私的なこと


昨日は長野出張があり、1日遅れとなってしまい誠に申し訳ありませんでした。
さて、13日は迎え火を焚いて個人が家に戻ってきて、親しく伴に生活をする、本来の盂盆回(うらぼんえ)とは異なるが、日本人には欠かせない盆の行事である。
私的な話だが、オヤジは機関銃中隊にいて満州から新潟に配属になり、終戦を迎えたが、小さい頃よく大東亜戦争の話を聞いた。そんな想いが頭をかすめ、忙しい中を縫って靖国神社の御霊祭に出向いた。お年寄りはもちろんのこと、若い人達が多く、特に浴衣姿の女性が目立った。ちっとも深刻ではないその場の雰囲気に、庶民の活力を感じながらも50年以上も前に戦争でなくなった御霊のことを思いながら手を合わせた。
高校2年から大学までの約6年間、小生の枕許にはいつも「聞け、わだつみの声」があり、自分の精神が脆弱であったり、刹那的な快楽に逃れようとする自分に嫌気がさした時、お気に入りのところを読み返したものだ。それと同時期、親父は靖国神社から歩いて1、2分の所にあるマンションを購入し、週末そこで過ごしていた。「聞け、わだつみの声」を愛読していたものの、靖国神社というと何か覇権主義の権化のようなイメージであったし、古びた国家体制の象徴でもあるかのように当時は思っており、中国や韓国から今でも批判されるそのこと自体が正しいように思っていた。しかし、月日が経ち、50に手が届かんとする今、年格好もそうだがなによりも当時番町のマンションからお堀端を周り、靖国神社を参拝することを休日の楽しみにしていた父の気持ちが解ってきた。功罪はあろうが、それも我々の欠かせない歴史として受入れていく覚悟が自分の中に出来てきたことを感じた。
それにしてもこの国は何とアジアから離れてしまったのだろう。たかだか50年の間に自分の置かれている地理的位置を、旅行などの楽しみ意外に真に理解していなかったことへの自責の念が猛然と沸き上がってきた。境内で軍歌を歌っている。また少し行くと盆踊りを踊っている。祭りのように太鼓もあり縁日もある。靖国神社を出て歩きながら、美しく調和した東京の街を見ると、この50年の歩みが決して間違っていなかったことを確信した。
さあ、これから明治維新、戦後に比類する変革を行わなければならないと、身体に決意が満ちてくるのがはっきりわかった。


1997/07/15 磯村信夫