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トルコからのロシア向けカーネーション輸出金額が増えているという。
しかし新規参入組は金が取れないらしい。世界最大の仲卸、オランダのズーレルは、売上の1割以上がロシア向けになったという。アルスメールからトラックで出発する運転手は交替要員も入れて2人。ガンを手放すわけにはいかないという。金を払わないだけでなく、花を狙っての殺人がここ3年で2〜3件あり、まさに命をかけて花を売りに行く。他のオランダの業者に聞いても同じである。
日本人は水と安全はタダだと長い間思ってきた。近頃ミネラルウォーターを金を払って買うが、安全もセコムはじめ、金を出して買わなければならない時代となってこよう。
ロシアに話を戻すと、私はここ25年間で8回ソ連に行っている。ロシアになってからは1回だが、その時はモスクワ近辺を見た。日本へ来ているジャーナリストのほとんどがスパイだと昔教えられた。一人シベリア鉄道で旅したのだが、当時はイン・ツーリスト(国営旅行会社)のほとんどがKGB国家秘密警察の人であった。唯一、シベリア鉄道の車掌、ニーナという女性は民間人だった。ホテルでは外出した後必ずトランクの中を調べられていたし、寝ている時も監視の目線を感じた。まだまだ恐ろしかったことはあるが、楽しかったことも多い。ロシア人はとことん楽天的な人達であるし、ウクライナ人はその上をいくということもわかった。学生時代のこの旅は、共産主義と社会主義経済を検証する目的であった。話のついでだが、イタリアの共産党は、貧しい南部の生活を見ればさもあらんと思う。
花のことに関して言えば、当時モスクワも花屋が3〜4件あり、ポーランドから花が来ていたが、花を買うために列ができる。並びながらカーネーションやバラの匂いをかいでいる光景が印象的であった。レニングラードではドストエフスキーやゴーリキが住んでいた辺りを歩くと、そばのマーケットには必ず花屋があった。カーネーションは頭が重く垂れており、バラは何の種類か判らないが、今思えばウドンコ病もあった。そんな中でも花を求め、家に飾ろうとする人達が多かった。
レニングラード大学で日本文学を当時教えていた方(確か宮本先生と言ったと思うが)のお宅にお邪魔した。そこでレニングラードの住宅事情や市民の生活を聞くと、モスクワ同様中流階級以上のほとんどの家庭で、週末になると郊外の農場兼作業場に行き、野菜や花を作るのを趣味にしていた。民族の違いを感じたが、個人生活においてはヨーロッパだと確信した。しかし生産者としてのロシア人は、長い間の共産主義のシステムにすっかり慣れきってしまい、聞くところによると経済は未だ不調であるという。この間テレビを見ていたら、知日家らしいロシア系アメリカ人の学者が、日本人とロシア人について気質の違いを経済に絡めて話していた。日本人は今、不良債権の後処理で自信を失っているかのようだが、この率直な反省こそ次のステップへ進むことのできる欠かせない条件である。その点ロシアはまだ時間がかかりそうだと...。
花き業界で活躍している皆さん方も、同じ日本人として今は率直に反省し、業務改善を行いつつ、長い目で物を見るくせをつけていただきたいと思っています。


1997/04/28 磯村信夫