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2010年4月 5日

関心が卸売市場にも

先月末、築地市場の豊洲移転について東京都の予算が都議会で条件付ながら可決され、農業だけでなく卸売市場についても社会の関心が高まってきた。

ジョージ・ソロス氏は今世紀最大の投機家として有名で、大変アカデミックな人であるが、ソロス氏は学説に反し市場は非効率なものとしている。この場合の市場はいわゆるヘッジファンドの市場の意味でもあるが、世間と読み替えてもよいと思う。世間ではあらゆるモノに価値や価格発見があるわけだが、それがいつも偏った見方がされているのが現実のマーケットで、その中でこそアカデミックなソロス氏が必ず投機を仕掛け、そしてソロス氏の思うようになっていったとき、利益を生んできたのである。卸売市場もことほどさようで、車の走る道路は直線でもよいが、人間の歩く歩道ほどくねくねしていたほうがよい。曲線こそ本来揺らぎを持っている人間の快適さをもたらす。人間万事塞翁が馬やら、禍福は糾える縄の如し、流転したり揺らいだりしていっていることへの教えは多い。契約取引は安定した収入をもたらすサラリーマンと同じように、漁業者も農業者も必要だと思われる。そういうことから市場流通・市場外流通を問わず生産の一定割合を契約取引にすることは必要であろう。大面積の農場は生産会社として命令が行き届く、あるいは契約の通りになるが、漁業協同組合や農業協同組合は商店街と同じか商業ビルに入っているテナントと同様だから、多様な意見があり契約の履行が徹底しにくい。今の漁協や農協の生産部会はボトムアップ型であり、決してトップダウン型ではない。トップダウン型の意識をさらに強く持っていかないと目的を持った組織として契約取引を中心に行うといったことが出来にくい。だから国内の野菜の場合、現在90%以上が代替品を素早く調達できる卸売市場を経由しており、花の場合は国内の切花、輸入された切花、鉢物、苗物、これらの85%も卸売市場を経由して店頭に並んでいる。作るに天候、売るに天候、そして保存が利かない生ものや生きているものをすばやく消費者に届けるのが生鮮食料品花き流通の役目だ。「卸売市場は朝が早い仕事」、これはせりが中心の商いだったときのこと。専門店は消費者が夕飯のお買い物のときまでに今日の荷を陳列しておけばよかった時代の話である。開店のときに今日の売る品を全部を揃えていたいとする量販店の要望があった。鮮度でそれに負けてはならないとする専門店の心意気もあり、市場は24時間の仕事となった。もし卸売市場が寝るときがあるとすれば、お昼から15時頃だけであるだろうか。しかし営業の社員は翌日の販売のためにその前に出社し、情報を仕込んで販売に備える。このように宅配便業者よりもスピーディーに休みなしに荷を集散させてゆけるのは卸売市場だと自負している。不安定なマーケットの中で業界が健全に維持されうる範囲の中で卸売市場は価格を発見し、値付けして、品揃えをして流通させている。第九次卸売整備計画でグローバル時代にふさわしい日本の卸売市場として規制緩和を行い、新しいルール付けをすることによってより効率的な運営が出来るようにする必要がある。市場にいる卸や仲卸は3分の1近くが赤字に陥っているが、これは非効率さを残している証と言える。ステレオタイプである卸売市場を多様性を認めた卸売市場にしていき、地域社会に貢献するときである。このまま変わらなければ生産者と卸売市場は共倒れになる可能性を含んでいる。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年3月29日

春爛漫

3月下旬に東京の近辺では大きな花のイベントが三つあった。幕張メッセで開催された家庭園芸普及協会主催の「日本フラワー&ガーデンショウ」、上野の東京美術館で開催されている華道家元池坊東京連合支部主催の「池坊東京連合支部いけばな池坊展」、そしてパシフィコ横浜で開催された日本フラワーデザイナー協会主催の「日本フラワーデザイン大賞2010」だ。それぞれのイベントは盛況で、大変見ごたえがあり、いずれも人出は昨年より多かったのではないかと思う。

今まで桜が咲く頃花が売れないと花屋さんはぼやいていたが、リーマンショック前の2007年春頃から花の時期になって花屋さんの店頭で花が売れるようになってきた。花見の仕方も夫婦で散歩のスタイルを取る人たちが増えて、家に花を飾ろうと帰りに花屋さんで切花や鉢物を買っていく。駅の近辺に花屋さんが出店したことも影響しているだろうが、母の日までを花のシーズンとして、小売店も潤うようになってきた。水も臨界点で氷になったり水蒸気になったりするが、花の社会現象も桜の時期に花が売れるようになったのは首都圏だけではないと思う。

さて、この3月は法人需要についても目鼻がついてきた。もちろん需要がかつてのように回復したわけではない。かつてと比べると低調なのだが、しかし今年は役員の入れ替わりや昇進、昇格、新組織への移行など、向こう10年を見据えた大幅な社内改革が多くあった。新社長が若返ったところも多く、40歳代前半の会社も珍しくない。異動した人たち向けに離任式やパーティーがあり花束がよく動く。また昇格の人たちに胡蝶蘭も久しぶりによく動いている。会社お届けの大きなものは25,000円から30,000円くらいが多く、中にはご家庭に届けるミディの胡蝶蘭もある。まだまだ贈る企業は昔と違って限定的だが、花の法人ギフトについて最悪期を脱したと言えるであろう。

では今後どうなるだろうか。皆様方もちょっとしたホールの観葉植物を見てもらえば分かる通りフェイクが多い。この造花のフェイクはよく出来ているが、やはりそれに気付くと興ざめする。これはお金と手間の掛けようの問題だが、これが生のものにもう一度代わるのはそう簡単ではない。法人需要は限られると予測されるので、花き業界は個人需要をどう取り組むかにかかっている。3つの展示会で使われていた花の品質はさすが日本の生産者が作った花だと言える世界で最高の質のものが使われていた。一方にこの花を流通させ、もう一方にはもっと廉価版のものを大量に流通させる必要がある。それには切花日や出荷日を明示し、普通の人が買える価格帯のすなわちワインや日本酒や焼酎と同じように800円から2,000円、高くても2,500円で一週間楽しめる花を提供したい。日本の生産者と小売店にお願いしたいのは、量が動く価格帯で小売販売し、それで利益が出るように量を作って売ってもらうことである。もちろん栽培技術だけでなく、種苗会社にも協力してもらわなければならない。普段の花を量多く流通させる、それがここ10年で日本の花き業界がやらなければならないことだ。まずは量。量を作り、一人一人の消費量は今までとあまり変わらないが、全体として量を買ってもらう。少子高齢化でも花は飾るスペースが減ることはない。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年3月22日

Wチェックが出来ている機関を信ずる

社内の配置転換や人事異動などで花を贈ったりもらったりする週となっている。20日から今日までの三連休で引越しも大変多く、「今日の午後の花のお届けが多い」と地域の一番店はうれしい悲鳴をあげている。春は本当に別れや出会いで花を送る機会が増える。

こんなときに気になるのが天気だ。先週末は大荒れの天気で今日のせり前取引でお彼岸用の花は、当初見込みより三割ほど少なかった。しかし昨年の11月から続く天候不順で、特に日射量が必要な洋花類は不作だから需要量より入荷が少なく持合い。この傾向はエルニーニョが収束する梅雨前まで続くのではないかと予想している。消費者の所得は落ちているので単価はシビアだが、個人消費をさらに開拓すべく原産地表示や採花日表示、花保ち保証などの運動を盛り上げ、減農薬や地球温暖化防止に貢献しているMPSの花などを多く取り扱っていきたい。

MPSは世界30カ国で承認されている花の環境負荷逓減に関する国際基準だが、2004年に世界消費者連盟コーデックスがEUROPE GAPに参加している農産物を積極的に買おうと採決したが、MPSはEUROPE GAPを批准しており、花のMPSは実際ヨーロッパ系のホームセンター、量販店はすべて第一に扱う花と決めている。日本でもようやくMPSのように農業の分野でもISO2001あるいはEUROPE GAPと同様、本部が定期的に抜き打ちチェックする。自己申告だけでなく他者がWチェックをしたものでないと信用しない、あるいはオーソライズしないという風になってきた。

弊社は株式公開会社だから、コンプライアンス上、社員一人で仕事が完結するということはあってはならない。人間は必ず間違いを犯すものだから、1つの意思決定に対して他の人からチェックが施されなければならないということを嫌と言うほど身に染みて感じている。特に上席者ほど周りが遠慮するので間違いを犯しやすい。これは社内が大変なリスクを抱えているということだ。ようやく中央市場の卸売会社でもコンプライアンスが叫ばれ、会社法の忠実義務や取締役や執行役の善管義務などを出すまでもなく、誰もがWチェックで行いを正すことが必要だとする環境が社内にある。ここで商売柄問題なのがスピードである。即断即決で花の値段を決めるのが卸売会社の基幹的な仕事だから、せり場はアカウンタビリティー(説明責任)が利いてチェックが行われるから良いが、せり前の相対取引、あるいは今後増えるかもしれない買付取引は要チェックである。上司の承認や稟議書は後付になっていないかなどコンプライアンス委員や監査担当のメスが営業を中心に入る。今まで日本はアカウンタビリティー(説明責任)が足りないと海外から指摘されてきた。今はコンプライアンスが足りないと指摘される。特にトレーニングが足りていないのは部下が報告を怠る点だ。その日の報告や週二回の経過報告などきちんと自分がWチェックを受けなければならない。意識とそのための実務のトレーニングがない。また上司の丸投げも業界の悪しき風習で、結果が悪いと結局個人攻撃になって、仕事が積みあがってこない。この弱点を正すため花き業界の人たちは更に報連相とマネッジメントに心を砕こうではないか。

日本は大企業を中心に新たなこれから10年を歩み出した。しかし大手以下は経済界でもガラパゴス化しているのではないかといわれている。少なくとも我が社にはガラパゴス化の傾向がある。台湾に出張に行った社員のレポートを読むと、コチョウランの苗を販売する業者はへこたれていない。新たな活路を日本以外の国に求めて苦闘しながらもがんばっている。日本のシンピジュームの種苗会社も日本はダメだが中国への苗の納入が間に合わないと言う。何も外に顔を向けろとだけ言うのではないが、もう過去の仕事のやり方で生産性の低い点は改めて、すでに出発していなければならない。改正食糧法の後、最も規制の多い業種である卸売市場の規制を緩和し、当たり前の仕事のやり方を行っていけるように消費者と取引先に利をもたらせる状況を作っておく必要がある。それが2010年3月の年度末のチェックすべきところである。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年3月15日

国産と外国産の物日のすみわけ方

今日は台湾の黄菊、中国の白菊の入荷が大変多い。
国産だけでは足りないので、輸入品になる。小菊は沖縄が需要量を充たしているので輸入品はない。花のマーケットは国際化して久しい。物日は需要が爆発するから、品質の良い愛知・静岡・九州産のものを前から仕入れて、自分の鮮度保持技術でお彼岸に合わせて販売する買参人がいる一方、間際になって手当てをしようという人たちがいる。かつては間際になって買う人たちは当然相場がはねるわけだが、それでもよいとする専門店の人たちが多かった。しかし今では物日であっても普段の価格で売りたいと思うから、国産品プラス束売り用は輸入品になる。

台湾から黄菊とスプレー菊、マレーシアからスプレー菊、中国から白菊が物日の需要増のときに主に花束用として出荷される。では専門店で一本売りできるかと言うと、マレーシアのスプレー菊のように適地適作で、しかも飛行機で来ていて、市場に着いて品質にブレがないものは一本売りできるし、専門店が好んで買う。もちろん量販店も買い、マレーシア産のスプレー菊は世界で最も品質がよいとされる国産と比べても単価的には遜色がない。しかし台湾産と中国産は船便で、温度設定が出来るリーファーコンテナを使う。詰めすぎると冷気がまわらないから、40フィートコンテナで80,000本、200本入りで400ケースが1コンテナの目安だと言う。1コンテナ単位で荷を受けられる大手市場も開市日を選ぶ。例えば今日15日の月曜日であれば大丈夫だが、3月の第1週では荷は捌けない。そういうことで大手の卸売市場も中小の卸売市場も12日の金曜日と15日の月曜日のせり分は輸入品をドカンと売る。それに合わせて、その前に着いた荷物もこの日に出されるから、このコンテナの荷は良いが、このコンテナの荷は下葉が上がって使えないというように品質にバラつきが出てくる。ここが物日のときの台湾産、中国産の菊の弱点だ。

10年前と違って、輸入品だから(いつ切花したかわからないので)単価は安いということは一切ない。輸入品でも必ず品質の均一化が求められているのだ。また国内の産地に要望されることは、品質を持続し、物日のときに何本、どの等階級のものが出荷できるか、1ヶ月前には出荷先の市場に伝えておくことが必要だ。それをもとに卸は物日の営業計画を1ヶ月前に立てる。採花日表示や出荷計画は金額ベースで世界第三位の花の産地である日本の生産地の欠かせない仕事となっている。

P.S. 物日になると輸入品が増えるので、店頭での原産地表示、国産なら県別表示は消費者に選んでいただく上で必須事項となってきた。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年3月 1日

2010年2月の成果

2010年2月はお天気に恵まれなかったが、関東地方の花市場は前年並みか、やや上回ったところもあって、デフレも止んでほっと一安心であった。

法人需要は前年よりもさらに少なくなって、2007年の2月からすると半分になったと言われている。法人の減った分は取り戻せない。だから小売需要が堅調に推移しているといっても、品質の良いものがそれなりに評価され、取引されているわけではなく、単価は下がっている。2007年比では約2割価格が下がっている。消費構造が変わったのでやむを得ないと言えばやむを得ないが、コチョウランの鉢やカサブランカのような大輪のユリを作る銘柄産地等、高品級な花を作っているブランド産地ほど苦しんでいる。高級レストランやブティック・料亭では最低でも一週間は花持ちが保証できる銘柄産地のものが使われているが、今では量的に半分しか使われず、痛手を被っている。なんとしてもこのような高い技術を持った、しかも日本の花き業界を引っ張っている産地にお金を取ってもらいたい。そのためには質を落とさず、家庭用に向く品種やボリュームの花を作ってもらう。産地によっては第二ブランドを立ち上げてもらい、坪当たりの収入を2007年並みにしてもらうことをまず始めようとしている。

もうすでに改革が終わったところもあるが、小回りが利かない球根切花・球根鉢花の産地は、個人用に向く球根の手当てから始めなければならず、それがようやく本年度分から間に合う。バラにしてもトルコギキョウにしても、品評会で大賞を取るような作りから、一つ一つ見れば遜色はないが、しかしそんなに立派なものでなくても良いものを一定数量作っていく技術はなかなか難しい。

カジュアルフラワーという言葉が出来た1990年代の当初から、草丈をそんなに長くせずとも、と言われていたが、まさにその時代に入ったわけである。しかも今からは必ず咲くことを小売店は消費者に約束したいし、真夏でも消費者の手に渡ってから4日間花持ちすることを保証して販売したい。小売店の責任においてそれをするためには、買参人は可能な限り採花日を表示するように生産者にお願いして、採花日表示の花をせりにかけてほしいという。このように消費者の信頼を得るには業界全体の努力が必要で、切花だったら1週間に1回買ってもらうため、園芸ものであれば2週間に1回か1ヶ月に1回は買ってもらうため、小売店はお客さんの期待を裏切らないように販売したいとしている。そうしたときに初めて、国民生活に密着した花の売上が法人需要が旺盛だった頃の売上よりも多くなっていく。高齢化は花においてマイナスではない。現に日本国民一人当たりの居住空間は広くなってきている。消費構造の変化が明確になった今、日本国民に花を楽しんでもらえるような努力を続けていきたい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年2月22日

フローラルアートに取組む姿勢

2月18日に東京ドームホテルで社団法人日本生花商協会の50周年記念祝賀会があった。ちょうど東京ドームで世界らん展が開催されており、らんを使ったフローラルアート(今回はフラワーアレンジメント)のコンテストがあり、祝賀会の中で表彰式もあった。

国によってフローラルアートに対する態度と言おうか、向き合う姿勢が違っている。マミフラワーデザインスクール校長の川崎景介先生はこのように指摘する。
キリスト教のヨーロッパ・アメリカ人は、植物は神から与えられたもので、神に似せて人間を作り賜うたわけであるから、人間が自由に花を意味づけることが許されている。よって人為的な意味や解釈でフローラルアートをする。
中東やインドは敬うべき神々を花の豊かな芳香で人々は喜ばせる。供花としての花、それが中東・インドのフローラルアートである。
中国や韓国は儒教に現れる天の思想があり、天のもとに人間が植物と心地よく戯れたり、人間が美しい環境で身を委ねたりするリラクゼーションがフローラルアートに溢れている。またそのような態度でフローラルアートをする。
日本では有為の奥山があり、先祖や神がおわす猛々しい自然に我々は囲まれている。また自分自身が自然そのものであることも良く理解している。それゆえ自然と真摯に向き合うという自然に対する敬意の念があって、そのような姿勢でフローラルアートを作っていく。

この心の置き方がらんを使った日花協のコンテストの作品の中に明らかに見て取れる。バイオテクノロジーを使って生み出された新品種。化石燃料や人工照明を使い育てられた切花。これらを使い、これも自然と受け止める透明な強さや素直さが作品の中でそれぞれの花を生かしている。フラワーアレンジメントなのに、まさに華道、花に対する向き合い方がまさに日本人なのである。

川崎景介先生によるとフローラルアートに対する態度
日本 すべての花
中国 みんなの花
中東・インド 彼方の花
西洋 私の花
詳しくは読み応えがある『花が時をつなぐ』を是非どうぞ。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年2月15日

東京都の出荷奨励金対象

この週末、関東地方ではあいにくの天気で、バレンタインデーの花の売上を見込んだ小売店も予算を若干下回ったようだ。日本でもチョコレートでなく、花を贈る「バレンタインデーは花の日」という機運はずいぶんと盛り上がってきたが、おかしいことに花き業界ではお返しのホワイトデーに花を贈ってもらえばよいとプロモーション活動は本格化していない。

バレンタインデーの頃になると東京でも河津桜が咲き出す。うちの近くの水神公園にもあって、その桜に足を止めたり、写メールをする人たちがいる。大田市場の花き部にも河津桜が3本あって花をつけている。これは伊豆太陽農協からのプレゼントで一足早い春を届けてくれている。

この河津桜が咲く頃、毎年東京都内の花の卸売市場が産地の荷物をどれくらい扱ったか集計が出る。これによって東京都に出荷奨励金の対象団体になったかならないかを報告し、なったところには出荷奨励金を支払う許可を得る。具体的には都内に5つの中央卸売市場8社の卸売会社があり、地方卸売市場が8社ある。この調べを行うのは東京都花き市場卸売業者連絡協議会取引検討委員会で、代表と事務局は東京都花き市場協同組合から出している。都下の16社の卸売市場に前年の1月?12月の切花共撰共販のみ(個撰共販や鉢物を除く)税抜金額を報告してもらい、その総額を把握する。県連や対象となりそうな農協には卸売市場各社からの報告をチェックしてもらう。その年の暦年の総額が税抜きで10億円を超えた県連、そして単協で1市場5億円を越えた農協にはこの連絡協議会から東京都に届けられ、出荷奨励金対象団体の認可を受ける。それを連絡協議会は参加の卸売会社に報告し、その年の4月から3月末までの売立代金の3/1000を出荷奨励金として支払う。バーが10億円となっていること、条件で切花の共撰共販の出荷物の代金であることとなっている。
かつては切花の共撰共販を推進するために青果と同様、出荷奨励金を設けたのではないかと思われる。

また完納奨励金については、青果は毎3日後に払わなければならないわけで、青果の送金実務は大変な労力を費やしている。それが出来るのも買参人組合ごとに、組合員に代わって卸に支払う代払制度が確立しているからだ。花の場合、北足立市場の花き部ができ、90年大田市場花き部の開場に際し、当時青果のような代払組合を作っていこう、そのための事務手数料や設立基金の元を積み立てるためにも完納奨励金が必要だということで中央卸売市場の花き部では最後に出来た世田谷市場まで買参人に完納奨励金を支払ってきた。しかし2004年の新市場法の履行、そして2009年の手数料の自由化を踏まえ、新しい体制下の各種奨励金を見直したとき、買参人に対しては当初の目的である代払制度が今後とも出来ないとの東京都花き振興協議会での合意の下、完納奨励金は2009年3月末をもって順次終了することとなった。しかし産地助成につながる出荷奨励金は卸売市場の集荷の利便性のみならず、産地のマーケティング活動に使用されている実情を踏まえ、従来どおりの制度を運用することで都と合意している。産地においては、出荷経費は高止まりしたままだが、単価はデフレ気味で大変苦しい状況であろう。ぎりぎりのところまで来ているので、手取りをこれ以上減らさないためにも運賃を節約し、道州制の地元の中心都市に荷を出すことが多くなって、わざわざ東京までと考え出荷しない産地が増えてきた。こうなると都内の卸売会社の対象となる産地は増えないかもしれない。それでは都民も私どもも困るので、ぜひとも都内のどこの市場でもよいから出荷していただき、都内10億円を達成していただきたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年2月 8日

総合卸売市場の活躍期待される

 先週末の新潟や東北地方の大雪は何十年ぶりかのもので、消費者は外に出るどころではなかったようだ。大田市場は成田空港や羽田空港に近く、また近くに2つの大きな花の集配センターがあり、東北から関東、東海の花の市場が荷を取りに来ている。そんなことから荷揃えを整えるため大田市場を利用している花市場が多い。花市場が直接、買参権を持つこともあれば大田市場の仲卸とやりとりをしている場合もあり、仲卸同士の場合もある。もちろん大田市場の仲卸と地域の大手小売店の取引の場合もある。地理的条件から大田市場は日本列島をにらんだ中核卸売市場の役割を務めている。
 今週末はバレンタインデーで今日から赤バラが反発をし、さらに結婚式需要が本格的に始まるのでバラは堅調だ。それにプラス15日の仏様の花の需要もあり、和洋とも専門店を中心に今日から引き合いが出てきた。しかし大雪で新潟、東北方面の週末準備は水曜日からの仕入れになるようだ。中間流通は作るに天候、売るに天候のような生鮮食料品花きにおいて欠かせない役割をになっている。生産者と小売店の間に1つ健全な取引機関があれば、今日のように花は関東地方の小売店に吸収されていく。きっと水曜日は東北地方や新潟の小売店が荷をそろえるだろう。これを在庫適正化の法則という。そして中間流通がない時、直接荷主さんは小売店に荷を納品する。よく直売比率を4割も、5割もありますと言っている農協や生産団体がある。これはアメリカと同じで直売比率が高いと生産者は納品に全責任を持たなければならないので、納品予定の120?125%作り欠品リスクに備える。作るに天候だからである。そして納品できない分は捨てる。直売所で売ってその単価が1人歩きすると翌年の価格交渉で取引先が値切る。そのような経験から、むしろ捨てたほうが良いと判断している。余談だが農産物ではないがリスク管理の為に自動販売機を設置している日本の清涼飲料品メーカーもある。1軒の健全な仲立人を入れることによって商流や物流、お金の流れが減ることは取引減少の法則が示す通りである。中間流通の卸売市場はこのようにハブ機能を持っている。ハブ機能は必要不可欠な機能で大手流通業者も直接仕入を謳っているが、社内に100%子会社の中間流通会社を作っている。そこに仕事をさせるのだ。日本は仕入れを容易にする中間流があるのでライバルの小売店ができやすく、1平方キロメートル当たりアメリカの50倍、イギリス、フランスの10倍、イタリアの7倍、ドイツの3倍の店舗密度、競合状態になっている。大手寡占化が日本は家電量販店とホームセンターを除きないといって良い。それは繰り返すが手軽に品揃えができる中間流通があるからと言ってよい。それが消費者に便益を与えている。
 今この卸売市場でも食品スーパーが値下げ圧力にどう対応し、健全経営を行っていくか注目して見守っている。消費税の値上げが97年で、この時単価の下げ圧力があった。またここのところで、GMSから始まった単価の下げ圧力が食品スーパーまで進んでいった。食品は価格弾力性が低く、値下げしたといっても消費はあまり増えない。少子高齢化やオーバーストアなどの先行きを見たときにどうすればよいのかが問われている。地域の食品スーパーと組んでいるのが地域の卸売市場だから我々は青果水産の卸売市場の人たちがデフレに負けないアイディアを打ち出しやっていってほしいと考えている。社会や業界の安定とは成長と分配と雇用の3要素で決まると経済学者のグルーグマンは言う。そうなるとどのように売り上げをとり成長していくか。人口減少、少子高齢化の中で課題は多いが食品スーパーの値下げが地域の幸せの為に本当に必要なことなのか。価格弾力性を考えた時にそうではあるまいと言い切ることができる。花は価格弾力性があると思う。よって良いものが安ければ顧客はふえる。また買おうと思う人も増えて需要が高まる。消費宣伝活動と生産者や市場、小売店の生産性のアップによって所得を守ることができる。総合卸売市場はその地域の核になる中間流通業者として、専門店と食品スーパーが安定して品物が調達できるように今後ともしていかなければならない。それが毎日の消費者の安定した生活につながる。

投稿者 磯村信夫 : 15:38

2010年2月 1日

見えない利益に我慢できない消費者

不透明な見えない儲け方をされていることに対して、消費者は本当に我慢が出来なくなっているようだ。かつては同業者間のみの競争だったから、差別化が消費者に選んでもらうポイントで、付加価値で差別化できなくなると結局安売り競争になって消費の立場でも分かりやすかった。しかし今は同じ消費者をターゲットに異業種間で競争しており、任天堂のwiiと駅そばのスポーツクラブが競争している。駅ではこの雑誌は有料だがこの雑誌は無料、家では映画をテレビで見るにも有料無料など、消費者にとっては本当に儲けの構造が単一ではなくなって、企業の「見えない利益」について自分が得をしたと感じないとき、かなり嫌悪感が出てきている。

いくらかどうか分からないものに、葬儀の値段がある。25,000という数字は日本にとってとても大切で、公立小学校や郵便局の数が25,000で、つまり徒歩や自転車で生活する地域住人の共通インフラの数が日本では25,000なのである。ところが25,000の約3倍、76,000のお寺が日本にはある。31万人の僧侶がいて、お寺を維持するには平均300の檀家が必要である。少子高齢化と共に寺の経営は大変になっていくだろう。今は高齢化で葬儀需要が多い。そこで日本の葬儀費用はアメリカの5倍だとか、韓国の7?8倍ではないかだとか、いろいろ葬儀費用や戒名の値段がメニュー化されていない点もあるのでそれが不透明と映り、戒名をつけない葬儀がここ数年で2割になるなど、節約することがいいことだという論調が出てきて、一定数の支持を受けつつある。花の仕事をしている私が言うと、何か自分の都合で言っているように聞こえるので嫌だが、日本は冠婚葬祭をとても大切にする文化がある。血縁、地縁、仕事の縁など縁を大切にして、そして折に触れて祭事を行う。最近のデータは分からないが、1990年代のデータでは日本の会社の交通費は平均してドイツの会社の5倍、あの広いアメリカの倍であったと思う。我々は直に会って接する。そういう触れ合う文化があって、組織力を生かして助け合って生きていくのだ。結婚式は本人やご家族は健在なので、参列する私たちは相応の効果を期待して包んで行って、それが実際に返ってくることもあろうが、葬式は本当にお世話になったからで、香典や花代や参列するコストなど、見返りなどを計算してその葬儀に参列などしない。文化の由縁でこの祭事の日本文化を社会は否定することもなかろうと思う。お祭りや新年会や忘年会、結婚式、人生の通過儀式や季節の祭事など確かに行う方からするといろいろな選択肢が出てこようが、文化的行事を否定をすることはない。また施行するほうも売価の透明性を高めていくこと、すなわちメニュープライシングをしていくことは大切だと思う。しかし西洋のチップの文化を日本は否定することもなかろう。もう少し世間の事象を大人の判断で見て、人生の儀式を行ってもらいたい。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

2010年1月25日

内なる国際化を日本の華道とフラワーデザインでさらに振興する

1990年代は生け花教室に加え、フラワーデザイン教室が盛況であった。2000年代になると、力のあるフラワーデザインスクールは生徒さんを良く集めたが、普通の教室は飽和感もあって2005年くらいから教室をたたむところも出てきた。農林水産省の花き産業振興室が「花育」を言い始めた時期には、生け花教室やフラワースクールで生徒数が減り始めていた。

アラ還の団塊の世代は生け花、茶道の心得があることが女性としての欠かせない教養となっていた。それより若い世代は生け花を勉強する人、自分流の花飾りができれば良いとフラワーデザインを少し勉強する人、本格的にフラワーデザインの道に入る人など多様化していった。しかし、昨今の少子高齢化や世間に漂う無関心さや閉塞感で華道やフラワーデザインを学びたいと思う人が少なくなってきている。

私たち花き業界からすれば、日本人のアイデンティティーである華道、そして華道の基礎の上に花咲く日本のフラワーアレンジメントを活発化して、いけばな文化を発展させなければならない。そうなると種苗から生産、卸・仲卸、小売(我々が言う花き業界)、プラス華道界、フラワーデザイン界が日本の新しい花いけのあり方、室内で花の美しさを最大限に引き出す表現の仕方などを継承し発展させていく努力をしなければならない。そう感じて私は微力ながら花き業界の最終アンカーである生け花の先生方、フラワーアレンジメントの先生方とコミュニケーションを図っている。生け花の先生方やフラワーデザインの先生方にレッスンプロやトーナメントプロとしての自覚を持っていただき、先生方に素材を提供することによってより素晴らしい空間芸術を作るお手伝いをしたいのだ。日本の生産者は自分の作った花がプロの先生方によって人々に感動を与える一端を担っていることに生きがいがあり、また生産者としての商売も花き業界の最先端を知っているからこそいち早く量産化をしてゆけるのだと思うのである。花き業界が行っている花育と異なるが、真の花育とはやはり華道教室、フラワーデザインスクールにあることは言うまでもなかろう。既存の花き業界は先生方と一緒に共通の目標に向かい「花き産業」を活性化させていく。

投稿者 磯村信夫 : 00:00

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