できないことについて心配せず、今できることをする。


いよいよ今週はクリスマスツリー市。逸早く年末戦線に突入した。
気忙しくアンテナを張れば張るほど、流通業界はいろんな情報が飛び込んできて、頭の中を情報が交錯する。
そんな状況の中、先週とても素晴らしいことに2つ出会った。
1つは15日の金曜日の午後、横浜の関内駅で人を待っていた時のことである。構内からたばこを吸いに外へ出ると、横断歩道に倒れている人がいる。その側に、会社に帰る途中らしい仕立ての良いスーツを着た2人の男性がおり、倒れている女性の脈を計ったり、バッグから身元を調べている。
最初は状況が判らず、3ヶ月ほど前に見た、新宿で電車にひかれたホームレスが担架で南口から外苑の方へ運ばれていった時の、あの目をむいた物体としての顔をさっと思い浮かべた。ぐたっとして、死んでいるのかもしれないと思ったが、2人の紳士が落ち着いていてやさしく、さりとててきぱきと行動する様をぼんやり見ていた。
あまりにも落ち着き払っているので、横断歩道の残されたスペースを普段通り人々は行きかっていた。「何かあったのかしら...。」そんな雰囲気が周囲にはあった。
45、6の紳士は脈を診て、息があると言っているらしい。37、8のがっしりしたダブルの背広を着た男性は、バッグの中から身分証明書を見つけ、身元を確かめていた。
たばこを一本吸い終わったところで、その女性の勤め先の同僚だろうか、30前後のワイシャツ姿の男性が走ってきた。その頃救急車の音が近づき始めた。
その情景を見ていて、思わず人との関りや物事の処し方を教えられた。倒れた女性を救うことや、彼女が関わっている人達に知らせることでは誰が考えても出来ることである。私達のすべきことは、身近に起こっている一つ一つのことを的確に仕上げていく事である。2人の若き紳士の顔は覚えていないが、身のこなしとその時の印象は、今でも僕の心に大切にしまってある。

もう一つは、17日の日曜日、お天気がいいので富士山を見ようと金時山に登った時の事である。
乙女峠から長峡山の頂上にたどり着き、ちょっと下って金時山の頂上に行くのだが、ちょうどその途中で80才前半の老紳士と、60過ぎの娘が一緒に登っているのに出会った。僕に「富士山はどっちの方向に見えるんですか?」と聞いてきた。
ちょうど雲が30分ばかりかかっていた時のことだった。「お父さん、せっかく来たけれど今は見えないわね。今日は天気予報では晴れと言ったのに。」と娘の方が慰めるように言った。お父さんは無言で飛んで行く雲の隙間にちょっと見える富士の左の稜線を眺めていた。
僕はお2人に「後40分くらいで頂上まで行けますから、その時にはきっと晴れて素晴らしい富士山が見えると思います。」と言い残して山頂へ急いだ。
もと来た道を帰ろうとすると、家族連れの後ろにゆっくりお2人が登ってくるのが見えた。その背後には雲一つない富士があった。2人にとって今回の登山は、生の一瞬を充実させ、自信をもって生きていく活力になるのだろうと思った。

「我々が出来る事」というのは本当に限られているが、身近に起こった事を大切にし、自信を持って対処する事が大切なのである。


1996/11/18 磯村信夫