顧客満足は自分満足


昨日小学校のクラス会があった。
井坂先生は75歳だが、奥さんを10年前に亡くしたのにぴんぴんしている。そのことを昨日からかうと、奥さんが存命中2人でどちらか1人が死ぬようなことになったら、2人で窓から見える烏帽子岩(茅ヶ崎)から船をだし、ダイナマイトでも買い込んで一緒に死のうと言っていたそうだ。1年目の法事の時、和尚さんから「奥さんを亡くして1年で60%以上の男性が亡くなる」と言われた時にはぞっとしたと先生はおっしゃった。戦争で夫を亡くされたお姉さん(85歳)が一緒に住んでおり、家の近くに住む次男のお嫁さんがよくしてくれるとも言っていた。
その井坂先生は大田区で最も歴史のある入新井第一小学校の校長先生まで努めた方だ。2年前、120周年をした折り、小生の親友の親父、前東芝社長の佐波さん、現新日鉄の今井さんが卒業生代表で挨拶された。校長先生まで努めると、退職後教育関係の仕事に着くのが一般的だが、先生は茅ヶ崎で植木屋になった。現在日花協の石川さんのところに新入社員として再就職したのである。昨日先生は挨拶の中で、「学校にいた時は生きていくということが解らなかった。植木屋になって始めて解った。」としみじみおっしゃっていた。
毎年開かれるこの会に、30年振りに東京に来たという本間君が初めて顔を表した。親父さんは新橋ですし屋をやっていた。彼は京都、大阪で板前の修行をし、そのまま大阪に居着いてしまった。枚方で割烹料理屋を3件とマンションを営むまで成功した。彼の店にはバブルの影響が全く無いという。小生と違い、裸一貫でここまでやってきた男の物腰は、やわらかく丸く、さりとて重心がきちっと下に座っている。小学校の頃、お互い背が小さかったので整列の時や、教室での席も近所だった。
彼の店に来るお客さんがだいたい7千円から1万円払ってくれる理由を、彼はこう話した。予約を受ける時、一緒にいらっしゃる人はどういう人か、性別と年齢、特に好きなもの嫌いなものを必ず尋ねる。それから家庭の主婦は1時間以上かかる料理を作りたくても作れないので少なくても30分以上かかるものだけを出している。僕が「鎌倉の新田中に女房や娘にせがまれて良く行くんです。流行る料理屋は箸の付け方で人の好き嫌いを判断してるね。好きなものが出てくるからそこの店は旨いということになる。これでしょ?」というふうに繁盛の秘訣を聞くと、「それもそうですけど、もっと大切なのは、例えばとんかつを出す時に、女性はあんなに大きく切ったものを一度かじってそれをまた置きたくないですよね。だからもう一つ横にも切って、一口で口に入るようにしてあげるんです。」本間君はこれ以上店を大きくしないと覚悟を決めていた。いろいろな生き方はあろうが、おもてなしをするためにはこの規模が良い。そして彼は「私は経営者というよりもやはり板前ですから、料理を作って喜んでいただくことに自分の生きがいがあるとこの頃ようやく判ったんです。」と。
こういう人達がこの国を支え、これからも支えていく。


1997/07/21 磯村信夫