者までの最終物流を持つことになった。セブン&アイホールディングスでは、ネット販売と買った物をお届けする物流を本格化させる。イオングループも通称「ネットスーパー」の形で自社で、また宅配業者と組み、買い手の手に渡るまでの物流を商売の一つに組み入れる。楽天ももちろんamazonも最後まできちっと届けるまでを仕事としている。

 卸売市場は、市場法で所有権が移った段階で、買い手は引き取り物流をするのがルールになっている。しかし、その考え方は少し時代にそぐわないのではないか。小売の場合、利益を買い手である消費者から受け取ることが出来るが、卸売市場の卸売会社は、委託品であれば利益は産地からいただく。買付けであった時に初めて再販業者として買い手からいただくことが出来る。圧倒的に委託品が多いので、卸は買い手の引き取り物流、卸からしたら搬出、或いは納品物流は別途のサービスで、受益者負担の原則で買い手に代わって行う物流だから、卸がやるとすれば、別途の代金をいただくことになる。このサービスを買い手はサードパーティーロジスティックスを得意とする物流会社に頼むという手立てもある。ロットが小さくなり物流費が割高になっている現在、ネット企業を中心に最後まで届けることまでを自社の仕事としている。そのような時代にあって、卸売市場は調達から最後の納品までのサプライチェーンを自分の仕事として捉えるべきである。市場は評価や価格発見だけが仕事ではない。もちろんそれは卸売市場ならではの仕事だが、現在大切なのはサプライチェーンのうち、分荷・配送分配物流で生産性を上げて行くことである。卸売市場こそ、物流改革を行い生産性を上げていくべき業種である。

投稿者 磯村信夫 : 12:48

2012年6月11日

女性の力で需給のズレをなくす

 旧東海道に品川宿跡がある。昨日の10日は、品川宿近辺の祭りで旧東海道はごった返していた。これだけの御神輿が出る祭りは品川区・大田区でもここぐらいであろう。商店街の人達が一致団結し、氏子共々祭りの運営に活躍しているところを見ると、地元の素晴らしさや地域社会の素晴らしさが再確認できて日頃不満に思っている政治経済の諸問題など吹っ飛んでしまい、「やはり何でもやらなければ実現しない」と実際に花き業界で努力を積み重ねて行こうと思った。
 
 アジサイの季節で花の持ちも少し悪くなり、冬・春と担当してくれていた産地の品物に品質の衰えが目立ってきた。今週末は父の日で、黄色いバラやヒマワリがお父さんの花として人気だが、今週は今日重いスタートとなった。月曜日に重いスタートとなるのは、金・土・日の週末のうち、金曜日の午後と土曜日に雨が降って、花の売れ行きが芳しくなかったことによる。日曜日は、住宅地の花屋さんなど休むところが多いので日曜日の雨は相場に然程影響がない。しかし、金曜日の午後と土曜日は、月曜日の市況にもろに影響が出る。出荷量は月曜日に比較的多い。理由は週末に普段は会社勤めの子供達も実家の花作りの手伝いをするからで、量が多い上に週末が天気が悪いと小売店は在庫がある為、安値となる。

 需要が週末型になってきたのは、21世紀になってからで、元々法事と結婚式は週末であり、小売需要の店頭に買いに来る女性達もパートにNPOにと忙しくなったので、すっかり需要が週末型になっている。そして、店頭での花の品揃えが消費者とミスマッチとなっている場合が多くなってきている。女性が花を買うが、仕入れは必ずしも女性の好みを反映したものになっているかどうか、ほとんどの仕入れの人達が男性である為に起こっているミスマッチがあるのではないかと思われる。大田花き市場には、青果や魚の市場から比べれば、女性の比率は高い。卸・仲卸の社員にしてもセリ権を持っている買参人にしても、仲卸に買出しに来る人にしても女性は多い。しかし、その特性が十分に活かされているかというと例えば市場で場内に保育所が設置されていない所などを見ると、女性の活力が十分に活かされているとは云い難い。
 
 そして、これは今後の課題だが、もっと買い手に近く、店で思わず買いたくなるようなマーケティングを大田花き市場として、また花店がそうなるようにリテールサポートをしなければならないと思う。女性の力を活かしきれていない、ここに花き業界全体が消費者とずれている原因があるのではないかと思う。そのずれの部分が何とももったいない。卸であれば、産地との品種選びやセリ順決定において、仲卸や小売であれば、何を販売促進するか、何を仕入れるか。またその他pricing(価格設定)など、今以上に女性に頑張って活躍してもらわなければならない。こう昨日の品川宿の祭りで働く女性を見ていて思った。

投稿者 磯村信夫 : 12:46

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