歴史は繰り返す


「人はパンのみに生きるにあらず」とは生活者としての生き方を我々に教えてくれるトルストイの言葉だが、消費者としての立場だけから見ると、需要には必需、常需(常識的な需要)、そして贅需(贅沢な需要)がある。
それは、まずはじめに生存の為、次いで便利になる為、3番目に快適になる為そして最後に体裁を整える為という段階別に消費活動が起こって行くことを意味する。
全ての商売は、消費者のこの段階を追った需要を充たすべくサービスを供給して行くことだが、供給側の人がそれによって適切な所得を得られないのでは問題である。
花の供給について言うと、今切花の三大品目はかなり上手に作っていかないと、需要を充たしても次に来る“快適な生活が出来る”だけの所得をもたらさなくなってきている。
鉢物はそこへいくと巧い経営をすれば、体裁を充たし、贅需を得ることも可能な所得水準にある。
これは何を意味するかというと、需給バランス及び競争レベルの工程であり、また将来は国内生産で鉢物類が増えることを予感させる。
日本では人為的に真珠を作ることに成功し、その素晴らしさを賞賛されている企業があるが、そのかげにはアラビアで天然真珠を取りながら生活をしていた人々が立ち居かなくなったという事実まで、思いを巡らせている人はほとんどいないであろう。
また、今でこそチューリップの球根産地として名高いオランダが、19世紀から20世紀のはじめ、新大陸アメリカでヨーロッパ人が大好きなチューリップの球根生産をし、輸出したため、ヨーロッパの球根価格が大暴落し、イギリス、フランスなど採算が合わなくなって生産を断念した。
生産性を高めたオランダが生き残ったわけである。全てこのように歴史は繰り返す。
切花生産者は自助努力によって生産性を高めて欲しい。消費者の好みとミスマッチを犯すだけの余裕は既に無くなりつつある。よって販売先の大卸と仲卸をも巻き込み、作付け計画を練って行くことが急務である。


1996/12/02 磯村信夫