真のサービスとは


新年の4日に、親和会(近在の荷主さん達の会)が宝船を作るというので出社したところ、成田の日通から電話があった。
3日の市の時に配送する予定のものが、休みだった為配送していません、申し訳ございませんという内容のものである。電話口の女性、桜井さんは約束を守れなかった責任を痛感しており、言下に賠償責任を取ろうとしていた。その日は休市日で担当者が居らず、そのレザーファンがどのくらい必要だったのか判断出来なかったので、「明日担当者から連絡させます。」と、電話を切った。
もう2年程前の暮れのことだが、娘が大掃除をしていて急に小さな整理箪笥が欲しくなったらしく、どこかで買い求め、31日にフットワークが配達してきた。
品物を運び入れ、梱包をといて、どこに置くのか娘に尋ねた。箪笥を置き終わると、梱包資材を持ち帰った。彼らは整理箪笥を届けに来たので、傷めないように資材を使ったが、資材を使うのは運ぶ人の都合で、品物そのものを届けるのが本来の役割と心得ていた。
ことほど左様に世の中のサービスレベルは上がってきている。その根幹となる精神は、甘えを排除した自立心の上に花咲いているように思う。
ペルーの日本人大使館テロ事件で、日本の及び腰が目についた。人命尊重は言わずもがなであるが、現実社会を生き抜く上で、まず病人と老人、子供達を、次いで日本人以外の人、そして日本の民間人を開放し、日本の政府職員は誘拐犯と差違える心構えを持ってしかるべきだった。もし断固たる処置を採らなければ、現実の国際社会の中で日本大使館だけがこれからも狙われるだけでなく、海外に住む日本人だけが狙われかねないからである。
花は平和的な仕事であるが、凛とした姿勢の中にこそ花を取り扱う心構えが有り、花や緑、そして自然は我々にその厳しさも教えてくれるのである。


1997/01/06 磯村信夫