文化の違い


先週、クリスチャン・トルチュのアレンジを日本橋三越フランスフェアで観てきた。その前の週末は、川瀬敏郎の展覧会を畠山記念館で観た。
トルチュ氏にはパリのエスプリを、川瀬氏からは日本の美を感じた。優劣は互いに付け難いものの、良く解り、感動を覚えたのは川瀬氏の生け花であった。
元来都市とは都市国家を示し、城壁の中と外では基本的に自然が異なる。
西洋の建築家達が東京へ来ると、都市の中で城壁の外の自然を見つけ、びっくりする。都市とは元来人工的なものであり、そこの中で人間を中心とした営みが行われるから当然花に対する関りも変わってくる。
人と花との関り合いを詩情豊かに表しているのがトルチュである。このエスプリは何とエレガントであろうか。まさに詩や音楽を奏でているようだ。一方川瀬氏はこのような都市とそれ以外の地域に分かれた花との関わり方をしていない。
日本の場合、都市という人工的な概念はなく、地域を郷山と奥山という風に分けている。郷山は人に優しい自然を持つ、我々の住む場所であり、奥山は神々が住む畏敬の地である。海についても同様であるが、我々が好きなのは大抵浜辺から見る海で、猛々しい海を好んでいるとは言い難い。和寇や琉球民族を除き、我々の血の中には海に対する考え方でさえも郷山と奥山のような区別が生きている。
川瀬氏は、この奥山の自然を抽象して生け込んだ。出来栄えはいずれの作品もドスンと胸に入る存在感を持っていた。
トルチュ氏が時の流れを諭しむ人の心を謡い上げ、川瀬氏は悠久の時の流れを奏でていた。


1996/10/21 磯村信夫