人脈作り


昨日中国人男性が日本人女性と結婚した披露宴に出席した。我社を定年退職した盛さんが日本での身元引受人となっており、新郎と盛さんとの間に座った。定年後の森さんが元気でやっている姿を見るのはうれしいものである。
新宿歌舞伎町や新大久保の近辺には中国人が多いが、どちらかというと飲み屋街やら飲食店で働く人々が多い。しかし新郎の葉君は蘇州出身で、科学者として嘱望されており、師事した教授の退職に伴い、東大の大学院から都立大の大学院へ移った青年である。
中国人の嫁さんのことへ話しを移す。去年の7月、上海の空港でチェックインしようとしていたら、見覚えのある男性がいた。大森園芸時代取引のあった山梨県三村のキク生産者であった。「確か日高さんでしたよね。」と話し掛けたところ、もちろん向こうも気が付いて何かそわそわしている。彼の後ろに並んでいた中国美人が彼の奥さんだということだ。奥さんの田舎へ行ってきたのだという。
これとは別に、今年の3月にラングラウフ大会で山形へ行ったおり、船形の花き部会長の加納さんと、元農協の営農部長で今は定年退職して花を作っている本田さんが僕に言った。「磯村さん、太一さん(加納さん)の息子さんが中国吉林省に集団見合に行って、すばらしい女性にめぐり合いました。私が団長としてはじめて行って、良きカップルができ、本当に嬉しいです。」すると加納さんは、「私もずいぶん悩んだが、息子は本当に偉いと思った。その息子の勇気を思えば、当然親はどんなことがあろうとも嫁を幸せにしてやらなければと思っています。」
去年の夏から3回立て続けに日本と中国のカップルを見たことになる。
さて、昨日の披露宴でさすが中国人と感じさせることがあった。それは親類の縦のつながりと、“幇(ほう)”横糸の織り成す人脈の作り方である。横糸の方が縦糸よりも強い。中国人の新郎、葉君は蘇州夜曲で有名な蘇州の出だ。文化大革命の時、おじいさん、お父さんとも公営兵にイカ帽をかぶらされて街中引き回され、さらしものにされた。資本主義の手先だという。脚下ほどではないにせよ、縦、横の綿密な人脈作りには頭が下がる。親戚でも目上は当然兄であり、そして知人でも年配は先生である。同僚は幇によって繋ぎ留められ、新郎、新婦とも一度でも接した人で、一定レベル以上の人間とのつながりを絶えず取り続けている。盛さんに聞くと、一年に一回必ず自分と奥さんにプレゼントがあるという。この縦と横糸。仕事をしていく中で欠かせない強固な中国人の人脈作りを学んだ。
昨日の午前中、ふらっと家内の兄が来た。農産物のマーケティングは博報堂が秀でているが、兄の親友が九州で活躍している。博多の万能葱や、大分の農産物も彼の担当だ。話の中で、宣伝業界、特に博報堂は好調らしい。新聞に出ているのは真実のようだ。クライアントも広告代理店を絞り込み出しているという。その結果、電通と博報堂が他の広告代理店に大きく差を付けつつあるという。先端的な仕事をしている男だが、なぜ広告代理店業界がいいのか聞いてみた。「経済がサービス化してきたから、売る方にとっちゃ広告を打たなきゃならないのかしら。」と聞くと、「それもそうだが、今の若年層はイベントによって友達と繋がっており、同類であることを好むから、広告が効きやすい。」なるほど、それでクライアントも費用対効果を計算できるわけだ。兄貴はまた言った。「磯村君、どうも日本の若者はアメリカのようにならないみたいだ。」僕は「そうなるとアジアの時代となっても日本は負けますね。」「そうさ。一割のリーダー層が出て、この国を引っ張っていかないと、もはや太刀打ちできないだろうね。」
そして午後、葉君の結婚式で外に織り成す人脈を見て、兄貴の言うことを痛感した次第だ。いくら国際化といっても、純粋培養されたこの極東の孤島、日本で、恵まれた資質を持った人が傑出してしてくれることを祈るばかりである。


1997/03/31 磯村信夫